こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

惑星シェイクスピア。-【54】-

2024年05月21日 | 惑星シェイクスピア。

 

 さて、今回は本文のほうが長めなので……前文のほうにあんまし文章を使えません(^^;)

 

 なので、なんのことについて書こうかなと思ったんですけど――ファンタジーを書くか、書こうと思ってる方にとって、「人間は一日どのくらい歩けるのか」とか、ネットで調べる方は多いと思います(そして、実際に参考になることがググるとちゃんと出てくる・笑)。

 

 そこにプラスして、わたしもそのうち移動距離の言い訳事項について書こうと思ってたんですけど……とりあえず今回は馬に乗った場合の比較参考として、「シェイクスピアの時代のイギリス生活百科」より、ちょっと文章を抜粋させていただこうと思いましたm(_ _)m

 

 >>ところで、旅行者はどれくらいの速さで進むことができるのか。これはいくつかの要素によって決まる。季節、天候、馬で長距離を行く場合は替え馬にかかる費用、そしてどれくらい長く鞍の上にいられるかだ。夏の盛りに乾いた道路を行くなら、尻と腿が丈夫な旅行者だと仮定して、駅馬乗りの最低速度である時速七マイルくらいは出せるはずだ。当時の人々が自分の馬で、エクセターからロンドンまで170マイルの道のりを急いで行くと、三日で到着できた。

 1599年の10月下旬に、早馬に同行してドーヴァーまで戻ったトマス・プラッターは、グレーヴズエンドから終着点までの44マイルを5時間(時速9マイル)で走破し、「すごい速さ」と書いている。夏季なら一日で100マイル進むことも可能なはずだ。ただし、腿がそれほどの酷使に耐えられる乗り手であればだが。だが冬季には、道路がぬかるみ、日照時間がわずか8時間しかなく、替え馬がない場合、時速2、3マイル、一日に(雨に濡れそぼち、惨めな状態で)20マイルより速く進むことができれば、よほど幸運だと言えよう。

 もっとも目覚ましい記録はサー・ロバート・ケアリーによって立てられた。彼は、スコットランド国王ジェイムズ六世にエリザベス女王の崩御を知らせるために、馬でロンドンからスコットランドまで急行する任務を帯びて、1603年3月25日の朝9時から10時の間に出発し、一日で162マイルを走破して、同日の夜、ドンカスターに到着した。翌日、彼はさらに136マイル進んでウィドリントンにある自宅に着いた。三日めの午後にひどい落馬をしたせいで頭部から出血し、速度を落とさざるを得なかったが、それでも最後の99マイルを何とか進みつづけて、日暮れにはエディンバラにたどり着いた。彼は三日間で全行程397マイルを移動し、最初の347マイルは二日と三時間で走破したのである。

 

(「シェイクスピア時代のイギリス生活百科」イアン・モーティマーさん著、市川恵理・樋口幸子先生訳/河出書房新社より)

 

 まあ、「イギリスの地図必要やろ!」というのと、マイルをキロに直す必要あるとはいえ、それでも自分的にすごく参考になる文章でした

 

 また、この件に関しては、他の中世関係の本にあった多少なり参考になりそうな箇所について、機会があればまた抜粋してみたいと思っていますm(_ _)m

 

 それではまた~!!

 

 

      惑星シェイクスピア。-【54】-

 

 車椅子の一件についてはルースに交渉を任せ、次にギベルネスが(聴診器や血圧計を手作りするにはどうしたらいいだろうな……)などと考えつつ、モントーヴァン邸のほうへ戻った時のことだった。

 

 ギベルネスが貴族の屋敷の並ぶ閑静な通りをずっと向こうから歩いて来るのが見えるや否や――モントーヴァン邸の門がすぐに開き、そこからキャシアスが駆けてきたのである。

 

「先生!いつお帰りになるかと、ずっと待っていました。レンスブルックが街で急に喧嘩をふっかけられ、大怪我をしたんです!!」

 

「ええっ!?」

 

 心配するキャシアスとともに、ギベルネスもまた走ってモントーヴァン邸へと急いだ。すぐ二階のほうへ上っていき、そこに並ぶ部屋の一室で横になる、レンスブルックの元へ屈み込む。

 

「しぇんしぇ……こりゃまたおったまげだぎゃ。もともと醜男なのに、さらにオラの男っぷりが上がったぎゃ」

 

「一体何があったんです!?」

 

 ギベルネスは自分の部屋から、今まで集めた薬草類から抽出した消毒薬、それに傷口によく効く軟膏などを取ってくると、レンスブルックの怪我の手当てをした。

 

 レンスブルックの左目は腫れ上がり、右目同様見えていないのではないかと思われるほどだった。鼻血のほうはすでに止まっていたが、それでも口の端のほうが切れており、そこは触れるとすぐに血が滲んだ。ギベルネスはレンスブルックの全身の筋肉と骨をチェックしたが、幸い打ち身と痣のみで、骨までは折れてないようだった。

 

「ぼくとホレイショと一緒に、商店街のあたりをちょっと冷やかして、<コリオレイナス食堂>っていうところで食事してたんです。そしたら、えっと……『綿布の王だかなんだか知らねえが、いい気になりやがって!』とか、突然難癖つけられたんですよ。あんまり急なことだったもんで、ぼくもホレイショもただびっくりしちゃって……間に入ってどうにか止めようとしたんですけど、もう一方的にボカスカレンスブルックは殴られちゃって……」

 

 キャシアスはギベルネスが手早く怪我の処置をする隣で、青ざめた顔をしたまま、手を揉み搾りながら説明した。

 

