ええっと、前回と今回は同じ一繋がりの章だったのですが、微妙なところで入りきらなかったもので、今回はいつもより本文短めです(^^;)。
それで、こういう時しか文章を前文に多く使えないと思ったので……以前から引き延ばしになってた懸念事項(?)について、今回は「洗濯」、石鹸や洗剤、アイロンのことについて少し書いてみようかな~なんて
と言っても、わたしも歴史的に正確なところを把握しているわけではまるでなく(汗)、まあ自分で書く分においては「適当にごまかしてそれとなくそれっぽく書ければいっか」くらいの認識しかそもそもなかったり(殴☆)。とはいえ、その「それっぽく」のためだけでも、ちょっとくらい何か調べにゃあ……ということにはなるわけです(^^;)。
旧約聖書に、
>>たとい、あなたがソーダで身を洗い、
たくさんの灰汁を使っても、
あなたの咎は、わたしの前では汚れている。
――神である主の御告げ――
(エレミヤ書、第2章22節)
>>「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。
「たとい、あなた方の罪が緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとい、紅のように赤くても、
羊の毛のようになる」
(イザヤ書、第1章18節)
※ソーダ=鉱物性のアルカリ。
灰汁=植物性のアルカリ。これらは洗濯の時に使われた。
みたいに書いてある箇所があって、ここを読んだ時から「昔の人は灰汁を使って洗濯をして衣類を白くしていたらしい」とはなんとなーく思ってました。
ところがその後、相当時が経過してのち――「女王陛下のお気に入り」という映画を見た時、18世紀初頭のイングランドを舞台にした映画の中で、没落貴族となった女性が宮殿の床を掃除するのに、バケツに手を突っ込み、床磨きで磨こうとしていると……手に激痛を覚えるという場面がありました。そこで、女中仲間の女性にこう言われるわけです。「灰汁は手袋しないと、猛烈に痛むよ」みたいに。
いえ、「灰汁ってそんなに危険なの?それとも単に意地悪されただけ?」と思い、その後ちょっとググってみました。確かに、灰汁は強アルカリであり、希釈して使用するにしても基本的に手袋は必須……みたいにありました(まあ、油汚れなどは酸性なので、それでよく落ちるということですよね)……その時ネットで調べていて、「灰汁を使った洗剤で汚れた白い衣類を洗った使用前→使用後……」みたいな画像を見、旧約聖書に書いてあった「あなた方の罪も灰汁で洗ったように白くなろう」ということの意味が、よくわかったというわけです(気づくのおっそ!!^^;)。
さて、でも人類はずっと灰汁(基本的に、暖炉などで出た灰に水を混ぜたもの。でも作り方には色々ある模様)だけで洗濯してきたとは当然思われず……その後読んでた「ローマ人はどうやって暮らしてたか」系の本の中に、洗濯について次のように書いてある文章を見つけました
>>衣類などをシーツにくるんだ大きな包みを抱えた奴隷が、私たちのすぐ脇を通りすぎていく。トガやテーブルクロスなどを洗いに行くのだ。古代ローマ時代、衣類やリネン類をどのようにして洗っていたのだろうか。当時は、フッロニカと呼ばれる、洗濯店と染物店とを合わせたような役割を持つ店に持っていくのが普通だった。洗濯物はそこで一連の処理を受けるわけだが、その方法を聞くだけで鼻がよじれそうになる。というのも、トゥニカ、トガ、シーツといった汚れ物は、炭酸ソーダのようなアルカリ性の物質や白土、さらには人間の尿を混ぜた水で満たされた水槽に入れられるのだ。
