(※今回検証対象になっている「小鳥の巣」は、「ポーの一族」の文庫版では第3巻に収録されています。一応念のため^^;)
「少年の名はジルベール」に続き、萩尾望都先生の「ポーの一族」が届きました♪
で、ですね。わたし的に一番の関心事だった、例の<盗作疑惑>に関しての、検証に入りたいと思います。。。
竹宮先生が萩尾先生に盗作疑惑をかけたのは、「ポーの一族」の中の「小鳥の巣」というお話で、自分的に読んだ瞬間、「あ~、なるほどなあ……」と物凄く納得しました。
「一度きりの大泉の話」の中に、こんなくだりがあります。1971年の6月くらいのこと、萩尾先生は確かに、竹宮先生から「風と木の詩」の最初のほうを描いたクロッキーブックを見せてもらっていて……これは、「風と木の詩」の1巻のほうを読めば、この時萩尾先生や他の<大泉サロン>に来ていた先生がお読みになっていたのと、大体のところ同じことがわかります。
それで、基本的に「小鳥の巣」と「風と木の詩」の最初のほうを読み比べて、これを「盗作ではないのか?」と考える人はおそらくいないだろうと思いますし、もしそう思う方がいたとすれば、ネットなどですでに相当騒がれていたのではないかと思うんですよね(^^;)
「少年の名はジルベール」を読むと、>>「そのころ、萩尾さんの名を耳にするたびに、耳そのものがギュッとつかまれるような感覚があった。誌面でそれを目にするたびに、何度もその名が心のなかを行き過ぎるのを止められなくて苦しかった」といったようにありますし、萩尾先生への盗作の指摘に関して言いますと、まず竹宮先生のそうしたかなり重い嫉妬の症状がまだ色濃くある時期だったらしいことと……そのですね、これはあくまでわたし個人の私見ですが、少年愛というか同性愛ということを正面から捉えた「風と木の詩」よりも、わたしからしてみたら「ポーの一族」のほうがよっほどそのあたりに関してエロスを感じるのですよ(^^;)
「ポーの一族」の主人公のエドガーとアランって、そうした同性愛的関係を超えた関係というか、そうしたセクシュアリティの問題すらも超えた絆を持っており――また、現在では他のアニメや小説などの影響もあって、吸血という行為自体がセックス以上の快楽があるとか、そういう設定を多くの方が知ってるわけじゃないですかww
「ポーの一族」の設定でいうと、生気(エナジー)を吸いとる瞬間などもそれに当たるのではないかと思いますし、むしろプラトニックな少年愛であればこそ、「こっちのほうがずっとエロいってばもう~!!」みたいな、一種の性を超越した美学すら感じるところがあると思うんですよね。
それで、萩尾先生は御自身が何故「盗作疑惑をかけられたか」について、のちに「男子寄宿舎の話」を描いたのがいけなかったと気づかれるわけですが、確かに「小鳥の巣」はドイツのギムナジウムが舞台になっています。そして、「風と木の詩」は、舞台がフランスのラコンブラード学院という男子寄宿舎です。それで、これは前にも書いた気がするのですが、「なぜ、転入生がやってくるの?」(「小鳥の巣」は、エドガーとアランがドイツのギムナジウムに転入してくるところからはじまります)、「なぜ、学校が川のそばにあるのか?」(確かに、「小鳥の巣」のギムナジウムは川の中洲にあります)、「なぜ、温室が出てくるのか?」(「小鳥の巣」にも「風と木の詩」にも温室が出てきます)、「温室でバラの栽培をしてるけど?」(「ポーの一族」では、薔薇はそもそも最初の第1話から重要なモチーフです。ですが、確かに「風と木の詩」には、青い薔薇の研究をしているといった学生が出てきた記憶があります)……そして、これはあくまでわたしが思うにということですが、ここまでならおそらく、竹宮先生も我慢できたかもしれません。
