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"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

大人になったからって

2020-02-19 02:09:39 | homo - 人間
大人になったからって

わからなかったことが
わかるようになったわけでもなく

わかったつもりになって
とりあえず進む

ってことを覚えたぐらいだけど
前か後ろか上かしたかもわかんないけど

とりあえず動く

4つの偏見(ベーコンの4つのイドラ) 自分の場合

2020-02-19 00:58:37 | homo - 人間
フランシス=ベーコンの4つのイドラ(偏見)という、とても耳の痛くて有難い話を、自分の具体例で書いてみました!
耳が痛い! = 有難い!


種族(自然性質)のイドラ:
(人間であることによる)物理的な制約から来る偏見
視覚による情報に頼りすぎて、目に見えるもの、もっと言ったら今見えている世界が全てだと思ってしまう。自分が見ていなくて他人が見ている光景を想定できない。自分が持っていて他人が持っていない情報を想定せずに話したり行動したりしてしまう。あと暗黒物質・暗黒エネルギーを想定できてない。

テレパシーが発展して、人間同士で感覚やイメージを共有できるようになったら、この偏見は小さくなるかも!

洞窟(個人経験)のイドラ:
個人の限られた体験から誤った類推・妄想をしてしまう偏見

自分が今日出会った人がたまたま意地悪だったからって、やりきれなくて「あーもうみんなみんな大嫌いだー!」ってなっちゃう。

ちょっと、落ち着いて、自分の大好きな人たちのことを思い出したら、治まるかも!
テレパシーが発展して「意地悪」だと思った人の本当の気持ちを共感できたら治まるかも!

市場(伝聞)のイドラ:
人から聞いた話をそのまま受け取ったり、誤解・妄想して解釈することから来る偏見
誰かが出会った嫌な経験を伝え聞いて、実際にどれほどのことだったのかを体験したわけでもないのに、「あーそれはなんて酷い話だ!酷いことだ!」って、無闇に怒ったり動揺したりしてしまう。

テレパシーが発展して、話の元になった体験を共有できたら治まるかも!

劇場(権威)のイドラ:
「偉い」人、自分が溺愛している人の言葉をそのまま信奉してしまう偏見

(権威とちょっと違うけど)アインシュタインとか忌野清志郎とかの言うことだったら無条件で信仰しちゃう。内容を自分で吟味しないで、無条件で溺愛しちゃう。

忌野清志郎もスキャットマンジョンもシュヴァイツァーも大好きなで、無条件で溺愛しちゃうので、これは治まらないかも!


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テレパシーが発展しなくても、深呼吸して、落ち着いて、空を見上げたり、静かに坐ったり、みんな一人一人それぞれにそれぞれの生と体験と感覚があるんだって思ったり、自分を大事にしすぎることをちょっとやめてみたり、自分にこだわり過ぎることをちょっとやめてみたり、膨張し続ける宇宙を想ったり、宇宙から見える地球を想像してこの広大な闇の中のほんの小さな青い星むしろ小さ過ぎるその一点の上でみんなわちゃわちゃやってるんだとか想ってみたり、床に寝っ転がって気持ちの良い方向に「うーん・・・・」て好き勝手に体を伸ばしてみたり、お風呂に入ってまったりしたり「あー」ってオペラごっこしたりしてら・・・・・

治まるかも!


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ベーコンの4つのイドラと自分の場合でした。
倫理の資料集に載ってたけど、あまりに耳が痛くて、つまり有り難かったのでなんとなく覚えてる。

何時でも何処でも「全てが見えているわけではない」「私は全能ではない」「そもそも、僕らみんな、仕組みも使い方もよくわかってない脳や体というハイパースペックだけど謎のスーパーデバイスで走り続けるデンジャラスドライバーなんだ!」とかって、想ってみることは大切だと思う。

