今回の前文はあんまり入れられないけど、どうしようかな……と思ったのですが、前回「リンゴ畑のマーティン・ピピン」のことを書いていて、「誇り高きロザリンドと雄ジカ王」の部分を読み返していたわけです
そしたら、>>「しかし、ロザリンドにも、しだいにわかってきたことだが、この孤独な窮乏生活は生活ではなく、死との絶えざる闘いだった。なぜなら、かの女には、何の収入の道もなく、もし生きるとなれば、苦しいやりくりをしなければならなかった。飢えはかの女の住まいの戸口をうかがい、また、からだをおおうのも、誇りがあったればこそ、やむなくすることだった」――とあるのを見て、ちょっと「飢えや窮乏」ということに関して、連想的に「みじかくも美しく燃え」という映画のことを思い出したというか
わたしがこの映画のことを見ようと思ったきっかけは、フィギュアスケートの何かを調べていた時に……モーツァルトのピアノ協奏曲第21番が効果的に使われている――みたいにあるのを見るか読むかしたからだったと思います(確か)。
んで、探したら天ぷら☆にありましたもので、それで見ました。そしたら、実話が元になっていることも知らなかったので、その衝撃的な内容に驚いたわけです
>>1889年のスウェーデン。サーカスの綱渡り芸人として大人気のエルヴィラは、妻子を持つ伯爵のシクステン・スパーレ中尉と熱烈な恋に落ちた。貴族であるシクステンとの交際は道義的にはもとより身分的にも許される時代ではなく、僅かな金を持って隣国デンマークに駆け落ちする二人。それは軍籍にあるシクステンにとって逃亡であり、捕まれば投獄される罪だった。
田舎のホテルに偽名で泊まり、愛の日々を過ごす二人。エルヴィラの両親が追って来たが、発見には至らなかった。しかし、二人の駆け落ちは似顔絵つきで新聞に載り、身元が知れては移動する二人。
シクステンの同僚で親友のクリストファーが見つけた時には、二人は食費に困り、魚釣りや森の木の実で飢えをしのぎながらも、なお上品な宿に泊まる生活を送っていた。困窮していることを見せまいと見栄をはり、逃げる二人をあえて見逃すクリストファー。
貴族であるシクステンには、農民から仕事をもらう生活力が備わっていなかった。逃亡兵である限り、名乗って働くことも出来ない。泊まる宿のランクも下がり、金のためにエルヴィラが足を見せて祭りで歌ったことが耐えられないシクステン。もはやこれまでと覚悟を決めた二人は、季節が秋に移る前にデンマークのトーシンエ島で拳銃による心中を果たした。
(ウィキペディアさまよりm(_ _)m)
このことの起きたのが1889年のことなわけですが、わたし的に中世~近世が舞台のものを書く上において、参考になる――という言い方はどうかと思うのですが(何分、行き詰まったふたりは最後、拳銃自殺してしまうので)、よくテーマとして貴族の男性が身分の低い女性と駆け落ち……的な物語って設定として割とあるような気がするんですよね(^^;)
でもわたし自身は、現実的に考えた場合、その後ふたりはどうなったのか――って、本当の意味であまり想像したことがなかったわけです。なんというか、自分で書く分においては「ふたりは貧しかったけれども、愛のある家庭を築いた」的なハッピーエンドにすることは簡単ではある。また、トルストイの「アンナ・カレーニナ」のように、アンナと駆け落ちしたヴロンスキーは貴族の将校であったけれども、不倫の関係であったため、貴族社会からは閉めだしを食らってしまい、精神的に追い詰められたアンナは最後自殺して果てる……言うまでもなく、トルストイの「アンナ・カレーニナ」は、まるで本当にこのような歴史的事実があったかのような素晴らしい筆致によって描かれているわけですけど、でもトルストイの素晴らしい創作力による小説という物語でもあるわけです
でも、貴族の男性なり女性なりが、元の豊かな財産や地位その他を捨て、愛する人と結ばれようという時……映画を見てると「これが現実なんだな」ということをすごく思わされました。確かに、シクステン・スパーレ中尉の、スウェーデンへ戻れば逃亡罪に問われて投獄されるという点については特殊かもしれませんが、最初は「この燃える愛があればきっと絶対なんとかなる」とふたりとも思っていたに違いないのに――これが誰か人の創作した漫画なり小説なり映画だったりするなら、「貴族と身分違いの女性なり男性が困難を乗り越えて結ばれる物語」って、描くこと自体は簡単な気がします。
また、シクステン・スパーレ中尉が結婚して子供のいない独身であれば話がまた違ったかもしれません。わたし自身が思うには、シクステン・スパーレ中尉とエルヴィラ・マディガンの愛の前に大きく立ちはだかったもの、それが衣食住に関することであったような気がします。ようするに、あまりに当たり前な生活の苦労ということですが、エルヴィラは食べ物がなくて飢えに苦しむあまり、野草をちぎっては食べ、ちぎっては食べし、たぶんそうするうちにおかしなものも口にしてしまったのでしょう。うえっと吐いてしまう場面というのがあったと思います。