ところが、ですね。温室で花を大切に育てているマチアスという大人しめの少年がいて――彼に対してアランがちょっと悪戯(?)というか、軽い口封じのためというか、何かそんな理由でキスするシーンがあるんですよね。「どうもしてない。きみが好きなだけ」と言って……。
わたし、このあとアランがエドガーに「ぼくのことだけ考えてくれなけりゃいやだ!」って言うシーンが、もう好きで好きで仕方ないのですが……それはさておき、わたしが思うに竹宮先生が一番我慢できなかったのが、ここではないかと思うのです。
あ、アランがエドガーに対して「ぼくのことだけ考えてくれなけりゃいやだ!」って言うシーンではなく、マチアスとアランのキスシーンや、そうした少年愛というか、同性愛的雰囲気が「男子寄宿舎の温室」を舞台に流れている、というそのことが……。
それで、ですね。「風と木の詩」でも、主人公のジルベールが他の男子生徒と温室にて、キス以上にエロいことをするシーンというのがあって、確かに年代順ということでいうなら、竹宮先生の描いたその温室での場面というのは、クロッキーブックの中で萩尾先生は「小鳥の巣」を描くかなり前に見ているということにはなるわけです。
こういう書き方は自分でもちょっとどうかとは思いますが、一応ちょっと抜き書きしてみますね。。。
>>「じっとしていな!……へえ。あいかわらずきれいな肌してるぜ。どうしたい。えらく不満そうじゃないか。今日に限ってもったいぶることはなかろうが。え?かわい子ちゃん。約束の三十分をどう有効につかうかは、オレに決定権がある……そういう約束だ。なんだ、その顔!」
(ここで不良くんは、胸元からフランス史のレポートを取り出します)
「フン。わかったよ、これだろう。フランス史のレポート、優まちがいなしってヤツさ」
(フランス史のレポートを握ると、だっとその場から逃げ出そうとするジルベール。でも、不良くんに捕まってしまいます)
「ジルベール!約束の時間はまだだ!へ、へへ……へへへ」
「フッ……カレースープの味のするキスなんて!げす野郎!ぼくの相手をする気なら、見てくれのことばかしじゃなく、食べものの好みくらい調べといたらどうなんだ!」
「なんだとォッ、きさま……」
「おす豚!キスひとつでもおつりがくる」
(ぺっ!と唾を吐くジルベール)
「相手はだれだってかまやしないんだ。こんなレポートくらい……」
(ここで、怒った不良くんのほうでは、温室の鉢からバリバリと草をもぎ、それをジルベールの口の中へ入れます。「…アック」と喉から言葉が出てこないジルベール)
「オレはおまえの白くてしなやかなからだに青あざをつけることくらい、平気の平左なんだぜ!」
(腕をねじられ、「ウア・アアアーッ」と叫ぶジルベール)
(「風と木の詩」第1巻、竹宮惠子先生著よりm(_ _)m)
――大体、こんな感じですよ?(^^;)
また、このカレースープの味のことについては、「一度きりの大泉の話」のほうにも言及があります。
>>竹宮先生のクロッキーブックに描かれた『風と木の詩』
ある日、1971年6月ぐらいのこと。
竹宮先生から、前々から描かれていたという、その少年愛がテーマの『風と木の詩』を、クロッキーブックにまとめて漫画作品として描いたというものを見せていただきました。鉛筆で描かれていましたが、一糸乱れずというぐらいきれいな線で、コマ割りも大胆かと思うと繊細で、やはり、すごいなあと思いました。ページ数は覚えていませんが、何十ページかあったと思います。
詩が書かれた見開きの寄宿学校の導入部から始まって、主人公が上級生と温室でキスするシーンぐらいまでを読ませていただきました。背景もきっちり入っていて、こんな量の作品を描くのには、何週間も、何ヵ月もかかっただろうなと思いました。普通のお仕事もちゃんとしながらですから、すごいエネルギーです。
オープニングからドラマティックなベッドシーンやキスシーンが続き、大泉ではみんな驚いて大評判でした。当時、大泉に出入りしていた花郁悠紀子さんなんか(まだ高校生でした)「カレー味の舌ですって!」と、赤くなってきゃあきゃあと喜んでいました。
