旧親不知トンネル(親不知連がトンネル)を訪ねて
北アルプスの北端が日本海に落ち込む親不知、北陸路一の難所とされ“親は子を、子は親を顧みることができなかった天険の地”
鉄道が敷設されたのは、旧北陸本線の泊-青海間が開通した1912(大正元)年10月であり、これに伴い旧親不知トンネル等、連続する4基のトンネルも竣工した。鉄道の開通により、行旅の安全と黒姫山から産出される石灰石の輸送量の増大等、地域経済の向上と拡大に大きく寄与した。鉄道は1965(昭和40)年に廃止
トンネル内はフットライトが点いておりはいいた時には少々暗く感じるが自然に目が慣れてきて歩くには問題がなさそうだ。入り口には懐中電灯も読老いされていてお借りして入ることもできる。
今回はヘッドライト持参で入ったが少し暗い方がスリルがあっていいかも。
明治後期に天険親不知の断崖絶壁を貫通させた総煉瓦造りのトンネル.
- 形式等 山岳トンネル、レンガ積み、馬蹄型
- 延長等 全長 667.82m、幅員 4,572mm、高さ 4,700mm
当時の土木技術を後世に伝える貴重な土木遺産として2014年 平成26年度に選奨
親不知レンガトンネル【PDF】
トンネル内にはこれと言った展示物があるわけではなくレンガの積み方の説明、トンネルの大きさ、の説明案内板、少し離れて掘削方法の説明板がある程度で。掘削時に使用した海岸側の横穴もなく少しさびしい。
隧道内は少しひんやりしていて空気の流れもなく少々靄がかかっている。
トンネルを抜けると遊歩道までの長い階段があり少々登るのはきつい。先のグループはこちら側から入った理由がわかったような気がする。
日本海を眺めながら遊歩道を駐車場へと戻る。
北陸道の親不知インター付近を見ることが出来る。
眼下を眺める。波打ち際を眺めるが、昔はこの波打ち際を歩いて難所を越えてそうだが崖際まで水が来ていて歩けるところなど見当たらない。
温暖化がここまで進んでいなかった時代には海岸線がもう少し後退していたのかもしれない。いずれにしても打ち寄せる波を避けながら命がけの道中だったのだろう。
親不知コミュニティロードの4世代道路の説明板
明治に入り道が出来、大正には鉄道が敷設された。それでもこの区間を越えるには大変な危険が伴ったのだろう。
歴史に残る大惨事を乗り越え現在の道路・鉄道が建設されている。
芭蕉が歩いた道を私たちは何の苦労もなく通り過ぎる。
今回は、駐車場から階段を下りてトンネルに入ったが、逆のコースで、遊歩道を富山県側に歩いて階段を下って富山県側からトンネルを入り、トンネルを抜けたところで海岸に降りるて海まで下りるコースがおすすめかも。
2024_09_15 訪ねる。