「へ、へへ……オラみたいな世にも格好いい男がこの世にふたりもいるとは、流石に誰も思わないぎゃ。ただ、オラ自身ムカつくことには、そいつはオラと醜い姿はそっくりだども、金持っとるってとこだけ唯一違ったぎゃ。んで、そのラキムとかいう男は、ようするに競馬の賭けですっからかんになったぎゃ。そんで、その金を綿布の王だか綿花の王とやらから借りてて、利息のほうが十日で二割でぼったくられたことを恨んでいたぎゃ。ようするに、逆恨みだぎゃ……」

 

「それで、警護院のほうへは連絡したんですか?」

 

(こんな不運には慣れっこぎゃ)といった様子のレンスブルックのことが、ギベルネスとしては不憫でならなかった。彼は人生なるものは不平等であるのが当たり前であるという厳然たる事実を、ほんの小さな頃から受け容れて生きてきたのだ。だからこそ、こんな時にも冗談が言え、手当てする自分に対し笑いかけることすら出来るのだろう。

 

「ええ。そちらのほうは、ホレイショが対処していて……でも、まだ戻って来ません。結局のところぼくらはここメルガレス城砦では余所者ですからね。それに引き換えラキムという男はパン屋の息子で、誰もがその腕前と顔を知ってるわけです。特に何も示し合わせたりしなくても、うまく口裏を合わせられたらと思うと……」

 

 ――ここで、玄関ホールのほうから扉を開け閉めする音がすると、キャシアスはすぐ廊下のほうへ出ていった。すると、急いで階段を上がって来る足音がし、ホレイショがレンスブルックの部屋のほうへ飛び込んで来る。

 

「じゃじゃーん!!これを見ろ、レンスブルック」

 

 ホレイショはこの喜びの知らせを早く報告したかったのだろう、道を急いで走ってきたせいか、彼の丸い顔は赤く上気していた。ホレイショは酒を少量飲むだけでもすぐ顔が赤くなり、それは軽く運動したといった時も同様だった。

 

「しょ、しょれは……」

 

「あのパン屋の息子、そんなに悪い奴じゃなかったよ。こっちで事情を説明したらさ、すぐ我を折って、こっちに平謝りに謝りだして……何分警護院の前じゃ、俺たちと同じくお上のお沙汰ってやつのためにずら~っと長蛇の列になってるんだもんな。で、そこに並んでお互いブツクサ『あんな片目のない小人が、綿布の王ウィザールーク以外、そうそういるもんか!』だの、『あいつは俺たちの仲間でレンスブルックって言うんだ。もともとは砂漠三州の中でも一番遠い、ギルデンスターン州出身なんだぞ!おおう!?』なんてことをやってるうちに……向こうも誤解が解けてイライラが鎮まってきて――まあ、何かが馬鹿らしくなったわけさ。あんな長蛇の列に並んで日暮れ頃ようやく警吏に事情を説明してなんてことを思ったら、こうしてパンでも山のように俺にもたせ、見舞いの品にでもしたほうが千倍もマシだってことにようやく気づいたんだろうよ」

 

 そう言って、ホレイショは誇らしげに山盛りのパンの乗った籠を差し出した。そこには、レプラコーンが笛を吹く焼印の下に店名が入っている。パン屋<ポンピー>と。

 

「へ、へへ……まあ、誤解が解けたんなら、それでいいぎゃ。オラのほうで貸した記憶もねえ金のことで、いつまでも恨みに思われたんじゃ、割に合わないぎゃ。が、そのラキムって男の気持ちが、オラにはわかるぎゃ。オラだって金にはケチんぼだぎゃ、十日で二割の利息ってのは、流石にぼったくりすぎだぎゃ……」

 

「まあ、無事解決したのなら、少しは良かったですね」ギベルネスはほっとして言った。「ポンピーっていうことは、ここから坂を下っていった角のところにある美味しいパン屋のことでしょう?レンスブルック、これからはきっとそこのパン屋を通りかかるたびに、あの美味しいパンをいくらでもただで食べられるんじゃないですか?」

 

「は、はは……そんなの先生、わかんないぎゃ。店のドアを開けた途端、またウィザールークとかいう男に間違われて、ボッコボコに殴られでもしたら堪らないぎゃ」

 

 このあと、レンスブルックは慰謝料代わりのパンをひとつ食べ、「うまいぎゃ」と言ったのち、そのままベッドに横になってぐうぐう眠ってしまった。「きっと体が休養を必要としてるんですよ」とギベルネスは言い、ホレイショとキャシアスとともに、階下のほうへ下りることにした。

 

「あ、そういえば先生」と、キャシアスが思い出したように言う。「レンスブルックのことで頭がいっぱいだったのですっかり忘れていましたが……今朝からお昼にかけてした会議の結果、ギネビアとランスロットはフランツ・ボドリネールに会いにいき、ハムレットとタイスとカドールは、再び聖ウルスラ大聖堂のほうへ行くことになりました。と言いますのも、ラウール殿とセドリックさんがここメルガレス城砦における高貴な方々の複雑な人間関係について色々ご説明くださったからで、とにかく来月ある聖ウルスラ祭が終わるまでは何事も大きく動かさないほうがよろしかろうとのことで……ただ、一月ほど時間のあるうち、とにかく下準備に時間を費やしたほうがいいのではないかと」

 

「そうですね。何事も慎重さが肝心でしょうしね……」

 

 ギベルネスとしては、フランツ・ボドリネールというフランシスの元婚約者のことが気になっていた。もしあのままこちらにいて、モーステッセン家へ出かけていなかったとしたら――ギベルネスもまた、ランスロットやギネビアについていったかもしれない。

 

 キリオンとウルフィンもまた、彼ら同様物見遊山に出かけたとのことで、留守にしているという。ディオルグはラウールとすっかり気が合ったらしく、この老騎士の部屋でセドリックと三人、歓談しているということだった。

 