わたし、ずっと前に映画のほう見たきりなのですが、わたしの記憶に間違いがなければ、シクステン・スパーレ中尉がお坊ちゃま育ちで働く意欲に欠けるというよりは……農夫として雇ってもらおうにも、お貴族さまとしての雰囲気が色濃く漂っていて雇ってもらえなかったりとか、「お金を稼ぐ」ということがとても難しかったりする。かといってスウェーデンにも戻れないとなれば――心中するしかなかったという、そうしたことだったのだろうと思われるわけです
それで、これも中世~近世の漫画や小説などの設定において、よくあるように感じるのが……このようにお貴族さまと身分違いの恋に落ちたけれども、その後捨てられた、あるいは別れざるをえなかったという設定のものです。ええと、今わたしの頭にパッと思い浮かぶものとして、ユゴーの「レ・ミゼラブル」があります。たぶん、パンを一切れ盗んで捕まったジャン・バルジャンが、もう一度盗みの罪によって逮捕されようかという時……ミリエル司教が、「それはわしが彼にあげたのじゃ」みたいに言って庇ってくれる。この場面の次くらいに有名なエピソードがたぶん、貴族の男性に捨てられたファンテーヌのお話と思います。彼女は幼い子を養うために、自分の歯すら売っており、映画の映像などで見ると本当に痛々しくて堪らない
そして、こうした貴族の男性に捨てられた女性のその後として、割とよくあるのが、「森の魔女」的設定のものと思うわけです。姦通罪などで裁かれ、元いた町や村にはいられなくなった、あるいはそのような評判の悪い女、身を落とした女性として、元いた町なり村なりでは村八部にされるため居場所がなくなり――近く、あるいは離れた場所にある森などで暮らすようになる。確か、その昔HKでアニメやってた、バーネット原作の「秘密の花園」に出てくるカミーラという女性もそうしたパターンだったように記憶してます。つまり、森で暮らしているがゆえに薬草などに詳しくなり、時に近くの村人などがそのようにして作った薬をもらいに来たりすることがあるという……つまり、「女性がひとりで独立独歩で暮らす」とか、基本的にありえない時代のことですから、なんらかの形によって村社会などから追放された場合、そうした形でしか生きていく術がなかったわけですよね
なんていうことを、つまりは「リンゴ畑のマーティン・ピピン」のロザリンドが「絶えざる飢えと闘っていた」といった文章を読んでいて、ふと連想的に思いだしたというか。。。
わたし自身はそのように深刻な飢えと戦ったことのない、幸福な人間であったにしても、↓のお話の中では「重税を課されるあまり、飢えに苦しみ、法を犯さざるをえなかった」的なことを簡単に書けてしまえたりもするわけで……つい先ごろも令和の米騒動的なことがあったりと、以前読んだ時にはまったく思わなかったことを思い、ちょっと自分的に色々と考えさせられるところがありました
それではまた~!!
惑星シェイクスピア-第三部【18】-
エレアガンス子爵も当然、連日のようにマリーン・シャンテュイエ城の会議室にて、軍事会議に参加していたわけだが、彼自身も彼の近衛らも、特段積極的に発言する場面というのはほとんどなかったとはいえ――唯一、キリオン・ギルデンスターンの提示した策略が有望だとして場が盛り上がった時、エレアガンスは「それでは、我々は先発隊として出発し、森の端に対攻城塔を建造するとしましょう」と申し出ていたのだ。特段、このことを無碍に断るような理由もなかったため、彼は共に来ていた聖ウルスラ騎士団の騎士らととも兵を従え、一足先に進軍していたわけであった。
対攻城塔の建設方法については、カドールが図面を描いて説明し、ロドリゴ伯爵や、建築学に詳しい彼の次男のロマンドがそこに補足して詳細図を書き加えてくれてもいた。また、その図面をガウェイン・カログリナントに示せば、彼のほうで心得まして候とばかり、樹木を切り出し、うまくカモフラージュしたものを手兵とともに建設してくれるはずだとの、そうした話運びだったわけである。
だがこの時、あるひとつの問題がグレイストーン城塞では生じていた。いや、エレアガンスが率いている(はずの)軍が、糧食その他の物資を船に乗せ、そちらはイルムル河を遡らせて運ばせ、彼らが川沿いの道や森の中の道を行軍して行った時から、その問題の種は芽を出しはじめていたといって良かっただろう。
「なんか、俺たち先発隊って、貧乏くじを引かされてる感じしねえか?」
「だよなあ~。あのメレアガンス伯爵の息子のエレアガンスさまって、なんでも自分の見てくれのことを気にしてばっかで、戦争にだって従軍したことのない、甘やかされたお坊ちゃまだって話だぜ」
「にも関わらず、なんで今回ハムレット王子と一緒に州都のロドリアーナまでやって来たんだ?」
森の中を進軍していたロドリアーナの州兵のひとりは、ナヨナヨしたポーズを取ってみせ、そった片手を頬に当てて言った。
「なんでもエレアガンスさまってのは、こっちの人だっていうもっぱらの噂なんだよ。で、ハムレットさまが目もくらむような美青年なもんで、それで一緒にくっついてきたんじゃねえかって話」
「マジかよ!?」
