今朝は湿度をあまり感じず、最低気温も22.7℃と爽やかな朝になりました。
日中も曇り時々晴の天候で31.2℃迄上がるが、窓からの爽やかな風のおかげで
昼過ぎまでエアコンがいらないくらい。
東の春日奥山もきれいに姿を見せてくれています。
13時、30.8℃、48%
今日と明日は「地蔵盆」、奈良でもひと月遅れの8月23・24日が多い中、
「他国では7月 24日を地蔵祭とするが、南都では6月24日を専 ら法会とする」
元文5年(1740)の『南都年中行事』に記載されるように、奈良町の寺院や町の
お地蔵さんに、主役の子供以外にも、数珠繰りなど珍しい行事で老若男女も
大いに賑わいます。
十輪院
午前中「ならまち」から500mほど南側(江戸時代までは奈良の町はずれ)の
JR京終(きょうばて)駅で降り、目的地「春日公民館」までのお地蔵さんには
地蔵盆をされている様子はなかった。
春日公民館主催3回講座「地域の歴史を探る~古代・中世の町と寺」の最終回
『京終にあった廃寺「福寺」の歴史と伝承』元興寺文化財研究所・服部光真
残るは南京終4丁目の『福寺の址』石碑のみで、小字「福寺」の地名も消失
なお福寺池の中から古代の瓦が発見され、奈良時代に物と考えられており、
2016年から歴史研究に着手された。
参考文献は室町以降の興福寺・大乗院門跡の日記、
・「経覚私要抄」経覚(九条経教の子1395-1473)
・「大乗院寺社雑事記」尋尊(一条兼良の子1430-1508)
・「政覚大僧正記」政覚(二条持通の子1453-1494)
正式には藤原房前が建立した「興福寺福田院」(吉川2009、谷本2015)
「興福寺流記」に
興福院、興福寺、福田院、斉恩寺、巳上四箇伽藍、藤原一門氏寺なり。
室町時代の「福寺」の基本的性格は
興福寺大乗院門跡の末寺で、都市奈良の南玄関口にあり、迎賓館の役目と
都市境界域として、奈良防衛の拠点になる。
また公共的性格としては勧進興業の場、祝祭空間で伝統文化が花開く。
しかし興福寺所蔵「論議草」永正元年1に
「文亀三年(1503年)五月二十日、福寺に馬借乱入し、則ち堂塔焼けおわんぬ」
その後再建されることがなかった。
ただ福寺の仏像が継承されている。
大堂という会所に本尊大日如来や長福寺(会所)に本尊十一面観音が伝わる。
また福寺池の古代瓦から、福寺の前身となる古代寺院があった可能性が・・・
最後に、今日からの地蔵盆ですが、子供が少なくなり、行われない地域も
出始めていると。
自然に「残った」のではなく、人々の意思により「残された」行事にすべきで
地蔵盆のように「残る」保証はなく、意志を持って「残す」努力が必要と
強く訴えられておりました。
京終駅への帰り道、東に見える「高円山」中腹より上に芝の空間が広がる。
8月15日に高円山の「大文字送り火」が行われ、今年はきれいな大の字に。
第二次世界大戦の戦没者追悼のために、戦後に始まった歴史の浅い行事です。
戦争のむごさを忘れないため、いつまでも伝えていきたい行事になりますね。