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倫理の資料集には他にも今でもずっと心の師匠の 山田かまちさん とか、5分前宇宙創造説のバートランド=ラッセルさんとか そのラッセルさんの周りをぐるぐる歩き回って「僕はもうすぐ自殺します自殺します」って呟き続け「今まで何千年も前からみんなで『無』とか『人生の外側(死後)』とか『世界を作っている要素は究極的には一体何なのだ(世界の仕組みではなくて)』とか色々考えて話し合ってきたけどそもそも言葉で表現できないものについては哲学の議論の領域じゃないよね!!」ってばばばバッサリと切り捨てたルートヴィヒ=ウィトゲンシュタイン天才とか 「死に至る病 それは絶望である」そしてなんで婚約を破棄しちゃっったの?のセーレン=キルケゴールさんとか偉大な先輩たちの逸話がたくさん載ってて本当に面白かった。

毎朝同じ時間に正確に散歩しすぎて時計がわりになっちゃうカント先輩、粘菌とかマニアックな研究しまくった南方熊楠博物学先輩、「ナポレオン=ボナパルトは馬に乗って走る世界精神なのだ!」そして偉大な偉大な弁証法 テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ(命題とその否定とそれらの交歓による昇華)を提唱して今でもきっと出来るビジネスパーソンたちの大いなる武器の一つである弁証法を発明(発見?)したフリードリヒ=ヘーゲル先輩、そしてそして、「なんて過酷なのだ人生とは よしもう一度生きようではないか」偉大なるニヒリズム(虚無主義・無意味主義)のフリードリヒ=ニーチェ先輩

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僕も思います。目標のある人生・存在意義を生々と感じる人生は充実して素晴らしいと思います。しかし、目的も目標も存在意義もわからない、というかそんなのなくていいけど、それでも、生きている、今この一瞬を大切に、生きていることの全てを大切に感じて生きることに充実する生は素晴らしいと思います。

判断しないこと・思考を一旦止めてみること

2020-02-15 15:31:36 | homo - 人間
僕も「科学」を信仰してる様なものけどね
自分で確かめたわけでも考え出したわけでもないのに
ビッグバンとか素粒子理論とか信じてる
ダークマターとか観測者問題とかに信憑性を感じてる



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なにも確定させず
なんの 拠り所 もなく
どんな目的地もなく
前も後ろも上も下も
なにもない世界を

ふわふわ生きていけたら
それが 自由 
そんな気がしますが
それは
怖いだろうな
そんなに強くないな

自由じゃなくても
いいんだけど
平和ならば
幸せならば





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同族嫌悪ということばがあるけれど
「僕が僕が!」
「なんで僕にくれないの!?」
っていう、こんなにも「自分が自分が」って主張する子供のことを
疎ましくて憎たらしく思うのは
自分の幼稚な部分をそのままそっくり見ているからかなー

こんなにもストレートに他人や世界のことなんて一切差し置いて、眼中にもなく
「自分が自分が!!」
って、素直に言える人たちのことを羨んでいるのかもしれない

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すごい「わがまま!」に見える人や
乱暴な運転をしたり
大声で何かを叫んだり人を呼んだり
自分が呼びに行かずにその場でただひたすら名前を呼んで「早く来て!」ってどなったりする先生たちとか

そういうのに出会うと凄く嫌な気分になって
「なんて粗雑で我がままで身勝手な人たちなんだろう?
 世界はあんたを中心に回ってないよ」
ぐらい言いたくもなっちゃうんだけど

きっとその人なりの事情があるんだろな
急いでる理由
その場を離れられない理由
大きな声で誰かを呼んでいる理由

みんな自分が育った環境や時代やいろんなものに影響されて
自分が形作られている
私が育った時間とあなたが育った時間は違う
私が見ている世界とあなたが見ている世界は違う


言葉の壁、わからないもの・わからないことへの苛立ち

2020-02-05 03:33:46 | homo - 人間
自分がこんなに怒りっぽくて、気の小さい人間だとは。

ヨルダンの障害児施設で活動中。
サッカーをしている時のこと、生徒が少し乱暴すぎると感じたので、一旦落ち着かせようとして、手を引いた。
ちょっと、激しすぎるとおれは思ったから。
そしたら、生徒が怒ってしまった。

言葉で言っても伝わらず(言いたいことも十分に表現できてさえいない)
生徒が言ってることも完全には理解できず。
生徒はすごい怒っていて、それに対して、おれは何を怒っているのかも完全に理解できていないのに、
自分が激昂してしまった。

