
>>古来、フグ毒は猛毒として恐れられている。テトロドトキシンと呼ばれるこのフグ毒は、しかし、フグ自身が造り出しているものではない。もともとは、フグが好んで食べるプランクトンに含まれているもので、それがフグの体内にはいると、フグの内臓、特に肝臓や卵巣に蓄積されて、高濃度になるというわけである。
さて、このテトロドトキシンは、神経毒の一つである。言うまでもなく、神経は、生体の情報伝達機構である。例えば、外界からの刺激を脳に伝達するのが感覚神経であり、脳からの指令を、体の隅々にまで伝えているのが運動神経なのであるが、こうした外界からの刺激にしても、脳からの命令にしても、それは、神経のネットワークの中を、電気信号として伝わっていく。神経とは、いわば、体中に張り巡らされた電気ケーブルということができるのである。そして、テトロドトキシンというのは、ひと言で言うと、ほんのわずかの量で、この電気ケーブルのネットワークを遮断してしまう力を持っている、まさしく猛毒なのである。
間違って、フグの肝なんぞを食してしまうと、だから、舌先や口の周りにシビレが走ったり、全身の脱力を感じたりするというわけである。ま、もっとも、症状がその程度で済んでいる分には、まだ笑ってられるのだが、事実、通の間では、このシビレが堪らないんだという話を聞いたことがある。しかしさらに症状が進むと、そんな暢気なことは言ってられなくなる。
息をするということについて、普段我々は、あまり意識をしていないのだが、実のところ、呼吸というものは脳の中にある呼吸中枢というところがコントロールしている。そこから、「呼吸しろ」という命令が、四六時中発せられて、それに応えて、横隔膜や肋間筋といったいわゆる呼吸筋が収縮をして、胸郭を広げそして肺を膨らませる、すなわち、呼吸運動が行われているのである。
この「息をしろ」という命令も、神経というケーブルを伝わっていくのだが、従って、テトロドトキシンがこのケーブルに悪さをすると、脳の方では、命令を出し続けているにもかかわらず、それが呼吸筋には伝わらずに、結果、呼吸が停止してしまうことになるのだ。フグ毒すなわちテトロドトキシンが致命的となるのは、このように、息ができなくなってしまうからなのである。
(「救命センター当直日誌」浜辺祐一先生著/集英社文庫より)
何故テトロドトキシンという毒について、このように引用させていただいたかというと……小説のほう読んだ方はわかると思うものの、そうでない方も「ふう~ん。フグ毒ってつまりそゆことなんだ!!」という雑学として面白いかな~なんて思ったりします
わたし、浜辺祐一先生の本は何冊か持ってると思うのですが、どれも物凄く面白かったです♪そして、このフグ毒のエピソードによれば、救命救急センターというところには、軽いものも含めると年に数人はそうした傍迷惑(?)な患者さんが運ばれてくる……ということだったと思います。
つまり、お店などで捌いたのではなく、フグを釣った釣り仲間同士で処理するなどして食べたところ――毒にやられてパーポーパーポー☆といったケースらしく。。。
ちなみにわたし、一度だけお店に連れていってもらってフグを食べたことあるのですが、その時は「これがフグかあ。もぐもぐ☆でもあんまし美味しいと思わないなあ」くらいな感じだったものの、たぶんそれはわたしの舌が幼いせいで、いわゆる食通と呼ばれる人々にはわかる味なんだろうなあ、なんて思ったものでした(というか、「んな高いんなら、同じ金でうまい肉とか食わせろや」とか心の中で思っていたような・笑)。
それはさておき、恐ろしきフグ毒のお話なのですが、わたし的に、普段フグさんが食べているものが原因だ……ということが、実は結構驚きだったのですそういえば、ヤドクガエルなども、普段食べているものが毒を作り出すのであって、動物園などで飼育されているヤドクガエルさんは食べてる物が違うので神経毒はなくなってしまう、みたいに聞いた記憶があります。
>>毒ガエルたちは、自分の体内で毒を作り出しているわけではない。毒をもつダニやアリを食べて、その毒を体内に蓄えている。鮮やかな体色は、自分を食べようとする愚かな捕食者への警告だ。
