実をいうと、前回はvol.2の途中まで読んで色々書いてたんですけど……そのあと、『アンダルシア恋歌』を読んで、かなりのところ印象が変わりました♪
何故かといえば、「少女マンガの見本か!?」というくらい、少女漫画として120%完成度が高かったからです
それで、ですね。わたしこの続き読めてないのですが、ここから先はエドナンとアネットの息子の二ーノが主人公になるということで、ウォルフとローラの息子のアレンも登場……といった展開になるようなのです。vol.1のほうは自分的に、『ヴィレンツ物語』以外はちょっと散漫な印象だったのですが、vol.2は『皇帝円舞曲』、『アンダルシア恋歌』ともに、とても完成度が高い作品が収録されていました。
また、その間に挟まっているウォルフとホルバートが一夜の関係を結ぶという短編は、最初は「必要ないんじゃないかなあ」と思ったりしましたが、ウォルフとローラがほんの短い間ながらも結婚しているというエピソードが『アンダルシア恋歌』で付け加えられていることから……ある部分必要と言えなくもないかな、と譲歩できるような気もしたり
何故かというと、ウォルフもローラもそうした経験がないと思うので……ウォルフはもしかしたらローラのためにそうしたお勉強をしておこうと思ったのかも……とか、まあ、そもそもホルバートはウォルフのピアノ演奏を聴いて、彼の魂の本質を理解していたとか、そうしたことが一番にあったのかもしれませんけど(笑^^;)
こうなると第3巻、どうしよっかなーとちょっと思わなくもなかったり。でも、感想記事とかに、ふたりの息子の代はそんなに面白くないとも書いてあったり……悩みますねえ。増山さんが小説で『カノン』を完成させてくださってたら、一番良かったと思うんですけど。ブツブツ☆(あ、そういえば読んでてなんとなく、さいとうちほ先生の漫画『花音』を思いだしたりしました。「だからどーした」ということではあるものの、『花音』もヴァイオリニストの花音と指揮者の先生がメインのお話だったっけ、なんて)。
それはさておき、ここから萩尾先生のことを少しだけ。いえ、『変奏曲』のウィキのところを見ると、>>竹宮は同作を「ものすごく描きたかった。どうしても自分が描きたかった」と言っていたという。……とあるのですが、これでもし、竹宮先生と増山さんと萩尾先生が元の関係でいらして、何かの拍子に萩尾先生が『ヴィレンツ物語』を漫画化することになっていたとしますよね。そしたらたぶん、竹宮先生のジェラシーは半端ないものだったのは間違いないと思うんですよ(^^;)
もちろん、萩尾先生は竹宮先生と増山さんの間に入りたかったわけでも、暗い嫉妬の情念を燃やしていたわけでもなんでもないけれど、そう考えた場合が一番わかりやすいと思ったのです。萩尾先生が『ヴィレンツ物語』を漫画化されていた場合、竹宮先生はショックを受けたり傷ついたりされたに違いないし、実はそれと同じものを萩尾先生に与えていた……という、そうしたことに気づいておられるのかなあ……なんて
それで、自分的に今回すごく収穫だったのが、『変奏曲』のvol.1とvol.2の巻末にあった、竹宮先生と増山さんと指揮者の大友直人さんの鼎談だったかもしれません。竹宮先生は文庫本の著者近影など、あとはたぶんネットでググればお写真など出てくると思うのですが、増山さんがどんな方か、というのは今までわたしの頭の中に存在しなかったんですよ(こんなに毎日色々考えてるのに!笑)。
なので、『一度きりの大泉の話』や『少年の名はジルベール』に出てくるような、そんなにキツく駄目だしするような方にも見えず、どちらかというとむしろ、穏やかそうで優しそう、伸び伸びした性格ののんびり屋さん……といった印象を受けたことに驚きました
わたし、きっとよっぽど増山さんに対して「絶対性格のキツい人だ……」とでも思い込んでたんでしょうね(笑)。まあ確かに文章で>>「挨拶をしたらダメよ。バカが伝染る」とか、編集者さんに対して「チッ」と舌打ちしてたり、言いたいことをズバズバ☆言ってるところだけ読めば、そう思っても仕方なかろうというものです(あ、もちろん二十歳そこそこくらいの、昔のことですけど^^;)。
それで、この『変奏曲』という物語は、雑誌に発表当時は竹宮先生のお名前だけ作者として出していて、その後20年くらいしてから「原作/増山のりえ」といったように、おふたりの名前がコミックスや文庫本などに並ぶようになった作品とのことでした
わたし、思うんですけど……竹宮先生はご自分のプロダクションを離れてからの、増山さんの身をとても案じておられたのではないかという気がします。風木の文庫本の解説のところにも、>>「はやく一人前の作家になって、私を安心させてよね」みたいに書いてありますし、風木の続編の小説を書いて欲しいと強く勧めたことの内には、そうした部分もあったのではないでしょうか。
