写真は石巻市の 「多目的ホールレベル3」の建物。観慶丸の近くにできた貸ホール。
ここで、「門脇中学校昭和40年度卒業生の同期会(最後のお別れ会と題してあったかな?)」が開催!
門中同期会は、なんでも4年ごとオリンピックの開催年の開催となっていたようですが、思いがけぬコロナ禍により、流れた状態になっていたのでした。
そんな中、門中関東支部の方が、「今度は関東の人たちがお世話します」と名乗り出てくれたのでした。
でも、現代は個人情報を大事にする時代。そのため名簿がなく全体はおろか自分の知っている人でも連絡ができず、口コミによって知らせたためとても苦労したとのことでした。
テレビでは大手企業等からの大量の個人情報の流出がニュースになりますが、身の回りでは名簿がないため不自由なことが度々起きています。悪用する人のおかげで迷惑を被ります。
今回参加した人達には連絡先を書いていただいていました。
同期会では、突然みんなでタイムスリップするところが醍醐味です。
でも、当時中学校で7クラスあり、一クラス50人くらいいたでしょうか?当然同じクラスや同じ部活にでもならなければ知らないままで卒業することになる同級生も少なからずいたわけです。
そんなわけで今回の参加者は31名という少人数ではあったけど、見渡すと知らない?方がいます。
ですが、確かに聞き覚えのある名前、よく耳にした名前...「でも、中学校時代のその顔が浮かばない」という方が何人か。幹事のÑ君たちが当時のクラス写真からの一人ひとり写真付きの名札を作ってくれていて、それが手がかりでもあるわけですが。
それで、「あの、同じクラスになったことがあるでしょうか?」等と聞きながら名札を拝見すると、「えーーーー!! 〇〇さんなのー~?」ととてもよく知ってる人だったりして、ビックリです。全然変わらない人もいるのですが、(ちなみに私は全然変わっていない。一目で分かったと言われ、これは喜ぶべきか?あるいは昔老け顔だったのか?でも、髪型が同じだからかな?ショートカットだったから。)しかしあまり深く考えても意味はない。とにかく一緒に若返った気持ちになるのが嬉しい。
そして、多感な青春をともにした時の想いが沸き上がり、なんとも言えない懐かしさや愛おしさを感じるのだ。
特に私たちの当時の時代は日本が右肩上がり向かっている時だから、希望があり明るい時代なのだろう。
そして、今考えると現在では大変になりそうな先生もいた。パワハラと騒がれるような...。でも、生徒たちもそれぞれ思いおもいに過ごしていて自由だったような気がする。良いことだけではなかったかもしれないが、親は子どもに躾をし、先生も今より気持ちにゆとりを持って接してくれていたように思う。何より社会が今より寛容でいられた時代だったと思う。
BGMは、T君とN君のおやじバンドで当時の懐かしい曲の演奏!そして一緒に歌う彼女たち!
コロナ前の同期会の時よりも皆穏やかになったような雰囲気で、これも年齢のなせる業であろうか?
あるいは、大震災を乗り越えたきた安堵感もあるのだろうか?
何はともあれ、小学校や中学校の時の華やいだ雰囲気の笑顔に会えたことはとても嬉しいことでした。
同期会というものは、開かれる時の皆の年齢によっても感じ方も違ってくるものですね。
次に大勢?集まることはないのかもしれないけど、「またね。元気でね!」と言って別れを惜しんだのでした。
幹事さんありがとう!楽しかったです!
※ 今回は、家庭の事情等で参加できない人も少なからずいたよう。残念ですが仕方がないですよね。
でも、いつかまた会える時を楽しみにしていましょう。
上の写真にある2階建ての茶色っぽい建物が会場です。右手前に観慶丸があります。石巻もいろいろ変わりますね。看板(?)が小さく探すのにちょっと苦労しました。
※ お土産にいただいた醤油
門脇学区は、東日本大震災の津波で一番被害が大きかった地区ですから、再会できる喜びも何ものにもかえがたいものがあるでしょう。
また、郷土愛に目覚めるきっかけにもなりました{