醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  450号  白井一道

2017-07-07 14:33:38 | 日記

 「あらたうと青葉若葉の日の光」 芭蕉

句郎 「あらたうと青葉若葉の日の光」。『おくのほそ道』日光で詠んだ芭蕉の句だよね。この句は名句なのかな。
華女 そうね。「青葉」「若葉」と季重なりよね。それに「日光」を「日の光」と地名を解きほぐし、青葉、若葉で讃えているのよね。とても技巧に過ぎた句のように思うけれど。
侘助 なるほど、でも『おくのほそ道』の中では有名な句の一つなんじゃないのかな。
華女 森林浴のコピーに使ったらいいような句だと思うわ。
侘助 日の光が青葉、若葉に輝いている。マイナスイオンを浴びて思いっきり深呼吸すると気持ちが一新するということかな。
華女 そうよ。森林浴よ。
侘助 芭蕉が生きた元禄時代に森林浴はなかっただろうから。「あらー何と尊いの。青葉、若葉に照り映える日の光は正に徳川様のご威光そのものだ。このような句だよね。
華女 徳川家を称える句なのね。
侘助 徳川の支配を称える句のかな。日光という地を称えることによって、徳川家康を神として讃える神社・東照宮を称えているのがこの句が表現していることなんじゃないのかな。
華女 「今此御光一天にかゝやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏なり」。このように『おくのほそ道』に芭蕉は書いているものね。これは徳川様のご恩が日本全国に行き渡り、日本の民は皆、平和で安心して暮らしている。これは徳川様のおかげだと感謝しているということなのよね。
侘助 素晴らしい土地だと地を称えるのはその地を支配している者を称えることになるようなんだ。万葉集にある地を称える歌は同時に天皇を称えることでもあったようだからね。例えば柿本人麻呂の歌「大君は神にしませば天雲の雷の上にいほりせるかも」のようにね。
華女 この歌は天皇を称える祝詞のようなものね。
侘助 そうそう。歌とは、まさに祝詞、神・天皇を称える呪術だったようだから、そのような伝統の上に芭蕉の句もあるのじゃないのかな。
華女 芭蕉さんは心の底から徳川の支配を喜んで受け入れていたのかしら。
侘助 徳川の支配があるから青葉、若葉は日の光に輝いているんだと心の底から思っていたんじゃないのかな。
華女 あらそうなの。日の光までもが徳川様のお陰だと当時の日本の民衆は思っていたのかしら。
侘助 少なくとも芭蕉はそうように思い、感じていたんじゃないのかな。そのような思いを表現した句が「あらたうと青葉若葉の日の光」だったんじゃないかと私は考えているんだけどね。
華女 へぇー、そんな風に芭蕉の句を読んでいたの。
句郎 うーん。芭蕉はとても保守的な思想・信条の人だったんだと思っているんだけれどね。
華女 そうなのかしらね。芭蕉は貞徳の俳諧や談林の俳諧を革新した人だと言われているんじゃないのかしら。
句郎 芭蕉は奈良・平安から続く歌詠みの伝統を継承し、その本質を頑固に保守し、新しい言葉と表現を屈指し、歌を詠んだ。それが芭蕉の俳諧の発句というものだったんじゃないのかな。それはとても革新的なものだった。