やっぱり、竹宮先生自身がスランプで、一番苦しい時に助けてくれた親友――ということもあると思うのですが、音大受験がなかなかうまくいかず、親御さんともこじれていた増山さんを、漫画という道に引っ張り込んでしまった……ということに対する責任感というのでしょうか。原作者として増山さんの名前を出せば、印税を折半できて彼女の助けにもなるだろうという、竹宮先生にとってはそうした理由が大きかったんじゃないかな、と勝手ながら想像したりします。。。
なので、『変奏曲』は色々な版があっても「まあ、いいんじゃないかな~」と思ったりはするものの、vol.3の発売があんなにもはっきり銘打たれていて、それでもし増山さんが『カノン』の完結編を完成させることが出来なかったとしたら――これは何か責めてるっていうわけじゃなくて、当時結構大変だったんじゃないかなって思うんですよ(^^;)
簡単にいえばたぶん、「原稿落っことした……」という、そうしたことでないかと思うので。それで、増山さん自身も作家としての代表作は、風木のその後を描いた『神の子羊』や、以前こちらでも記事にした『永遠の少年』といった作品と思うんです。でも、もし他に別の筆者名などを使って作品を発表してないとしたら――それだけ何かひとつの作品を完成品にまで持っていく、というのは大変なことなんだろうな、と思ったんですよね。。。
この件については、増山さん自身が『永遠の少年』のあとがきあたりにも書いてることだったりします。>>長いこと、少女漫画家「竹宮惠子」のパートナーとして、ストーリー作りに協力してきたためか、物語のキャラクターとプロットを発案するのは、ほとんどアッという間に出来上がるという〃得意わざ〃を持っております。ところが、誕生させたアイデアを演出し、作品として表現する、という部分は、竹宮との共同作業では、いっさい彼女に任せていたものですから、いざすべてを自分でやらなければ、という立場にたってみると、その難しさに呆然としてしまいました。ここで改めて、竹宮惠子という作家の、演出力や表現力の冴えに今さらながら驚かされたわけですが、人の才能に感心したところで、自分の作品をうまく書くことには、なんの役にもたちません。真っ白なワープロの画面を睨みながら、進退極まってしまったことなど、数知れず……。といったように。
と、同時に、大泉時代、増山さんが萩尾先生や竹宮先生に非常に高い水準のものを求めていたように――増山さんはご自身にもたぶん、求めてる水準がとても高いのだと思います。『永遠の少年』はわたし、すごく面白く読みましたが、このくらいの水準のものを、2作、3作、4作、5作……と書き続けていくのは、相当キツいだろうなっていうのは、わたしでも容易に想像がつくくらいですから(^^;)
だから、萩尾先生の作家としての異常性が、ここでも際立っているように思ったりもするわけです。あれだけ内容の密度の濃いものを発表し続けていると、周囲から受ける期待やプレッシャーも相当すごいものだと思うんですよね。また、キャリアの長い漫画家さんの中には、絵柄がすっかり変わってデッサン狂っているのでは??という作家さんもいらっしゃいますし、「原稿料は高止まりしてるはずなのに、新人だった頃よりずっと手抜き風味だな」みたいになってしまう漫画家さんもいらっしゃいます(※これも責めてるわけではなく、ある部分やむをえない……というくらいの意味ですm(_ _)m)。
でも、萩尾先生はキャリアのほんのはじめくらいの頃からトップランナーで、今も漫画界のトップランナーだ……というくらいの立ち位置にいらっしゃって、とにかく天才というか、ようするにちょっとどころでなく、やっぱりかなり異常なんじゃないかと思うわけです(笑)
そして、これは勝手なわたしの想像ですが、今となっては――というより、今よりずっと前からおそらくは、竹宮先生も増山さんも「モーさまってすごいねえ」と離れたところから見て、そのくらいの立ち位置で思ってるくらいのものなんでなかろーかと思ったりもするんですよね(^^;)
でも和解はできない……というのがなんとも寂しいところですが、「50年も経ってしまったらそれが普通だろう」とも思う一方、この件について考えだすとほんと、人のことなのに@グルグル色々なことを考えてしまうんですよねえ。。。
ではでは、次は理由あって竹宮先生の『イズァローン伝説』を注文したので、近日中に届くと思います。竹宮先生の作品が続いていますが、萩尾先生の『マージナル』があんまり好きすぎたので、暫くその余韻に浸っていたい……という、そのせいでもあったり(何より、自分的にメイヤードが好きすぎた・笑)。
それではまた~!!