(「一度きりの大泉の話」萩尾望都先生著/河出書房新社より)
その~、だからですね、同じように海外の男子寄宿舎を舞台にしていて温室が出てきたからといって、「ポーの一族」の中の「小鳥の巣」というエピソードと、「風と木の詩」の第1巻あたりを読んで、「あっ!確かにこりゃ盗作だ!!」とは、誰も思わないわけですよ(^^;)
ただ、竹宮先生はこの頃、漫画家として精神的に物凄く焦っている時期だったらしく、またかといって「風と木の詩」の原稿を見せてもどこもなかなか「掲載許可」を出してくれず……「一度きりの大泉の話」によりますと、萩尾先生が「小鳥の巣」を描かれたのが、1973年の2~3月だったとのことで、「風と木の詩」の連載のはじまるのが1976年ですから――何も知らない萩尾先生はともかくとして、「少年の名はジルベール」を読んでいる人であれば、とにかくよくわかるわけです。これが萩尾先生が墓碑銘に刻んだ「地雷」ということの意味だったのだろう、ということが。。。
萩尾先生はのちに、「自分は竹宮先生と増山法恵さんの排他的独占愛に触れてしまったのだろう」といったように、的確に分析されたわけですが(いえ、こんな分析までしなきゃいけなかった萩尾先生の心中を思うと、ただの一読者のこっちまで苦しくなってきます)、「風と木の詩」は、竹宮先生にとって漫画家生命を賭けたといっていいほどの大切な作品だったわけですよね。そこへ、ずっと嫉妬の対象だった萩尾先生が、難なくそのテーマを作品の中に落とし込んで描いてしまった。萩尾先生は、「先に私が男子寄宿舎ものを描いてしまったら、その後竹宮先生が画期的な「少年愛新作」を発表した場合、このセンセーショナルな作品のインパクトが薄くなってしまう」、そのことが問題だったのだろうと、ようやくのことでわかったように思う、といったように「一度きりの大泉の話」の中で書いておられます。
そして、わたしがわからなかった言葉――>>「私たちは少年愛についてよく知っている。でも、あなたは知らない。なのに、男子寄宿舎ものを描いている。でも、あれは偽者だ。ああいう偽者を見せられると私たちは気分が悪くてザワザワするのよ。だから、描かないでほしい」という竹宮先生が発したであろう言葉、この意味も、「小鳥の巣」を読んで、わたしもよくわかった気がしました。
つまり、男子寄宿舎の温室でアランがマチアスという少年にキスしたのが問題だった、それと、もしかしたらその後のアランの「ぼくのことだけ考えてくれなけりゃいやだ……!!」との言葉によって、これまでエドガーとアランの間には同性愛的雰囲気っていうのはあまりなかった気がするのに、ここのシーンはそうした空気が濃厚だし、読みようによっては、アランとマチアスとエドガーという、三人の少年の三角関係のように読めなくもない。このあたり、「風と木の詩」とも雰囲気として被るところがあり、竹宮先生にしてみれば、それまで萩尾先生に嫉妬してきたこともあって、「もう我慢の限界だ」と感じられた、ということだったのかもしれません。
ただ、後日竹宮先生は萩尾先生の部屋を訪ねてきて、「(盗作疑惑に関してあれこれ言ったことは)なかったことにしてほしいの」と言い、代わりに手紙を残していかれたわけですが――このあたり、萩尾先生がのちに分析されているとおり、「誰だって男子寄宿舎ものを描いていいはず」ということは、竹宮先生にもわかっておられたのだと思います。ただ感情的に、自分はもうこれが限界だと思われて、それで「OSマンションに来られては困る」、「せっかく別々に暮らしてるのに前より悪くなった」、「書棚の本を読んでほしくない」、「スケッチブックを見てほしくない」、「節度を持って距離を置きたい」、「『11月のギムナジウム』ぐらい完璧に描かれたら何も言えませんが」……といった条件を羅列した手紙を、竹宮先生は萩尾先生に渡す、ということになってしまったのではないでしょうか。