「つか、それじゃマジで貧乏くじじゃねえか、俺ら!!せめてもハムレット王子か、ロドリゴ伯爵さまの軍のひとりとして進軍できてたらなあ。なんか、うまく活躍の場ってもんがあって、王子さまや伯爵さまの目にとまって名を上げられそうじゃねえか」
ここで、彼らの軍をまとめる小隊長が馬首を巡らしてやって来ると、「おまえら、うるさいぞっ!!」と一喝した。とはいえ、この小隊長にしてからが、実際には内心彼らの気持ちについてはよく理解していたのであり、それは彼の軍での上司に当たる大隊長、さらに百人隊長や千人隊長にしてからが――実はそうした鬱屈とした思いを抱えていたといって良い。だが、軍という場所では上官の命令は絶対であり、それゆえ、グレイストーン城塞の外に次々幕屋を張り、野営を開始したこれらの兵士らは、それが最終的にどのような形を成すものなのかも知らずして、樹木を切り出せと言われればその労働に一日中従事し、規定の通りに揃えよと言われれば手斧を片手にそのようにし、縄で括ってそれらを荷馬車に乗せて運べと言われれば……まったくその命令通りにしていたわけである。
といったわけであったから、バロン城塞を遠く望む森の端に緑の葉を綴ったものでカムフラージュした見事なまでの対木造城砦は、基礎部分から順に、人海戦術よろしく、驚くべき速さで建設されていったのである。ギべルネスとキャシアスが戻って来た時、すでに半分ほどが出来つつあったことから見ても――それは驚くべきスピードで完成に向かっていたと言えただろう。ここにどの程度、メルランディオスの魔法の手が加えられていたかは定かでないが、兵士らがそれと気づかぬ間に実際に切り出した以上の木材があっという間に集まり、規定通りに切り揃えられると荷馬車にどんどん積まれ、一日の終わりには建設場所へ山のように置かれることになったわけである。
さらに、これらの木材は決して「なくなる」ということがなかった。むしろ、夜が明けてみると、きのう以上に増えていたことさえあったのだが、建設に当たっている兵士らは「なんか嵩が増しているような……」と思うことがあっても、「まあ、気のせいか」と眠い目をこすりつつ、そのまま作業を続行していたものである。
といった事情であったから、ギべルネスとキャシアスがその対木造城砦の横を通りかかった時、彼らは即座に「急ぐ必要がある」と感じ、そのままルパルカを走らせ、グレイストーン城塞へと急いでいたのである。
擬音としてはあまり正しいとは言えないが、時折森のどこかから「キューン、キュウーン」と鳴く、鳴きうさぎの切ない声を聴きつつ、ギべルネスとキャシアスがグレイストーン城塞へ辿り着いてみると、そこは二月ほど前に旅立った時とは別の場所かと見紛うほどに一変していた。というのも、州都ロドリアーナから旅立った三千の兵のみならず、息子の身を案じたメレアガンス伯爵からも、先発隊として兵士が差し向けられ、合流していたからであった。
巨大化した村のようにどこまでも広がる、軍の仮設の施設や天幕を眺めやりつつ、ギべルネスとキャシアスはその間を縫い、グレイストーン城塞の内部へと進んでいった。門のほうは開きっぱなしになっていたが、無論衛兵らがいたため、彼らはそこで「ハムレット王子やロドリゴ伯爵はすでに到着しておられるか?」と聞いた。「いや、まだだが……」と答えた衛兵らの顔が不審げに曇ったため、ふたりはさらに説明を試みる。
「我々は、ハムレット王子の使節として、一刻も早く主君に伝えねばならぬメッセージを携えている。せめても、まずは城主であるガウェイン・カログリナントさまに取り次いでもらえないだろうか?」
すると今度は、その場にいた三名ほどの衛兵らは、互いに顔を見かわすと、なんとも言えぬ複雑な表情をしていたのである。そして、彼らがなんと言ったものかと迷っていると、結局この様子を上の城塔の窓から眺めていた衛兵のひとりが――ある意味、一番美味しいところを科白として持っていってしまったのだった。
「あんたたち、ガウェインさまなら今、軍法裁判の真っ最中さ。俺も、こんな面白い見もの……いや、失敬。見張りの当番に当たってさえいなけりゃ、最前列あたりで見たいくらいだぜ」
無論、東王朝から戻ってきたばかりのギべルネスとキャシアスには、この若い――もっと言うなら、あまり分別のなさそうな――衛兵の言っている言葉の意味が、まるきり理解できなかった。
「サイナス、おまえ、カログリナントさまとは友達なんだろ?じゃあ、おまえがこの方たちを案内して差し上げるのが一番なんじゃないか?」
(こんなことを軽々しく話していいものだろうか)といったように、慎重に口を噤んでいた衛兵の青年が、構えていた鉾槍を同僚の友に渡し、最終的にギべルネスとキャシアスの案内をするということになる。
「軍法裁判って、具体的にどういうことなんですか?」
キャシアスはそう深刻なことでもあるまいと思い、いつものように朗らかな笑顔でそう聞いていた。だが、サイナスと呼ばれた衛兵の顔は暗いままだった。ギべルネスはなんとなく、(あのカログリナント卿のご子息の友達だというのがわかるような気がするな)などと思ったものである。
