昼過ぎには雨も上がったようで、明日から日曜日まで晴天と。
だれしもが待ちこがれる晴れの日です。
奈良地蔵巡りのコース地図、紫色の線で①から③は約5Kmで三時間ほど。
①近鉄奈良駅行基前~興福寺延命地蔵~率川地蔵~猿田彦神社(道祖神)
~北向き地蔵~爪かき地蔵(春日地蔵)
②頭塔~椿地蔵~子安地蔵~鎧地蔵~福智院・勝軍地蔵(地蔵大仏)
③十輪院(石仏がん)~御霊神社~庚申堂~中新屋町地蔵まで
最後の地蔵巡り③を
福智院からすぐの県道沿いに、春鹿で有名な造り酒屋「今西清兵衛商店」
春日奥山からの湧水を利用され、飲み比べをしたかったが、テクテクと
西へ緩い下り坂で「十輪院」の南門(重要文化財)がお出向え。
切妻造・本瓦葺の四脚門で、鎌倉時代中期の建築です。
吉備真備の長男、朝野宿祢魚養が創建と伝わるが元興寺の別院とも。
ブルーノタウトや森鴎外も訪れており、鴎外は詠む。
『なつかしき十輪院は青き鳥子等のたずぬる老人(おいびと)の庭」
門をくぐると、前に国宝の本堂、低い軒高で広縁の奥に蔀戸(しとみど)を
もつ鎌倉時代の住宅風仏堂、寄棟造、本瓦葺きで桁行5間、梁行4間で
覆堂内に安置された石仏龕を拝むための礼堂として建立された。
軒下組物、大仏様繰形、特に正面の蟇股は力強く見え、鎌倉様式になる。
御本尊の石仏龕(がん)、中央に地蔵菩薩、両脇に釈迦如来と弥勒菩薩様が
刻まれており、十王や北斗七星などが刻まれ、始めは彩色されていたとか。
石龕は鎌倉前期、本尊は平安後期の作で共に重要文化財になる。
また五劫思惟阿弥陀仏坐像(江戸時代)等も500円で拝観できます。
借用
北東の隅に魚養塚(うおかいづか)がある。
横穴式石室で、奥壁に半肉で刻まれた如来型坐像の石仏や、宝塔が刻まれる。
ミニ情報
48歳で亡くなったシンガーソングライターの河島英五のお墓も
十三重石塔(鎌倉時代)も
奈良町の中心へと足を、狛犬の足に赤い糸が巻かれる御霊神社を過ぎ
屋根の上に、見ざる聞かざる言わざるが乗り、子ザルを含め10匹の
サルがおられる『庚申堂』、「三尸(さんし)虫」は
コンニャクと申(毛繕いの姿が虫を食べていること)が嫌いなため、
奈良町に家々の軒先の赤いぬいぐるみは魔除けを意味し、災難が入って
こないように吊るされ、災いを代わりに受けて下さることから
「身代り申」や背中に願い事を書く「願い申」と。
23日は地蔵さんで入り口が明けられていた。
本尊は青面金剛像、吉祥天像、地蔵菩薩(宿院仏師源次作、1545年)で、
お参りが終わったところで厨子内は見られず。
最後は菊岡漢方堂の横にある「中新屋町地蔵堂」の北向き地蔵様です。
1451年の土一揆で元興寺の金堂も焼かれ、1500年代後半には境内に民家が
建ち始め、それとともに町角にお地蔵様が祀られるようになった一つ。
お地蔵様の真言は『オンカカカビサンマエソワカ』
「オン」とは南無と同じで〝帰依します” 言葉のはじめにつけます。
「カカカ」はお地蔵様への呼びかけ
「ビサンマエ」は稀有な、たぐいまれな尊いお方
「ソワカ」は神聖な言葉の最後につける。
是非お地蔵様の前を通りかけられたら、この真言を唱えて下さい。
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