Sound of waves.  日々舞武両道

by 後藤宏美(Hiromi Goto)HiromiEva
カラダ教習所松戸EvaDanceStudio

ハフラの後で伝えたいこと

2014-02-16 05:00:19 | Weblog
イベントの前後は、眠れないことが多い。自分がダンサーの時はそうでもないけど、自分がホストの時は、
覚えのあるダンサーさんも多いかもしれない。

たくさんの可能性を秘めた素敵な女性達を、本当に綺麗にするというのはどういうことだろうと考える。

どんな目的があって踊るのも、どんな表現も、自由だけれど、

私の中で一つ、ベリーダンスを通じて理想の自分を見つけて欲しいなというのがあるし、

外見だけが理想じゃないはずというのが私の持論であるので、

可愛い生徒であればあるほど、

見る目が厳しくなってしまうところもある。

…しかし、本当にそうなのかな、

それは、過去に私が『見た目ばっかり煌びやかで』と言う言葉でバカにされたことから、

自分のコンプレックス克服の為に、
生徒に『見た目ばっかりではダメ!』と厳しくなっていないかとか…、

ハフラはまず生徒も研修生も平等に、楽しんでもらうだけにしてあげても良いんじゃないかとか…色々悩んでしまう。

でも、先生として、悩ませてくれる生徒がいてくれることほど、ありがたいことは無いのだろうな…とも。

この悪天候の中

Kathryn Ozma RobartsとAya Fujiwara
さま、Kiyoshi Ohira先生はスタジオまで来てくれた。
(Thank you so much and I love you guys.I am proud to have you all as my best friend and you all are my heart teachers also. I respect you.)

私は生徒たちには、この3人の様な人になって欲しい。

約束は、守る、
常に自分を高めようと
(人間的に高めようと…
ここが素晴らしいところだと思う。
周りを顧みずダンスだけを高めようとする人も
五万といる。でも、彼女彼らの素晴らしいところは、
彼ら彼女らの芸術性がその人間性によるところが強く、美学を持ち、なにより、優しくて強い人であることなんだ。そして、強さは傲慢さではない。)していて、周りを気遣うことを常に忘れない人達。

彼女彼らの美しさ、輝きのようなものは、踊る前からそこにあって、
ダンスが無理やりに生まれるのではなく、滲み出る何かと、空がつながって一つになるような、そんなイメージなんだ。(橘 俊郎先生なら、柔道整復師だけれどアーティストだからわかるかもしれない。)

研修生の中にすごい子達がいる。

研修を受けてしばらくになると、
やはり傲慢さの出る時期もあれば、
見られているという意識から、自分にフォーカスが向きがちで、
特に自分の生徒の前では私や他の講師にまで虚勢を張ってしまう(可愛いけど)を目にすることがあってまぁ当然なのだが、彼女らにはそれがない。

誰の前であろうと一貫していて、
あぁ、この子とは素晴らしい師弟関係を築かせていただいているのだな、
とこちらが凛とした気持ちにさせられる。

一人は常に腰が低く、誰にも笑顔で対応し、何より本当に楽しそうに踊るので、こちらにまで、
この子は純粋にダンスが好きなのだな、と笑顔が伝染して温かい気持ちになる。

…純粋さってなんだ?

…もう一人も、私は彼女が自己顕示欲を振るっているところを見たことがない。(舞台でソロの時以外で。笑)

感謝のある人たちは美しい。

若い時は『感謝がたりない』と言われても、『こんなにしているのに』と思うものだ。(かもしれない?)
かく言う私はそうだった。
本当の感謝というのは、そんなものじゃなかった。

自分は感謝…しているつもり
つもり

だったのだな、とよくわかる。

さて、…思慮深さ…

とはなにか。

しがないダンサーが思慮深さなどを語ったところで、お前は何になりたいのだと言われそうだが
(弟の後藤 拡行は話がうまいが私は原稿を読むプロであってもプレゼンテーターではないから、よく話が脇道にそれるのだが)