日ごろの色んなイライラを全て、その一人の生徒の振る舞いに対して、発散してしまった気もする。
道端で投げかけられる言葉や、郵便局で「コロナ」保菌者扱いされたり、
同僚にさえ、「あなたは日本人か中国人か?」ってもう、一年以上一緒に働いているのに聞かれたり
タクシーの運転手に毎日毎日絡まれたり、

ちょっと、いやかなり、もっと、寛容にならなければ
寛容になりたい
広い心、必要

反応しない心
落ち着いた心
気にしない心





言いたいことを表現しきれない
相手の言ってることがわからない
こいつは、結構な重大なことで、
「わからない」ということがネガティブな気持ちを増幅してしまう
「わからない」ものを「わからない」ままにせずに、ネガティブな方向に妄想して暴走させてしまう。
自分の感情が暴走。



大人同士の、国家同士の喧嘩もこんな風に起こってんじゃないかとか、思う。
相手の思いがわからないと、
お互いの思いを理解し合わないと、
理解できなくても、尊重し合わないと

大変だ

「いまじん 想像する」 言葉と心

2020-02-01 16:38:56 | homo - 人間
いまじん
想像する

土の下の世界
水、虫、菌、根っこ・・・・・・・
根を茎を伝って水!が葉っぱに達する、太陽の光を受ける、そのエネルギー使って光合成!する。今、俺の首元を照らして身も心もちょっと温めてくれてるこの太陽エネルギーを使って、葉緑体先輩は分子の構造大手術!を行なって、有機物を合成してしまう!水と二酸化炭素と光エネルギーから!

こういうのを自分で触って体験したわけでもないし、見たわけでも聴いたわけでも無いけれど、言葉や図から僕らは学びました。抽象化された情報を通して。

エッセンスを抽出して簡略化して表現する

「葉緑体」「光合成」「DNA」「細胞分裂」「窒素同化」「分解」「呼吸」「アポトーシス(細胞の自死)」

言葉は抽象化する、記号化する。
記号化の力はすごい。
複雑怪奇で表現不可能な出来事を簡略化して、そこに含まれる関係や仕組み、動き(デュナーミク 笑)をシンプルに考えたり理解する助けになる!

と、ともに、本物の体験・感覚が持つ生々しさは、その言葉を用いる各自の想像力や意識や気分に応じて再現される。そうはいっても「光合成」とか「DNA」とか直に体験することなんて、できそうも無いけど(「万物の声をきく」というゴール・D・ロジャーさんやヴィパッサナーの先生とかなら出来そう)。

誰かが既に噛み砕いて簡略化してくれた情報(本とかテレビ)とかから僕らは色んな知識を得るけれど。でも、「ゴキブリは怖い」という思いを持つよりもずっと昔の小さい頃に、「なんか動く黒いやつ」を見つけて、手でつかんで眺めたりして確かめていた子供の頃が誰にもあったかもしれない。剃刀の刃先をつかんで血まみれになったり、崖を這いつくばって登って枝が手のひらに突き刺さって恐れ慄いたり、サボテンの葉っぱを食べて嘔吐したり、鼻の穴にビービー弾を詰め込んだりして存在を確かめていた子供の頃がきっとあったに違いない。

言葉にしてしまう前に、生の感覚を大切にしよう。
言葉で受け取って了解してしまう前に、自分で感じて考えて確かめてみよう。
「世界を自分の体で確かめなさい」って五十嵐大介の『魔女』が言ってた。

算数はめっちゃ得意だけど、詩の宿題は一行も書けずに途方に暮れた頃を思い出しつつ。だって、「詩」って何?感じたことって何?思ったことって何?ってなるし! 言葉と心がまだつながってなかったのか。それとも、今の自分があまりにも、安易にいい加減に、心を表現する言葉を選びすぎている気はする。「あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」っていつも思って「忙しい」から。星の王子さまに「あんたなんて人間じゃなくてキノコだよ」って怒られる。星空も見上げず
花も愛でずに暮らしていると。

言葉の世界への出口をもたない感覚や感性があるなら、そんなものは大切にしたい!


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映画『円卓』めっちゃ良かったなー。「いまじん」。「想像する」。こんなに優しい映画を見られて良かった。俺は優しいと感じた。