フランシス=ベーコンの4つのイドラ(偏見)という、とても耳の痛くて有難い話を、自分の具体例で書いてみました!
耳が痛い! = 有難い!
種族(自然性質)のイドラ:
(人間であることによる)物理的な制約から来る偏見
視覚による情報に頼りすぎて、目に見えるもの、もっと言ったら今見えている世界が全てだと思ってしまう。自分が見ていなくて他人が見ている光景を想定できない。自分が持っていて他人が持っていない情報を想定せずに話したり行動したりしてしまう。あと暗黒物質・暗黒エネルギーを想定できてない。
テレパシーが発展して、人間同士で感覚やイメージを共有できるようになったら、この偏見は小さくなるかも!
洞窟(個人経験)のイドラ:
個人の限られた体験から誤った類推・妄想をしてしまう偏見
自分が今日出会った人がたまたま意地悪だったからって、やりきれなくて「あーもうみんなみんな大嫌いだー!」ってなっちゃう。
ちょっと、落ち着いて、自分の大好きな人たちのことを思い出したら、治まるかも!
テレパシーが発展して「意地悪」だと思った人の本当の気持ちを共感できたら治まるかも!
市場(伝聞)のイドラ:
人から聞いた話をそのまま受け取ったり、誤解・妄想して解釈することから来る偏見
誰かが出会った嫌な経験を伝え聞いて、実際にどれほどのことだったのかを体験したわけでもないのに、「あーそれはなんて酷い話だ!酷いことだ!」って、無闇に怒ったり動揺したりしてしまう。
テレパシーが発展して、話の元になった体験を共有できたら治まるかも!
劇場(権威)のイドラ:
「偉い」人、自分が溺愛している人の言葉をそのまま信奉してしまう偏見
(権威とちょっと違うけど)アインシュタインとか忌野清志郎とかの言うことだったら無条件で信仰しちゃう。内容を自分で吟味しないで、無条件で溺愛しちゃう。
忌野清志郎もスキャットマンジョンもシュヴァイツァーも大好きなで、無条件で溺愛しちゃうので、これは治まらないかも!
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テレパシーが発展しなくても、深呼吸して、落ち着いて、空を見上げたり、静かに坐ったり、みんな一人一人それぞれにそれぞれの生と体験と感覚があるんだって思ったり、自分を大事にしすぎることをちょっとやめてみたり、自分にこだわり過ぎることをちょっとやめてみたり、膨張し続ける宇宙を想ったり、宇宙から見える地球を想像してこの広大な闇の中のほんの小さな青い星むしろ小さ過ぎるその一点の上でみんなわちゃわちゃやってるんだとか想ってみたり、床に寝っ転がって気持ちの良い方向に「うーん・・・・」て好き勝手に体を伸ばしてみたり、お風呂に入ってまったりしたり「あー」ってオペラごっこしたりしてら・・・・・
治まるかも!
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ベーコンの4つのイドラと自分の場合でした。
倫理の資料集に載ってたけど、あまりに耳が痛くて、つまり有り難かったのでなんとなく覚えてる。
何時でも何処でも「全てが見えているわけではない」「私は全能ではない」「そもそも、僕らみんな、仕組みも使い方もよくわかってない脳や体というハイパースペックだけど謎のスーパーデバイスで走り続けるデンジャラスドライバーなんだ!」とかって、想ってみることは大切だと思う。
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倫理の資料集には他にも今でもずっと心の師匠の 山田かまちさん とか、5分前宇宙創造説のバートランド=ラッセルさんとか そのラッセルさんの周りをぐるぐる歩き回って「僕はもうすぐ自殺します自殺します」って呟き続け「今まで何千年も前からみんなで『無』とか『人生の外側(死後)』とか『世界を作っている要素は究極的には一体何なのだ(世界の仕組みではなくて)』とか色々考えて話し合ってきたけどそもそも言葉で表現できないものについては哲学の議論の領域じゃないよね!!」ってばばばバッサリと切り捨てたルートヴィヒ=ウィトゲンシュタイン天才とか 「死に至る病 それは絶望である」そしてなんで婚約を破棄しちゃっったの?のセーレン=キルケゴールさんとか偉大な先輩たちの逸話がたくさん載ってて本当に面白かった。
毎朝同じ時間に正確に散歩しすぎて時計がわりになっちゃうカント先輩、粘菌とかマニアックな研究しまくった南方熊楠博物学先輩、「ナポレオン=ボナパルトは馬に乗って走る世界精神なのだ!」そして偉大な偉大な弁証法 テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ(命題とその否定とそれらの交歓による昇華)を提唱して今でもきっと出来るビジネスパーソンたちの大いなる武器の一つである弁証法を発明(発見?)したフリードリヒ=ヘーゲル先輩、そしてそして、「なんて過酷なのだ人生とは よしもう一度生きようではないか」偉大なるニヒリズム(虚無主義・無意味主義)のフリードリヒ=ニーチェ先輩
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僕も思います。目標のある人生・存在意義を生々と感じる人生は充実して素晴らしいと思います。しかし、目的も目標も存在意義もわからない、というかそんなのなくていいけど、それでも、生きている、今この一瞬を大切に、生きていることの全てを大切に感じて生きることに充実する生は素晴らしいと思います。