わが余命 2006-10-10 16:52:49 | 歳時記 わが余命 計るときあり 鰯雲 (弦四朗) 私がこのような境地に立てるのはいつのことだろうか。 「西行は花下の死恋ひきわれもまた」 上の句とともに七十余才 「数へ日に余命を数ふべく老いぬ」 こちらは八十すぎて句集を出す一年前の句。 義父は昭和7年の大阪馬酔木会第1回句会に参加。水原秋桜子に師事。 平成5年に、句集「冬桜}を出した。 フユザクラ(バラ科) « 富良野は冬へ向かう | トップ | ルコウソウ »
24 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ごん魔女 さん (おーちゃん) 2006-10-11 16:42:53 いつも句を読んでいただいてありがとうございます。短い言葉に気持ちを込められる俳句は素晴らしいと思います。私は短いばかりで内容の伴わない文章を書いています。難しいものですね。 返信する いつもながら (ごん魔女) 2006-10-11 14:19:34 心に染み入る句ですね。「冬桜」私も読んでみたいです。短い言葉の中にこめられた万感の思い・・・ 返信する あまもり さん (おーちゃん) 2006-10-11 13:48:52 海のお近くだったのでしょうか。ここ数日大漁続きになっているといいのですが。子供の頃の豆知識のようなのは、結構おぼえているものですね。 返信する きょんち さん (おーちゃん) 2006-10-11 13:46:05 私もきちんとした句を作った経験がありません。短い言葉に情景や思いを込めるというのは、おそらく大変な苦心があるのでしょうね。自然、文化、故事、言葉その他について教養の積み重ねがあると、句にふくらみや深みが加わるのかもしれません。きょんちさんは文才も教養もがあると思っていますので、俳句も始められれば上達されることでしょう。笹沢佐保さんのことは知りませんでした。ありがとうございます。 返信する 鰯雲 (あまもり) 2006-10-11 13:38:03 うろこ雲とも呼ばれていますね。この雲が出ると大漁になると、小学校の頃、先生がそう教えてくれました。なぜかこの言葉がいまだに頭から離れず、秋になると思い出すのです。ああ大漁だと。 返信する fujimino さん (おーちゃん) 2006-10-11 13:33:36 こちらこそありがとうございます。もう一度句を読み直し、意味を考え直す機会ができました。私の記事は舌足らずのことが多いですが、これからもよろしくお願いします。自分が親になったときに、親の素晴らしさや優しさを理解できる、そういう関係が続いていけば救われますね。 返信する ちょびママ さん (おーちゃん) 2006-10-11 13:26:49 歳時記のときはいつも冒頭の5文字をタイトルにするので、驚かせてすみません。年をとると、そして体調を崩したりするとなおのこと、いろんな思いが沸き起こるのでしょうね。私もいつまでのほほんとしていられるのか自信はありません。ご両親たちも、ちょびママさんがよくやっておられることを内心では分かっておられて、口に出る言葉が裏腹なのでしょう。義父とは離れて住んでいたせいもあって、穏やかな関係でした。もう少し頻繁に訪問していればと思っても、後悔先にたたずです。 返信する 昔はすべての教養人のたしなみだったというのに・・・ (きょんち) 2006-10-11 13:25:59 国語や古文は大好きだったのに、こと「句」になるとぜんぜんだめ~な私です。季節や思ったことをズバッと切り取る、それが出来ません・・・うちのブログにたまーに来られるノアさんが、プロ級の上手さで(彼女はパソコンの生徒さんです)いつもほけーっと眺めているだけです。笹沢佐保さんでしたっけ?デジカメ俳句の会をされていますよね?いつも書店で「いいなぁやっぱり文才のあるひとは・・・」と立ち読みさせてもらっています。自分も出来る自信がついたら(多分一生ないけど)買いますよ! 返信する ありがとうございます。 (fujimino) 2006-10-11 13:00:45 西行の「願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃」この歌を知らなかったので、全くちんぷんかんぶんでした。この歌を引用していると言うことは、誰でも知っている西行の歌なんでしょうが、どうも常識が無くこまってしまいます。また一つ勉強が出来ました。ありがとうございます。勿論、これでお父様の気持ちが理解できる程の能力もありませんが、少なくとも意味は分かりました。本当にありがとうございます。解らないことがあるとどうしても知りたくて、歳も考えず恥も外聞も無く聞いてしまいます。