洗濯店の周囲をはじめ、街のあちらこちらに、側面に穴を開けた大きなアンフォラ(壺)が置かれていて、いつでも用が足せるようになっている。たまった尿は数人の奴隷が定期的に集めてまわり、洗濯店に運ぶのだ。ずいぶん不快な仕事だと思われるだろうが、尿の入った水槽の中で、吐き気をもよおす悪臭にまみれながら何時間も洗濯物を押し洗いし、現代の洗濯機の役目を果たす奴隷は、もっとたまったものではない。洗いおえると、すすぎ、洗濯棒でたたき、フェルトのように固くするために仕上げ用の加工剤(粘土粉など)を加える。その後、しぼって水気を切ると、現代人がマンションのベランダに洗濯物を干すような感覚で中庭に干し(古代ローマ時代には道路に洗濯物を干すこともあった)、最後に独自のプレス機でアイロンをかけるのだ。
興味深いことに、この時代から早くも一種の漂白剤が存在していた。洗濯がすんだ白い織物は、木をたわませて作った高さ一メートル弱のドーム形の籠の上にひろげられる。その下に火鉢を入れ、硫黄を熱するのだ。硫黄で燻蒸すると、ローマの人びとの言葉を借りるならば、「これ以上は白くならないほどの白さ」を手に入れることができる。このような工程を経て、奴隷はようやく、アイロンのかかったきれいな衣類を主人の家に持ち帰ることができるのだ。
(「古代ローマ人の24時間~よみがえる帝都ローマの民衆生活~」アルベルト・アンジェラさん著、関口英子先生訳/河出文庫より)
>>ローマ人は、衣服を尿で洗濯すれば白はいっそう白くなり、色は鮮やかになると思っているし、しつこい汚れも、この魔法のような物質を使えば落ちると信じている。そして、このローマ人の考えは間違っていない。まさに、この驚きの洗剤である人間の尿があればこそ、どの家の主婦も、夫の輝くような白いトガや、魅惑的な色に染めた自分用の薄手のナイトウェアを用意できる。これは、尿に特殊成分としてアンモニアが含まれているからで、アンモニアは二千年たった現在でも洗濯用粉末洗剤の主成分になっている。化学が未発達の時代にアンモニアを手に入れる最善の方法は、費用がかからず、こちらで何もせずともアンモニアを出してくれる人間の膀胱を活用することだ。
(「古代ローマの日常生活~24の仕事と生活でたどる1日~」フィリップ・マティザックさん著、岡本千晶さん訳/原書房より)
へえ~。人間のおしっこ……そりゃ知らなんだ……でも、うちで使ってる洗濯用粉末洗剤のラベルを見ても、尿素やアンモニアに当たる成分は見当たらなかったのですが、軽くググってみたところ、「アルキルアンモニウム塩」(界面活性剤)とある洗剤が見つかったので、たぶんこうした成分のことかなあと思ったり(まあ、なんにしても「Oh,にょ~!!」と叫ぶほどのことではないかも・笑)。
んで、わたしが前に洗濯に関して適当にごまかしつつ書こうと思った時――やっぱり最初に頭にあったのは、「赤毛のアン」の時代のことでしたその頃どうやって洗濯をしてたかについては、アン好きが高じて読んだ本の2~3冊に書いてあった記憶があったので、再びそのあたりを読んでみることにしたわけです
それによると……。
>>せっけん作り。
春には毎年1度、家庭でせっけん作りがおこなわれた。このせっけんは獣脂と灰汁を材料として作られたアルカリ性せっけんで、材料のどちらもが家庭で1年のあいだ、捨てずにためておいた台所の廃棄物を利用したものである。獣脂は料理のたびに出るよぶんな脂のことで、捨てずに、鉄鍋にとっておいた。
灰汁は冬のあいだ燃料として燃やした、木の灰を樽や桶にためておき、これで作られた。当時、燃料には冬のあいだハードウッド(硬木)のトネリコ、カバ、サクラ、カエデなどが使われ、夏にはソフトウッド(軟木)のスギ、トウヒ、マツなどが使われていたが、せっけん作りに必要なアルカリ(木灰)は、ハードウッドからでないと充分とれないため、冬のあいだにたまった木灰を利用して、春におこなわれるのだった。もっとも当時ですでに工場生産のアルカリも手に入るようになっていた。
灰汁は、樽につめた木灰に水を注いでろ過液をとり、それがちょうどよい濃度になるまで煮つめて使う。ちょうどよい濃度とは、卵や小さなジャガイモが浮かぶくらいをいう。その灰汁と獣脂を鉄の大鍋に入れ、戸外で準備した火にかける。さらに加減を見ながら、灰汁や獣脂を加えて濃縮されるまでぐつぐつ煮る。せっけん液がすきとおったゼリー状になったら、火からおろしてつぼにあけ、これはソフトソープと呼ばれて使用された。
