>>さて、イエスがある町におられたとき、全身らい病の人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます」
イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに、そのらい病が消えた。
(ルカの福音書、第5章12~13節)
>>そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、
声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。
イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい」彼らは行く途中でいやされた。
そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。
神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか」
それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです」
(ルカの福音書、第17章11~19節)
第二部のところに<らい者の塔>と呼ばれるところが出てきた時から、このことについては触れておかないと……と思っていたのですが、聖書に出てくるこうした『らい(癩)』という病いと、ハンセン病は別である――ということだったんですよね。
わたしの持っている聖書の次の版からこの『らい病』の部分がツァーラアトというヘブライ語で表記されるようになった……と聞いたのですが、わたし、今の版の聖書の訳にらい病に関する記述以外では愛着があるもので、どういった形で変更になったのか、正確に調べてなくて申し訳ないと思いますm(_ _)m
それで「では、作中に出てくる『らい病』とはハンセン病のことではないのか」ということになると思うのですが、ギベルネスの言葉の文脈でいくと、彼自身は間違いなくダミアン神父が罹患したほうの『らい病』といった意味で語っているわけです。
また、『らい病』という言葉自体、差別的な誤解を招く表現ではないのか……という問題があると思うのですが、ハンセン病は医師のアルマウェル・ハンセンがらい菌を発見したことから、彼の名にちなんでその後病名が改められました。こちらの惑星シェイクスピアでもそのように呼ばれている――というのは、まったく別の惑星であることから設定としておかしい……といった事情があるため、「らい病」と表記することになったというかm(_ _)m
それで、ですね。正直な話、わたし自身「ハンセン病」について実際のところを詳しく知っているわけでもなんでもないのです。たとえば、「ハンセン病」の起源であるとか、ハンセン病にかかった方がその時代時代においてどれほど差別的に扱われてきたかなど……日本の隔離政策はひどいものだったとか、テレビや本を通して少しばかり知ったところで、「何かわかっている」とか、そうしたことにはならないと思うので
わたしがらい病(ハンセン病)に最初に興味を持ったのは、聖書にらい病に関する記述が多いことにはじまり、その次に神谷美恵子さんのことを知ったことだったと思います。ゆえに、一度詳しく調べたいとずっと思っていながら、中途半端な理解によって病状その他について書くことになってしまったことを非常に申し訳なく思いますm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m
それで、↓の文章に関していえば、ハンセン病は感染力が弱いので、一般的にいって95%の人は免疫があって感染しない……であるとか、何かで見て調べて書いた記憶はあるものの、その後出典元が思い出せなかったりもして、そうした正確性が曖昧であることも大変申し訳ないですm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m
現在、「確かこの本だったはず……」と思うものを注文したりもして、間違っていると判明した箇所についてはあとから修正したいと思っています