今後もたぶんへんな質問でご迷惑をおかけすると思いますが質問をして御迷惑をおかれすると思いますが、よろしくお付き合いの程お願い申し上げます。親のありがたさはどんなに親が優れていようと、素晴らしい親であろうと、どんなに愛してくれようと、子供の時は解らないものですね。そして自分がその年齢に達したとき、本当の親の素晴らしさ、優しさがわかって愕然とする。親子ってそんなものかも知れませんね。多分お父様は、今のおーちゃんのお父様を尊敬し愛する心を知って喜んでいらっしゃる事と思います。 返信する fujimino さん (おーちゃん) 2006-10-11 12:17:03 私はfujiminoさん以上に俳句の知識もなく、作意を推し量る力もありません。義父の元気な頃に、もっと指導を受けていればよかったのですが、親不孝でした。最初の句の詳しい分かりやすい解釈をしていただいてありがとうございます。その通りのように思っています。3番目は年の暮れになって、無事また一年が過ぎた感慨をもったので、あと何日で冥土とまでは考えていなかったようです。このころは元気でしたから。2番目は西行の「願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃」を踏まえたものですが、どのような気持ちでわれもまたと言ったのか、私には分かりません。きちんと読んでいただいてありがとうございました。 返信する タイトル (ちょびママ) 2006-10-11 09:41:27 を見て、ドキドキしましたよ~記事を拝見して、ふぅ~って考えちゃいました。ここ半月ほど義父、義父に続いて義母までが風邪を引いて臥せってるんです。去年くらいから具合が悪くなるたびに身内を枕元に呼び寄せます。遺言めいた事を言うのです。その後、体調が戻ると何事もなかったかのように過ごしていますがそれでも、頭の中は自分の余命の事、死んでから後の事いろんな思いが頭の中を占めてるんだろうなって思います。そんな義父母を前にして、私の願いとしては悲観ばかりするんじゃなく残りの生を楽しんで欲しいのですが。。。あんたらに年寄りの気持ちは分からん!って言われると返す言葉もありません。おーちゃんはお義父さんのこと、尊敬されてるんですね。きっと穏やかな関係だったのでしょうね。見習わなくちゃいけませんね。 返信する おはずかしいのですが (fujimino) 2006-10-11 09:30:24 句は大好きなのですが、その割に知識が乏しく、とても作者の気持ちなど推し量る能力もありませんが、何となく1番目と3番目の気持ちは分かるような気もします。いわし雲、うろこ雲とも言いますが、昔の方は「いわし雲」比較的若い方は「うろこ雲」と言うのが面白いです。比較的近代になって理科の教科書に「うろこ雲」と書かれるようになったのが原因かななんて思っています。鱗雲巻積雲とか絹積雲と呼ばれる雲の一種で天高く云々の如く遙か彼方の高いところに出来る雲。ひつじ雲等とは違い、動きが遅く、まるで動いていないように見えるいわし雲。ゆっくりではあるけど、確実に時間の流れと共に動いている。そんな秋の鰯雲が、自分のこれからの生きる時間と重なり合って、まるでこうしていると時間がとまったように思えるけど今この瞬間も、確実に歳はとっている。 冬もまだ先のように見えるけどあっという間に訪れる。そんな一年の終焉も、そして自分の終焉も長いようで短いのかも知れない。3番目は、余命が「数へ日」となってしまった。子供の頃の「数え日」はたのしい事ばかり。あと何日で遠足? あと何日で運動会?青年時代は、あと何日で彼女とのデート? 指折り数え楽しみに待つ。それが後何日で冥土への旅路となるか?1番目はまだまだ余裕があって客観的に死を見ている部分がありますが、3番目は座して死を待つ境地に至っているそんな感じがしました。こんな風に理解しましたがどうでしょうか?所で2番目が良くわかりません。差し支えなければ教えて下さい。そして1番も3番も勝手な判断なので良ければ・・・。ご指導を(^_^;) 返信する 紅 さん (おーちゃん) 2006-10-11 08:06:24 「花いかだ」句集に収められた句がしのばれます。お寺の句碑にも遺されていて素晴らしいですね。静樹庵が間に合えば、どんなにお喜びだったでしょう。義父の存命中、子供やその連れ合いの誰も俳句をやらず、何も言いませんが寂しかったかも知れません。遅ればせながら・・の気持ちです。 返信する 句集「冬桜」 (紅) 2006-10-10 22:29:18 お義父上さまの達観された境地の句とその句のために撮られた鰯雲の写真、しみじみと拝見させていただきました。20数年前に他界した私の義父も句をたしなむ人でした。「花いかだ」と言う句集を出しています。号を静樹、私の山荘は「静樹庵」としましたが、計画途中で他界致しました。句集を出した時、菩提寺の境内に句碑を作って頂きました。