最後まで自分の生き方を見失うなかれ
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お店の書籍コーナーで、PHPベストセレクション 『 生きるのがうまい人、へたな人 』 というタイトルの小冊子が目に留まった。
だれも『 うまい、へた 』 などと考えて生きている人などいないだろうと思いつつ。
まてよ、今のわたしには深刻な悩みはないが、心が揺れる迷いはある。何か一つでもヒントが得られるかなと思い一冊を手にした。
「ヨイトマケ」の歌で知られている『 美輪明宏 』 さんの「自慢しない、羨ましがる必要もない」という記事が先頭に掲載されていた。
記事のなかに 『 落差のない人生は幸せである 』 という見出しの一節に。
SNSが一気に広まったことで、皆が"人生ストリップ"状態。どこへいっただの、何を買っただの、いずれ排泄物になる自分が食べたものを、どうして自慢げに曝け出すのか、私にはわかりません。 PHP 『 生きるのがうまい人、へたな人 』 美輪明宏著10ページより引用 |
引用文にある「"人生ストリップ"状態」の文字列に、私の思考は
自分としては、
「日記」、「政治評論」を避けて 「田舎暮らし」、「自然観察」、「好きに遊ぶ」、「体験記」的な
「皆が"人生ストリップ"状態」 この言葉から思考が抜け出せない。
いつもの事ですが、
ブログ記事を書くとき、気恥ずかしさと迷いを抱えながらも、つたないブログを書いて世に曝し続けてしまっていることに戸惑いと常に葛藤しているのも事実。しかし、
「ブログネタを考える、記事を編集する」が頭の活性にもなっている。
他の方のブログを拝読して、「勇気をもらったり」、「知恵をもらったり」、「心が和んだり」、ブログが『 情報の宝庫 』 であるといっても過言ではないと考える。
SNSの世の中には偽ニュースを流す輩もおり、SNSに接したり関わる我々は情報にいちいち惑わされることなく、書く者、見る者は、そのへんをきちんとわかって利用する。
そんなことを述べているのではと自分のなかに落とした。
この文章の締めくくりに 『 人生に落差がないことは幸せ 』 につづき。
人はそれぞれ。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。何かを得れば何かを失う。だから、自慢してもいけないし、羨ましがる必要もない。 PHP 『 生きるのがうまい人、へたな人 』 美輪明宏著10ページより引用 |
『 美輪明宏 』 さんに始まり、他の著者の方々のステキな記事が
自然の植物だって環境と手入れが必要だ
我が家の斜面にある植物たち、
一見して半日陰で中高木が覆い被さり お日様サンサンとはいかない。
色とりどりのお花の庭を見ると羨ましく思いますが、派手ではないが落ち着いた色彩の山野草も魅力的で癒される。
これから秋冬に向かって、
ホトトギス・ヤブラン・キチジョウソウなどの小さな花が目を癒してくれることは幸せだ。
妻とふたりで腰をかがんで草取りするのも大変だが、そんな時を楽しめられるのも幸せなことなんだ。 写真のようなステキなご褒美が待っている。
我が家の入り口にある杉の大木、
初めは普通の杉の木だったが、17年経つた現在は
通路のコンクリートを打つ時に隙間を空けて造ったのだったが、八年前に塞がって一度コンクリートを壊した。
またもや根元がコンクリートにあたり、亀裂が出だした。10cmある通路のコンクリートを根元から10cm空けたところで壊すことにした。
わたしが健康で生きていることが前提の話だが、七~八年後には同じ作業が待っている。
なにやら三回目の作業が楽しみになってきた。
木はどこまで生長し太くなるのだろうか、わたしはだんだん老いていくのに。
こんな楽しみも幸せなことだ。