また、「病の起源」的な話でいうと、旧約聖書の出エジプト記にまず最初に「らい」に関する記述があるのですが、こちらに関しては間違いなくツァーラアト、宗教的な穢れに関連した皮膚病で、今日わたしたちが「ハンセン病」と呼ぶ、らい菌に起因するものとはまったく別の皮膚病とのことでした。というのも、のちに「ハンセン病」と呼ばれることになる病いについては、起源についてははっきりしないものの、東アフリカ、あるいはインドが最初に発生した場所でないかと言われているそうです(東アフリカとインド、どちらが説として正しいのか、わたしには調べられませんでした。すみません)。
つまり、日本に「らい菌」が入ってきたのは菌が外から輸入されてきたからということでしたし、ハワイなどへも外から入ってきて免疫のない人々に猛威を振るった……といったように書かれた文章を読んだりしたのですが、中世ヨーロッパへは十字軍や民族大移動を通してらい病が蔓延していったということらしく、↓の中でわたしが書いているのも、そうした時代の世界観を背景として「らい病」と呼んでいる、ということなのだとご理解いただければと思いますm(_ _)m
わたしの持っている聖書には、ルカの福音書の第5章の脚注として、「らい病=レビ記十三章にあげられる七種の皮膚病の総称。今日のハンセン病とは異なる。らい病人は儀式的に汚れたものとされ、らい病は罪の例証とされた。らい病をきよめられることは、罪を赦され、神に近づき得る状態とされることを意味する」とあります。
そして、旧約聖書のレビ記13章には、現在の聖書の版では「重い皮膚病」と改訂されていると思うのですが、こちらがすべて「らい病」と訳されているため、随分長い間誤解が生じてきたのだと思います。レビ記13章は、簡単に約めていえば、「重い皮膚病(以前はらい病と訳されていた)」について、その患部の部分を祭司に見せるべきこと、またはっきりその判定がつくまでは一時的に隔離すること……などが、随分細かく書かれています。
それで、患部が一部分に留まらず広がった場合などは、>>「患部のあるらい病人は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。(レビ記、第13章45~46節)――とあることなどが、らい病=汚れた病い=隔離という差別をさらに助長した根拠のひとつであったのだろうと思います。
同じく、旧約聖書の列王記第二、第7章には、町の門の入口にいた四人のらい病(重い皮膚病)の人々が、もし中へ入れたところで飢饉によって食べ物がないため、敵陣の陣営に行ってみたところ、そこはもぬけの殻であった……そこで、食べ物や金銭的なものを取ったりしたわけですが、彼らは「自分たちのしていることはよくない」と気づくと、王さまにこのことを報告しようとする――という個人的にすごく好きな場面があります人がもし近づいてきたら「私は汚れている、私は汚れている」と叫び、そのように屈辱的な思いを味わわざるをえないのみならず、社会的にも非常に孤立した彼らが、それであればこそ「どうせ死ぬのなら」と敵陣へ行ってみたところ、神の霊の働きにより敵軍に恐れが走り、そこはもぬけの殻になっていた……そして社会的に疎外されていた人々が国の危急の際に助けになったこと、そのことが読んでいてとても嬉しく感じられるというか
もっとも、それはあくまでわたしが聖書を物語的に読んだ場合においてそうなのであって、実際にはそれがハンセン病でなくても、何かの重い皮膚疾患によってわたしが差別される側であった場合――そもそも神は何故、そのように差別を生むことになる教えをモーセに吹き込んだりしたのだろうと考えたりし、そのことが信仰を持つ上で障害になったり、むしろキリスト教の神を憎んだりと、そんな感じだったのではないかという気さえするわけです
これは相当昔、テレビの映像で見たことなので、正確な文言については忘れてしまったんですけど、神谷美恵子さんが療養所にて、ハンセン病にかかるか、その疑いを持たれたことがあった……ということだったんですよね。そして、その瞬間からはっきり周囲の人々の態度が変わった、と。それまでの間、ハンセン病とハンセン病患者さんについてよく理解しているつもりでいたけれども、その瞬間にハッと胸を突かれる思いがした、ということだったと思います。つまり、それまではちょっと患者さんに対して「上から目線」という言い方はおかしいけれど、「差別されざるを得ない人々に上から手を差し伸べる立場の自分」というのがいると、自覚してなかったというのでしょうか。
けれど、自分にハンセン病に対する疑いがかかり、周囲の人々の態度がその前と違って明らかに変わった時初めて――その瞬間にはっきりわかった、ということだったと思います。「これが差別されるということなのだ」ということが。
わたしも何か偉そうなことを言える立場にはまったくないとはいえ(汗)、こうした短い描写の映像を見た時、その時確か介護施設とかで働いてたんですよね。なので、共通した部分でちょっとわかることがあったというか。「いい人面をして介護している自分」というのはおかしいけれど、そうした側面というのは多少なりあった気がするし、特に働きはじめた最初の頃とか、そうしたところから入っていって、徐々に経験を通して学んでいくというのでしょうか(^^;)
自分の善意を押しつけるというのではなく、結果として利用者さんの本意に叶うことを行なうのがいかに難しいか……とか、そうしたことなんですけど。ナイチンゲールも、看護の世界に終わりはない的な意味のことを言ってたと思うのですが、本当にそうなんですよね。特にナイチンゲールの場合は、自分が看護される側になった時にも学びが続いた……みたいなことを読んだ時、その時は若かったので「ナイチンゲールってすごいなあ。つか、もうほとんど人間というより聖人の域」と思っただけだったのですが、今は自分もそのことがちょっとだけわかります。
若くて健康な時って、若くて健康だからこそ誰かを介護できるくらいの体力が一番ある時期……なのだとしても、その後入院するなどして、自分が看護/介護される立場に一度でもなってみると、最初にわかるのはまあ大体が「自分はなんにもわかってなんぞいなかったー!!」ということです。
これは、看護師さんやお医者さんなどもみんなそうらしく。自分が健康であればこそ、患者さんに対して適切な治療が出来る――のだとしても、一度入院してわかるのは、看護師さんや介護士さんのアラという言い方はなんですが(汗)、「ああ、そうだ。わたしもコレやっちゃってたよ」といった反省だったり、とにかくもう意識のほうが百八十度変わる……ということでした。
たとえば、手術後の「そのくらい我慢してください」とか、「手術後なんですから、健康な時と違うのは当たり前ですよ」とか、その時間帯、ナースステーションがどのくらい忙しいかとか、もちろんわかってる。でも、でもね……患者の立場としては「それを言われちゃあ」とか、自分はただ患者さんの「そう感じるのは当たり前」という主張を、業務の忙しさからいかにうまく誤魔化そうとしてきたかなど……でも、再び病院といった職場に戻ってしまえば、忙殺されるあまり、やっぱり精神的なケアなど出来ることには限界がある、というか。
最初に書いてたことと主旨違ってきちゃったのですが(汗)、日本のハンセン病やその療養所のことに関していえば、今後世界遺産として登録され、その記憶が人類に継承され続けていって欲しいと、心からそのように願っています
それではまた~!!
惑星シェイクスピア-第三部【11】-
「ここに、本当に人が住んでいるのか?」
ディオルグが驚くとともに、近くの岩をくり抜いた洞窟のほうを覗こうとした時のことだった。そことはまた別の入口から、背中の曲がった小男が、杖をついて出て来たのである。
「あなた方が今日ここへ来なさることは、クリムストールさまへの神さまからのお告げによって、我々にはわかっておりました」
「本当ですか!?」と、キャシアスがこの時も感じ入った様子を見せるのに対し、ギべルネスとしてはいささかうんざりしたものである。彼は今までにも熱心に祈ってきたであろう神に、夜眠る前には必ず声に出し、次のように祈ってさえいたからだ。すなわち、『東王朝への旅は、過酷でそれは恐ろしいものになるだろうとばかり思っておりましたが、おお、神よ!!星神・星母よ。あなたさまの御恵み深いお取り扱いにより、我が足はすりむけることもなく旅を続け、人々にはどこででも優しくしていただいております。それなのに、もっとずっと小さなことにも不満を抱き、呟いてばかりいた愚かなこのわたくしめを何卒お許しくださいませ』……といったように。
小男が、ひどいあばた面をしていたからではなく、ディオルグもこのことには流石に驚いたようである。彼は決して見た目で人を贔屓目に見る人間ではないため、この杖をついた男を特に怪しむでもなく、挨拶もそこそこにそのままついていっていた。
「こちらを通っていくと、一番近道なのですよ」と、シャリスと名乗った男は、三人のことを洞窟の中へと案内した。無論、こうした場合、普通考えるのは次のようなことであったろう。この気味の悪い男は強盗の一味で、そのうちそこらへんの暗がりからでも仲間が姿を現し、襲いかかってくるのではないかと……三人の中で、そのことを一番警戒していたのが実はギべルネスだったわけだが、そんなことは一向起きる気配もなく、このちょっとした洞窟探検の旅は、彼にとっても次第に楽しいものとなっていったようである。
洞窟のほうはこの季節、涼しいどころか薄ら寒いほどであったが、それでも夏場であれば、おそらく外が猛暑でも、耐えやすいよう涼を取れそうであった。それに、風通しもいい――と、そこまでのことにギべルネスは気づくと、ふとあることに思い至った。ティーヴァス城塞からこちらのリノヒサルへと、らい病その他の患者たちを移したのはリッカルロ王だということであったから(なかなか良い場所を選んだものだ)と、妙に感心したのである。
実際、その後も洞窟内を進み、らい病やその他の皮膚病に悩まされている患者たちの、それぞれに離れて孤立した病棟(それはギべルネスの感覚としては病棟であった)へ案内してもらうと、彼が「まずは清潔にすることが何より肝要だ」と考えていたようなことは、すでに達成されていたといって良かったろう。洞窟内には部屋などいくらでもあるため、ひとりかふたり、あるいは数人で離れて暮らすことなどは簡単であったし、それでいて介護する人間が行き来するのに不便ということもない。
シャリスの話によれば、「リッカルロ王子……いえ、今は王さまであられますが、王が戦争後、そこまで我々のために心を砕いてくださったということで、人々は誰もが奮起しましてな。以前はらい病人よ、腐った皮膚を持つ奴よと蔑まれ、打ち捨てられていた患者たちは今ではすっかり人間らしい扱いを受けられるようになりました。もちろんそれで病気が治るとは限らぬわけですが、その後重症化し、命を引き取ったといったような場合でも――みな、優しくあたたかい介護を受け、感謝の気持ちとともに涙を流しつつ死んでいった者ばかりでございます。わしはほれ、このあばた面が示すとおり、一度天然痘で死にそうだったところをどうにか生き延びたといったわけでして、誰かが天然痘を発症したような場合にはですな、その患者の看護に当たることになっておるのです」
天然痘については、ギべルネスもワクチンを接種しているが、この時代の人々でも、一度天然痘にかかって生き延びた者は免疫が出来る……という考え方でなかったにせよ、とにかく二度と同じ病気になることはないため、同じ患者の看護に当たることがよくあったということなのだろう。
「今、天然痘の患者はどのくらいいるのですか?」
ギべルネスがそう聞くと、「いえ、今はおりません」と、シャリスは答えていた。「以前は何人かおったのですが、その中で生き延びた者はほれ、わしのようなご面相をしておりますじゃろ。時として不吉だとして人から忌み嫌われますわな……ところが、ここリノヒサルにおいてはそうした差別が一切ありませんのでな。みな、口々に言うておるくらいですよ。俗世とは違い、ここはまるで天国のようだ、といったようにすらね」
「そうですか。では、らい病患者の数はどのくらいになりますか?」
「二百名くらいになりますかねえ」と、シャリスは首を捻って言った。「何故くらい、と申しますかと言いますと、らい病が疑われるものの、どうも判然としない皮膚病患者もここへは流れ着くことがあるというわけでして。実際にはらい病でなかったにせよ、そうでないかと疑われた途端、家から追い出されざるを得なかったり、村社会において差別を受けはじめたりすることから……噂で聞いて、ここまで生きるか死ぬかという状態で辿り着いた者が、何十人となくおります。その中にはすでに亡くなった者もありますが、みな人間らしい介護を受けて、ここでは息を引き取ることが出来ますのじゃ」
ギべルネスは、医学の教科書に書かれていたことをその後どうにか思いだそうとし、ユベールに聞いてもみたのだが、らい病(ハンセン病)については、かつて地球において作られたのと同じ薬を、今の時点でギべルネス自身に精製できる方法はなかった。それに近いものはもしかしたら、AIクレオパトラに聞けば、可能な薬の製造法について示してくれる可能性はある。だがそれは、東王朝の土地のどこかにある高山に咲く花の根茎をすり潰せば、近い成分のひとつが抽出できるかもしれない……といったような、およそ現実的でない手法に違いなかった。
らい病(ハンセン病)は、らい菌によって感染する病気であり、地球発祥型人類の場合、95%以上は免疫を持っており、よほど濃厚に接触でもしない限り、らい菌が入っても発症はしない。たとえば、らい病患者の患部の膿を直接触ったりしても、基本的に感染することはないのである。とはいえ、それならば何故感染者が存在し、増えるかといえば、人間の免疫システムを潜り抜けて感染する場合や、他に遺伝的にらい菌に感染しやすい人々が存在するからであろう。
ハンセン病はまず、皮膚に班紋が出来、この時点で治療が出来ればそれ以上は症状が進行しないが、この時代の人々にとっては、それに似たものが皮膚に現れた時点で隔離される処置が取られる場合が多い。また、その年の収穫物が不作であったりした時に、あの呪われた奴がいたからだ……といったように、謂れのない差別を受け、さらには町や村の外へ追放されるなど、社会的にも苦しい立場へ追いやられる場合がほとんどだったのである。
これが、らい病でなかったとしても、それに似た皮膚疾患を持っていると判断された時点で、城塞都市の城壁の外などへ追い出される理由でもあったが、ここリノヒサル城砦においては、なんにしても比較的元気で動ける者が、同じ病気の者の看護に当たることが多かったようである。また、皮膚に現れた斑紋が、間違いなくらい菌によるものであり、さらに病気の症状が進行すると、末梢神経が冒され、体の組織が壊死していく。このせいで手足が欠ける、失明する、顔の皮膚が変形し崩れていく……といったようになっていくのだが、見た目から想像されるような痛みはあまりないということであった。
ギべルネスは、「手伝おう」というディオルグやキャシアスの善意については一旦断わり、暫く自分ひとり隔離された立場で診察したいと頼んでいた。たとえば、地球のハワイでダミアン神父という敬虔な人物がらい病の治療に当たり、その後自身もハンセン病に罹患したという記録をギべルネスは読んだことがあったからである。ダミアン神父の場合は、おそらくハンセン病に感染してやすい遺伝子を持っていた可能性がある……と言われているようだったが、ディオルグやキャシアスがそうした「感染しやすい遺伝子」を持っていないなどと、一体誰に言い切ることが出来るだろう?
隣の国からわざわざらい病の治療のために医師がやって来たと聞き、らい病人たちが多く暮らす城砦の区画では驚きが走ったようである。ギべルネスとしては、「特に何も出来ることはない」とわかっていることから、患部を見せてもらうだけでも患者にとっては不快なだけではないのか――と、そのように危ぶんでいた。特に女性の患者はそうだろうと思い、まずは先に男性患者の診察をしたのだが、彼が丁寧な態度であり、どことなく高貴な顔立ちをしているようにも見えたせいだろうか。彼らにってはなんの恐れもなく、崩れた顔の皮膚や膿、それに手足の欠損部分などにギべルネスが触れたというだけでも、かなりのところ驚きだったようである。これはのちにギべルネスがシャリスから聞いたことであるが、他の医師らは松葉杖で体をひっくり返したり、なんらかの棒を使うなどして、とにかく間接的にしか患者と触れ合うことはないということであった。
(私だって、そもそもワクチンを打ってなかったらそうだったかもしれない)と自戒するとともに、ギべルネスは「なんとかしてやりたいが、どうにもしてやれない」との医師としての煩悶に苦しめられてもいた。(本星エフェメラでなくても、私の母星のロッシーニでだって、本人の皮膚細胞を培養して火傷の痕をまったくなくして新しくするくらいの技術はあったからな。彼らだって、同じ医療技術を使えさえすれば、らい病がどうだのと、後ろ指を指されずに生きていくことが出来るだろうに……)
診察しなければならない患者の数が多かったことから、ギべルネスはその日は疲労により、あっという間に眠りに落ちていった。翌日には、顔の右頬部分に天然痘の痕の残る、アヴィラという若い娘が食事の用意をしてくれていたものである。
リノヒサル城砦は、内部の岩を加工して棚を作りつけてあったりと、その洞窟内とは思えぬほどの快適さに、ギべルネスは驚いたものだった。ベッドのほうは、岩の上にわらを敷き詰めたシーツといった形ではあったが、わらがたっぷり詰まっていたせいだろうか、それほど眠るのに不都合ということもなく、快適なくらいだったのである。
(まあ、こうしたものがまた、なんらかの病原菌の温床になるとはいえ、砂漠で野宿するのに比べればずっと快適だとはいえるな)
アヴィラという、あばたが頬に残る娘は、とても美しい顔立ちをした二十代前半くらいの娘であった。だが、特段そのことをコンプレックスに感じて性格まで暗くなったということもなく、実に元気のいい女性で――「こんなとこにやって来るってこたあ、先生、まだ結婚してねえだね?」などと、田舎なまりの言葉で威勢よくハキハキ聞いてきたものである。
「ええ、まあ……」
岩盤を加工して作ったテーブルには、パンに卵料理やソーセージにピクルスなど、ギべルネスにしてみれば、十分豪華なものが並んでいたと言える。患者がたくさんいるため、いくつも煙突を通した台所のほうで、何人もの女性たちが一時に食事を作るのだという。
「じゃあ、どうだい?ここのどこかで見染めた娘っこのひとりとでも結婚するってえのは?中にはべっぴんな娘だっているしさ、先生、なかなか男前だから、シャリスのおっちゃんにでも一言それっぽいこと言えば、すぐうまいこと仲をとりまとめてくれるよ」
「いえ、私は一応神にお仕えする身なのでね、結婚とかなんとかいうこととは、そもそも縁がないんですよ」
「チェッ!なーんだー。つまんないのー。今日あたい、先生にお食事持ってくるの、みんなとジャンケンしてその権利を勝ちとったんだよ。いい感じのお医者先生がやって来たっていうんでさ、未婚の娘たちだけじゃなく、もう結婚してるおばちゃんたちまですっかり色めき立っちゃってるから、先生、気ィつけたほうがいいよ」
「……気をつけるって?」
ギべルネスは、黄色い茶の入った陶製のコップを見つめながら聞いた。それはとうもろこし茶であったが、彼はこうした味の甘い茶を、西王朝で飲んだことはなかったのである。
「だからさあ、そんなこと、わざわざ言わなくてもわかんだろ?先生の労をねぎらうのに、夜のお相手だけでもちょいとしましょうかって、そういう……」
「う……ぐっぐえっ!!」
驚くあまり、ギべルネスは食べたソーセージが喉の奥に詰まりそうになった。すぐに口のほうへ戻ってはきたが、きのうやって来たばかりでそんな話運びになっているというのは――彼にとっては、かなりのところまずいことである。
「大丈夫かい、先生!?もしかしてソーセージってやつぁ、西王朝とこっちの東王朝では味やなんかが違うのかねえ。そこらへんについてもさ、食いたいものがあったらなんでも言いなよ。先生に対してなら、たぶん多少無理してでもいいもん出してくれると思うからね。キッチンに詰めてる料理女たちはいつもぶうぶう文句言ってばかりだけど、先生には文句ひとつ言わずに美味しいものを作ってくれると思うからさ」
「そういうことはいいんですよ」と、ギべルネスは溜息を着いて茶をすすった。何分、そもそも自分はここに長くいることは出来ないのだ。それなのに、医者として患者に過剰な期待をさせるというのも酷な話だということになる。そのあたり、精霊型人類はどう考えているのだろう……とも彼は考えていた。「それより、私としてはジャンケンに勝った女性がかわるがわるやって来るというのでは落ち着きませんからね、出来ればあなたがここへずっと来てください。あなたのその開けっぴろげな性格なら、おそらくおかしな誤解を受けることもなさそうですから」
「えーっ、やっだあ、先生!!あたい、こう見えてもう結婚してんのさ」と、アヴィラは何故か照れたように、両手で両頬を少女らしい仕草で挟んでいる。「亭主の奴、あたいのこと、右側からあばたを見さえしなけりゃ結構いい女だとでも思ったんだろうね。四年くらい前にあった戦争でさ、怪我してここへ運ばれたところを看病してやったらなんかそんなことになってね。あたい以外にも、なんかそんな形で結婚した娘ってのが、他に何人もいるんだよ」
「そうでしたか。ならば、なおのこと結構です。食事を運んだりするのは是非ともあなたにお願いします」
ギべルネスがこう言ったのは、なんとなく嫌な予感がしたからであった。患者の診察を終えて戻ってきたらベッドに女性がいただの、そんな誤解の生じるシチュエーションだけは出来れば避けたい。
「ところで、らい病の患者だけでも、ここには二百名ばかりもの患者がいるということは、毎日の食事代だけでも結構かかるでしょうね……こんなことを来たばかりの私が聞くのも不躾けな気がしますが、そのあたり、どうしてるんです?」
「えっとねーえ」と、アヴィラは異国の男に気に入られたことで、すっかり上機嫌になって言った。「ほら、リッカルロ王子……じゃなくて、リッカルロ王が十分なくらい、食事の材料になるものやらなんやら、わざわざ送ってくださるんだよ。一度、その物資なんかが山賊どもに襲われて途絶えたって時にもさ、軍の一隊を派遣して、山賊のことをとっちめてくださったこともあるくらい。あたいも、近くでお顔を見たことがあるけど、まあ、そりゃあもういい男さ。決して嫌味で言うんじゃないよ。人を驚かせないために、普段は口許を布で隠してらっしゃるんだけど、キリッとした青い目をしてらっしゃって、布を外したとこも見たことあるけど、あたいは特に気にしないね。口が裂けてるとは聞いてたけど、最初見た時にちょっとびっくりするっていうその程度のことさ」
「何か、怪我か病気ですか?」
東王朝のリッカルロ王は、別名口裂け王とも呼ばれる恐ろしい方だが、政治的手腕には長けている――ギべルネスもそんなふうに聞いた記憶があった。
「さあ……よくわかんないけど、生まれつきらしいよ。ただ、そのことが原因で、おとっつぁんのリッカルド王には疎まれたり、おかあちゃんは自殺したりで、大変な人生だよねえ。でも、だからこそあたしらみたいな下々のことにまで気を配ることの出来る優しさがあるんだよ。とにかく、とっても尊敬できる、そりゃあいいお方さ」
ギべルネスはこの日、きのう診ることの出来なかった患者を順に診察していったが、膿の出ている患部に薬を塗り、ガーゼや包帯を交換したりするといった以外では――特段何も治療らしきことは出来なかった。また、少なくとも最低数人くらいは、そんなよその国からやって来た医者になんぞ診てもらいたくない……といったつむじ曲がりがいるかと思いきや、そんなこともなかったのである。また、彼らは衣類を編んだり畑へ出て働いたりと、らい病ではあっても、元気な者たちはみな、自分たちに出来ることをして時を過ごしているようでもあった。
(まあ、衣食が事足りて、そこに人の役に立てるといった生き甲斐さえあれば……見方を変えれば、十分幸福と言えるということだろうか)
ギべルネスが彼らの口から聞くのはとにかく、神への感謝と、王を讃える言葉が一番多かったと言ってよい。そして、ちょっとした世間話と同時に診察が終わると、彼は「先生にも、リノル神のお恵みがありますように」といった言葉とともに、次の患者のいる岩室へ見送られることになるのだった。
(それで、あの精霊型人類といった存在は、私に何をさせたいのだろうな……)
リノヒサル城砦へ到着した二日目の夜、ギべルネスは岩室に開いた窓から外の星空を眺め、そんなことを思った。
(入浴療法についても、効果があったとかなかったとか言われているようだが……それに、地球にあったとかいうルルドの泉の奇跡といったものはようするに、信仰を通して自己治癒力の解放が働いたということなんだろうしな。だがまさか、そんなことのためにわざわざ私のことを遠く旅をさせて呼んだということでもあるまい。何より、ハムレット王子がそろそろ進軍を開始する頃合なはずだ。というのも、戦争時期を遅くすればするほど、内苑州側の軍のほうが有利になるはずだからな……そのことは、精霊型人類の彼らのほうでも重々承知しているはずだ。だとしたら……)
ギベルネスは美しい夜空を見上げつつ、人智を超えた神に対する畏敬の念に近い思いをこの時覚えたが、キャシアスのように膝を屈めて祈ろうとまではまったく考えなかった。母星のロッシーニにいた頃は、山登りをしたり、景観の素晴らしい湖水地方でキャンプした時などに、今と同じような気持ちを自然の美しさの中に感じ……やはり神に祈りたいような敬虔な気持ちにはなった。だが、今の彼としてはとにかく、この惑星シェイクスピアを支配しているといって過言でない精霊型人類という存在に、膝を屈めて祈りたいとはまるで思えなかったのである。
そしてこの翌日、ギベルネスが漠然と予感していたことは見事的中した。彼が単に患部の膿を取り除き、塗り薬を塗ったに過ぎない場所から……新しく綺麗な皮膚が表れるという、彼らにしてみれば<神の奇跡>としか思われぬ出来事が何人もの患者の間で起きていたのである。