一方、ヘビやサソリなどの捕食者も毒を用いるが、捕食者が毒を作用させるには、獲物を傷つけて体内に毒を注入する必要がある。彼らは毒で獲物を殺す必要まではないため、獲物を麻痺させるタイプの毒を使うのが一般的だ。
(「猛毒ガエル、なぜ自分の毒に耐えられる?薬に応用も」日本経済新聞さまより)
それで、わたし惑星シェイクスピアには<フグキノコ>と惑星学者が名づけた神経毒を持つキノコがある……みたいに書いたのですが、ギベルネスは「解毒が遅れると呼吸筋が麻痺するので命に関わる」といったように語っていたと思うのですが、浜辺祐一先生のこの本には、「(テトロドトキシンに対する)特効薬や解毒薬はない」と書いてあるんですよね。
まあ、この小説の設定、相当未来のお話ということに一応なってるので、ギベルネスの出身惑星には解毒薬が存在するのかもしれない……にしても、救急外来にこうした患者さんが運ばれて来た場合、ようするに呼吸の出来なくなることが致命的なのであれば、体内からテトロドトキシンが代謝分解され、無毒化されて排泄されるまでの間、人工呼吸器に呼吸運動を代わってもらえばいい――という治療を施す、ということになるそうです。
ただし、麻痺症状が現れてきた時に、間髪入れず人工呼吸を施すというのは、容易い話ではない……とも本の中には書かれていて、たとえば、ひとりでフグを捌いて鍋をしていたところ、麻痺症状が現れてきたので救急車を呼ぼうとしてもその頃にはもう電話もかけられないとか、数人でフグちり鍋を囲っていたところ、その中の誰か症状の軽い人が救急車を呼べたから助かった……など、本当にある話のようです
わたし、フグ毒に「うっ!やられた。あたった!!」となったそのあと、病院ではどんなふうに治療するのかなんて想像したこともなかったので、読んでいて物凄く「なるほど~!!
」となったりしたエピソードだったんですよね。。。
それではまた~!!
惑星シェイクスピア。-【5】-
(やれやれ。困ったことになったな……)
ギベルネスは惑星シェイクスピアに設置された第五基地内において、モニターを通し外の砂漠の風景を眺めながら――その天を覆う灰色雲を見、溜息を着いた。
『どう思う、ギベルネス?第四基地のほうへ移動することにしたほうがいいかね?』
そう聞いたのは、アヴァン・ドゥ・アルダンだった。もちろん、リーダーであるノーマン・フェルクスも隣にいるが、例によってアルダンのほうが音声マイクに返事をはじめたのだった。
「そうですね。こうなっては仕方ありません。そちらでも、衛星によって私の移動する姿は監視できるでしょう?もし私の行く先に何か不穏な気配でもあったとすれば……前持って知らせていただけないでしょうか。なるべく、この惑星の地元民とは接触したくありませんので……」
『それはそうだ。マップのほうは、通信機経由でそちらにも表示されるだろう?それに前にも我々だけで、第四基地から第五基地へ移動したことがあったじゃないか。その時のこと、もちろん覚えているね?』
「ですが、あの時は昼間でなく、夜でしたし……」
文句を言いたくなるのをどうにか堪え、ギベルネスはこの瞬間も時間が惜しいとばかり、装備の点検を開始した。まるでキャラバンからはぐれた旅の中年男――誰かに姿を見られた場合、そのような印象を与えねばなるまい。ギベルネスは武器については肌着にそのまま括りつけることにして、残りの食糧や生活必需品についてはズダ袋に放りこみ、その口を荒縄でしっかりと締めた。それから腰紐に水の入った皮袋をしっかりと一緒に巻く。
『こう言っちゃなんだが』と、ダンカン・ノリスが笑いを堪えて言った。『なんだかまるで中世人のコスプレといった感じだな。さながら巡礼地を旅する僧侶とでも言うべきか』
ギベルネスは内心でムッとしたが、次の瞬間にはこう思いもした。何分、第四基地までは、直線距離にして軽く百キロはある。単純に計算したにしても、一日にもし25キロほど徒歩で移動出来たにせよ、最低四日はかかるということになるだろう(そして実際にはそれ以上かかることは明白である)。それは宇宙船内で運動不足にならぬよう、週に二度トレーニングルームで走っている程度の男にはつらいことだった。
(そうか。もし万一、地元住民と遭遇し、何か言われたとすれば……巡礼地へ赴く僧侶だとか、そういうことにすればいいんじゃないか?)