ハードソープを作るには、ソフトソープ液を煮たてて塩を入れ、さらに煮つめて一晩置く。そしてつぎの日に、テレピン油か樹脂を加えてもう一度煮たて、それを木箱のようなせっけん型に流し入れて固め、切り分けてから屋根裏などで乾かして、保存された。こうしてできたせっけんは、おもに洗濯、そうじ、皿洗いに使われた。
(「『赤毛のアン』の生活事典」テリー神川さん著/講談社より)
>>シャボン草(サボン草)Bouncing Bet
ソープワート Soapwortともよばれ、ソープはせっけんのこと。アジア原産のナデシコ科の多年草。葉や茎から出る泡汁にはサポニンがふくまれ、開拓者たちはこれをせっけんがわりに、絹や毛を洗うときに使ったといわれる。
プリンスエドワード島では八重咲きのBouncing Betをよく見かけるが、これらは花壇から広がり野生化したものが多い。高さ90センチくらいにのび、ピンクまたは白の花をかたまってつける。開花時期は7~8月。
(「『赤毛のアン』の生活事典」テリー神川さん著/講談社より)
ということであり、わたしも実は最初に書こうと思ってたのは、サボン草のことでした。惑星シェイクスピアには石鹸や洗剤の材料になる花や草がある……みたいな設定にすればいいやとか、軽く考えていたわけですが、少し調べてみただけでも「あんさん、人間の衣類の頑固な汚れをなめちゃあいけねえぜ」ということがわかり。。。
そして、最後にとどめ(?)の一冊!!!
その後、「シェイクスピアの時代のイギリス生活百科」という、超素敵な本を見つけまして、買ったあと、あんまり自分の知りたいことばかり列記されてるので、危うく白いページに鼻血流しそうになるほど興奮して、現在まだ読んでる途中であります。。。
>>エリザベス朝イングランドでは、男は洗濯をしない。洗濯はもっぱら女性の仕事であり、しかも重労働だった。手と脚を酷使するうえ、皮膚にもきつかった。洗濯をするのはたいてい台所で、少なくとも湯を沸かすには便利だったからだ。石鹸については、家庭で作る方法を書いた本がいろいろ出ていた。「1ストライク(2ブッシェル)の灰と1クォートの石灰……を用意し、それらを混ぜ合わせる。次いで鍋いっぱいに水を入れ、よく沸騰させる。鍋が煮立ったら、灰汁に4ポンドの獣脂(精製した脂肪)を加え、固まるまで煮立てる」。
あるいは石鹸を買うこともできた。一般的に売られている石鹸は三種類あって、一番安いのが黒い石鹸である。これは炭酸カリウムと鯨油(鯨の脂肪から採取される)から作られる液状の石鹸で、ロンドンで製造されており、1ポンドが半ペニーほどで買えた。もう少しマシなのがブリストルで製造されている灰色の石鹸で、炭酸カリウムと獣脂から作られ(先に作り方を挙げたものと同じでもっと柔らかい)、白い斑点が入った粘り気のある液状である。値段は1ポンドで1ペニーから1ペニーと4分の1くらいだった。この二つはどちらも不快な臭いがするうえに、皮膚を傷めるので、炭酸カリウムとオリーブ油から作られる地中海産の石鹸のほうがはるかに優れていた。輸入品の中でも最高なのがカスティール石鹸、つまりスペイン産の白い固形石鹸で、値段もやや高めだった(1ポンドで3ペンスから3ペンス半)。1559年から60年の間に、金額にして9725ポンドの石鹸がロンドンに輸入され、さらに石鹸製造用として、4665ポンドの炭酸カリウムが輸入されている。洗濯女のところへ上等のシャツを持って行き、丁寧に洗濯してもらうと、1枚で約1ペニーだった。また召使いのひとり分のリネン類の洗濯にかかる費用は、年間で16ペンスほどだった。リネン類は、目が細かく、白いものほど石鹸代が高くなることを覚えておかなければならない。キャンプリックのような生地を黒や灰色の石鹸で洗うと、黒ずんでしまうからだ。