 ちなみに、ラウールの計画というのは次のようなことだった。聖ウルスラ神殿の現在の巫女姫マリアローザは、内務大臣セスラン=ウリエール卿の娘ということもあってか、いわゆる『世俗的神官』と民衆から揶揄されることのある、大神官らと懇意な関係にあるという。『外務大臣ニコライ=マルシアス卿は誰にとってもウリエール卿同様敵に回したくない人物です。と言いますのも、マルシアス卿は王都テセウスや他の各州にも間者を放っておりますのでな。メレアガンス伯爵も、マルシアス卿には厚い信頼を寄せておりますし、内務大臣であるウリエール卿を警戒しつつも、お互い分をわきまえて協力しあうといったような関係性なんですな』と、ラウールはメルガレス城砦内の主だった政敵関係について順に説明していった。

 

『そのマルシアス卿を味方につけるということは出来ないものですか?』

 

 タイスがそう聞いた。屋敷の中でも一番奥まった広い部屋で、みな円卓を囲って会議に参加していた時のことである。

 

『難しいでしょうな。というより、マルシアス卿は王都にもよく出入りされており、ティンタジェル城にて、クローディアス王ともよくお会いしているはずですよ。そこで共に拷問劇を見ては、血のようなワインを酌み交わして王の御機嫌取りをしているのでしょうから、マルシアス卿と接触するのは用心の上にも用心が必要ですぞ。一方、内務大臣のウリエール卿は、その役職を罷免させることが非常に難しい人物です。メルガレス城砦の裏の世界とも通じているのみならず、自身がすべての警護院を束ねるその頂点に立っているわけですからね……汚職など日常茶飯事なわけですが、ウリエール卿にまで火の粉が及ぶことはまずもってありますまい。せいぜいのところがトカゲの尻尾切りといったところで、ここメルガレス城砦で起きる重大事件の真犯人の多くは、罪もない人間に濡れ衣を着せて終わらせることが出来るのです……これはウリエール卿の力を持ってすれば、という意味ですが。金を握らせて偽の証人などいくらでも立たせることが出来るわけですから、正義の鉄槌がウリエール卿にまで下るということまではまずもってない……こうして卿は私腹を肥やしているわけですが、最悪、ウリエール卿が何かの件で捕まったとしましょう。ですが、ここメルガレス城砦の最高の地位にある大神官と聖ウルスラ神殿の巫女姫には、祝祭のあった時などに罪の赦しを与える赦免権があるのです。そこで、神がこのような啓示を見せただなんだと言えば、逮捕されぶちこまれた牢獄から俗世へすぐ戻って来られるといった按配なわけですよ』

 

『ですが、ここメルガレス城砦の民衆の人々というのは、そんなに愚かなものですか?』

 

 ハムレットが怒り心頭に発したように言った。

 

『ギネビアが遭遇したという、ボドリネールというならず者にしたってそうです。白昼堂々そんなことが行われているのであれば、夜間においてはどれほどの闇の深さが存在するのか……メレアガンス伯爵はどう思っておられるのでしょうか?そのような不正がこの町に存在するとご存知ないのか、それとも知っていてどうにも出来ないということなのですか?』

 

『まあ、どこの州の領主でも、丘の上の自分の城にいることが多ければ、自然イエスマンと言いますかな……米つきバッタのように伯爵の意見に頷いてばかりの家臣や、そのような者のもたらす良い話にしか耳を傾けないようになっていく――こうした傾向を厳しく律し続ける領主方のほうが珍しいのではありますまいか。ただ、この国はハムレット王子、あなたさまがおられるからいいが、ここメレアガンス州について言えば、わしは自分の死んだあとのことが心配でなりませぬ。と言いますのも、メレアガンス伯爵の御子息であるエレアガンスさまは、少々そのう……領主としての統治能力に、今からすでに心配なところのあるお方なものでしてな』

 

『僭越ながら』と、セドリックが申し訳なさそうに目を伏せ、口を挟んだ。『もしハムレットさまが無事王位にお就きになられたあとであれば……私も何かが安心でございます。まずはその前に、聖ウルスラ騎士団を立て直すことのほうが必須とは存知ますが、そうですね。その頃までにうまく根回しして清廉潔白にして公正な人物が、エレアガンスさまの後見人にでもなってくださるといいのですが……』

 

『なんだ?こう言っては失礼だが、メレアガンス伯爵のひとり息子とやらはそんなに頼りないボンクラなのか?』

 

 ギネビアがいつものように歯に衣着せぬ物言いで指摘すると、隣のランスロットが彼女の腕のあたりをつねって寄こす。

 

『いてっ!なんだ、ランスロット。言いたいことがあるなら、公明正大にはっきり言え、はっきりとな。騎士ともあろう者が女のように陰湿な真似をするんじゃない』

 

『いや、エレアガンスさまはようするに……』と、セドリックは主人であるラウールと顔を見合わせて笑った。『こう申してはなんですが、自分の見てくれのことにしか御興味のないような方なのですよ。領主としての実務を果たすよりも、そこらあたりのことは家臣任せにして、御自身は今後とも綺麗なものや美しいものに囲まれる生活にしか興味を持たれることはないように思われます』

 

『そんなんじゃ領主として全然ダメじゃないか!』と、ギネビアが激昂したように口を尖らせる。『それじゃ、そのウリエール卿みたいな悪い大臣が今後もはびこって、領主としては傀儡同然ということになってしまうぞ』

 

