44.書写山 知子 2015.04.12 「220」
2015.04.12
書写山 圓教寺 摩尼殿 常行堂 食堂 大講堂
康保こうほ3年 966 性空上人により創建
元治げんじ3年 1333 後醍醐天皇 船上山より還幸せし所
索引 ① Climb会 2015・2016
42.Climb会 4回目 前編
書写山 2015.04.18 「220」
兵庫県姫路市にある山で、山頂には、966に性空上人によって開かれた、比叡山と同じ天台宗の修行道場の寺、圓教寺がある。
圓教寺は西の比叡山と呼ばれ、西国三十三観音霊場第二十七番札所として参詣者が多い。
自然の地形を利用した寺院は重要文化財の建物が立ち並ぶ。
仁王門
摩尼殿 まにでん
索引 ① Climb会 2015・2016
39.Climb6 星山 ① 2015.6.20
岡山県勝山町にある。星山は中国山地に含まれる山だが、中心部より南に離れており、独立峰的な趣がある。
ふもとの星山集落の下には西日本きっての名瀑神庭(かんば)滝があり、一帯は陰生植物地帯として注目されている。
また野猿の生息地としても知られている。
標高1030mの星山は、登山道が整備されていて、約1時間半ほどで気軽に登山ができる人気の山。
山頂からは蒜山三座や大山、遠くは日本海までも望むことができます。櫃ヶ山との縦走もおすすめです。
Shane (シェーン)-"The call of the far away hills" - Victor Young
索引 ① Climb会 2015・2016
38.Climb6 星山 2015.6.20
星山(ホシヤマ・ホシガセン), . 秀峰『星山』は、標高1,030m、
登山道が整備されているので、1時間30分ほどで気軽に登山ができ、
毎年行われる「星山スカイウオーク」には、大勢の親子が参加しています。 .
あざみ ささゆり つつじ あじさい
ささゆり
索引 ① Climb会 2015・2016
37.Climb会7回目 県森林公園 2015.08.22
山行きのふるさと
学生時代 結婚時代 子育て時代 友との山行き いつ来ても、
思い出いっぱいの県森林公園 霧あらう こころあらう 思い出あらう
日本海や 千軒平 霧あらう
淡登水
広大な自然公園! 四季を彩る花々の宝庫
鳥取県との県境に位置し、標高840~1,100mの中国山地にある森林公園です。
広大な334ヘクタールの敷地は、数百種類といわれる花々の宝庫になっています。
公園内にはブナ・ミズナラなどの落葉広葉樹の森が広がり、県内では珍しいカラマツ林を見ることができます。
樹齢推定200年の天然スギ、紅葉が美しい滝、眺望抜群の展望台など見どころ満載!アカゲラ、ヤマガラ、オオルリなどの野鳥も多く、バードウォッチングにも最適です。
Climb会7回目 県森林公園 2015.08.22
索引 ① Climb会 2015・2016
36.Climb会8回目 広戸仙 1115m予定 2015.09.19
広戸仙は山形仙との間にある声ケ乢に登山口があり、その稜線を中心に山道が続いている。
那岐山や滝山から比べると展望の山道が多く景色はよいが、逆に夏には日の直射を受けやすく、春や秋を中心とした山行がよいだろう。
山頂までの山道には第1、第2、第3とそれぞれの展望所があり、疲れた体と心を癒してくれる。
特に2003年に造られた第3展望所からは、那岐連峰や日本原高原はもちろん、遠く瀬戸内を望む。
索引 ① Climb会 2015・2016
35.Climb会8回
広戸仙 1115m 2015.09.19
広戸仙には、山頂を中心として、赤色の紅ドウダンと、白色のサラサドウダン、アセビなどの山野草などが群生しています。
5月中旬頃から下旬頃まで、ドウダンツツジが見頃となります。
紅ドウダンは、第2展望所から山頂付近まで、岩場展望所周辺に群生しています。
サラサドウダンは、第3展望所と上記の場所に群生しています。
Climb会8回目 広戸仙 1115m 2015.09.19
索引 ① Climb会 2015・2016
34.吉備の中山を歩こう170m 2015.11.14
吉備の中山は、遠い昔まだこの地方が吉備の国と呼ばれていた頃、その中心にあったことがその名の由来とも伝えられています。
この山に備前一宮の吉備津彦神社と備中一宮の吉備津神社が寄り添うように鎮座していることからもこのことがうなづけるはずです。
温暖な気候と肥沃な土地、この山裾に海が広がっていた時代には海運業の要所としても恵まれ、ここに住む人々は大きな力を持っていたと考えられます。
吉備の中山には、最古の前方後円墳である矢藤治山古墳や、100㍍を超える大型前方後円墳の尾上車山古墳、中山茶臼山古墳があります。
また後期古墳は、立派な石棺の残る石舟古墳など山のあちこちにあります。古代、この地方が栄えていたことを物語っています。
大和の国にも対抗しうる大きな力を持った吉備の国は、後に備前、備中、備後さらには美作に分国されることになります。
このとき備前と備中は、祭祀をする上で大切な吉備の中山を仲良く二つに分ける形で、この山の真ん中に国境を定めました。
国境は南にある境目川から山にあがり、尾上車山古墳、中山茶臼山古墳を半分に分け、頂上の近くから北の峰に下る細谷川へと続きます。
吉備の中山は、古くから中央にも有名な山でした。古今集には「まがねふく吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ」、
新古今集には「ときはなる吉備の中山おしなべてちとせを松の深き色かな」、その他いろいろな歌集に詠まれています。
清少納言は、随筆『枕草子』の中で、「山は、小倉山。三笠山。‥‥。吉備の中山。嵐山。更級山。……。」と、都から遠い吉備の中山をあげています。
索引 ① Climb会 2015・2016