よくある歴史的経過といったところだが、第五基地のあるあたりの人々は、星神・星母と呼ばれる、この地上のみならず全宇宙を創造したとされる神を信じ、<東王朝>の人々は豊穣の女神オーディアであるとか、戦乱の神オーヴァルであるとか、気も遠くなりそうなほど数多くの神々を信奉している。そして、これらの神々にはそれぞれ眷属がおり、商売の神ティオルであるとか、旅の守り神へリオスであるとか、皮なめし職人の神ホディスであるとか、さらには盗賊にまで守り神がいて、その名をスフィアと言ったりと……星の数ほども神の名があった。そして、どこのどんな小さな村や町にもなんらかの神々を祀った祭壇なり祠なりが存在しており、巡礼の僧というのは、それらの由緒ある建物で寝泊りすることが許されていたのである。
(観光名所的感覚で言えば、西王朝における一番の巡礼すべき地は、フォルトゥナ山に住むという運命の女神たちのいる大神殿であっただろうが……まあ、フォーリーヴォワール三連山の麓にあるヴィンゲン寺院も、歴史的遺産といった意味では、この惑星の中で重要な場所とは言えただろうな。さて、私はそのフォーリーヴォワール連山にある第四基地まで向かわねばならないが、もし途中で盗賊といった類に運悪く出会ってしまったとすれば、その時に渡せる金のほうがよほど重要ということになるか)
そう思い、ギベルネスはこれも肌着の懐に忍ばせた金や銀や銅貨といったものをあらためて手で探った。いざとなればショックガンもレーザー銃も使えるとはいえ……ギベルネスはこうした武器によって人を殺したことがない。また、こうした辺境惑星においては、不測の事態の場合は現地民を殺しても罪には問われないことが多い。それでも面倒なトラブルに見舞われることなく、第四基地に移動できなかったとすれば――いざという場合の心備えを今からしておかねばなるまい。
(まあ、研修医時代に……救急の患者を診ていて、自分では最善を尽くしたつもりでも患者が死んでしまったことがあるという、私にとってはあれが一番殺人に近い体験だったろうか)
とはいえ、自分の命や財産その他が危ういというので、殺られる前に殺れという条件下で相手の命を奪うというのでは、そもそも話の前提がまったく違う。ギベルネスはフードを目深に被り、リュックを背に担ぐと、「クレオパ、周囲に誰もいないのを確認したら、外部へ通じる隔壁を開いてくれないか?」と、気重な顔で言った。
『承知いたしました。現在、周囲の二キロ圏内に人の姿は検知されません。基地の一部を砂漠の外へ上昇させます』
「よろしく頼むよ」
第一~第十六基地は、そもそもそのすべてが小型の宇宙船である。ちなみにそれぞれの基地は、主に人里離れた山中に偽装する形で隠されているが(宇宙船と山との接着面が、光学ステルス技術により山並みの一部のようにしか外からは見えない)、万一地元民に発見された場合においても、中へ侵入することは不可能である。
そして、ギベルネスは現在、西王朝の王都テセウスのあるフォルトゥナ山の方角から見て、その樹海が途切れて荒野となり、やがて不毛の砂漠となるミーム地帯にいた。ミームとは別名砂地獄と呼ばれる、動物を流砂の底に引きずりこむ生き物が生息する場所であり、ギベルネスもまた、砂漠を移動する際には注意が必要だった。とはいえ、ミームは人間や人間の乗るルパルカを流砂に巻き込み捕食しようとはするが、実際に食われるということまではない。ミームが狙うのはあくまで小動物や砂漠に生息するトカゲやサソリといった自分の胃袋に収まる生き物なのである。
『そのまま、今いる岩石地帯より北西の方角へ3.2キロ移動してください』