『そうなのですじゃ』と、ラウールが言った。彼は内心、もし息子のサイラスが生きていたとしたら、ギネビアのような娘と結婚して欲しかったと思っていた。無論、公爵の娘と他州の名門騎士とでは身分として釣り合いが取れないことはわかっていたが。『メレアガンス伯爵もそのことはよくわかっておいでなのです。ですから、自分が今後急死した場合の可能性も含め……エレアガンスさまのことを安心して任せられるような後見人をと、伯爵も常に考えておられることでしょう。ハムレット王子、わしはな、実はそのことをメドゥックさまに申し上げてみようと思っておるのです。メレアガンス州の未来はこのままではどのみちあまりに暗いものですからな……わしのように老い先短ければまだしも、メレアガンス伯爵は将来のことを憂えつつ、そんな不吉なことは考えたくないがゆえに、気晴らしを求めて少しでも心から憂いを追い出そうとしておられるのでしょう。とにかく、このままエレアガンスさまが領主の地位に就いた場合、ここメレアガンス州の負債が大きく膨らんでいくことは必定。財政の立て直しについては、財務大臣のカンブレー卿に任せるのが一番とはいえ、卿はなるべく早く今の地位から退きたいと考えておられる方なのですよ。法務大臣のセシル=ヴォーモン卿は、公正と法律にしか興味のないお方。それゆえに清廉潔白な方でもあられるが、これほどの立派な方でも俗世の浮き沈みといったこととは無縁ではいられませぬ。と言いますのも、ヴォーモン卿はもともとは僧門におられた方であって、大神官の家系に属しておりながら、自分はウルスラ修道院に在籍し、とにかく法律関係の書物含めたあらゆる分野の本を幼き頃より読み耽っていたという神童と呼ばれた方。ですが、なんらかの政敵に邪魔者と見なされれば、まったく身に覚えのない濡れ衣によって、今の法務大臣の座からは下ろされることとなりましょう』

 

『では、我々はどうすればよいのでしょうか?』

 

 ハムレットがおずおずとそう聞くと、ラウールは頷いた。すると、何故かその合図を待っていたとでもいうように、セドリックが主人の代わりに口を開く。

 

『以前、我が聖ウルスラ騎士団の騎士団長フランソワ・ボードゥリアンが、聖ウルスラ神殿の巫女姫と通じている……というお話をしましたね?このことを公にするのでございます』

 

 セドリックのこの言葉には、円卓に座していた全員がハッと息を飲んだ。この場に似つかわしくないとして、ずっと黙っていたレンスブルックですらが、思わず口を挟まずにおれなかったほどだ。

 

『そ、そんなことしたら大変だぎゃ……!!大変なスキャンダルだぎゃ。ラウールさんの息子を亡き者にしたも同然のフランソワなんとかがどうなろうと、それは身から出た錆ぎゃ。が、聖ウルスラ神殿の巫女姫さまが逮捕されるところなぞ、この町の人々はきっと見たくなんかないぎゃ。民衆の心理っていうのはそういうものぎゃ』

 

『これも仕方がないのですよ、レンスブルック殿』と、ラウールもまた沈痛な面持ちで苦しげに溜息を着いている。『ですが、民衆を守るはずの警吏どもも腐っている、神殿も腐っている、大神官もまた私腹を肥やし、己の権勢のことしか頭にないとあっては……膿みを一掃するためには、そのような荒療治がどうしても必要となりましょうな。このまま、いずれ黄金の果実は腐っていくとわかっていつつ、手をこまねいてばかりもおられますまい。わしは……ハムレット王子とお会いし、その澄んだ瞳とお人柄に接して……この罪深い虚飾の町も裁かれる時が来たのだと、そのように直感致しました。巫女姫マリアローザさまの後ろには父親であるウリエール卿がついておられる。ですが、マリアローザさまが失脚した場合、流石にウリエール卿も少しは何かをお考えになるでしょうな。卿と常日頃から手に手を取り合い懇意にしておられるグザヴィエール大神官も、少しは罪におののき、暫くの間は敬虔に本当の意味で神に祈りを捧げるようになるやもしれませぬ』

 

『して、どのようになさるのですか?』

 

 この中で、まず真っ先にカドールがラウールとセドリックのこの案に賛成した。他の者たちはまだ、そのことがメレアガンス伯爵家及びこの町の人々に良いことなのかどうかと、考えあぐねていたのだが。

 

『俺たちに出来ることなら、協力は惜しみませんが』と、カドールはいつもの策謀家そのものの顔で言う。『巫女姫その人が神話にある如く騎士団長殿と通じておられた……それはむしろ、民衆の同情を買う結果になりはしますまいか?俺も噂に聞く限りのことしかわかりませんが、巫女さま方に対して、この町の人々はいたく同情的とか。ゆえに、男と通じていたことがわかっても、ちょっかい出した男のほうが悪いのであって、神聖な巫女さまに対しての処罰感情は低いと言いますか、そのような傾向が強いと聞いておりますが……』

 

『唯一、巫女姫においてはそうではないのですよ』と、セドリックが説明した。確かにこれは、長くこの城砦に住んでいる者にしかわからぬ感覚だったに違いない。『巫女姫は、聖女ウルスラの生まれ変わりにして、その星の元に生まれた星母神の巫女、ようするに神の代理人です。ゆえに、男との欲情に溺れるようなただの女とは訳が違うのですよ。サイラスさまを亡くしてから、私は己の悲しみと憎しみを紛らわすために、随分色々とフランソワ・ボードゥリアンの身辺について調べまわりました。そこで……一応誤解なきように先に申しておきますと、私と彼女の間に恋愛感情めいたものは一切存在しません。ただ、聖ウルスラ神殿の巫女さま方に私は偶然を装って近づき、色々なことを聞き出したのです。こちらについては以前より私自身聞いて知っていたことですが、マリアローザさまは大変我が儘な方で、彼女に仕えている巫女たちは毎日非常に難儀しているそうです。つまり、マリアローザさまの不貞がわかり、聖ウルスラ神殿の権威が失墜することを巫女たちも心から悲しむでしょうが、マリアローザさまの失脚自体についてはさほど同情しないだろうということです』

 