ある意味…思慮深いダンスがしたいんだな…私は。

そして、一度学びたいと言ったなら、お互いに感謝と尊敬をもって(ただし、こちら側が感謝と尊敬を現しすぎると…舐められたりもするので、笑、さじ加減を知るには講師をあと5年、10年続けさせて頂かなくてはならないかもしれないが。)良い人間関係築いて欲しい。

どの先生についている人も…

先生方には歴史があって、
生徒の立場では知ることの出来ない経験もし、その経験値が血肉となって
彼女達彼らがそこにいて、

先生と呼ばれる人たちが、皆に分け与えてくれているのは、目には見えないが、彼女達、彼らの、自らの血肉
(知的財産)なのだということを、
是非忘れないでもらいたい。

楽師であれ、絵師であれ、ダンサーであれ、武道家であれ、

習うなら、
その人の(その先生、その方の)大切にしているものは何なのか、知る必要は
多いにあるだろう。

そして、礼節も。

礼節を重んじては自由はない、それは嘘だ。お互い気持ち良く自由であるために、礼節はあるのではないかな…と私は思っている。

(そして、その礼節は、盾でも鉾でもないので、振りかざすものじゃないし、もちろん先生方にも都合良くは使って欲しくないのだが。)

肉を削ぎ、血を絞り、何故人が人を育てるのか、

それは、やはりそれが人間にとって自然だから、…と思いたい。

最後に

クラスメイトがいるのは素晴らしいことです。比べる為ではありません。

クラス内で生徒の皆さんが比べて良いのは、自分と先生だけです。

上手な仲間を賞賛すると、脳と心は主語がわからないので、あなたの潜在意識は、自分を褒めたと思います。

これが、言った言葉は自分に帰ってくると言われる所以です。

クラスメイトがいるのは素晴らしいことです。人は一人離れ小島に住んでいたら、人間と協力しあうことは出来ませんが、人と人が同じ空間にいれば、
協力しあえますから。

先生がいるのは素晴らしいことです。

先生がいないのは手探りでジャングルを歩くようなものです。
楽しいけれど、もっと早く、あなたの行きたい街に着けるのかもしれないし、先生は、あなたの必要としている果実が、どの山の木になっているのか、
あなたの探している宝石が、どこの洞窟にあるのか、教えてくれる人かもしれないのですから。

最後の最後に


集まれるスタジオがあるのは素晴らしいことです。
そこで共に働けることも、そこで共に学べることも。

スタジオはみんなのリビングであり、勉強部屋であり、パーティ会場であり、ホームであります。

私の持つ男性性をこれからもみんなのホームのお父さんとして、

私の持つ女性性は、皆と分かち合えるダンサーの私へ託して

これからも、みんなと一緒に進んで行こうと思います。

ここまで読んでくれたみんな、本当にありがとう。
私には、人の手助けが必要です。
習ってくれる人がいなければ、どんなに教えたくても教えられないんだもの、
生徒さん一人一人に助けられていると
実感しています。

ただ、これを書くにあたって、
最近たくさんのアーティストの方達と、
私達の生業である知的財産についてや、
芸事の世界の師弟関係について、
意見を交換させていただける機会にめぐまれ、

これらのことを、生徒さんにお伝えするのも、先生という職業を選ばせていただいている、私達の仕事なのだな、と
痛感したので、

眠れない今夜、筆を(指先やん)とってみた次第です。

…今までは、偉そうにとか、うるさい先生だなとか、大好きな生徒たちに煙たがられたり、嫌われてしまうのが怖かったのかも。

ビビってごめんね。

でも、愛は表現しないと伝わらないから、

一日遅れでしたが(もうとっくに日付変わってるから二日か)

ハッピーバレンタイン。
私達を貴女の先生にしてくれてありがとう。



愛をこめて 宏美

コメント (1)
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