通信機より、<クレオパトラ>からそのように案内が入る。遥か上空にある衛星より、今AIの彼女はギベルネスの姿を鮮明に捉えているはずだった。アップにして見ようと思えば、ギベルネスの今着用しているローブの布の繊維まで見ることが出来たであろうが、彼女はこの時、ただギベルネスの現在地と第四基地までの地形を測量し、今の彼のペースで歩いた場合、どの程度で到着完了となるか、その距離と時間を計算すると、通信機にその表示をした。
(移動距離、約118.65キロメートルか。かかる時間のほうは約126時間後……やはりラクダでもいたほうが楽だということになりそうだな)
「クレオパ、ミームを用心して、私はおそらく少し遠回りをする。その際、今夜ビバークするとしたら、どのあたりが適切……というより、そもそもそんな場所があるかどうかということが問題になってくるだろうか?」
『途中、小さなオアシスがあります。そして現在、そこには誰も人がおりません。そちらを目指してみるというのはいかがでしょうか?今のあなたの速度ですと、そのオアシスまで行くのに五時間半はかかるでしょう。到着時、日暮れまでには時間があるでしょうが、そこからさらに夜を徹して移動するのは、徒歩では危険です』
「そうだな。このあたりには夜行性のジャッカルがうろつくことがあるから……とはいえ、よそ者が勝手にオアシスにいるというので、誰かから突然襲われるという可能性だってないではない」
ここまで言ってから、ギベルネスは黙り込んだ。AI相手におしゃべりしているだけでも、今後体力と水分が肉体から失われていくだろうと、そう懸念してのことである。
(やれやれ。なんだってこの私がこんな目に……などと、我が身を呪ったところで仕方がない)
岩山の作る影を移動し、再び炎天下の中へ出ると、焼けつく大地と大気の中、ギベルネスはただ、通信機の示す正しい道の方角に沿って一歩一歩進んでいった。恐ろしい砂漠の中にもオアシスが点在していたり、昔使われていた井戸など、目印がまったくないわけではない。
だが、今こうなってみると、惑星の現地民たちがどうやって砂漠を安全に移動しているのか、ギベルネスはあらためて知りたい気がした。自分は、衛星回路経由で、比較的安全に移動が可能であるにしても――流石の<クレオパトラ>にもミームの出現位置までは計測することが出来ないからだ。
この日、ギベルネスは五時間ほどかけて12.9キロ移動した計算となったが、目的のオアシスへ到着する頃には疲労困憊し、果たして明日もまた同じくらいの距離、移動が可能かどうかは怪しかった。
(そりゃそうだよな。宇宙船内じゃ、運動不足にならないよう、週に二回程度トレーニングルームで走ってたってくらいだものな。本当はこんな事態が起きることも予測して、もっと日頃から体を鍛えておくべきだったんだ)
もしこれが他の有望な資源の見込める惑星への探索だったとしたら――宇宙船へ乗り込む人間も多く、専門ごとにしっかりチームのほうも組まれていたのみならず、さらにはあらゆる不測の事態を想定し、心身とも鍛え抜かれたエリートチームが派遣されていたことだろう。その点、こうしたシェイクスピアのような辺境惑星は、そのようなエリートたちの候補からは無視される貧乏惑星なため、いくら金を積もうと良い人材は揃わないのが一般的である。
とはいえ、ギベルネスは今回のチームの他のメンバー全員のことを学識の面では尊敬し、人格的にも(それぞれお互いに合う合わないは別として)平均して良い人間ばかりであり、そうした意味ではほっとしていた。何より、こんな砂漠にひとりぽっちでいる自分に対して、人並みかそれ以上に心配してくれるメンバーばかりだったという意味において。
『ギベル、大丈夫!?』
夕方、日も暮れかかる頃――手のひらサイズからワンタッチで大きく広がったテントを設置し終えると、ギベルネスはようやく少しばかり安心して、そこに身を横たえた。
「ああ、全然大丈夫だよ」
疲労のあまり、最早口すら聞きたくないくらいだったが、ニディアを安心させるために、ギベルネスは無理に微笑みを浮かべてそう言った。彼女の、切羽詰まったような心配そうな顔を見て……責任を感じているのだろうと思った。