『ですが』と、ヴィンゲン寺院を遠く離れているとはいえ、心は僧籍にあるつもりのタイスとしては、何かが複雑だった。『その後のことはいかがなさるのですか?そのマリアローザさまという巫女姫は、聖女ウルスラさまの生まれ変わりなのでしょう?そんなふうに連綿と続いてきた巫女姫の存在が突然途絶えることになったとしたら……』

 

『おそらく心配ありません』ラウールが峻厳な顔つきで言った。それがどれほど大それた、民衆の心に深い影を及ぼすことであるか、彼にしても重々承知しているのだ。『私があの時……と申しますのは、先代の巫女姫であるアディルマさまが御崩御され、次の巫女姫をメレアガンス州中から集めて来た時――大神官によって巫女姫の座に就いたのはマリアローザさまであったにしても、その時、不正があったとしたらいかがです?ウリエール卿は自分の娘を巫女姫の座に就けたいがゆえに、神官たちを買収していたとしたら?』

 

『証拠がおありになるのですか?』

 

 ランスロットがそう聞いた。もしそれが本当なら、神のことも民衆のことも、さらには仕えるべき主であるメレアガンス伯爵のこともたばかった重罪に問われて当然だったに違いない。

 

『ええ……わしひとりだけの目撃証言では根拠薄弱と見なされてしまいましょうが、何分、あの時メレアガンス州中から女の赤ん坊を集めて来た騎士は何十人となくおりましたものでな。中には戦争で惜しくも戦士した騎士らもおりますが、わしと同じく引退した身とはいえ、それでも今も心は騎士でありまする。メレアガンス州の正義をただすために、マリアローザさまが不正によって巫女姫に選出されたということを証言してくれる仲間は間違いなくおります。わしと彼らは命を賭して戦場で戦った者同士としての絆があるのみならず、騎士として不正は正さねばならぬという重い責務を負ってもおるのです。となれば、実は本当に巫女姫として選ばれるべきだったのは誰だったのか、ということなりましょう。実は、巫女姫となられる方には……体のどこかにそれとわかるしるしが現れると言い伝えられておりますのじゃ。わしの騎士仲間の友に、オーギュストという男がおります。彼は、ここから西に二十キロほどいったところにある綿花の町メレギアで、赤ん坊の女の子を綿花の事業主から受け取っておりました。オーギュストは乳母とともにその赤ん坊を連れ、ここメルガレス城砦へ戻ったわけですが、乳母がお乳をやろうとする時に、この女の子の肩あたりに竜の形をした痣のようなものを見たそうです。ですが、選ばれましたのはマリアローザさまだったわけで……彼は最初の頃は「もしや、俺が連れてきた赤子が次の巫女姫さまやも知れぬ」と他の騎士たちに語っておりましたが、その後はすっかりその件については口を噤みました。何分、政治というものはそのように動くものだということは、騎士として正義に対する熱意のみがあってもどうにもならないと、我々も重々承知しておりますのでな』

 

『その方は、今も……?』

 

 タイスの問いに、ラウールもセドリックも力強く頷いて見せる。

 

『この通りの先に住んでおって、今も時々我が家へ遊びに来ることがあるのですよ。オーギュストだけではありません。その時彼の話を聞いていた者で、今も生きている騎士は何人もおります。何より、それをいつどのようにして刻印したのかまではわかりませぬが……巫女姫のマリアローザさまの左胸のあたりには、竜の形をした刺青があるそうですよ。巫女姫の絹の衣装の間から、その痣とも刺青ともつかぬものを、マリアローザさまは見せびらかすように普段から見せておいでだとのことですが、むしろそれは……彼女が真の巫女姫でなければこそ、そのようにひけらかしているのではないかとすら思われるわけです』

 

『……………………』

 

 一同は暫しの間、深い沈黙の海に沈んだ。そして、ハムレットがこの時考えていたのは、次のようなことだった。そのマリアローザという現在の巫女姫に、実は根本的な罪はないのではないかと思ったのだ。何故なら、巫女姫として蝶よ花よと大切に育てられ、さらにはウリエール卿という権力者の父という存在のことを慮るあまり――今まで、誰も彼女に口答えすることすらない環境だったのだろう。それならば、性格のほうが我が儘にもなろうというものだし、どういったきっかけからフランソワ・ボードゥリアンと通じるようになったのかはわからぬにせよ、ひとりの女性として、男性と少しばかり話す機会があった時にすっかり恋に落ちてしまうというのは、人間として自然な感情ではなかろうか……そう思うと、突然そんな栄耀栄華を欲しいままにしてきた地位から突き落とされ、罪人の烙印を押されるというのは――一体どれほどのことだろうと想像した。

 

 だが、そのように考えたのはどうやら、ハムレットひとりだけだったようである。

 

『我々騎士は、騎士聖典にもあるとおり、正義と法の守護者でなければならない』と、ランスロットが腕を組んだまま、厳粛な顔つきで言った。『だが、そのことで民衆がむしろ混乱したのでは本末転倒であることから……いつでも、とにかくなんでも法と照らし合わせ正義を行なえばいいかといえば、必ずしもそうとは限らない。そう考え、あえて不正を忍ぶこともあるが、この件に関してはまだ本当の巫女姫さまがいらっしゃるのだ。であれば、偽の巫女姫さまには御退位いただくしかないということになるのではないか?ただし、なるべく穏やかな形でな』

 

 ランスロットはそれこそ騎士らしく、これから僭王を倒し、本来王であるべきハムレット王子に王位に就いていただこうという自分たちにとって、これは見逃せぬ不正であると判断したようである。

 