きれいに洗われた衣類は、気候が良い時期なら天日で乾かすことができる。ロンドン郊外の草地では、洗い上げた洗濯物でいっぱいの籠を運び、草や生け垣の上に広げて干す洗濯女たちの姿が見られるだろう。冬場は、台所の炉のまわりで洗濯物を乾かす。私たちが知っているようなアイロンはまだ発明されておらず、リネンを平らに伸ばすには、温めた大きな石を載せる。一部の裕福な家では、ネジ式のプレス機が使われている。
(「シェイクスピアの時代のイギリス生活百科」イアン・モーティマーさん著、市川恵里・樋口幸子さん訳/河出書房新社より)
……とまあ、こういったわけでありまして、軽く一言で「洗濯」とかそれに使う洗剤などと申しましても、自分が知らないことばかりなんだなあ~と思ったような次第であります(わたしが無知なだけかもしれませんけども。しかも、肝心な中世時代についてはよくわかってないという……でも「推して知るべし」といったところかも^^;)。
あと、アイロンについては、その後18世紀が舞台の小説読んでまして、「火熨斗(ひのし)」なるものがあったらしいとわかったと言いますか。同じ小説をお持ちの方ならわかるかもしれないのですが、「女たちは晴着のドレスに火熨斗をあてた」みたいにあります。
この時、「火熨斗」と訳されているのを見ても、前後の文脈から「たぶんこれ、アイロンのことなのでは……」とわかるくらいのもので、これもその後ググってみたところ、日本でアイロンのことはその昔「火熨斗」と読んでいたらしいとわかりました。その後西洋アイロンが伝わり普及した――みたいにあったことから、たぶん訳者さんが「アイロン」と訳すのはわたしたちが連想するような鉄アイロンとも形状が違うことから、おそらく機転を利かせて「火熨斗」と訳したのでないかと思われます(実際、こうした細部に訳者さんの力量とその素晴らしさが現れているような気がします)。
さて、思ったとおり結構文章長くなってしまったことから、「女王陛下のお気に入り」ついて、これ以上感想その他言及できなかったりするんですけど(汗)、わたし的には雰囲気その他、とても大好きな映画でした♪とはいえ、バッドエンドともまた違う、後味の悪いような終わり方をすることから……おススメみたいには言えなかったするんですよね(^^;)。
それではまた~!!
惑星シェイクスピア。-【36】-
「ランスロット、今見たあれをどう説明する?」
自分の目で見たものしか信じぬ現実主義者のカドールは、隣の親友の意見を求めずにはおれなかった。
「さてな。だが、ここにいるみながアレを目撃したのだ。ということは、少なくともただの幻ではなかったということだろう。というより、俺はあのメルランディオスという妖術使いが言っていたことのほうが気になる。いや、所詮はあやかしの言ったことではあるが、本当なのか?特にボウルズ卿の死に様のことだが……ある時、王城に呼び出しを受け、ひどい拷問を受けたのち、帰らぬ人となったとは聞いていたが……」
「俺にも詳しいことまではわからぬ。しかも、どこまでが本当かを確かめることも難しい。ボウルズ卿の処刑ののち、卿の一族は反逆罪によってバリン州から追放されたと聞いているからな。また、王城で見聞きした真実を他の者に洩らしたと知られれば……いつなんどき、自分もまた拷問部屋で非業の死を遂げるともわからぬことから、誰も本当のことを語りたがらぬときてる」
ランスロットとカドールは互いに顔を見合わせると、溜息をひとつ着き、自分たちの仕える主君の元まで戻った。ハムレットはメルランディオスの言ったことに心を蝕まれつつあり、周囲の者には不気味な亡霊に対し、なんの恐れもなく立ち向かっていったように見えたというのに――彼はその存在自体が小さくなったようにうなだれていた。
「ハムレット、気にするな」タイスがそう言って慰める。「あいつは所詮、ここらあたりの田舎を徘徊するしか能のない幽霊のような男なんだろうよ。じゃなかったら、こんなジメジメした土地からなどとっくに抜け出して、どこか別の色々な場所ででも悪さをしているはずさ。ということは、王都テセウスへなど行かれるはずがないのだし、人の噂話なんかをこねくりまわして、オレたちに適当なことをくっちゃべったに過ぎぬ」
