都市で生まれて、都市で育ったけど、例えばこれから進学しようとする時とか、就職しようとする時とか、もっと大きくなった人がその後の生活の道を考えようとした時に、自然とつながって生きるような道を選べるような模索できるような、そういうきっかけになる場所があるのはいいことだと思う。実はいっぱいあるんだろう、世界中に。「パーマカルチャー」とか「村」とか「キブツ」とか。最近ネットのおかげで目に見えるようになったのかな。大昔からある生活の知恵(食べ物を発酵・保存したり、自然の素材から住居や衣服を作ってメンテナンスしたり)を繋いでいったり。協力隊が終わったらそういうことをしたいな、なんとなく。自分は自給自足しつつ(いきなりハードル高 笑)そういうのを学んだり体験したりする人たちを受け入れらる場所を作ったり、手伝ったりしたいな。よし、口に出してみたぞ 笑
都市にすべて飲み込まれて、土も山肌も全部コンクリートで固められて、そういう選択肢すらなくなってしまったら悲しい。「都市か原生林」かではないんだし。その間もあるんだし。その間は大事なものだと思う。人間の世界と生き物たちの世界が完全に別々に分かれてしまわないためにも。都市に生活している人たちにとっても、水も空気も食べ物もこの世界から自然から直接やって来るものだってことを、身をもって実感するための機会は大切なはずだ。「普通」に考えて、魚や植物が生きているところを上から土砂で埋めるとかしないと思うけど、だから「普通」が一つじゃないんだね。俺だって、色んな「普通」を踏みにじって傷つけまくってるんだな。
「都市」とか「社会」とか「世界」とか、そういう言葉は大層に感じて荷が重いので本当は使いたくないけれど、他の表現がわからない。
平常のバイタリティーが低すぎるので、まずは、元気な心と体!! 😅
都市にすべて飲み込まれて、土も山肌も全部コンクリートで固められて、そういう選択肢すらなくなってしまったら悲しい。「都市か原生林」かではないんだし。その間もあるんだし。その間は大事なものだと思う。人間の世界と生き物たちの世界が完全に別々に分かれてしまわないためにも。都市に生活している人たちにとっても、水も空気も食べ物もこの世界から自然から直接やって来るものだってことを、身をもって実感するための機会は大切なはずだ。「普通」に考えて、魚や植物が生きているところを上から土砂で埋めるとかしないと思うけど、だから「普通」が一つじゃないんだね。俺だって、色んな「普通」を踏みにじって傷つけまくってるんだな。
「都市」とか「社会」とか「世界」とか、そういう言葉は大層に感じて荷が重いので本当は使いたくないけれど、他の表現がわからない。
平常のバイタリティーが低すぎるので、まずは、元気な心と体!! 😅
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます