ちなみに、前回同様トップ画の本を購入したわけではなかったりいえ、竹宮先生の漫画は「面白かった」、「まあまあ」、「がっかり」でいくと、時々自分的に「がっかり」が混ざってるので――今回、本当は他のバージョンのが欲しくはあったんですけど、2千いくらとか出してガッカリさせられたらやだな……と思い、一番安かったサンコミックス版の③巻を購入しましたm(_ _)m
で、例によって純粋な感想記事ではなかったりするんですけど、面白かったです♪
『変奏曲』の残りの、わたしが読んでなかった、エドナンとウォルフそれぞれの息子、ニーノとアレンの物語……密林さんのレビューなどにこのあたりのあらすじが書いてあったので、正直わたし、「ここから先はそんなに面白くないかもなあ」と思ったりしたんですけど、普通に(?)面白かったというか。
増山法恵さんの文学的な語りや音楽的知識などが活かされていて、「ニーノとアレンのその後の物語が読みたい!」という読者さんがいるのも、すごくよくわかる気がすると思いました。
ただ、『変奏曲』の一番新しい版のvol.2のオビに、あれだけはっきり次巻で最終章!みたいにあるにも関わらず……増山さんは何故この続きの小説を完結させることが出来なかったのか、不思議な気はします(いえ、オビのところに>>「カノン完結編(増山法恵による書き下ろし小説」とはっきり書いてあるのです^^;)
もしかしたらわたし、登場人物の中ではニーノが一番好きかもしれないな……と今回読んでいて思ったのですが、父親のエドナンがウォルフの息子であるアレンを実の息子以上に可愛がっており、音楽の天分も彼のほうが自分よりも上だ――ということに苦しむニーノ
ええとですね、このあたりの描写が少し(増山さんにその意図はまったくないに違いありませんが)、竹宮先生の萩尾先生に対する嫉妬を思わせるところがなくもなかったり……まあ、ほとんど関係ないとして話を進めたいとは思いますが、増山さんがこの続きを書くことが出来なかったことに対しての個人的な推測です(^^;)
その、漫画のカノンの一番最後の終わりにしても、その前の流れからしても、小説を書くとしたらたぶん、ホルバート・メチェック視点になると思うわけです。そして彼が、ニーノとエドナンの父と子の葛藤を見届けた、その最後がどんな形で終わることになるのか――たぶん、考えられる物語の展開としては、大抵の読者の方がそう予測するのではないでしょうか
でも、自分的にすごく難しいなと思いました何故かというと、エドナンはウォルフの息子アレンにウォルフの面影を求めて、自分の息子以上に可愛がっている。ここはもう理屈でもなんでもなく、仕方のないことなんじゃないかと思われ……ゆえに、ニーノがピアニストとしてアレンの上を行けばいいとか、そんな単純な話でもない。
きっと、増山さんがイヤイヤながらでもどうでも、どこかのホテルにでも編集者さんに缶詰にされ、「とにかく書いてください」みたいに言われた場合――結局のところすごくいい小説として出来上がったに違いないと思うのですが、盆栽(凡才☆)のわたしなりに続きのストーリーを考えてみますのに、たぶん物語のテーマとして一番大切なのは「二ーノの自立」ということだと思うわけです。
また、最初からここに至るまでクラシック音楽をテーマにしていることから、クラシック音楽という縛りから外れて、「二ーノが音楽など捨てても、幸せになれる道はいくらでもある」と目覚めるラストというのは、たぶん読者としては納得いかないと思うんですよね(まあ、わたしはニーノが幸せになればなんでもいいので、それでもいいと思うんですけど^^;)。
では、どういう道が考えられうるか……これ、かなりところ難しいです。だから、きっと増山さんも竹宮先生にご相談なさったに違いないと思うけれど、「目指すべきラスト」がぼんやりしたままペンを進めていった場合――なかなか納得できるものが書けなかったのではないかと、そんなふうに想像されるわけです
それに、帝王カラヤンの再来とすら言われている指揮者でありヴァイオリニストであるエドナンをこの時点から突然追い越す才能を見せはじめるとかいうのもありえないし、となると父エドナンと肩を並べるピアニストとして成長するとして……ラストは、エドナンが指揮して、ニーノがピアノを弾くという協奏曲によって終わるという、何かそんなところでしょうか