グレイストーン城塞内も、すっかり雰囲気が変わっていた。まず、どこもかしこも人・人・人ばかりであった。そして、引っ切りなしに城内や管理棟群から誰かしらが出入りしているのみならず、そこいら中であらゆる人々が、様々な作業をしていた。家畜の飼料のために藁を荷馬車に積む者、屠殺した牛を解体するため、鉤に引っかけている者、身欠きニシンの樽を運んでいる者などなど……ギべルネスとキャシアスが通りがかった建物の開け放された窓からは、羊毛を梳いている娘たちや梳いた羊毛を糸車にかけて糸を紡いでいる様子が見えたものである。
だが、そこいら中にいる身なりのいい兵士たちの服装というのは、彼女たちの紡いだものから出来たものではなかったろう。メレアガンス州出身の兵士も、地元のロットバルト州の兵士たちも、共にまったく見事な紋章入りのリブリー(揃いの服)を着ていたものである。これらの鎧の下や鎖帷子の下、あるいはそれらの上に着る衣服は、メレアガンス州において急いで作られたもので、個々人のサイズに合わせて作ったものでなかったにせよ、襟ぐりや脇の下、袖口などにたっぷり余裕を取ることで、言うなれば大(L)・中(M)・小(S)、特大サイズ(LL)……といったように、ある程度見当をつけて同じものが大量生産されていたのであった。
このために、メルガレス城砦の工場のみならず、州中のどこででも、職人たちが寝る間を惜しんで働き続けていた。また、鍛冶屋からは一日中彼らが槌を振るう音が聞こえ、剣や防具類が作られていたという。この時代、どのような衣服にしても基本的にはオーダーメイドであったし、騎士が剣や防具類を発注した場合、早くても半年ほどかかるのが普通であった。だが、メレアガンス州のどこにおいても、城砦都市のみならず、どこの町でも村でも、聖女ウルスラの託宣があり、残虐なクローディアス王に代わって新しく正当な王位継承者ハムレットさまが王となられると聞き――民衆たちの心は燃えに燃えていた。さらにここに、この年は税が免除となったとあっては、猶更のことであったろう。
これが、グレイストーン城塞にて、兵士らがみな身なりの良かった理由だったのだが、彼らは軍事教練に参加したり、労働に従事する傍ら、今まで戦争に出陣したいつの時にも増して、食べ物や酒や装備品、ちょっとした所持品や小間物類にも恵まれたことから……実際に戦争がはじまるというこの時、実は若干気が緩んでいたようなのである。
ところで、ここグレイスストーン城塞の城主、ガウェイン・カログリナント卿は、昔堅気の軍人気質で、融通の利かないところのある人物だ――というのは、地元の住民たちにはよく知られた事実であった。だが無論、遠くの県からやって来た者や、州都ロドリアーナの州兵ですら、噂でうっすらそんな話を聞いたことがある……くらいの者というのは、おそらく多かったことだろう。
ガウェインはエレアガンス・メレアガンス子爵を三千の兵の総大将として迎えはしたが、すぐに(騎士としてはまったく使いものにならんな)と、見切りをつけていたと言ってよい。とはいえ、メレアガンス伯爵の御子息である以上、下にも置かぬ待遇を約束しなくてはならない……くらいの分別がガウェインにもあったから、子爵のことは適度におだてておいて、実際の軍事教練のほうには彼自身が厳しく当たっていたのである。
ここでガウェイン・カログリナント卿は、ある厳しい選別を行っていた。州都からやって来た正規の兵士たちは別として、他の志願兵らについては、戦士として使いものになる者とならない者、剣の扱いは下手だが、弓の腕には優れている者など……樹木の切り出しや運搬といった仕事に従事する者は、雑兵や歩兵クラスの者が多かったし、言うなればこれらの者たちは毎日ある一定の労働量を費やすことで疲れ切るのみならず、上からの命令にも従順な者ばかりであった。
ところが、むしろ戦士としての腕に優れ、弓の腕もなかなかといった中級クラスの兵士以上の者の中には、軍事教練をうまくさぼったり、自分に割り当てられた分の作業を他の者に押しつけたりと、ガウェインの厳しい基準に合格しない者は――実はこの時期、次々軍法裁判にかけられ、順に処罰されていたのであった。
それはグレイストーン城塞内の広場にて、一般市民にも公開されて行われていたから、裁判のある日はまるでちょっとした見世物でも見るような感覚で、人が押すな押すなとばかり毎回周囲に幾重もの輪を形作っていたほどである。
「これまでの間にすでに何人も軍から除名され、追放された兵士たちがいるんですよ」
サイナスは相変わらず暗い顔の表情のままで言った。ギべルネスなどは、(戦争が近いせいで、やはり気鬱になっているのだろうな……)と思ったが、実は彼はもともとそうした性格なのである。
「ええっ!?それで、除名された兵士はどうなったんですか?」
キャシアスが驚いてそう聞いた。何分、ここはバロン城塞から近いのだ。恨みの心を抱いて敵方に寝返ったらどうするのかと、そう思った。
「それぞれ、自分の町や村などに帰ったのではないでしょうか。兵士には俸給が保証されていますし、戦争がまだはじまる前だからでしょうか。食べ物もエールも、上質のいいものが出たりして、兵士の幕屋では連日お祭り騒ぎのようなことがあったりで、確かにちょっとたるんでるんじゃないかというのは、ここの城塞の人々の目にもそんなふうに見えるところがあったりしたんですよ」