これで、<盗作疑惑>に関するわたし個人の、というか、一読者としての検証終わり、といったところです(^^;)
わたしたぶん、「少年の名はジルベール」を読んでから、もし「一度きりの大泉の話」を読んでいたとしたら――「誰も悪くない」とか思ってたかもしれないので、先に読んだのが「一度きりの大泉の話」のほうで良かったなあ……と、あらためて思いました。
それで、わたし、HKの「100分de名著、萩尾望都」を見逃してしまったので、つい先日おんでまんど☆のほうで見たのですが、なんとも幸せかつ濃密な1時間40分ほどのお時間だったことよ……と思います。にょほほのほ♪
そして、実をいうと他の漫画のことももちろん気になったのですが、一番気になったのが『トーマの心臓』でした。ええとですね、↓のお話の中で、わたし的に実は重要だったのが、「キリスト教では同性愛の人は天国へ行けない」といったことであり、その部分を小説の中で打ち破っておくということがテーマとして大切なことだったのですが……そのあたり、どうも『トーマの心臓』も同じらしいと、ストーリーの紹介で知りました。
いえ、この場合わたし側のそうした事情なぞはどーでもよく……テレビの中で竹宮先生の「風と木の詩」と並べて、「トーマの心臓」はBL漫画の元祖と言われている――みたいに紹介されてたことに驚いたというか(^^;)
素晴らしいですよね!放映日を見ると、今年の1月2日みたいなので……この頃すでに「少年の名はジルベール」は発売になってかなり経ってるっていうことを考えると――もっとも、今までこの約50年もの間、こうしたニアミス的なことというのは竹宮先生、萩尾先生双方にあったのでしょうし、そのあたりはお互いさまということなのでしょうか(この場合は、HKスタッフさんから竹宮先生のほうに「萩尾先生の番組の中でそのように紹介されますが構いませんでしょうか?」といったように御連絡がいったのではないかと推察される……といった意味なんですけど^^;)
なんにしても、そういった事情から、「ポーの一族」の次は「トーマの心臓」を注文して読む予定でいます♪
それではまた~!!
ピアノと薔薇の日々。-【34】-
『今まで、ヨーロッパのほとんどの主要都市には行ったんじゃないかな。僕が思うのはその大体が、戦争に関係してることなんだけどね。ほら、ポーランドのワルシャワなんか、第二次世界大戦後に壊滅してしまったのをもう一度まったく同じように造り直しているだろう?そういう、侵略してきた国からのダメージを回復する時に、相手国の文化を受けて街並みがガラリと変わったりとか、ヨーロッパじゃそうした傷跡のない場所のほうが歴史的に少ないっていう、そういうことなんだけどさ』
『もちろん、ショパンが生きた時代は19世紀で、まだ第一次世界大戦も第二次世界大戦もはじまってはいない。だけど、ポーランドっていう国がいかに歴史というものに翻弄されてきたかを学ぶことで……思想的にはどうしても影響を受ける。ショパンが生きてた時代にも、ポーランドの民衆がロシア支配を覆そうと蜂起して失敗ことがあったろう?そして、彼はその時のことを『軍隊ポロネーズ』――『ポロネーズ第三番イ長調』によって表現してる。ショパンは二十歳でワルシャワを離れる時、ポーランドの土を詰めた銀の壺を持っていったらしいけど、そのくらい愛国心が強かったっていうことなんだろうね。そして、今も彼の心臓だけは、ワルシャワの聖十字架教会で眠っている』
マキは、ほんの数行レオンの文章を読んだだけで、彼がかつて何気なく話してくれたことが脳裏に甦り、そのせいで他の人であれば泣く理由がまったく見つからないだろう箇所でも――とめどもなく涙が溢れてきて止まらなかった。また、君貴が原稿の上に堪えきれず涙を零してしまった跡があちこちに残っており……そうしたページについては、マキも彼が何故泣いたのかが読んでいてよくわかるだけに、同じように重ねて涙を流してしまったものだった。