今日はそんな義父を思い出させていただきました。お義父上様とおーちゃん様のご関係、温かい絆を感じました。素敵ですね。 返信する ポージィ さん (おーちゃん) 2006-10-10 22:27:55 この頃は何も不安を持っていなかったと思います。神戸淡路大震災の後、弱っていきました。お母様は割合お若くなくなったのですね。まだまだ死を意識されなかったことでしょう。実父は51歳、母は67歳でしたから共に余命を計るひまもありませんでした。短歌でも俳句でも、おたがい親孝行できませんでしたね。 返信する 何だか偶然 (ポージィ) 2006-10-10 22:14:24 お義父さん、どんな思いでこの句をお詠みになったのでしょうね。さばさばとした思いでいらしたのか、不安などをお持ちでいらしたのか、今度いわし雲を見たら、思い出しそうです。実は今日は私の母の命日なんです。私の歳も母が亡くなった歳まであと5年というところまできました。私の歳のとき、母は長く病んでいたとはいえ、まさか5年後に死を迎えるとは思ってもみなかっただろうな、と考えていたところだったのですよ。私も、両親の存命中、2人の詠む短歌にほとんど無関心でした。 返信する cocoa さん (おーちゃん) 2006-10-10 21:45:08 義父の生きている時に、このようなことができれば喜んでもらえただろうし、句意を教えてもらうこともできたのでしょうが、親不孝で俳句に無関心でした。この冬桜は今日撮りましたが、皇居東御苑には十月桜が咲いていました。 返信する ikuko さん (おーちゃん) 2006-10-10 21:41:29 こんばんは。この数日、よく晴れてくれたので鰯雲も見られました。どんよりした雲のような執着心が晴れて、淡々と余命を計れる日がいつか来ればいいなと思っていますが、どうなることでしょうか。 返信する kanreki さん (おーちゃん) 2006-10-10 21:35:42 こんばんは。お父上も句作をなさったのですか。晩年まで励んでおられたのは素晴らしいですね。われわれは無粋なものです。この句は昨年から早く乗せたいと思っていたのですが、雲が撮れないでいました。 返信する 余命を (cocoa) 2006-10-10 20:35:07 計る事は鰯雲を見てはありませんが良くあります。義父様の句を時々アップされるおーちゃんと義父様の関係は素敵ですね。もう冬桜咲いていますか?我が家のはまだです。 返信する こんばんは!! (ikuko) 2006-10-10 19:57:12 綺麗な鰯雲が撮れましたね~~。私は時々計る時あります。とても身近に感じる句です。ご夫婦揃ってお元気な内は、いくつになっても考えないでしょう。いえ・・考えなくてもいい事ですもの。 返信する おーちゃん先輩、こんばんは (kanreki) 2006-10-10 18:51:42 私の父も俳句好きでした。若いときには俳号など拵えて、楽しんでいました。晩年には俳号は使いませんでしたが、新聞に投稿して、活字になるのを喜んでいました。「弦四朗」さんの名前で時々載る句を楽しみにしていました。今日の句、わが余命 計るときあり 鰯雲は名句ですね。恐れも悔やみも越えたところで、空を見ていらっしゃるのですよね。 返信する Hiromi さん (おーちゃん) 2006-10-10 17:55:58 今の季節、きれいな青空にいろんな雲が見られます。ひつじ雲などの呼び方と雲の種類との結びつきが自信なくなってきました。余命、そろそろ身近な言葉ですが、考えるのを避けているような現状です。 返信する いわし雲 (Hiromi) 2006-10-10 17:20:41 昨日は大阪でも、きれいないわし雲が見られました。子どもと二人で眺めました。余命。。。まだ私にはピンときませんが、そういうことを身近に感じる日がいつかは来るんですね。日々、過ごせる有難さを感じながら、空を眺める余裕も持っていたいものです。(^^) 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
短い言葉に気持ちを込められる俳句は素晴らしいと思います。私は短いばかりで内容の伴わない文章を書いています。難しいものですね。
「冬桜」私も読んでみたいです。
短い言葉の中にこめられた万感の思い・・・
ここ数日大漁続きになっているといいのですが。
子供の頃の豆知識のようなのは、結構おぼえているものですね。
短い言葉に情景や思いを込めるというのは、おそらく大変な苦心があるのでしょうね。
自然、文化、故事、言葉その他について教養の積み重ねがあると、句にふくらみや深みが加わるのかもしれません。
きょんちさんは文才も教養もがあると思っていますので、俳句も始められれば上達されることでしょう。