「ですが、それならそれで、除名になどせずとも、まずは上官が注意してそれでも聞かなければ……いえ、そうだったからこそ、彼らは大衆の面前で裁かれることになったのでしょうか?」
今度はギべルネスがそう聞いた。何分、こうしたことにはおそらく、見せしめといった効果が期待されてもいるのだろうと想像される。だが、結局彼にはわからないのだった。何分、ギべルネスはもっと洗練された兵器の揃った別の惑星からやって来たのだったし、その世界においても軍籍に身を置いたことなどなかったのだから。
「注意……どうなのでしょう。僕は結局のところしがない衛兵のひとりに過ぎませんので、詳しいところについてはよくわかりません」
彼らが群衆のざわめきの中でそんな話をしているうちに、軍法裁判の真っ最中らしい広場までやって来た。とはいえ、人の数が多すぎて、何人の兵士らが裁かれているのかも、裁判の方法がどのようなものなのかも、ギべルネスにもキャシアスにもまったく見えて来なかった。
「どうぞ、こちらへ……」
サイナスは、同僚の他の衛兵に頼むと、人をかき分けて道を作ってもらった。驚いたことには、警邏隊としての立派なお仕着せを着た彼らがいかめしい顔をして鉾槍によって人々の群れを制すると、押すな押すなとばかりつめかけていた民衆は自然と左右に分かれ、道を形作っていた。
(モーセが海を割ったように、人垣が割れた……というのは流石に大袈裟すぎるたとえかな)
ギべルネスはそんなことを思いつつ、キャシアスとともに簡易の裁判所として矢来のようなもので広場のぐるりを囲った、開閉扉のあるところへと到着した。衛兵ふたり(サイナスも入れれば三人)に守られていることで――彼らふたりは身なりは見すぼらしいながらも、それなりの身分にある人物であることを周囲にそれとなく示していたわけである。
扉の開閉部分には鎖が幾重にも巻き付けられる形で鍵がかかっていたが、それでも場内へ乱入しようと思えば出来ないこともなかったろう。よほどのことでもない限り、そんなことをする者がないのは、法廷侮辱罪で逮捕されないためと、市民らの道徳の高さのふたつが揃っていたためであろうか。
一時的なこの裁判所では、もっとも高い部分に裁判長であるガウェインが座しており、そこより下の部分に法廷吏が五名ほど並んでいたものである。そしてその前には、執行吏に引きだされてきた四名の兵士らがいた。兵士、などといっても、最初から軍法裁判と聞かされていたからそうなのだろうと思うだけであって――彼らは与えられていた立派な紋章入りのリブリーも取り上げられ、鎧もつけていなければ当然帯剣してもいないというわけで、到底元は正規兵とは思えぬほどの見すぼらしさをその姿格好に表していたものである。
「ええっと……ルキウス・アギレウス、アレクシス・コモンドゥス、サイモン・タートラー、キドナ・シェンドラ、以上の者たちは、上官のことを悪しざまに語っていた旨、同僚よりそのような訴えがあって逮捕されたる者なりと……さてと、この訴えのほうは誠であるかな?」
この簡易裁判所にはどうやら弁護士なる者が存在しないらしく、ルキウス、アレクシス、サイモン、キドナス……といったように順に呼ばれた者たちは、左右それぞれに鞭を手にした執行吏に挟まれる形によって、それぞれ個々人で弁明を試みるより他はなかったらしい。
四人はそれぞれが当惑顔であり、両手を縛られ、足元では鉄球の重りを引きずるという、そのような屈辱的な姿のまま、互いに互いの顔を見合わせていた。すると、執行吏のひとりが鞭の柄によってグイッとルキウスの顎を上げさせ、「答えよ!!」と厳しい口調で命じる。
「確かに、多少そんなことは口にはしたかもしれません」ルキウスは苦しげに呻いてそう言った。「ですが、酒に酔った席でのことですし、もし仮に……あくまでもこれは仮にということでございますが、俺たちが「大隊長のバッキャロー!!」と冗談で叫んだとて、それが即座に罪になりますかい?ある意味、そんなこたあ誰もがやってることでさあ」
「そ、そうです」と、アレクシスが隣の友に同意する。彼ら四人は同じ兵学校出身の、まだ二十代後半の若者たちであった。「ですがまあ、兵士を束ねる隊長さまというのはお心が広く寛大なもので、我々が多少何かを不満に思ってあれこれブツブツ申しましても、大抵は受け流してくださるものです」
サイモンもキドナスも、ともに神妙な顔をして「うんうん」としきりと頷いている。
「いや、当法廷は決してそのようなことは断じて許さぬ」
そう厳しい顔で告げたのは、裁判長として一番高い場所に座す、ガウェイン・カログリナント卿その人であった。彼は緑一色のサーコートに、胸元には聖堂と、それを守る剣と槍を交差させたカログリナント家の紋章をつけていた。
「コルトレード法廷吏、訴えの続きを読むがいい」
「いや、そのですな、カログリナント卿、こちらの罪状のほうは重いものなれど、このような言葉、大衆の面前で口にしていいものかどうやら……」