タイス自身、己が孤児であったればこそ、ハムレットの苦悩がよくわかっていた。彼は口に出して言ったことこそなかったが、すでに死んでいないと思っていた母が生きているとわかった時――それまでは心の中でだけ聖母のように崇めてきた母親像を、今度は生きた姿として憧れ求めるようになったのだろう、ということを。
「いや、どうやらオレは覚悟を決めねばならんようだ」
ハムレットは落胆したまま溜息を着き、独り言でも呟くように言った。
「それがもし、実の母であれ……いや、実の母であればこそ、断固たる態度で処罰せねばならぬかもしれない。タイス、オレはどうやら夢を見すぎていたようだ。クローディアスという邪悪な王さえ倒せば、嫌々ながら結婚させられたのだろう母も、そのくびきから解放されるのだろうと……だが、おそらくそうではないのだ。何より、ふたりの間にはオレの異父弟と異父妹にあたる存在までいるのだからな。どうやらこのことではオレは、もっとよく考えてみなければならぬらしい」
帰り道においても、ハムレットは気落ちした様子だった。まるで幽霊と直接対峙したことで、メルランディオスに一時的に生気でも吸い取られでもしたかのように。だが、そのあたりの空気の読めぬギネビアひとりだけが元気だった。
「だからさあ、夜中になんか外で騒ぐっていうか、誰かが揉めてるみたいな声が聞こえてきたんだよ。そんで外へ出たら、レンスブルックが仮面をつけた変な連中に連れていかれそうだったから……わたしはそいつらの後を追っていこうとしたんだ」
「俺は、その時まだ半分寝ぼけていたんだが」と、ランスロットが言った。「ギネビアが外へ出ていこうとする姿が見えたから、『ひとりでどこかへ行こうとするな』と言って、こいつの後へついて行くことにしたわけだ」
「俺は、外で何かガチャガチャやるような音が聞こえて目が覚めた」
タイスがそう言うと、「それはたぶん、わたしとランスロットが馬車から角燈を取って、火を点けたりなんだりした時の音じゃないか?」と説明した。「だって、先を急いでるのにランスロットの奴ときたら、『火が点かない』だなんだ、くだらないことでやたら手間取るんだもの」
「悪かったな!でもしょうがないだろう。実際のところ、なかなかうまく火が点かなかったんだから」
「それで、一瞬盗賊かとあやしんだんだが」と、タイス。「剣片手に外へ出てみると、ギネビアとランスロットが霧の中に消えていく後ろ姿だけが見えた。『どこへ行くんだ!』と声をかけたにも関わらず、ふたりとも返事もせずに行ってしまったから……後を追うにしても、まずは誰かひとりくらい言付けてからと思い、カドールのことを起こしたんだ」
「いつもはそんなことはないんだが」と、カドールが言い訳がましく前置きして言う。「よほど疲れてたんだろうな。タイスに起こされるまで俺はぐっすり寝ていた。もちろん、王子を守るのに、騎士としてひとりくらい残っている必要はあると思ったが……ランスロットとギネビアがただならぬ様子で外へ出ていったと聞いて、どうしても気になったんだ。それに、ハムレット王子とギベルネ先生はぐっすり眠っている様子だったし……どういうことなのか、少しばかり様子を見て、すぐ戻るつもりだった。ところが……」
ここで、ランスロットが堪えきれないとばかり、げらげらと笑いだす。
「ギネビアが、霧の中に虫の光を見て、幽霊がいると言って大騒ぎしてな。俺だって不気味ではあったが、今はそれどころでないと思って先を急ごうとしたんだ。何より、レンスブルックのことが心配だったし……ところが、ギネビアが『幽霊だ、ユーレイだっ!!』て叫んでやたら騒ぐから、それ以上先に進めなくなったわけだ」
「でも、そのお陰で俺とカドールが追いつくことが出来たんだから、良かったですよ」
「そうだな」と、カドールも思いだし笑いしている。「とにかく、俺とタイスもランプをひとつ持ってきていたから、俺がランプを手にして一体どういうことなのか確かめにいったわけだ」