『穏やかにと言うが、どうやるのだ?』と、左隣からカドールがどこか試すような目でランスロットのことを見る。『今からもう二十年も昔のこととはいえ、その時マリアローザさまを巫女姫に任命した神官たちはそのほとんどが生きているのだぞ。市庁舎で書記官など、重要な地位を兼任する神官たちも多いだろう。とにかく、毎日神殿に参内し、巫女さま方に必要な品や祭壇に必要な品を清めるだのなんだの、そんなことを敬虔な気持ちでしておる振りさえしておれば、あの数の少ない神官方の生活は安泰なのだ。そして、神殿に振り分けられる財源が大きければ大きいほど、彼らは私腹を肥やすことが出来ることから、政治的人脈を築くのにそうした金をバラまいてさえいるというのに……』

 

『よくご存知ですね』と、セドリックが感心して言った。

 

『ええ。砂漠の三州へは豊かな土地柄の内苑七州から間者がやって来る数も少ないかもしれませぬが、こちらではね、除け者にされてる間に内苑七州やこちらの政治事情がどのようなことになっているかと、常に探る必要があるものですから』

 

『ローゼンクランツの領主様も、きっと良い外務大臣をお持ちなのでしょうな』

 

 ラウールはそのようにカドールに対し、褒め言葉を送った。というのも、ローゼンクランツ州の外務大臣は他でもないカドールの父のラリック・ドゥ・ラヴェイユだったからである。

 

『まずは、この件の根回しとして、オスティリアス大修道院長さまのお力をお借りしましょう』と、ラウールが続けて言う。『文面のほうは次のようなものに致します。他でもないわし自身が、もう先は短いと悲観し、唯一心残りなことがある……と、オド大修道院長に懺悔の告白をしに来たということにするのです。無論、懺悔室にて語られたことは、どのようなものであれ修道僧たちが他言することは決してありません。ですが、オド修道院長自身にしてからが、決して聞き逃すことの出来ない、それは大罪でした。すなわち、わしたち騎士が今から二十年前、本当に巫女姫となるべき方を知っていながら、ウリエール卿の権力に屈するにも等しい形で偽りの巫女姫を現在の地位に就けることを許してしまったという……わしは死ぬ前にどうしてもそのことだけが心残りだと、オドさまに懺悔しに来たと、そのことをどうしてもメレアガンス伯爵の御耳にお入れなくてはならないと思い、オドさまはそのことを行動に移すことにした……というのはいかがでしょうか?』

 

『ですが』と、タイスが遠慮がちに言った。『メレアガンス伯爵という方は、優柔不断な方なのでしょう?そのような真実を聞かされても、むしろそのようなことは知らずにいたかったとして、逆にオド修道院長さまのことをお恨みになったりされないといいのですが……』

 

『心配いりません』と、ラウールは誰にともなく何度も頷いた。『メレアガンスさまはああ見えて、実はとても信心深いお方なのです。また、わしや他の騎士たちが、何故肝心の二十年前のその時に真実を告げなかったかなどと、お責めになることもありますまい。何しろ、御自身にしてからが、ウリエール卿や大神官らの悪事に薄々気づいていながら、断固たる態度で処罰なさらずに今日まで来られたのですから……わしら騎士は何も、不正を見逃したというわけでもなく、市井の混乱について慮ったということも汲んでくださいましょう。ですが、このわしめの判断が必ず絶対とは言い切れませぬ。そこで、ですな。政治における権力・権勢といったところにはまるで無縁のところにおられるオドさまに伯爵さまの御様子を伺っていただくのです。もし、我が君が「そうしたことであれば、必ず不正は正されねばならぬ」とお怒りになったとすれば良し、そうではなくお迷いになっている時には、勇気をお出しいただくよう、オドさまには強い態度を取ってもらいたいのですよ』

 

『メレアガンス伯爵のお悩みは深かろうな』と、ギネビアが溜息を着く。『わたしだって、もし自分の城砦に巫女姫さまという方がいらっしゃって、今までずっと有難いと思いつつ参内していたのに、その方が偽者だったなんて知ったら……失望とともに、そのことを生涯隠し通そうとするやも知れぬ』

 

『いえ、メレアガンスさまは、一度その真実をお知りになって以降は、何もしない、ということはお出来にならないお方と思っております』ラウールは何かをはっきり確信しているような口振りだった。『わしと伯爵さまは長いつきあいですからな……ゆえにわかるのですよ。メドゥックさまは確かに優柔不断で嫌なことは後回しにされる方かもしれませぬ。が、唯一、神ということに関しては別なのですな。御自身の領主としての統治がうまくいくよう、息子の代の治世が祝福されるよう、メレアガンスさまは今まで心底から搾り出すようにして祈ってこられた方なのです。愛する夫人との間に男児がお生まれになった時も、そのことを夫人と心を合わせて日々祈っておればこそ、大変なお金を神殿に奉納金としてお納めになっておられます。そして、神に祈っておればこそ、ウリエール卿の悪事に薄々気づいていながらも、放っておいてもあやつが悪い男ならばいずれ罪の鉄槌が下るであろうと放置しておられるわけですよ。ところが、今後もし何かあって神に祈ろうにも、聖ウルスラ神殿にいる巫女姫は偽者なのですぞ。メレアガンス伯爵の目には、おそらくそれはもう決して見逃すことの出来ない大罪として映りましょうな』

 

『とはいえ、本当の巫女姫さまがどなたか、すでにわかっていらっしゃるのですか?』

 

 ハムレットはまだお会いしていないメレアガンス伯爵に対し、初めて希望と期待を持った。おそらくそのような方であれば、星神・星母信仰を同じくする者として、心から協力しあえるのではないかと思ったのである。

 

『もちろんです、ハムレット王子』と、セドリックは主君に一礼してから続けた。『むしろそうでなければ、このようなことはとても申せませぬ。騎士のオーギュスト殿が乳母とともに連れて来たのは、ディミートリアさまです。といっても、右肩の上に竜の痣があるなどとは、ディミートリアさま御本人はまったく気づいておられなかったとか。私が聞いた巫女の話でも、普段はまったく見えないそうです。ただ、お風呂に入ったり、あるいは彼女が激しく感情を昂ぶらせた時などにはっきりお現れになるということで……そのこと、どうやらマリアローザさまもご存知だとか』