だが、地獄の閻魔もかくや、という燃える目つきで睨まれ、コリウス・コルトレードは結局、何度かごほげほと咳ついたのち、ようやく書面の極一部についてのみ読むことにしたようである。
「ええと……おまえたち、恐れ多くもエレアガンス子爵さまのことを『カマ野郎』だのと言ったというのは、本当なのか?」
四人は再び、当惑しきったように互いに互いの顔を見渡した。シラを切るべきかどうか、明らかに四人とも迷っている様子であった。
「いいえ、我々はそのような恐れ多い言葉、酒宴の場であれ、決して口にしたことはございませぬ」
キドナスが、ごくりと唾を一度飲み込むと、意を決したようにそう口にした。(そんなことを言ってたのは俺たちだけじゃないぜ)などとは、このような公の場では口が裂けても言えるものではない。
「コリウスよ、もっときちんと罪状のほうを読まんか」
そう言ったのは、ガウェインではなく法廷吏長のボー・ヴェランであった。彼は自分たちの城塞を治めるカログリナント卿がどのような方が、知り抜いていた。彼は一度罪を追及するとなったらとことんやり、敵を追い詰めるとなったら、尻に一度食らいついたドーベルマンのように決して離すことはないと言う人物なのである。
となれば、なるべく早くこれらの軍法規定違反者らに沙汰を言い渡し、罰を与えるというのが、貴重な時間を節約する唯一の方法ということになるだろう。
「ええとですな、『あんなナヨナヨした奴に率いられてたんじゃ、戦場で活躍したくても活躍できない』、『どうせ自分の命が一番大切で、他の兵士が何人死のうが、最後列でのんびり明日着る衣装についてでも選んでいるに違いねえぜ』、『なんで俺たちがそんなカマ野郎のことを命を張って守らなきゃならねえんだ』……等々、まあ、毎日のように口にしていたそうですな。そこで同僚の兵士らが注意すると、『おまえらだって心の中じゃ同じこと思ってんだろうがよ!!』と怒鳴り、喧嘩になった上、トルカ・ユウェリナス一等兵とサイオン・フェイザン二等兵らに骨折・捻挫その他、兵役の仕事を一時的に休まざるを得ないほどの大怪我を負わせたとか」
「これはとんでもないことだぞ!!」
ガウェイン・カログリナントは、木槌をバンバン打ち鳴らして怒鳴った。
「おまえたちのような者たちがいるから、他の文句もなく真面目に兵役に就いている者たちが迷惑を被るのだ!!しかも、おまえたちを率いる最上位の将軍であるエレアガンス・メレアガンス子爵さまのことを言うに事欠いて『カマ野郎』とは一体何ごとだっ!!」
広場のぐるりを囲む民衆たちは、誰も笑っていなかった。というのも、彼らはこのように軍法裁判が開かれるたび、刑が軽い者でも三十九度ばかりも体を鞭打たれる姿というのをいつも見ていたからだった。
「よって、この者四名は全員、即刻死罪とするっ!!」
ガウェイン卿の野太い声が広場に響き渡ると、ざわめきがさざ波のように群衆の間に広がっていった。というのも、ギべルネスとキャシアスは知らなかったが、この軍法裁判が開かれるようになって以降死罪が言い渡されたのは、この時が初めてだったのである。
途端、他にもう一箇所ある開閉扉のほうから、手や首を固定するための木製の処刑道具が運ばれ、首を斬るための処刑用の大きな戦斧が廷内へ持ち込まれた。言うまでもなく一番驚いたのは、たった今刑を宣告され、即座に処刑の決定した気の毒な四名の兵士たちである。
「や、やめてくれっ!!」
「すみません、確かに我々は不敬なことを口にしましたっ!!ですがあくまでもそれは、ただの冗談ごとだったんですうっ!!」
「ゆ、赦してっ!!お願いだあっ、誰か助けてくれえっ!!」
「お、お母さんっ、俺には故郷に悲しむおっかあもいれば、結婚したばかりの妻だってあるんだあっ!!こんなのあんまりだあっ!!」
四人がそれぞれ泣き叫び、手や首を処刑具に固定される段になると、今度は四人はそれぞれ互いに互いを罵りはじめていた。
「そもそも、元はといえばルキウス、おまえがいつも軍の作業のことで不満たらたらだったから……俺たちはなあ、べつにそれほどでもねえのに、おまえに合わせてつい同調して色んなことをしゃべっちまったっていうそんだけだっ!!」
「そうだそうだ、ルキウスっ!!おまえがこの中で一番悪いっ!!俺たちゃあなあ、べつに誰の下で働いてようと、そんなもんどうだって良かったんだ、ほんとはなっ!!」
「な、なんだ、おまえらっ!!急に俺にだけ罪をなすりつけだしやがって……他の仲間の兵士だって、誰がどう聞いたって、おまえらも俺もまったく同罪だと見なすだろうよっ!!」
「うわあーん。おかあさーんっ、俺はエレアガンス子爵の悪口なんて言ってませぇ~んっ!!」
だが、民衆の間からは「流石に性急だ」だの、「可哀想だ」といったような声までは上がらなかった。おそらく、小声で話している分にはそうした声もあったに違いない。けれど、もともとここグレイストーン城塞や、近隣の町や村の者たちはよく知っていたのである。カログリナント卿が一度そのように決定し、口にしたことは絶対変更することはないということを……。