「随分勇気がありますね」と、レンスブルックをおんぶしているギベルネスが感心して言った。「私は、あれが蛍か何かでないかといったように想像していたのでそれほどでもありませんでしたが……そうじゃなかったら死者の燐光か何かだろうと思い、暗闇の中、驚き怯えていたかもしれません」
「いや、単に俺は自分の目で見たもの以外は信じない主義なので」カドールは、実際には自分も結構なところ怯え――いや、肝を冷やしてビビッていたとは、白状せず続けた。「昆虫が光っているだけだとわかってからは、むしろおかしくなってきて笑いました。とはいえ、そんなことがあったからこそ余計……あのメルランディオスという男の使う妖術についてはどう説明してよいやらわかりません。ハムレット王子の話によれば、あの男は少なくとも数百年……いや、千年以上は昔に死んでいるのではないかと思われるからです。あの昆虫が黄緑色に光っているのを見て――俺はこう思った。大抵の幽霊現象だなんだということは、やはり説明のつくものなのだと。ですが、あのメルランディオスとやらは……」
カドールは、アヴァロン城の広場で、メルランディオスが確かに落雷にも近いような衝撃波によって、内壁に積まれた石を崩すのを見た。また、それが自分たちの幻覚でないことを確かめるため、彼はその場所のあたりをじっくり観察することまでしていたのだ。
「死んだはずの人間であるにも関わらず、現実にこちら側の人間や物質的なものに強く干渉する力を持っている。ということは、クローディアス王といった時の王の心にも深く干渉し、悪事を行なわせることだって出来るのではありませんか?」
「だが、あいつの口ぶりでは」幽霊のことですっかり怯えていたのを恥かしく思いつつ、ギネビアが顔を赤らめたまま言う。「自分のような悪魔が手を貸しもしないのに、よくここまでのことをやったもんだ……みたいな口ぶりじゃなかったか?クローディアス王が拷問を愛好してるってのは有名な話だ。それに、ボウルズ卿のように立派な騎士を死へ追いやったことも許せない。でも、どこまでが本当のことかなんてわからないんだ。あんなしょうもない亡霊野郎の言うことを鵜呑みにすることは出来ない」
ギネビアがそう言ったことには理由があった。というのも、あのような恐ろしげな、普通の人間であれば腰を抜かしていて不思議のない存在と――ハムレット王子は立派に渡りあったのだ。にも関わらず、今では両親に叱られてしょぼくれている子供のように、彼は落ち込んだ様子だった。そして、その理由が何故かについて行き当たると、ギネビアとしても胸が痛むばかりだったのである。
「確かに、その通りだ」と、ランスロットも同意する。「第一もしあのメルランディオスの奴が、そこまでのことの出来る凄い奴であったとすれば、何故こんなど田舎の湿地帯なぞで、無知な村人相手に生贄なぞ所望せねばならんのだ?とにかくなんにしても、このことをありのままにというより……多少なり加工してホリングウッド夫妻には話さねばならんだろうな」
「やれやれ。荷の重い話だな」カドールは溜息を着いた。結局のところ、自分がうまく説明せねばならないだろうとわかっていたからである。「とはいえ、夫人の食事はどれもこれもみな素晴らしく美味しかったし、今も他に五人も寝泊りさせてもらってるんだから、金を支払う以外においてもそのくらいのことはせねばなるまいな」
「みんな、ありがとうぎゃ……」
そろそろあたりには夜明けが迫りつつあったが、霧のほうは一向やみそうな気配がなかった。そんな中を一行は元来た道を戻りつつあったのだが、ホタルたちは一体どこへ行ったやら、不思議に輝くあの蛍光色の光は帰り道では見当たらなかった。
「あのまんま、誰も助けにきてくれなかったら……オラ、蒸し焼きにされて殺されてたかもしれないぎゃ」
「大丈夫か、レンスブルック?」
ギベルネスの隣を歩いていたハムレットが、心配そうにそう声をかける。
