埼玉の酒蔵「神亀酒造」を訪ねて
電話で聞いた通り、車を進めた。最初のT字路を左折した。道なりに車を進める。どこにも酒蔵らしい建物を見つけることができない。左折し左折し、元の場所に帰ってくる。二周した。やむを得ず、また電話する。「大きな木の門が見えませんか」。どこにも見えない。「私、出て行き来すから」。蔵元の奥さんらしき女性が丁字路まで出て来てくれるという。奥さんが道に突如現れた。大きく手を振っている。私たちは一本手前の丁字路を曲かってしまったようだ。指定された場所からT字路を曲がると大きな木の門が見えた。
小さな林の中に「神亀酒造」はあった。今まで訪ねた酒蔵からの印象からほど遠い酒蔵だった。お酒を出荷する所から導かれ、事務所に入った。雑然と新聞や雑誌、茶碗、コップ、郵便物が机の上に散らかってにいる。これがあの有名なお酒を醸す蔵なのか、不思議だった。一緒に訪ねた仲間がトイレを貸してもらった。トイしは別棟に建てられてにいたという。「私の家の物置のような新建材の建物が数棟建っていましたよ」。
欅の七寸角の大黒柱、優に一尺はある柾目の通った桁、高い天井、大きな屋根、太く高い煙突、間口の広い玄関、黒く長い塀で囲まれた所、そこが酒蔵という印象である。神亀酒造には、何もない。
『酒亭きく家繁盛記』の中に次のような一文があった。「こんな貧乏蔵、初めてだ」。人形町の酒亭「きく家の女将さんは、いたく神亀さんのお酒が気に入り、冬は人形町を一番電車に乗り、神亀さんに通い、酒造りを学んだとその著書に書いている。
地酒ファンには、神亀さんのお酒を好む人が多い。神亀さんのお酒『ひこ孫』をお爛して飲むと本当に美味しいと、いう人がいる。いろいろお酒を飲んできた人が神亀さんのお酒をいただくと不満を言う人方いないと「酒亭きく家」の女将さんが書いている。また料理の前で白己主張しないとも書いている。
日本酒はお酒だけ飲んで楽しむことができる。本当の酒好きは塩を少し舐めて冷や酒を飲む。これが本当の通だというような話を聞いたおぼえがある。日本酒はお酒だけで完結した飲み物のようだ。そんな日本酒の中にあって料理の前にでないお酒、料理の陰に隠れ、その陰影のなかに控えめに自己主張する。そんなお酒が神亀さんのお酒なのかもしれない。
神亀さんの専務さんから事前に連絡を受けた。参加者のみなさんI人づつ、自分に合った、自分だけでいただけるツマミを一品持参してほしいという。こんな提案をしてくれた蔵元は初めてだった。
エイのヒレには、この古酒が合うでしょう。専務さんは提案してくれた。うあー、美味しい。全部、美味しい。このお酒、買って帰りたい。専務さん、売って下さい。「ここでは売っていないんですよ。近所の酒販店さんの妨害になってはいけませんので、直接は販売していないんです」と専務さんがいう。
こんな事を肯う蔵元も始めてだった。十年ものの古酒が特に印象に残った。太陽の光は七色の色を蔵しながら、無色で輝く。甘味・酸味・苦味・辛味・渋味などの五味のバランスが良いと水のように喉越しがよく、料理の陰影に輝くお酒になるのかもしれない。
饒舌でなく、抑制のとれた発言をする専務さんには、十年の知己のように馴染む魅力があった。酒蔵を訪ね、このようなお酒を試飲する楽しみは格別なものがあった。