手を縛っていた縄を一度ほどかれた時、ルキウスなどは抵抗しようとしたが、執行吏のほうが兵士として体を鍛えている彼らよりも力自慢の強者であった。そこで、殴られて鼻血をだし、よろめいたところを両脇からがっしり押さえこまれ、彼は手と首を固定され、処刑台の前に跪いたままの姿勢を取らされることになった。他の三名も、ルキウスのその姿にすっかり鼻白んだのであろうか。あまり抵抗することなく、彼らの罪の元凶となったらしい男と並び、順に跪いていくということになる。
実をいうと、今この瞬間になるまで――ギべルネスはこのことを何かの冗談事でないだろうかと信じていたところがある。つまり、「よし、おまえたちもこれで懲りたろう。これからは気をつけるのだぞ」とガウェイン・カログリナント卿が口にし、民衆もまたほっと胸を撫で下ろすという瞬間を今か今かと待ち侘びていたのだが、誰もこの処刑を制止する者がないのを見、彼が板塀を乗り越えようとした時のことである。
「いけません、ギべルネさま……っ!!」
後ろから肩をぐっと押さえられ、ギべルネスは驚いた。そしてそれが誰かと思えば、この処刑を命じた当人のカログリナント卿の息子、ラトレル・カログリナントその人だったわけである。
「父は、一度自分がやると口にしたことは、絶対に実行します。もし息子の僕が軍法規律を犯して誰かに訴えられ、有罪になったとしたら……目の前で僕の首が落とされることになろうとも、眉ひとつピクリとも動かすことはないでしょう。父はそういう人なんです」
「まさか、そんな……」ギべルネスは一瞬躊躇したが、やはり黙って見ていることは出来ないと思った。「いや、絶対に駄目です、こんなことは。何故といってこれから我々は、拷問刑で悪名高いクローディアス王に叛旗を翻そうというのに、これではハムレット王子の名誉に傷がつくことになります」
キャシアスはこの時も、<神の人>ギべルネ先生の勇気に感動していたが、一方ラトレルのほうではそう思わなかったらしい。衛兵ふたりに目で合図すると、ギべルネスの体をがっしりと押さえつけさせ、彼が決して板塀を乗り越えていかないようにしたのである。
「だ、駄目ですっ!!こんなことを決して許しては……」
ギべルネスがなおももがいていた時のことだった。サイナスが友であるラトレルに(この方は一体……)という目を向け、彼が友の疑問に答えようとした瞬間のことである。
「こんなことは、即刻やめにしていただきたい……っ!!」
反対側の開閉扉のあるほうから、板塀をひらりと乗り越え、歩いてくる細身の青年の姿があった。頭にはターバンに派手な七色の鳥の羽と宝石をつけ、ダブレットは襟の回りに派手な襞飾りがあり、ズボンは同色の深紅で、しかも太腿のあたりが風船のように大きく膨らんでいる。その上、ローブのほうは今日は豹柄だった。しかも、靴の爪先が「よくあれで歩けるものだ」というくらい、反り返った革靴を彼は履いていたのである。
このエレアガンス・メレアガンス子爵の姿というのは、ある意味ピエロのように滑稽なものながら、不思議とこの場では誰も笑わなかった。もっとも、メレアガンス子爵がいつも奇抜なファッションをしているとは伝え聞いていたとはいえ、彼が間違いなくその当人であると気づくことの出来た者は、民衆の中には少なかったろう。
ゆえにこの時群衆の民らが思ったのは、(無礼の許される道化が、おそらく命知らずにもカログリナント卿に彼らの命乞いを頼むつもりなのだ)ということだったのである。
「あちゃ~、今日はまた一段と変てこな……ああいや、ゴホッ、グハアッ!!素敵なお召し物でいらっしゃることですね、エレアガンス子爵は……」
キャシアスのこの言葉を、他の時ならばギべルネスも一緒になって笑うことが出来たろう。だがこの時、ギべルネスは彼の鶴の一声で事態が百八十度変わりはしまいかと、その一事にひたすら賭けていたのである。
「一体何をおっしゃるのですか、エレアガンス子爵さま。この者たちは他でもない、自分たちの隊を率いる最高位の司令官であるあなたさまに弓引くような発言をした者たちなのですぞ」
ガウェインはあくまで冷淡にそう言い放った。首と両手を処刑具に固定された姿の罪人たちは、すでに動かない首をどうにか動かそうとし、せめても目だけでエレアガンス・メレアガンス子爵の姿を追おうとした。何故といって彼らは、あくまでも下っ端の兵士たちだったので、噂で伝え聞いたことをあれこれしゃべっていたにしても――本当に子爵殿の姿を間近で見るのは、実はこれが初めてだったのである。
「先ほど、この中の者の誰かが申したとおり、兵の上に立つ者は寛大でなければなりませぬ。何より、他でもない『カマ野郎』などと罵られたこの私が、『赦してもよい』とそう申しているのですから、それで良いではありませんか」
「ぐぬうっ」と、普通ならば微笑んでもおかしくないこの場面で、ガウェインはあくまで眉根を寄せ、面白くなさそうな顔をした。彼としてはこれで、他の兵士らが下手をすれば即刻処刑もありうるのだと考え、身を引き締めるだろうと考えていたのである。「ではまあ、仕方ありませんな。わし自身がもし『カマ野郎』などと呼ばれようものなら、相手のことを即刻半殺しにして処刑してやるところですがな。あなたさまがあくまでもそのような侮辱を耐え忍ばれるというのであれば、わしもこの正統なる裁判の判決を曲げねばなりますまい。おい、おまえら、不敬の輩よ」