そして、演奏旅行先で見たヨーロッパ各地に残る戦争の傷跡というのは、レオンの脳裏に深く刻み込まれ――ジュリアード音楽院在学中、イラク戦争が起きたこともあり、レオンの中で平和への想いというのはより深いものへと変わっていったようである。
>>『戦争を止めるために、芸術には何が出来るのか、僕にはわからない。ピアノで爆撃機や戦車に向かっていくことは出来ない。けれど、爆撃機や戦車のミサイルで傷ついた人々の心を癒すことは出来ると思った。それで僕は……他の友人たちには止められたが、一度も行ったことのない砂漠の紛争地帯にまで、チャリティ・コンサートをするために出かけていった』
>>『何度もこうしたチャリティ・コンサートを開くたび、僕にはだんだんにわかってきたことがある。民族、肌の色、宗教……それはおそらく表面的なもので――人間は、まったく同じものから出来ている。たとえば、おまえは肝臓の形が普通じゃないから俺たちの仲間じゃないとか、手術で二つある腎臓のうち、一つを摘出したから我々のグループからは外れてくれ……そんな理由で差別されることは、まずないだろう。実際の問題はとても単純なことだ。すべての人の目が一時的にでも見えなくなったとすれば――心の目で物を見るというのがどんなことかが、すべての人にわかることだろう。その盲目の少女にピアノの手ほどきを少しばかりして以来、僕は時々そんなふうに考えるようになった。「もし僕の目がまったく見えなかったとしたら、この問題をまったく同じように捉えるのだろうか?」といったように』
(レオン……本当に、あなたって人は……)
演奏旅行、音楽論、人生で経験し、その折々に感じたことなど……そうした事柄について細かく語りつつ、レオンは戦争と平和、人が平等に生きることは可能なのかといったことについても、随分紙枚を割いていた。
>>『詩人、ウォルト・ホイットマンは書いている。「平等について――自分と同じ機会と権利を他人に与えるんじゃ、平等こそ自分に害があるみたい――他人が同じ権利を持っているんじゃ、まるで自分自身の権利にとって、平等が必要不可欠でないみたい」と。僕は、ショパン・コンクールで優勝するまでの間、ソヴィエト・システムに憧れて熱心に練習に励んだ……ということは、最初のほうで述べた。そして、僕が中国育ちであることを考えると、僕に対して「レオン・ウォンは共産主義者なのか?」との疑いを持つ人がいたとしてもおかしくはない。もっとも、僕は共産主義を信奉してはいないにせよ(理由は述べるまでもないだろう)、すべての人が平等に暮らすことは可能なのかどうかについては、随分長く考え続けている。たとえば、この地上に文明なるものが存在して以降、数え切れないほどの征服国と被征服国とか誕生してきた。また、男性は女性よりも社会的に優位な状態が長く続いており、総体的に考えた場合、今でもやはり黒人よりも白人のほうが優位な社会であることにまるで変わりはない。そして、征服国が被征服国から搾取することで優越感を味わうというその中にこそ――すべての人々が平等に暮らせない理由が隠されている気がする。簡単にいえば、僕たちは誰か他人を抑圧することで優位な立場に立つことが好きなのだ。人間は誰しも、本能としてそうした部分を必ず持っている。極めて残念なことに、これは宗教の世界でさえもそうだ。イスラム教徒はユダヤ教やキリスト教よりも自分たちのアッラーの教えのほうが優れていると唱え、キリスト教徒は当然、自分たちこそはユダヤ教徒よりもイスラム教徒よりも遥かに優れていると考え、そしてユダヤ教徒は、何故自分の知らない間にキリスト教徒とイスラム教徒という兄弟が出来ており、「おまえは長男として失格だが、我々弟は違うぞ!」