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"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

傷つけられた時は

2020-02-27 23:37:39 | homo - 人間
自分を傷つけられるのは自分だけかもしれないけれど
どうかな。わからないな。

嫌な目にあった時の対処方法は色々あります。
中には自分に対して有害なものもあると思われるけど。


・相手を憐む
これはちょっと有害。自分を傷つける者がいったら、人を傷つけるような下らないことにしか喜びを見出すことが出来ない哀れな存在であることを憐みましょう。だけど、自分が物事を極端に解釈することを助長することにもなるので注意。



・ただ平坦な心でいる。
雨に怒っても仕方ないだろう。強風に怒っても仕方ないだろう。宇宙線に怒っても仕方ないだろう。そういう風に出来ているものは、そういう風にしかならないのだから、反応しない、動揺しない。ただ平坦でいる。「ああこういうことが起こったんだな」ってただ、無感動に観測する。雨は地に落ちるし、月は地球の周りを周る、磁力も電力も流れがある。そういう風に出来ている。



・想像する
生まれ育った環境というものがる。
いま私はこちらにいて、いま彼はあちらにいる。私だってあちら側で生まれて育っていたら、きっと彼のように振る舞っていると思う。大きい人たちが自分を叱る言葉や条件も、自分を褒める言葉や条件も周りにいる人々が大事にしているものも、気温や湿度や食べ物や土壌環境も全部違った。それは彼から私をみても同じこと。抗えないものがある。抗えたならば抗ってもいただろう。抗うことが出来たのに抗わなかったのならば、つまりそれが出来なかったんだろう。だから憎んでもしょうがない。見ている世界が違う、感じている世界が違う、言葉の意味が違う、世界の解釈が違う、使ってる物差しが全然違う。もっと「良い」状態があると思うのならば、現実からその良い状態へと至る道を階段を探して築いて辿り着くように試みればいい。だけど私が「良い!」と思った世界を彼も「良い!」と思うかはわからないけれど。

自分の体験を偏った「意味」「物語」の色眼鏡で解釈してること

2020-02-27 04:00:03 | homo - 人間
辛いものは辛いとして、「マイノリティ」の辛さを身をもって体験できる貴重な機会であることは確かだから、それは忘れずにいよう。普段自分が知らずに、または知らないふりをして踏みにじっているものがある、ということ。または例えば色眼鏡で自分の体験をフィルターしてみてしまうこと(偏った意味や物語を自分の体験に適用して解釈したり。この場合は「マイノリティーである」という物語。「○○人は嫌い」という物語)。それが日本で一番社会還元できることかも。