自然の力はすごい。
でも私達も自然の中の一つ
(写真の紫のバッグは、生徒さんがくれたんだぁ。いいでしょ。
色違いなの。)
…私達も自然の中の一つなのに、
なんだか別物みたい。
嬉しい時も困った時も
踊ってきたはずなのに、
みんな、誰かに教えてもらうものだと思っている。
だけど、それは逆なんだよ。
(これは、ブルーライトカットの眼鏡。古武術の先生がくれた。
宏美は遅くまで仕事しすぎるから、頭痛は目から来てるかもって。
ブルーライトから目を守ってね、って。)
みんなは自然なのだからはじめにダンスがあった。
お腹の中でも、踊っていたかもしれない。
でも、
“習わないと踊れない”と、お勉強してしまったから、
習わないと踊れないのであって、そう教えてしまったのは、自分。
なんでもそう。
“できっこない”と学んだのは自分。
私は、ダンスだけじゃなくて、すべてにおいて、その、不自由な学習を
台無しにしてあげたい。
“できっこない“は“出来るかも”とか、“出来るはず”に変えたい。
そうやって、鍵をはずして、
新しいテクニックを教えてあげる。
仕組みがわかると、もっとはやく、楽しく、綺麗に踊れるから。
(写真は先日NHKのディレクターさんを呼び出した時のもの。笑。いつまでも私の兄貴です。また、いつか一緒に仕事をするんだ。やっとまた、そう思えるようになった。きっかけをくれたのは先日の恩人。)
私はこの二年間で、自分にたくさんたくさん鍵をかけてしまったから、
全部はずす。
これをやると誰かが怒るとか、
これをやったら嫌われるとか、
これをしないと喚かれるとか
そういうの全部、
じゃあ誰が一緒にやりたくて、
誰なら好いてくれて、
誰なら賞賛してくれるのか、
私の人生をもう一度私の両手で抱きしめないと。
人生は、一度だけの冒険、
心が感じられるのは、この、生きている間だけかもしれない。
それならなるべく長い時間を、
ときめいて、幸せに過ごしたい。
そして、
せっかく先生という職業を選んだのなら、知っていること、喜びを全部
愛する学び子達へ多く知らせたい。
いつか、一生一緒に、なるべくそばで学んでくれる人が、弟以外にもたくさん見つかるといいなぁ。
見つけよう。
でも私達も自然の中の一つ
(写真の紫のバッグは、生徒さんがくれたんだぁ。いいでしょ。
色違いなの。)
…私達も自然の中の一つなのに、
なんだか別物みたい。
嬉しい時も困った時も
踊ってきたはずなのに、
みんな、誰かに教えてもらうものだと思っている。
だけど、それは逆なんだよ。
(これは、ブルーライトカットの眼鏡。古武術の先生がくれた。
宏美は遅くまで仕事しすぎるから、頭痛は目から来てるかもって。
ブルーライトから目を守ってね、って。)
みんなは自然なのだからはじめにダンスがあった。
お腹の中でも、踊っていたかもしれない。
でも、
“習わないと踊れない”と、お勉強してしまったから、
習わないと踊れないのであって、そう教えてしまったのは、自分。
なんでもそう。
“できっこない”と学んだのは自分。
私は、ダンスだけじゃなくて、すべてにおいて、その、不自由な学習を
台無しにしてあげたい。
“できっこない“は“出来るかも”とか、“出来るはず”に変えたい。
そうやって、鍵をはずして、
新しいテクニックを教えてあげる。
仕組みがわかると、もっとはやく、楽しく、綺麗に踊れるから。
(写真は先日NHKのディレクターさんを呼び出した時のもの。笑。いつまでも私の兄貴です。また、いつか一緒に仕事をするんだ。やっとまた、そう思えるようになった。きっかけをくれたのは先日の恩人。)
私はこの二年間で、自分にたくさんたくさん鍵をかけてしまったから、
全部はずす。
これをやると誰かが怒るとか、
これをやったら嫌われるとか、
これをしないと喚かれるとか
そういうの全部、
じゃあ誰が一緒にやりたくて、
誰なら好いてくれて、
誰なら賞賛してくれるのか、
私の人生をもう一度私の両手で抱きしめないと。
人生は、一度だけの冒険、
心が感じられるのは、この、生きている間だけかもしれない。
それならなるべく長い時間を、
ときめいて、幸せに過ごしたい。
そして、
せっかく先生という職業を選んだのなら、知っていること、喜びを全部
愛する学び子達へ多く知らせたい。
いつか、一生一緒に、なるべくそばで学んでくれる人が、弟以外にもたくさん見つかるといいなぁ。
見つけよう。