と争いを仕掛けてくるのか不思議に思っている……何かそんなところだろう。僕はここまで考えてきて、世界の三大宗教のひとつである仏教だけが、どの宗教とも喧嘩せず、仲良くできるのは何故なのだろうと不思議に感じる。これはおそらく、仏教の教え及び仏教徒は、自身の優位性を訴えて「我々はおまえら(ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒)よりも上だぞ」と押しつけてこないことによるのではないだろうか。【中略】人類の平和と平等とはつまり、いかにして異なる国・民族・宗教・人種間で椅子とりゲームをしないかにかかってくるということだ。世界の富をほんの数パーセントの人間が握っている現在の状況は、誰がどう考えても異常なものだろう。座り心地のいい椅子に座っている人間は、どうしてもそこから降りたがらない。もちろん、僕だってそのように生まれついたなら、いかにすれば税金逃れをすることが出来るかばかり毎日考えていたに違いない。だが、僕は元の生まれが孤児だった。だからこそわかる……人と人との間でお互いに椅子を譲りあうことさえ出来れば、世界は平和になり、心も温かく、みなが幸福に暮らしていけるだろうということが。
>>『僕はどうしても、このひとつのことだけは言っておきたい。非常に残念なことに、国連には力がない。イラク戦争の例をあげるまでもなく、超大国と呼ばれる国が戦争したいとなったら、国連には停めることが出来ないのだ。僕がこうした中でもっとも恐れているのが、囲い込みとシステムということかもしれない。かつてチェチェン戦争が起きた時、そこで残虐非道な行為が行なわれていると聞いても――国連は動かなかった。いや、動けなかったというべきなのだろうか(ロシアは国連の常任理事国だから)。そして、国際社会も動かなかった。チェチェン戦争の真実についてロシア国内で訴えようとしたジャーナリストたちは、次々不審な死を遂げていった。僕たちは思う……「そんなひどいことがもし行われているとしたら、誰かがわたしたちに伝えて、知らないはずなどないのでは?」と。これが「囲い込み」という状況だ。中国の新疆ウイグル自治区では、本当に酷いことが行われている。ウイグル自治区の人々は強制収容所に実際に入っているか、あるいは強制収容所にいつ自分が、あるいは自分の親や子供や親戚が入れられるかと怯えながら暮らしている。現在、100万人以上ものウイグル人が強制収容所に入れられ、事実無根のテロリストの疑いをかけられるなどして――再教育という名の拷問を受けている。また、血液検査や臓器適合検査を入所時に受けさせられるのは何故なのか?ウイグル人の臓器を漢民族のレシピエントに使うためではないかとの疑いが極めて濃厚である。それだけではない。ウイグル人女性に対してはレイプが容認されているも同然であり、他にも強制避妊や中絶の強要など……これを民族浄化、ジェノサイドと呼ばずして、何をそう呼ぶのだろうというくらい、ウイグル人を巡る状況は絶望的だ。いや、新疆ウイグル自治区だけではない。チベット自治区も状況として同じなのは誰もが知るところだろう。だが、ヒューマン・ライツ・ウォッチといった人権団体がこうした状況を国際社会に訴えても、中国の不思議な竹のカーテンに阻まれるためか、誰もこうした問題をどうにも出来ない。僕は思う――これは非常に今日的な問題で、ウイグル民族やチベット民族といったある限られた人々の間にだけ起きていることではない、と。もし僕たちが彼らは少数民族だからとか、ウイグル民族はイスラム教徒だからとか、チベット民族のことはよくわからないから……といった理由によって自分たちはこの件に関係ないと思い、彼らのことを見捨てるとしたなら……断言してもいい。近い将来、僕たちの中の誰かがこの中国式システムの中へ落とし込まれ、今ウイグルやチベットの人々が味わっているのと同じような苦しみを味わう者が、間違いなく出てくるだろう。そして、その時にこう言ってももう遅いのだ。『あの時、彼らをなるべく早く助けなかった報いを、今我々は受けているのだ』と……。