笹沢佐保さんのことは知りませんでした。ありがとうございます。
この雲が出ると大漁になると、小学校の頃、先生がそう教えてくれました。
なぜかこの言葉がいまだに頭から離れず、秋になると思い出すのです。ああ大漁だと。
もう一度句を読み直し、意味を考え直す機会ができました。
私の記事は舌足らずのことが多いですが、これからもよろしくお願いします。
自分が親になったときに、親の素晴らしさや優しさを理解できる、そういう関係が続いていけば救われますね。
年をとると、そして体調を崩したりするとなおのこと、いろんな思いが沸き起こるのでしょうね。私もいつまでのほほんとしていられるのか自信はありません。
ご両親たちも、ちょびママさんがよくやっておられることを内心では分かっておられて、口に出る言葉が裏腹なのでしょう。
義父とは離れて住んでいたせいもあって、穏やかな関係でした。もう少し頻繁に訪問していればと思っても、後悔先にたたずです。
季節や思ったことをズバッと切り取る、それが出来ません・・・
うちのブログにたまーに来られるノアさんが、プロ級の上手さで(彼女はパソコンの生徒さんです)いつもほけーっと眺めているだけです。
笹沢佐保さんでしたっけ?デジカメ俳句の会をされていますよね?
いつも書店で「いいなぁやっぱり文才のあるひとは・・・」と立ち読みさせてもらっています。
自分も出来る自信がついたら(多分一生ないけど)買いますよ!
この歌を引用していると言うことは、誰でも知っている西行の歌なんでしょうが、どうも常識が無くこまってしまいます。
また一つ勉強が出来ました。ありがとうございます。
勿論、これでお父様の気持ちが理解できる程の能力もありませんが、少なくとも意味は分かりました。
本当にありがとうございます。
解らないことがあるとどうしても知りたくて、歳も考えず恥も外聞も無く聞いてしまいます。
今後もたぶんへんな質問でご迷惑をおかけすると思いますが質問をして御迷惑をおかれすると思いますが、よろしくお付き合いの程お願い申し上げます。
親のありがたさはどんなに親が優れていようと、素晴らしい親であろうと、どんなに愛してくれようと、子供の時は解らないものですね。
そして自分がその年齢に達したとき、本当の親の素晴らしさ、優しさがわかって愕然とする。
親子ってそんなものかも知れませんね。
多分お父様は、今のおーちゃんのお父様を尊敬し愛する心を知って喜んでいらっしゃる事と思います。
最初の句の詳しい分かりやすい解釈をしていただいてありがとうございます。その通りのように思っています。
3番目は年の暮れになって、無事また一年が過ぎた感慨をもったので、あと何日で冥土とまでは考えていなかったようです。このころは元気でしたから。
2番目は西行の「願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃」を踏まえたものですが、どのような気持ちでわれもまたと言ったのか、私には分かりません。
きちんと読んでいただいてありがとうございました。
記事を拝見して、ふぅ~って考えちゃいました。
ここ半月ほど義父、義父に続いて義母までが風邪を引いて臥せってるんです。
去年くらいから具合が悪くなるたびに身内を枕元に呼び寄せます。
遺言めいた事を言うのです。
その後、体調が戻ると何事もなかったかのように過ごしていますが
それでも、頭の中は自分の余命の事、死んでから後の事
いろんな思いが頭の中を占めてるんだろうなって思います。
そんな義父母を前にして、私の願いとしては悲観ばかりするんじゃなく
残りの生を楽しんで欲しいのですが。。。
あんたらに年寄りの気持ちは分からん!って言われると返す言葉もありません。
おーちゃんはお義父さんのこと、尊敬されてるんですね。
きっと穏やかな関係だったのでしょうね。
見習わなくちゃいけませんね。
いわし雲、うろこ雲とも言いますが、昔の方は「いわし雲」比較的若い方は「うろこ雲」と言うのが面白いです。
比較的近代になって理科の教科書に「うろこ雲」と書かれるようになったのが原因かななんて思っています。
鱗雲巻積雲とか絹積雲と呼ばれる雲の一種で天高く云々の如く遙か彼方の高いところに出来る雲。
ひつじ雲等とは違い、動きが遅く、まるで動いていないように見えるいわし雲。
ゆっくりではあるけど、確実に時間の流れと共に動いている。
そんな秋の鰯雲が、自分のこれからの生きる時間と重なり合って、まるでこうしていると時間がとまったように思えるけど今この瞬間も、確実に歳はとっている。
冬もまだ先のように見えるけどあっという間に訪れる。そんな一年の終焉も、そして自分の終焉も長いようで短いのかも知れない。
3番目は、余命が「数へ日」となってしまった。
子供の頃の「数え日」はたのしい事ばかり。あと何日で遠足? あと何日で運動会?