「五日……もし遅くなったら一週間後くらいかな。最低でもそのくらいにはきっと第四基地へ到着すると思うよ。だから君は責任なんて感じないで、気長にのんびりしてたらいい。ほら、今回の降下で、少しばかり珍しい草花を採取することも出来たし……その中で私も、フーディアっていう多肉植物にはちょっと興味がある。それを一口食べると、満腹中枢が刺激されて、大体三日くらいは空腹を覚えないでいられるらしい。もちろん、その間何も食べないと栄養が滞ることに変わりはないから、いくらお腹がすかないとはいえ、フーディアだけ食べてるっていうのは危険にしても、食べるものが何もない時、シェイクスピアの生き物にとって次に獲物を見つけるまでの繋ぎにはなるってことなんだろう。他に、サディっていう、驚くほどビタミンをバランス良く取れる果実も見かけた。確かにこの惑星には、食糧そのもの自体は他の緑が豊かにある星ほどないかもしれない。だけどそのかわり、ナツメヤシにしてもザクロにしてもイチジクにしても――そのひとつひとつにギュッと詰まっている栄養価がすごく高いんだよな。つまり、フーディアと一緒に、そのあたりの一日の栄養価をきちんと計算して食べることさえ出来れば……シェイクスピアの人々が飢えに苦しむことはなくなるかもしれないんだ」
(それに)と、ギベルネスが話を続けようとした時のことだった。ニディアの後ろにいたアルダンが今度は通信機の小型モニターへ映り込む。
『今はそんな話はあとだよ、ギベルネス』
極めて厳しい顔つきをして、アルダンが言った。彼は見目麗しい三十代ほどの容貌をした男だったが、いつもはきちんと剃っている口髭が少しばかり伸びている。それに、彼の後ろにちらと映ったノリスもまた、腕組みをしたまま、何やら機嫌が悪そうだった。
『君のほうでも色々大変なのはわかってる。だから、君が無事こちらへ戻って来るまで黙ってようとも思ったんだが……こっちじゃちょっと大変なことが起きててね。その、さ……』
ここで少し気遣わしげな視線を、アルダンは背後に送った。だが、言わねばなるまいと決意したのかどうか、彼は少しばかり小声になって言った。
『ロルカの奴が、あろうことかニディアのことをレイプしようとしたんだ。僕とノリスはね――オス型でもメス型でもない第三の性である、中性(アンドロギュヌス)タイプの体をオーダーメイドしてるから、彼女のことを見てもムラムラしてどうこうなんてこと自体ない。でも奴さん、宇宙船での生活にストレスが溜まってたのかどうか知らないが、ニディアの部屋で彼女のことを襲っちまったのさ。で、彼女のほうでは自衛のために咄嗟にショックガンを使ってしまって……』
「じゃあ、今ロルカは!?」
今夜砂漠で一夜を明かす危険のことも忘れ、ギベルネスは勢いこんでそう聞いた。
『いや、それがさ……一応まだ生きちゃいるんだよ。だから、我々で医療カプセルのほうへ移しちゃみたんだが、クレオパトラのほうでも何が原因で意識が戻ってこないのか診断がつかないんだ。こんな時に限って医者である君はワープ装置の故障で戻って来られない。それともロルカの奴、ニディアが君に気があると思ってて、君が戻ってこないのをいいことにニディアをすっかり自分のものにしちまうつもりでいたのかな』
「ロルカの容態のほうはどうなんだい!?とりあえず、今どんな様子なのか病状のほうを教えてもらえれば……」
ここで、ノリスがアルダンの隣に座って割り込んだ。
『血圧や脈拍といったバイタルほうは安定してるよ。とにかくギベルネス、君が戻って来るまでの間、医療カプセルのほうに入れておけば、突然状態のほうがどうこうなるってことはないと思うんだ。医療装置の診断によれば、全身状態のほうは良くなってきてるらしい。だから、呼吸のほうは酸素を送ってすることが出来てるし、栄養のほうも機械のほうが計算してちゃんと補充してる。でも、医師である君の診断を仰がないことにはどうにも……』
