《なんでも屋さん》
私の母は、『なんでも屋さん』だった。
クリーニング屋さんで、大工さんで、コックさんで、ヘアスタイリストさんで、服屋さん、絵の先生でピアノの先生で、スキーの先生でスキューバーダイビングの先生で…、、、母はいつも、
私達家族の、
『なんでも屋さん』
だった。
帰りの遅い父の帰りを、深夜まで…「独りで食べるのは寂しいだろうから」と、夕飯を食べずに待ち…、お風呂はけして父よりも先に入らず、
玄関のチャイムが鳴ると駆けて行き…
父の鞄を持って茶の間に入ると、すぐさま台所に駆けていって「パパ、今夜はお食事どうなさいますか?」って言うんだよ。。。
しかも、朝は一番に起きて、私達と父を起こす前に、朝ごはんの支度を終え、アイロンのかかった新しいハンカチを全員分用意し、父の靴を磨き、
身なりを整えて起こしに来るくせに…
夜にはこっそり内緒で内職をする(それが男性の自尊心を傷つけるコトと知らずに大っぴらにしてしまった時に「官僚のお手当はそんなに悪くないはずだ💢それは俺への嫌がらせなのか?」と父にこっ酷く罵られたから)…私はそれが、ママがパパへのプレゼントを買ったり、パパがいつも気前よく友人を自宅に招いて大盤振る舞いする度に”それを気持ちよく助けてあげるため”…つまり肴を2、3増やしてお酒を1.2本買い足す為の内助の功だと知っていたけど…。
っと、まぁ、そんな母に育てられたので、
私は腕っ節の良さそうな見た目と、半ば男の子として育てられた教育方針とは裏腹に、
潜在意識的にはドップリ
《女性とはこうあれねばならない!》っというのを植え付つけられてしまっていて😅恋愛をする度に仕事(役割)は増えて苦労した。(まぁ、したくてしたんだけど。)
炊事洗濯家事育児は女の仕事!みたいな感覚がものすごくあって…
それなのにスタジオを開いて経営者(代表と書いて奴隷と読む的な)になってしまったものだから、最初の3年は…鬼のように非効率的で眠かった。(今は代表と書いて、スタジオの守護と読んで頂ける立場になり、講師仲間・生徒さんに恵まれて、こうして日米二重生活でも、母業、妻業もさせていただけていて、日本の仲間には足を向けて寝られないです。)
それで…《母は女神だったのかもしれない》と時折思ったものです。
っとまぁ、ご存知の人はご存知の通り、私は弟と、各々《日本最強》と自称するほど仲が良かったので(今?今は聞かないで〜、笑、お互い生存確認出来てるし、魂の奥底からお互いの幸せを願っていることだけは変わらないはずだからそれでいい。)一緒に住んでたんだけど(よく、え?彼氏とか彼女はどうしてたん?って聞かれるけど、フツーにみんな家族って感じだったよ。笑)
その頃はよく、弟や、彼氏達の髪を切ってあげていて(それも、後藤家では散髪も嫁の勤めだったので。笑)苦、どころか楽しかった。
でも、ロブの髪を切ってあげた時にスゲー文句を言われて😅(まぁ、いつも切ってくれてる弟子が、超スーパーヘアスタイリストなので、比べられれば劣るだろーよ。だってまず15万もするハサミ使ってないしアタシ)…「もうレナー家ではハサミは振るうまい。。。」と思ってたんだけど、
お義父さんに頼まれて、久々に、
切ってあげたら、超喜ばれた😆❤️❤️❤️
で、超嬉しかった😆😆😆
ってそれだけです。
え?前置き長いって?笑
うーん、もう貰われちゃったけど、
「イイ嫁になりますよアピール」だよ。笑。
今は時代が変わって、そんな昭和なオカンの需要は無くなってしまったのかもしれないけど、、、
でも、きっと、
何歳になっても私には、
「なんでも屋さん」のお母さんを超える職業なんて、見つからんし、あの人は神だったと思う。(って生きててくれてるけど)
これからまた、どう時代が動くのかはわからないけれど…少なくともロビーにとって、ロブにとって、私はそういうスーパーかあちゃんでいたいなって思う。。。ので、
今日も、家事育児介護は手を抜かんでいくで。
HiromiEva