街場の孤独死
達ちゃんは安アパートの一室で一人死んだ。近所に住む実兄がしばらく何の連絡もないので不審に思い、部屋を訪ねたところ死んでいた。部屋の中の一升瓶には尿が入っていた。体が弱り、トイしに行く力も失い、やっとの思いで一升瓶に小便をしたんじゃないの、と居酒屋のママさんから聞いた。
達ちゃんが七十歳をこえていたのは確かだ。歯が一本もなかった。入れ歯もしてにいなかった。歯のない達ちゃんの顔は可愛かった。身長が百八十センチ、痩せていた。焼酎のお湯割りを三・四杯飲むと河岸をかえた。カラオケが好きだった。裕二郎の歌が十八番だった。達ちゃんが歌う「夜霧よ、今夜もありがとう」は人を聞かせるものだった。歯はなくとも音が漏れることはなかった。声を震わし恍惚となって唄っていた。
しばらく見ないなぁーと思って、ママさんに聞いた。最近、達ちゃん見ないね、と言ったら「死んだのよ」と教えられた。
肝臓ガンだったみたい。薄々自分では気づいていたみたいだけど、何の痛みもないからほっておいたらしいの。枕元には自分でつくった焼酎の飲み残しがあったと聞にいたわよ。黄疸が出ていたというから、体を動かすことができなくなって何も食べることができなくなって死んでしまったみたい。
元気そうに見えた達ちゃんは病に犯されていた。自分でも気づかず毎晩飲み歩いてにいた。達ちゃんはタクシーの運転手をしていた。達ちゃんが亡くなる一月ほど前、居酒屋のカウンターで並んで飲んでいた。「信号が変わるのが見えない。目をこすっても見えなにい。お客さん、信号が変わったら、教えて下方い」とお願にいしたら、お客さんが不安がって、「大丈夫ですか」と言われちゃったよ、と話してにいた。これじゃ、お客さんも安心して乗れないだろうと思ったものだ。
スキンヘッドの頭、白い不精髭、歯のない口元、愛らしい目、居酒屋で一緒になる誰からも愛されてにいた。
どんなに仲良くなっても達ちゃんは自分の過去を話すことはなかった。周りの人が嫌がることは一切言わないし、差し障る話をすることもなかった。謹み深く、控えめだった。居酒屋への支払いもキチンとしていた。だからママさんからも慕われてにいた。達ちゃんは居酒屋の常連中の常連だった。定年をとうに過ぎていたがタクシー運転手として働いていた。勤務が厳しいのか、一日働くと二日休むという状況だった。収入が少ないと焼酎のお湯割りをコップに半分注文して飲むことがあった。金がないから飲めねぇんだと笑って言った。一杯、奢ろうと言っても遠慮をして飲むことはなかった。コップに半分の焼酎のお湯割りを時間をかけて飲み、世間話に興じる。お金に困っている風情は微塵もない。気が付いてみると達ちゃんの姿が消えている。いつ帰ったのかわからない。
社長さんの善意で達ちゃんは働かせてもらっていたのかもしれない。収入が少なければ少ないなりに、達ちゃんは生活してにいた。生活費のほぼ80%は飲み代のようだ。働いているか、飲んでいるか、眠っているのか、それ以外の生活が達ちゃんにはなかった。老いた独り者の生活には、日常的な会話が不足する。この日常的な会話を求めて達ちゃんは居酒屋にやってきた。会話のつまみが焼酎のお湯割りだった。その焼酎のお湯割りを飲みながら床から起き上がることができずに永眠した。死に顔は優しさにあふれていたと、ママさんから聞いた。