「医療装置が酸素を送ってるってことは……もしかして、ロルカは自発呼吸できてないってことなのかい?」
一度心臓が止まり、その後まだロルカが生きているとわかり、医療カプセルへロルカのことを入れる時間が五分以上かかっていたとすれば……そうなっていてもおかしくはない、ギベルネスは咄嗟にそう思った。
『どう言ったらいいか……医療カプセルに入れておくしかないとはいえ、一応僕らも交替でロルカの看病はするようにしてるんだ』再びアルダンが、気難しそうな顔に眉根を寄せて言う。『ただ……その、少しばかり気味の悪いのがだね、ロルカの奴、何度目を閉じさせてやっても、次に交替で誰かが向かった時にはまた目をカッと見開いてるんだよ。まるでこっちに何かを訴えかけでもするようにさ』
「ロルカを医療カプセルまで運ぶのに、どのくらいかかったんだい?」
(ロルカはまだ、意識のほうはあるのかもしれない)ギベルネスはこうしてはいられないと思い、胸がざわついた。何故こんな大切な時に、自分はテントの中で殺人蚊や砂漠蜘蛛に恐れおののいていなくてはならないのだろう。
『わたしたちだって必死だったんだ』と、まるで何かの弁明でもするようにノリスが言う。『ニディアが突然非常ベルを鳴らしてさ……驚いて廊下へ出たら、彼女が「早くこっちに来てっ!」って泣き叫んでて……まあ、彼女は着衣のほうも乱れてたし、その時点で何事かあったらしいと一応察してはいたよ。で、要領を得ない彼女の説明を聞いて、床に転がるロルカの姿を見て……そのあと急いで医療カプセルに奴さんのことを放り込んだ。流石に一時間かかったってことはないだろうけど、それでも二、三十分、あるいは四十分くらいかかったかもわからない』
「そうか。なら、回復の見込みはあるな。対光反射のほうだってあるんだろう?手や足をつねったら、少しくらい反応したりは?」
アルダンとノリスは互いに顔を見合わせると、そのままAIクレオパトラにそのことを話した。
『瞳孔のほうは、左右とも径3ミリです。残念ながら首から下の体のほうは反応ありません。また、対光反射はありますが、目を通してコミュケーションを取ったりすることは出来ません』
「じゃあ、血液検査のほうは?」
『現在、どの数値も正常です。医療カプセルに入った時にはいくつもの数値において異常が検出されましたが、すべて正常に戻るよう薬剤によって調整しました』
この会話を聞いていて、ひとり緊張感を高めていたニディアだったが、この時ギベルネスは「その時の血液検査の結果を見せてくれ」とまでは言わなかった。何分、彼の生まれ故郷の医療設備より、本星で造られた宇宙船に付属した医療カプセルのほうがよほど優秀なのである。そして今この瞬間も、少しでも異常があれば検知していることだろう。これはもう五日後や一週間後などと言わず、多少無理をしてでもなるべく早く第四基地へ戻るしかないと、ギベルネスはそのように覚悟した。
(私が戻ったところで、何も出来ないことに変わりはないかもしれない……それにしてもレイプだなんて、とてもそんなことをしそうにない気弱な男に見えていたのだがな、ロルカは)
そこまで思って、ギベルネスは首を振った。自分の故郷の星で起きたことを思えば――人間は容易く理性などというものを放棄することが出来るのだ。その忌まわしい記憶が一瞬脳裏をよぎる。
「とにかく、私に今出来るのはなるべく早く<カエサル>のほうへ戻ることだと思う。だが、今日は流石にもう足のほうが棒のようになってるものだから……明日、引き続き第四基地のほうへ少しでも早く到着できるよう頑張るよ。今日以上に急ごうとしたところで、何分砂漠の道なき道だから、どの程度距離を稼げるかわからないが――とにかく、最善を尽くそうと思う」
