月山富田城跡 2020.6.9 「41」
月山(がっさん)の一帯にあり、戦国大名尼子氏歴代が本城とし山陰・山陽制覇の拠点とした月山富田城は、その規模と難攻不落の城として戦国時代屈指の要害でした。
また艱難(かんなん)辛苦に耐える悲運の武将・山中鹿介の出た城として有名です。
尼子氏滅亡後、毛利氏、吉川氏の時代には、山陰地方支配において、月山富田城は重要な役割を果たしました。
関ケ原の戦いの後には、堀尾氏が月山富田城に入り、松江城に至るまで統治の拠点としました。
月山富田城は標高約190メートルの月山山頂に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複郭式山城です。
菅谷口、御子守口、塩谷口の3方面からしか攻められず、城内郭の下段が落ちても、中段の山中御殿で防ぎ、そこが落ちても主山の月山に登って防ぎ、
頂上には堀を築き守りを固め、一度も落城しなかった天下の名城として知られています。
山中御殿から七曲の坂
堀尾氏親子観音
本丸跡
本丸跡から 弓ヶ浜・島根半島方面
南方 船通山・比婆山方面
中海方面
鷺の湯温泉(足立美術館)方面
山陰高速道
河川敷に公園があり紅葉シーズンが良さそう
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