その~、このお話、きっとわたしだったら書けないなと思う……正直、ほんとにそう思いました。「そりゃおまえは文才ないからね」ということもそうですが、そのラストに向けて、どうニーノを成長させるかっていう問題があって、このあたりはホルバートが超一流の音楽家のツテを当たってニーノを猛特訓させるとか、お話の手としてはそんなところしかない気がする。でも、それだとなんか物語の展開としてベタベタすぎてつまらないし、それを言うならエドナンが指揮してニーノがピアノを弾く協奏曲でラストというのもかなりのところ陳腐なものです。。。
そうですよねえ。あとは、アレンとニーノがピアノを連弾して終わるというラストも、きっと増山さんにはあった気がするのですが、父のエドナンにあれほど可愛がられているアレンに対する嫉妬を果たしてニーノが越えられるのかという問題もあり……となると、わたし的にはニーノとアレンが体の関係を持つようになるというのが作品の持ち味として一番いい解決法だと思いました。
この場合はたぶんアレンが受っぽい気がします(笑)。ニーノは繊細すぎるくらい優しい青年なので、父親の愛情を独占しているにせよ、嫉妬からアレンをレイプとかありえない。となると、アレンはエドナンにそうした感情を持っているけれど、そんな感情を持っているなどとはおくびにも出すことは当然できない。だから、その気持ちを息子のニーノにぶつけるといった展開ですね。「ぼくは父の代わりかい?」そう承知しつつも、アレンのことを愛するニーノ……こうして父親に対するコンプレックスを解消し、さらにはアレンとも対等な関係どころか、この場合はアレン受で、そちらに関してはニーノのほうが先輩(?)なので、ニーノは音楽的才能のことで、もうアレンに嫉妬することはなくなるかもしれない。
こうして、ホルバートの紹介してくれた超一流音楽教師の元で、ピアノの才能のほうも花開かせるニーノ……もしかしたら、エドナンがカラヤンの再来と言われていることから、息子のニーノは作曲家としてうまくいくという道もあるかもしれません(というか、漫画のカノンの中でそうした示唆がすでにあるので)。
カラヤンのライバルといえばバーンスタインですが、ベルリン・フィルの楽団員の方が書いた本によると、カラヤンの前でバーンスタインの名前は禁句だったそうです。おそらく、そのくらいライバルとして意識していたのだろうと……また、カラヤンがバーンスタインの何に嫉妬していたかというと、バーンスタインの作曲家としての才能ではなかっただろうかという話(カラヤンは指揮者としては素晴らしい方でしたが、バーンスタインのように自分で作曲したりはしませんでしたから)。
だから、そうした路線で、袂を分かってからはニーノとエドナンの親子は分かりあうことが出来ぬまま時は過ぎた――とかいうのでも、悪くはないのかもしれません。でも、読者の望む好ましいラストとしては、エドナンが指揮者として息子のニーノとアレンの音楽家としての成長を喜び、指揮棒を振りながら「見ているか、ウォルフ……俺たちの息子は今、こんなにも成長して、俺たちの才能をすら凌駕しようとしている!」とか、そういう展開がラスト近くにあることではないでしょうか。
また、ここに至るまでの間にホルバートがエドナンに対して「あの子は文字通り血を吐く思いでここまで努力してきたんだ!」的に説教するなりぶん殴るなりする場面も――途中でお約束としてあったほうがいいやもしれませぬ。。。
まあでも、増山さんはすでにお亡くなりになってしまったので……これでもう『変奏曲』は永遠の未完成作品になってしまったと思うと、本当に残念です
なんにしても、密林さんで「増山」と入力しただけで、「増山法恵」という検索項目が出るというのは……とても素晴らしいことだと「変奏曲」の本を探すたびに思いますもしかしたらこれは前からそうだった可能性もありますが、おそらく萩尾先生の『一度きりの大泉の話』がきっかけで、「増山さんは作品を発表してないのだろうか」など、多くの方が調べたのではないかと、そんなふうに自分的には思ったというか(^^;)
あと、わたしの買ったサンコミックス版の一番後ろのほうには、若かりし頃の竹宮先生のお写真が載っていて、自分的にはこちらも収穫でした
それではまた~!!