『すまない、ギベル』と、アルダンが言った。『今、看病に当たってるのはノーマンでね。君のほうから連絡があって、何を話したかは我々のほうから伝えておく』
『奴さん、もしかしたら自分がリーダーなのに、また我々が勝手なことをして……なんて思うか知れないね。けど、今回は完璧にタイミングが悪かったというやつさ。とにかく、君も大変だっていうのに、余計な心配までかけて本当にすまないね』
ここで、メインブリッジの自動扉が開いたかと思うと、そこからライオンの鬣のようなブロンド男がこちらへ向かい、ダダダっと蟹股で走って来るのが見える。
『何なにっ!?ギベルネス、今もしかして砂漠にいんの!?あーっ、そっち今、もう夜になるところっしょ?ねえねえ、オレが念のためっつって渡した、キヒ剤のこと覚えてる!?』
(キヒ剤……ああ、もしかして忌避剤のことかな)
「ああ、うん。なんか粉っぽいものが入った袋を押しつけられたような……」
『やっだあ。なんでギベルたん、そんな大事なこと忘れちゃうのよーんっ。それ、今日寝るところの寝床……テントで寝るんだったら、テントのまわりに降りかけておきなよ。それ、万能忌避剤だからさ、シェイクスピアの砂漠のおっかない殺人蚊や蜘蛛だけじゃなく、砂漠ギツネやジャッカルなんかも、その匂いを嫌って絶対近寄ってこないから。そいじゃ、ぐっすりんこおねんねしてねん。ギベルちゃ~んっ!!』
「あ、ありがとう。それじゃ、また明日連絡するよ」
『そんじゃ、おやすみ~んっ!!』
アルダンとノリスの間に割り込んだ格好のコリンは、何故か最後、ちゅばっちゅばっとおやすみのキスをして通信を切っていた。空気を読めない人種ではあるが、彼もまた決してただのバカというわけではない。
「キヒ剤か。確かにそりゃ助かるな」
そう思い、ギベルネスはズダ袋の中に入っている、圧縮されたビニール袋に小分けにされた小麦粉か麻薬、あるいは砂糖に似た白い粉を開け、その薬くさい匂いを嗅いだ。何分、今は風もない。砂漠の砂と混ざりあって飛んでいく可能性はあるが、ギベルネスはテント自体とそのまわりのみならず、自分の眠る中のほうにその忌避剤をより多くまいた。
確かに、この惑星で砂漠のオオカミと呼ばれるジャッカルに群れで囲まれるのは恐ろしい。だが、それよりも目が覚めた時に毒のあるサソリが視界に入ってくるとか、あるいは知らない間に殺人蚊に刺されたり、砂漠蜘蛛に寝ている間に寄生されることのほうがよほど恐ろしい。無論、ギベルネスはこちらへやって来る前に数種類のワクチンを打ってきたし、地元住民に殺人蚊と呼ばれる蚊に刺されても、高熱でうなされ生死の境を彷徨うことはないだろう。だが、別名サイレント・スパイダーとも呼ばれる砂漠の蜘蛛に寄生・産卵されると――それはやがて人間の皮膚を食い破り、外へ子蜘蛛が何匹も飛び出てくることになるのだ。
(目の近くに産卵されると失明することだってあるし、足の指に産卵された場合だって、その後そこから黴菌が入って死ぬことだってあるだろう。もちろん、もし私が今夜砂漠蜘蛛に体のどこかへ産卵を受けたところで、宇宙船へ戻る前と戻ったあとの両方で、目に見えない細菌まで死ぬ消毒薬を照射してもらうからな。とりあえずそれで安心できるとはいえ……)
この時ギベルネスは、(もしこのまま宇宙船へ戻れなかったら……)、(あるいは、なんらかの理由によって第四施設にまで辿り着けなかったら……)など、何故か嫌な予感ばかりが胸を掠め、何度となく何かを否定するように首を振った。
(何を考えてるんだ。ロルカの病状だって気になるし、早く医師である私が戻らないことにはどうにもならないんだから……とにかく私はなるべく早く第四基地へ辿り着けるよう、そのことだけを考えていればいいんだ)