 

『つまり……?』

 

『どうやら、マリアローザさまはディミートリアさまのことをよくいじめてらっしゃるようで、それはもしかしたら、マリアローザさまが今の地位を彼女に危うくされる可能性があると、そうお感じになっておられるからではないかと……』

 

『そんな……』と、ハムレットは驚愕した。『そんなのはあんまりだ。本来の巫女姫の地位にあるべき方が、偽の巫女姫にいじめられるだなどと、決してあってはならないことだ。それに、自分の地位が危ういとなったら、そのマリアローザという巫女姫だって、ディミートリアさまに一体何をするかわかったものではないではないか』

 

『人の心とは、まったく不思議なものでございます』セドリックは目を伏せて続けた。『マリアローザさまもまた、ディミートリアさまが本物の巫女姫であるかもしれないと恐れつつも、もしそうであったとしたら、彼女自身が神の代理者を殺害するという大罪を犯すことになるわけです。ゆえに、思い悩みつつもそこまでのことは出来ない……そうしたことなのではないかと、私が話を聞いた巫女さまは申しておりましたね』

 

『ですが』と、今度はタイスが聞いた。『セドリック、あなたが話を聞いたその巫女さまが近くでおふたりの関係を見てそのように推察しているということは……他にもそのように考える巫女たちがいるということを意味しているのではありませんか?』

 

『私も、彼女にそのようにお聞きしました。すると、そのヴェルタという巫女さまはこうおっしゃっておりましたよ。すべては推察の域を出ないことであり、そのような恐れ多いことを口にしてどうにかなるものでもない……現状、巫女姫はマリアローザさまであり、偽であれなんであれ、彼女は彼女で祭事などにおいてはしっかりお勤めを果たしておられ、その美貌ゆえにある種のカリスマ性もある。そのことは動かしがたい事実だと……それに引き換え、ディミートリアさまというのは地味で控え目な性格の女性らしいのですね。しかも、マリアローザさまにいじめ続けられたせいかどうか、いつも周囲を気にしてビクビクしているような方でもあると』

 

『それで、大丈夫なのですか?』と、タイスが心配になって聞いた。『確かに、そのディミートリアさまが本物の巫女姫であったとして、マリアローザさまほどのカリスマ性がないとなれば……真偽のほどは別として、民衆たちに不審に思われたりしないものでしょうか?』

 

『それはなんとも言えませんな』ラウールが動くほうの右手で、髭のあたりに手をやって答える。『ただ、巫女姫さまというのはある程度やはり人の手によって作られるところがあるのではありますまいか?巫女教育というものにしてからがそうです。巫女さま方は神殿にてそれぞれのお勤めを果たすために、先輩に当たる巫女さまたちから教えを受けるわけですし……たとえとしてはどうかと思いますが、最初から人前で弁舌を振るうのを得意とする者はいません。やはり、前もって練習しに練習し、舌を鍛えてから暗記したものを人前で語るといった場合――無論、失敗することもありましょう。そのあたり、神殿におきましても、やはり同じように巫女姫さまが祭事の手順を忘れたような時には補佐する巫女が脇に控えていて、万事滞りなく行なうものと聞いておりますからな』

 

『とはいえ、やはり悩ましいものだな』

 

 ディオルグが独り言でも呟くように言った。リア王朝においては、神々の数と神殿の数が多すぎるがゆえに――それぞれの宗派の神官がしのぎを削っており、それで政治と宗教のバランスが保たれているようなところがあるからだ。

 

『いや、つい口出ししてしまったが、俺の言葉は聞かなかったものとして無視してくれ。そのディミートリアさまにしても、巫女姫として即位されることが本当にお幸せに繋がることなのかどうか……無論、それが神意であるならば、選択の余地などないことではある。それとも、マリアローザさまが廃位ということになれば、いじめられなくなる分だけ、神殿において過ごしやすくなるということなのだろうか。そしてそうなった時、ディミートリアさまは、自分が神に祈ってきたことが聞き届けられたとして、星母神に感謝のお祈りをお捧げになるということなのかどうか……』

 

 ――こうして、お昼時となったため、一同はその場で食事すると、それぞれの任務のため外出することにしたわけである。ギネビアとランスロットはフランツ・ボドリネール副騎士団長の邸宅へと向かい、ハムレットとタイスとカドールは、昨夜書いたというラウールのオスティリアス修道院長宛ての親書を携え、聖ウルスラ修道院へと出かけていった。キリオンはウルフィンを連れ、城砦内を物見遊山しに出かけていったし、レンスブルックとホレイショとキャシアスは、三人で商店街のあたりを冷やかしに行き……途中、喉が渇いたこともあり、食堂へふらりと立ち寄ったところ、突然因縁をつけられ、レンスブルックは大怪我をしたというわけなのである。

 

「なるほど」と、キャシアスとホレイショが交互にする話を聞いて、ギベルネスは頷いた。最初の頃であればいざ知らず、ふたりとも今では彼に<神の人>として意見を求めているわけではなかった。長く一緒にいて寝食を共にするうち、『こんな奴、ただの人間であって<神の人>なんかじゃねえや』と思うようになったということではまったくない。彼らにとって、そんなことは最早どうでもいいことだった。とにかく、ギベルネスには旅の間中共にいてもらわねば困る。そしてそれは仲間全員の総意にも近いことだったのである。「では、私の乏しい想像力から察するには……聖ウルスラ神殿のマリアローザさまという現在の巫女姫の廃位とともに、何かが変わっていくということなのかもしれませんね。もしメレアガンス伯爵が、神殿の巫女姫を廃位にし、本来その地位にあるべき方をこそ、神意によってその役職に就いていただくとしたら……王都にて今王の地位にある方も退位すべきであり、真の王であるハムレットさまこそ王になるべきと、そのようにお考えになってくださると良いのですが」