「王子さまにも、余計な手間をかけさせちまって、申し訳なかったぎゃ。オラ、単に夜中に外へ小便しに……ええっとまあ、お花を摘みに行ったぎゃ。そしたら、外の霧ん中の道をマスクつけた変な連中が歩いていくのを見て……ほんとはこっそり戻って、そのことをみんなに知らせようと思ったぎゃ。ところがお花を摘んでる時ってのは無防備なもんで、『あすこに誰かいるだ』だのなんだの、突然そいつらの内の目敏い奴が先に気づいちまったぎゃ。んで、『おまえは一体なんだ』だの、『こいつをメルランなんとかの生贄にするべ』とかいう話運びになって……殴る蹴るの暴力を受けたのち、縛られて連れていかれることになったぎゃ」
「そうだったのか」と、ギネビアが同情的に言った。「なんにしても、気づいて良かったよ。けど、人間ってのはわかんないもんだな。ちょっと村の前を通りかかったってだけだけどさ、みんな素朴で善良そうな人たちに見えたのに……」
「人間なんてわからんもんさ」と、カドールがギネビアの頭をぽんと叩いて言う。「『人間の心は井戸のように深くて底の知れないものだ』とも諺に言うからな」
「それは、ローゼンクランツ領に伝わる言葉か何かですか?」
タイスがそう聞く。
「騎士の中には時々、武勇に秀でるだけでなく、文学を愛好するあまり、自分でもそういう冒険譚や詩を残した人物が何人もいるんだ」と、ランスロットが答える。「なんにしても、ここはメレアガンス州の属州のような場所だから、次にメルガレス城砦へ行ったとしたら……領主のメレアガンス伯爵に、そのあたりの相談をしたほうがいいかもしれんな」
「そうだな。あそこはウルスラ聖教の聖地だからな。ウルスラ寺院の司祭にでも来てもらって、ここの村民たちの信仰を一新させてもらったほうがいいかもしれん」と、カドール。「ここにももし、比較的健全な形での信仰対象なり、土地神を祀った寺院なりがあって、毎年豊穣のための祈りや祭りをしたりといったことがあったら良かった気がするんだが……そんな村人たちの心をねじ曲げて、あのメルランディオスとやらが生贄を求めたり、村長なんかが殺してくれと言ってきた人間を呪殺したりといった歴史がここには染みついてるってことなんだろうからな」
「だけど、そんなふうにメレアガンス州から派遣されてきた税の取立人を次から次へと殺してばかりもいられないだろ?ホリングウッド一家にしたってそうさ。彼らが不審な形で死んだとすれば、また別の税吏がやって来るっていう、ただそれだけの話なんだろうし……それに、そんなことばかり続いたとすれば、調査しに騎士団の誰かがやって来たりと、絶対面倒なことになるはずさ。あと、カドールの言ったウルスラ聖教の司祭がやって来て、村人の信仰がわりかし健全になったとして、あのメルランディオスの奴はそんなこと絶対面白くないだろうし、そしたら一体どうなる?村人が頼んだりしなくても、その司祭さんも呪い殺されちまったりしないんだろうか?」
「おまえにしちゃ珍しく、今日は随分頭が働くな」
ランスロットが隣のギネビアの頭をぽんと叩いて笑った。幽霊が怖いと言って縋りついて来た時には可愛かったのだが、タイスとカドールがやって来るなり、彼女はランスロットのことを突き飛ばし、どうにか平気な振りを装おうとしたのである。
このあと、やはりカドールもその時のことを思いだしたからだろう。ランスロットとふたりで、含み笑いをはじめると――ギネビアは「おまえらがなんのことで笑ってるか、わかってるぞっ!!」と言い、顔を真っ赤にしてして怒りだした。
他のみなもランスロットとカドールの笑いが飛び火したように笑いだしたが、そんなふうにして例の納屋に近い一軒屋に一行が近づきつつあった時のことだった。
「ギャーッ!!ゆユゆ、ユーレイだあああっ!!」
霧の向こう側から突然何者かがそう叫び、それから、「ぎゃっ!なんでこんなところに馬が……」、「ば、馬糞ふんじまっただ!!」と、男の声がブツブツ呟くのが続き、ハムレットたちは互いに顔を見合わせた。そして、ふと気づく。どうやら、納屋の本来の居住人が戻ってきたらしい、ということに……。
>>続く。