埼玉、行田の酒蔵を訪ねて
東武伊勢崎線羽生駅で秩父鉄道に乗り換えた。行田の隣駅だと聞いていた。束行田まで幾らなのだろう。運賃表を見た。三〇〇円。間違っているのではないか。もう一回確認した。間違いない。羽生から東行田まで300円。駅の数にして3つ。高い。乗ってみて分かった。ガラガラだ。小旅行の気分を味わった。
東行田駅に着くとプラットホームから煙突が間近に見えた。あそこが目指す酒蔵、横田酒造である。野田の街では馴染みの銘柄『日本橋』を醸す。春の新酒鑑評会で金賞受賞回数が埼玉県の酒蔵では一番多い。きっと旨い酒を唎くことができそうだ。期待に胸が膨らむ。駅から歩いてほんの三・四分のところに横田酒造は位置している。見るからに旧家の風格である。太い柱、深い軒、大きな屋根、屋根瓦を支える二寸角はある垂木、茶色に変色した杉玉が吊るしてある。横田酒造を一緒に見学した仲間が話し始めた。「成人式のとき、初めて酒を飲んだ。その時の酒が日本橋、結婚式の時に飲んだ酒が日本橋、六〇歳で定年を迎え、還暦を祝ってくれたときに飲んだ酒が日本橋。私の人生の節目に味わった酒が日本橋なんだ」。「それはそれはどうもありがとうござにいます」。横田酒造の社長さんが丁寧に挨拶をして下さった。野田の興風会館の前に酒販店日野屋さんがある。日野屋さんが名酒「日本橋」を野田の街に普及したのだろう。
「私どもの蔵は文化二年の創業ですので、今年でおよそ210年になります。文化二年というのは西暦で申しますと1805年になります。埼玉県の酒蔵の大半が近江から来た商人によって創業されています。江州店(ごうしゆうだな)と言っております。私ども酒屋は横田と申しますが、街の人は皆、日野屋さんと申します。日野屋というのが屋号というわけではないのですが日野屋で通っております。それというのも私ども先祖は滋賀県の日野の出身でございます。滋賀県近江の日野から出てまいりまして、私で6代目になります。最近『近江商人の商法が見直されております。その精神は三方良しという言葉で表されています。造って良し、売って良し、買って良し。造る人も売る人も買う人もみんなが喜ぶことを取り持つのが近江商人の精神です。この精神で私どもは酒を造ってきたわけです』。
社長さんから近江商人の商法についての説明をいただいた。江州店の造り酒屋を訪ね、初めて近江商人の話は初めてだった。越後から来た人が始めた酒蔵もあるが江州店は大きな酒蔵が多い。横田酒造さんも敷地が4000坪ほどあるという話だった。荒川の伏流水を仕込み水に使っている。荒川の水は軟水だという。井戸から汲み上げた水をグラスにいただいいた。水の飲み比べをしたわけではないので、分からなかったが柔らかな感じがした。母屋に戻り、唎酒をさせていただいた。関信越の秋の品評会に出品予定の大吟醸酒を試飲させていただいた。新潟の地震のため出品できなくなったのでその出品酒をいただくことができた。春の全国新酒鑑評会で金賞を受賞したお酒とのことである。うん。素晴らしい。滑らかで、綺麗なお酒である。 の中の香りが口に広がっていく。ああ、酒蔵に来て良かった。この酒は商品になっていないお酒です。商品になる前の金賞受賞酒、酒蔵でしかいただくことができないお酒だ。感動。さらに20年間貯蔵したという大吟醸酒をいただにいた。このお酒の滑らかさにしびれた。