醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  446号  白井一道

2017-07-03 15:06:03 | 日記

 秋田の酒「冬樹」を飲む

 夕暮れどきの赤ちょうちんには人の温もりがある。換気扇から青い煙が吐き出されている。今日も4時半の男は来ているだろうか。赤ちょうちんに吸い寄せられて行く。
 縄のれんをくぐると「いらっしゃい」と店の主の声がする。黒板に白墨で書かれたメニューに当店おすすめの地酒本日入荷、「冬樹」とある。珍しい銘柄の酒だね。年に1度。毎年、今頃出しているんですよ。秋田の酒で一年に一回、出荷するお酒なんです。純米吟醸・生・無調整のお酒です。「無調整」ということは、水を加えたり、他のタンクのお酒とブレンドしていないということかな。きつと、そうだと思いますよ。炭素濾過もしていないと思います。「呑んでみようかな」。「呑んでいただけますか」。お皿の上に一合枡を乗せ、枡にはナミナミとお酒がつがれ、お皿には少しお酒がこぼれていた。ちょっと得した気分になった。期待に胸がふくらむ。初めて飲む酒にはいつも微かな胸のトキメキを覚える。一口、酒を口に含み、舌の上で転がしてみた。味がのっている。しっかりした味である。汗を流したあとの酒であつたので、軽快に冑の腑に落ちた。「力のある酒だね」と主に言った。「そうでしよ。味わいが深いように感じているんですけどね。好んで飲んでいただけるお客さんがおりますのでいれているんです。キヨニシキという飯米で醸したお酒です」。
「飯米で醸したお酒でおいしいものは少ないんじゃないの」。
「そうですね。淡麗なお酒とは言えないかもしれませんけどね」。
「綺麗なお酒ではないということかな」。
『冬樹』は淡麗辛口のお酒とは言えないように思った。印象に残るお酒という感じであった。美味しいとか、不味いとか、ではなく強烈な個性を感じせるお酒であった。強い自己主張のあるお酒であるように思った。今日、1日、俺ね、狭い畑を耕して来たんだよ。
「家庭菜園ですか」。
「30坪ばかりの畑とは言えないような、草だらけのところだけど」。
「何を植えたんですか」。
「ナスとキュウリ、枝豆を植えてみたんだけど」。
「楽しみですね。収穫が。あっ、分かりましたよ。1日、汗を流したあとの『冬樹』だったので美味しく飲めていただけたんですね」。
「そう思ったんだけど」。
 1日中、冷房の効いた部屋でデスクワークした後では「冬樹」を美味しく飲むことはできないように思った。デスクワークの人が晩酌で飲む酒は淡麗辛口のお酒があうように思う。しっかり味のったお酒は額に汗をかく仕事したあとに美味しく飲むことができるように思った。淡麗なお酒とは、悪く言えば味がやせ細っているよう
な感じを受けるものね。
「お酒を冷やして飲んでいただくとほとんどのものが飲み飽きせず、飲んでにいただけるようです」。
「冷やして飲むと豊かに持っていた味が殺されてしまうのかな。お酒は昔から爛して飲むものでしたからね。爛して飲むと味が豊かになるような感じがするしね」。
「『冬樹』を爛して呑んでみますか」。
「少し、飲み疲れた。もっと軽いお酒がいいな」。
『冬樹』を爛して飲むのは次回にしようかな。
 馴染みの居酒屋でもよもやま話に夕暮れ時が過ぎていく。