ギベルネスは外の様子を窺いつつ、そこになんの危険もないのを確認してから、テントを出た。その砂漠のオアシスは小さいながらとても美しかった。湖――というよりも、大きさとしては池だが、その池の周囲に下生えの草や背の低い潅木、それに丈高いナツメヤシが生えている。
(どこの惑星でも、夜明けと日暮れ時が美しいというのは同じだな……)
無論、彼にしても砂漠とその背後に沈む夕陽、薄紫にたなびく雲の景色を見て、そう呑気に自然美に酔い痴れてなどいられないことはわかっていた。青や紫や紅に滲む空を映す水面は美しく、ようやく涼しくなってきたこともあり、ギベルネスは暫くその場にしゃがみこむと、オアシスに水を飲みにきた動物たちの姿を眺めた。
(ジャッカルや砂ギツネといった彼らの天敵は夜行性だものな。そいつらに見つかる前に、まずは水分補給といったところなのだろうか)
一見、砂漠にはただ砂があるだけで、動植物といったものは一切生きていけない厳しい環境下であるように見える。だが、動物学者のコリン・デイヴィスがよくそうしているように、根気強くただじっと待ち構えていると――砂の中からもぞもぞと姿を現す生物がいる。それは砂ネズミだったりスナヘビだったり、砂トカゲだったりと……彼らの行動を観察していると、一体どこに寝床や巣があるのかと不思議でならないものだった。
これは、第四観察調査団の人々が惑星内調査をしていた頃には、最初は仮説だったものが、ほとんど間違いなくそうであろうと確定的に語られるようになっていることなのだが――砂漠の底には豊かな水源があり、その水はまるで意思でも持っているかのように移動してゆくのだという。つまり、言うなればそれは移動する湖のようなものであり、砂漠のあるところへ気まぐれに顔を見せてはオアシスを形成し、再びまた別のところへ移動していくのである。
このことは、惑星シェイクスピアにおける数少ない重要な研究テーマと考えられているため、惑星調査団には毎回常に一人以上の地質学者が加わることになっているほどだったが、ニディア・フォル二カがそのことにさして熱心でなくても、誰も文句を言わなかったことにも理由がある。つまり、ここ惑星シェイクスピアを観察しはじめてすでに六百六十年にもなろうかと言うのに、そのことは以前として謎のままであり、本格的に調査しようとするならば、もっと大がかりな資材と人材がともに必要となることでもあった。また、本星からそのような要請があったとすれば、他の研究はすべて後回しにし、メンバー全員によって総力を上げなくてはならなかっただろう。だが、特にそうしたこともない以上、そのことは謎のまま残されるということになったのだ(もっとも本星のほうではすでに、似た現象を持つ惑星をくまなく調査し、その理由についてもわかっていたわけであるが)。
(彼ら動物には、何故だか水の気配を察知する本能があるらしい。だが、ただ人間だけがひたすらに水を求めて井戸を掘るのに労したり、こうしたオアシスを求めて互いに血を流しあったりするというわけだ……)
砂うさぎは水を飲み、身繕いを済ませると素早く姿を消し、砂リスたちは潅木の小さな実を求めて木のぼりしている。その後、野生のルパルカが四頭ほど現れて水を飲み、草を食んでいったが――夕闇が近づき、濃紺の色合いが強くなると、オアシスに生き物の気配は一時的に途絶えた。そしてこの段になってようやくギベルネスは水を汲んで飲み、顔を洗った。
四方数キロ圏内に人の姿、あるいはなんらかの脅威が現れたとすれば、衛星によって常に見張っている<クレオパトラ>が教えてくれるはずである。これでとりあえず一旦は安心して、ギベルネスはテントの中で眠りに落ちていった。よほど疲れていたのだろう、不安や恐怖に怯えて寝つけないということもなく、ギベルネスはその日、一度眠りに落ちると、その翌日灼熱の太陽の暑さによってようやく目が覚めるということになった。
>>続く。