青年時代は、あと何日で彼女とのデート? 指折り数え楽しみに待つ。
それが後何日で冥土への旅路となるか?
1番目はまだまだ余裕があって客観的に死を見ている部分がありますが、3番目は座して死を待つ境地に至っているそんな感じがしました。
こんな風に理解しましたがどうでしょうか?
所で2番目が良くわかりません。
差し支えなければ教えて下さい。そして1番も3番も勝手な判断なので良ければ・・・。
ご指導を(^_^;)
静樹庵が間に合えば、どんなにお喜びだったでしょう。
義父の存命中、子供やその連れ合いの誰も俳句をやらず、何も言いませんが寂しかったかも知れません。遅ればせながら・・の気持ちです。
20数年前に他界した私の義父も句をたしなむ人でした。
「花いかだ」と言う句集を出しています。号を静樹、私の山荘は「静樹庵」としましたが、計画途中で他界致しました。
句集を出した時、菩提寺の境内に句碑を作って頂きました。
今日はそんな義父を思い出させていただきました。
お義父上様とおーちゃん様のご関係、温かい絆を感じました。素敵ですね。
お母様は割合お若くなくなったのですね。
まだまだ死を意識されなかったことでしょう。
実父は51歳、母は67歳でしたから共に余命を計るひまもありませんでした。
短歌でも俳句でも、おたがい親孝行できませんでしたね。
さばさばとした思いでいらしたのか、不安などをお持ちでいらしたのか、
今度いわし雲を見たら、思い出しそうです。
実は今日は私の母の命日なんです。私の歳も母が亡くなった歳まで
あと5年というところまできました。私の歳のとき、母は長く病んでいた
とはいえ、まさか5年後に死を迎えるとは思ってもみなかっただろうな、
と考えていたところだったのですよ。
私も、両親の存命中、2人の詠む短歌にほとんど無関心でした。
この冬桜は今日撮りましたが、皇居東御苑には十月桜が咲いていました。
この数日、よく晴れてくれたので鰯雲も見られました。
どんよりした雲のような執着心が晴れて、淡々と余命を計れる日がいつか来ればいいなと思っていますが、どうなることでしょうか。
お父上も句作をなさったのですか。
晩年まで励んでおられたのは素晴らしいですね。
われわれは無粋なものです。
この句は昨年から早く乗せたいと思っていたのですが、雲が撮れないでいました。
義父様の句を時々アップされるおーちゃんと義父様の関係は素敵ですね。
もう冬桜咲いていますか?我が家のはまだです。
私は時々計る時あります。とても身近に感じる句です。
ご夫婦揃ってお元気な内は、いくつになっても考えないでしょう。
いえ・・考えなくてもいい事ですもの。
若いときには俳号など拵えて、楽しんでいました。
晩年には俳号は使いませんでしたが、新聞に投稿して、活字になるのを喜んでいました。
「弦四朗」さんの名前で時々載る句を楽しみにしていました。
今日の句、
わが余命 計るときあり 鰯雲
は名句ですね。
恐れも悔やみも越えたところで、空を見ていらっしゃるのですよね。
余命、そろそろ身近な言葉ですが、考えるのを避けているような現状です。
子どもと二人で眺めました。
余命。。。まだ私にはピンときませんが、そういうことを身近に感じる日がいつかは来るんですね。
日々、過ごせる有難さを感じながら、空を眺める余裕も持っていたいものです。(^^)