ガウェインはルキウスたちのほうに向け、地面にぺっと唾を吐いてから続けた。彼は本当にこの判決が正当で立派なものだと、心から信じていたのである。
「エレアガンス子爵さまの温情に心から感謝するのだな。おい、執行吏たちよ、この者らの首枷と足枷を外してやれ。また、あとのことは子爵さまの胸一存だということで、今後はなんでもエレアガンスさまの言うことを聞くのだぞ」
本日はこれにて閉廷!!とばかり、ガウェインは木槌を最後にバンバン!!と二度叩くと、面白くもなさそうに階段を下りてゆき、何事もなかったかのように衛兵を左右に引き連れ、その場を後にしていた。
とはいえ、エレアガンス本人にしてみれば、何やら自分のせいで四人もの兵士らの命が失われるのが嫌だったというそれだけなので、彼らの命が助かった今となっては、彼にしても後のことなどどうでも良かったと言える。執行吏たちも、「良かったな」、「エレアガンスさまに死ぬまで感謝するのだぞ」などと口にしつつ、ルキウスたちの足枷と重りを最後に外してやっていたものである。
彼ら四人は拘束されて城の地下牢に入れられて以来、すっかり衰弱していたのだが、それでも去っていこうとするエレアガンス子爵になんとか礼を言おうと、よろよろした体で近づいていったのである。
「メ、メレアガンスさま……いえ、エレアガンス子爵さまっ!!お、俺たちほんとは……」
「そうなんですうっ!!子爵さまのことなんて、一度もこんなにお近くで見たこともなく、それで噂でだけ色々聞いてたもんで……あわわっ!!」
キドナスの尻の肉を、アレクシスはギュッと思いきりつねっていた。これ以上とばっちりを食ったのでは堪らないとばかりに。
「き、今日も、素晴らしいお召し物を身に着けていらっしゃいますね。俺たちなんかが百年働いたって、そこまでのお衣装を身に着けるようなことは今後ともありますまい」
「そうです……いえっ、さようでございますっ!!我々はエレアガンスさまのお召し物の豹紋ひとつにも値いしない者どもでありますれば……」
エレガンは彼ら四人の命が助かりさえすれば、正直、この兵士らのことなどはどうでも良かった。だが、礼を言わねばならぬ彼らの気持ちもわかるゆえ、一応その追従につきあってやることにしたわけである。
「おまえたちは、本当に救いようのないあほうどもだな」
首を振り振りエレアガンスにそう言われ、四人の若き兵士らは言葉を失っていた。(自分たちはむしろ余計なことを言ってしまったのだろうか?)と、その場に氷柱の如く凍りつく。
「こんな豹紋の派手な黄色と金の衣服を、私が本当に素晴らしいとでも思って着ていると思うのか。私はな、いつか誰かが私の顔色を窺うことなく、本当のことを言うだろうと思っていた。『その色の組み合わせは流石にちょっとどうかと思いますが……』とか、『そんな爪先の反り返った靴、履いてるのは道化だけですぜ』とでもいったようにな。ようするに、私は多少耳に痛いことでも本当のことを言ってくれる家臣に恵まれなかったのだ。おまえたち、今この場でもしおまえたちのうちひとりでも、そのファッションセンスはちょっとどうかと思うと一言いっていたとすれば……私は寵臣として大いに用いたことだろう。だが、結局はおべっか使いばかりが集まって追従し、本当の意味では大して好かれもしないというわけだな。そういったわけだから、おまえたちも特に私に今度のことで恩に着る必要はないぞ」
「…………………」
四人の若い兵士たちは、エレアガンス子爵のこの言葉に決まり悪そうにもじもじすることしか出来なかった。また、彼はそのまま開閉扉を通って簡易裁判所となっていた広場から出ていったわけだが、いつも子爵に付き従っている近衛の面々も、今のこの言葉を耳にし――面目を失ったように顔を赤らめて、自分の主君の後ろについていくことしか出来なかった。彼らにしても、自分たちの仕えるエレアガンス子爵がそんなことを考えていようとは、今の今まで一度として思い至ったことはなかったのである。
だが、エレアガンス・メレアガンス子爵当人はまったく気づかなかったにせよ、彼はこの一件によってすっかり株を上げていた。権力というものに屈したからではなく、最早彼のことを少しでも悪く言うような者はひとりもいなくなり、民衆の人気のほうもうなぎ登りだったようである。そして何より例の四人の命を助けられた兵士たちは……すっかりエレアガンス・メレアガンス子爵の心酔者になってしまい、この日以降心を入れ替えて軍務に従事するようになっていたようである。
何分、これだけの兵の規模である。これは決して彼らだけの間に起きた問題ではなく、同じ部隊の中には気の合う者もいればそうではない者もおり、そのような者同士で派閥を作って喧嘩してみたりと――様々な人間模様があった。そうした意味で、心を鬼にして軍規に違反した者を処罰し、見せしめとしようとしたガウェイン・カログリナント卿のやり方というのも……大局的に見れば、軍の将兵のひとりとして、決して間違った選択とは言えなかったに違いない。
>>続く。