無論、癒された理由がどのようなものであるにせよ、治るということが誰にとっても一番望ましいことではあったろう。だが、ギベルネスにしてみれば……(おいおい、よしてくれ)と、一瞬思ってしまったというのが事実だった。また、膿んだ皮膚の奥からそのような真新しい皮膚の一部が表れたからとて、再び膿みに覆われるという可能性だってあったろう。とはいえ、この時点でギベルネスにもある種の精神的(あるいは信仰的)カラクリがあったらしいことについて、この時点でわかってもいた。というのも、このリノヒサル城砦において信仰されている神に仕える聖女リノレネが、間もなく隣の西王朝から神の癒し人がやって来るということ、また、彼が重度のらい病者の心と体の病んだ部分を癒す――という、予言がそもそも最初からあったということだったからだ。
そのように、単に自分が精霊型人類に『都合よく利用された』だけらしいとわかってくると、ギベルネスは顔の表情には一切そのように見せなかったが、内心では(もううんざりだ)とすら感じたものである。とはいえ、最初はほんの小さな新しい皮膚だったものが、日一日と時が過ぎるにつれ、醜く崩れた皮膚と置き換わっていくことについては、彼もその癒されるスピードの速さに脅威を覚えたが、このような<神の癒しの奇跡>について、自分に賞賛の念を向けられても……ギベルネスとしてはただ、『あなたの信仰深さがあなた自身を癒したのでしょう。私は何もしていません』とでも、心苦しく答えるしかなかったと言える。
実際、ギベルネスにしてみれば、間違いなくそうであった。自分は医師として大したことは何もしていない――彼らは自分が診察しただけで、あとは勝手に治っていき、それを<神の奇跡>と呼んでいるのだろうとしか思えなかった。また、二百名ほどいた患者のすべてが同じような形で癒されたというわけでもなく、このような<神の奇跡>が起きたのは、特に症状が重度の者に限られてもいたのである。それでも、失明した者までもが『目が見えるようになった!!』と叫び、見えるようになった瞳から涙を流し、自分の足許に跪き神の名を賞賛しはじめるのを見ると……ギベルネスは(いいかげにしてくれ!!)と、内心怒りすら覚えるようになっていた。無論、患者自身に怒りを向けることは一度としてなく、『あなたの信じる神の御名に栄えがあるように』などと、表面上はともにその奇跡を喜び祝うのではあったが。
そして、これ以上ここに滞在するのは、自分にとって危険なことではないだろうか……と、ギベルネスが(そろそろ去り時ではないのか?)と感じていた時のことである。『聖女リノレネが、こたびのことで、あなたさまに感謝を申し上げたいとおっしゃっておられます』とのことで、彼はこのリノヒサル城砦の中で、もっとも神聖とされる岩山へ登るということになった。そこへは『ひとりで赴かねばならない』ということだったので、山道の途中でディオルグとキャシアスには待機していてもらい、もっとも神聖とされる山頂へは、ギベルネスひとりで登頂することになっていた。
なかなか危険な崖登りを伴う行程があったのみならず、風に揺れる縄梯子を見た時には彼自身、(私にここで死ねというのではあるまいな)とすら、一瞬本気で考えたものである。だが、そこを上りきった先には、まるで時間をぴったり推し測り、その時その瞬間にギベルネスがやって来るとわかっていたとでもいうように――年老いた修道女が、色褪せた修道服のたっぷりした袖に両手を入れ、無表情な顔をして立っていたものである。
「あなたが、ギベルネス・リジェッロさんですね?」
「ええ、まあ……」
厳しい山登りに疲労がピークに達していたため、ギベルネスはその岩棚のような場所で、だらしなく腰をついて休まざるをえなかった。ミレイユと名乗った赤毛の修道女がもし、『申し訳ありませんが、もう一山越えていただきます』などと言ったとすれば、彼はもうそんな気力もなく、ただ『勘弁してください。ここで休ませてください』と、泣き言を言っていたかもしれない。
だが、ギベルネスのそうした状況を慮ってか、ミレイユは「あともう少しですから、頑張ってください」と、優しい言葉をかけてくれたのである。顔の表情のほうは相変わらず恐いものであったとはいえ。
>>続く。