 

「そう上手くいくといいけどな」と、ホレイショは不信仰とも思わず、自分の疑問を口にした。「だって、ラウールさまのお話じゃ、来月にある聖ウルスラ祭まではあくまで水面下で行動したほうがいいってことだったろう?もちろん、俺だってそのことには賛成さ。そうすべきとも思う。だけど、聖ウルスラ祭みたいな、一年で一番大きな祝祭があったあとで――聖ウルスラ神殿の巫女姫さまは間違ってその地位にお就きになった方です……なんてさ。そんなこと、民衆の前で発表できるものかな?」

 

「その巫女姫の行動に問題がある場合は別だよ」と、キャシアスが顔を赤らめて言った。彼はホレイショとは別の意味で、興奮するとすぐ頬が紅潮してくるのだった。「僕はこう思うな。マリアローザさまが巫女姫としてそのお勤めのみに熱心だったとしたら、偽かどうかなんてこと、関係ないって思うんだ。だけど、彼女はやっぱり偽者らしく、神殿の巫女姫でありながら男と通じていたり、本物の巫女姫であるディミートリアさまをいじめたりなんかしてさ。そんなの、やっぱり本物の巫女姫じゃないから出来ることなんだ。つまりはそういうことなんじゃないかって思うよ」

 

 ギベルネスは、ポンピーの美味しい白パンやくるみパンを食べながら、ふたりの話を微笑みつつ聞いていた。ホレイショはタイスと同じ年の二十一歳、キャシアスはハムレットと同じ年の十七歳である。ふたりとも、田舎の純朴な農夫といった風情であり、ここまでやって来る間も移動するだけでも苦労が多く、立ち寄った町でも誘惑的な事柄を目にしたことは幾度もあったはずなのに――ホレイショもキャシアスも己のなすべき役割以外、目を逸らすということが一度もなかったのである。

 

(まだ若いのに、大したものだ)と思い、ギベルネスはそのことについて、大いに感心していたと言ってよい。

 

「そもそもだな」と、ホレイショが続ける。「このメルガレス城砦の神官どもというのは、まったく感心しないな。聖職にある者が民の幸福を願わずに、まるで己の金の懐具合のことばかり絶えず心配しているというのでは、何かが間違っているとしか思えない」

 

「まったくだ。ヴィンゲン寺院じゃそんなこと、まったく考えられもしないものな。というより、この城砦都市の神官たちにとって、聖ウルスラ神殿っていうのは金の成る木なんだ。つまり、彼らが拝んでいるのは神なんかじゃない。この町の神官方が仕えているのはお金そのものなんだよ。そして、彼らがそうした拝金主義を捨てない限り……本当の意味での神さまの奇跡や起きたり、助けがやって来ることがなかったとしても、実はそれは全然不思議でもなんでもないことなんじゃないか?」

 

 ギベルネスはこの熱意ある僧侶ふたりの会話を、ただ黙って微笑みつつ聞いていた。なんとなく同意を求められているように感じた時だけ頷いてみせたりはするが、ギベルネスはこの種のことに関しては<神の人>としてなるべく無難な回答をするよう心がけている。

 

 だが、実際のギベルネスが考えているのは次のようなことだった。もし今この城砦都市で黒死病(ペスト)ほど悪質でなかったにせよ、なんらかの伝染病が大流行したとしよう。その場合、聖ウルスラ神殿においても、聖ウルスラ大聖堂においても、その他どのような小さな寺院のどこででも――かつてないほどの大きな祈りが捧げられ、ペストを鎮めるための祈祷が何度となく繰り返されることだろう。この惑星の人々にとって、病いとはすなわち、神の怒りであり罰なのだ。だが、ギベルネスが聞く限りにおいてこの都市の神官方というのは、そこまでのことが起きても自身の財産や贅沢な暮らしといったものを手放すことはないだろう。おそらくはそこに黒死病以上の深い病根が潜んでいるのではあるまいかと思われた。

 

(さて、三女神の話では、私がハムレット王子が僭王に代わってこの国の王として即位するのに協力すれば、宇宙船カエサルへ戻れるということだった気がするが……この惑星の外へ出た途端、私は彼女たち『神』の監視の対象外になるということなのだろうか?そう考えると少々不思議な気がする。また、カエサルでは必ずAI<クレオパトラ>に私の姿を探させているはずだ。だが、その電波を彼女たちが神か神に等しい力によって遮断し、私と通信を取れないようにしているということなら――それもまた、ますます解けない謎という気がしてならない……)

 

 だが、今ここメレアガンス州においても、聖ウルスラ神殿の巫女姫の交替劇というのが彼女たち三女神の御心である、ということなら――それはどの道筋を通ろうとも、そのように定められていることなのだろう。おそらくは、ハムレット王子がどの道筋を通ろうとも最終的にこの国の王になることが彼女たちの神意として定まっているのと同じく……ギベルネスはそう考えるとやはり不思議だった。その延長線上にあることとして、こうした事柄が間違いなく成就したとしたらば、やはり三女神たちは自分との約束も守ってくれ、いつかは宇宙船カエサルへ帰れる日がやって来るに違いないということが。

 

 とはいえ、そのことをギベルネスが「信じる」ということと、とりもなおさず「神の存在を信じる」こととはまったく別の話である。そして、そうした誰にも理解されぬ苦悩ゆえにギベルネスは孤独でもあった。だが、キャシアスやホレイショの持つ純朴な信仰心に触れる時……ギベルネスはむしろ、彼らの間にこそ確かに神は存在するのではないかと、そう信じることが出来るのだった。

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

 


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