マキは、レオンの書いた言葉のひとつひとつ、一語一語がとても胸の奥深くまで染み渡るあまり、息苦しいほどだった。今の人権が十分保証されているはずの先進国の中でさえ、国から公的に認められた児童養護施設で組織的虐待を行うことは可能だった……そうしたレオン自身の経験したことについては一切触れられてはいない(ウォン・ヨウランの本に書かれたことを肯定しないためだろう)。だが、レオンにこんなにも深く、民族・宗教・人種といったものすらを越えて、「あなたはその時の僕だし、僕は今の苦しい姿のあなたを救いたい」という思いを与えるのは何故なのか――その経験なくしては決して語れないことだったに違いない。
この日もマキと君貴は泣きながら、お互いの体を抱きあいつつ、ベッドの中で眠りに落ちていった。
「レオンは実際、本当にすごい奴だったよ」
君貴はそう言った。こんな原稿があるのなら……死ぬ必要まではなかったはずだと、彼もまたマキと同じく、そうとしか思えなかった。
「三十七年……まあ、キリストの生きた年数が三十三年か。だがもう俺なんかにしてみりゃ、レオンの人生は聖人さまの人生に匹敵するな。言ってみりゃ、ゲイだったからとか、最後の死に方が自殺だったから――そんな理由でもしレオンが天国へ行けないのだとしたら、そんな天国は他の人間も入らないほうがいい天国だとしか、俺には思えない」
「レオンは間違いなく天国にいるわよ。天国、楽園、スイッツァランド……呼び方はなんでもいいの。とにかくレオンはきっとそこにいるわ。ただね、わたし少しだけ思わなくもないのよ。君貴さん、レオンが公の活動を減らしていったことが、あのウォン・ヨウランっていう人のフラストレーションを呼び起こして、あんな本を書かせる原因になったんじゃないかって言ってたでしょ?だから今にしてみると……きっと、まず最初に『局所性ジストニア』だっていうことを世間に公表すべきだったんじゃないかっていう気がするの。そしたらあの人だってあんな本、書くことはなかったんじゃないかって、そんな気がして……」
「そうだな。今さら後悔しても遅いってことはわかってても――やっぱり俺もあれこれ考える。レオンの所属してたエージェンシーの社長も同じことを言ってたよ。プロのピアニストであることを引退したいって言われた時に、引き止めたりしないですぐレオンの言うとおりにしていれば良かったって。ピアノのコンサートはともかくとしても、ちょっとした俳優の仕事とか、モデルの仕事を続けたらどうかって思ってたらしいんだよな。そんなの、俺が彼の立場でもまったく同じように考えただろう。たぶん、俺たちだけじゃない……レオンと関わった人はみんな、何かの形で今、そんなふうに考えては後悔しながら涙を流してるんじゃないかって気がする」
「そうよね……わたしがただ、レオンの一ファンだったとしたら、もしかしたらこんなふうに思ったかもしれないって思うの。もちろん、きっと何日もレオンのピアノのCDを聴きながら、彼のことを思って泣くわ。でも、ある程度時が過ぎたら――彼は三十七年という短い歳月を充実して生き切ったのだから、わたしだって同じように人生を頑張って生きていかなきゃならないって、思考を切り替えられたかもしれない。あの本を読んでるとわかるの。レオンはその時々で自分に出来ることは出来得る限りすべてして来た人なんだっていうことが……わたしと一緒にいた三年もの時間っていうのは、そのあとのちょっとした休暇みたいなもので、レオンがそれを自分に許すことが出来たのは、何より病気のことが一番にあったからなんじゃないかって……」
今マキは、ベッドの中で君貴の体に触れ、その優しい体温を感じることが出来ている。レオンとも、ほんのつい一週間くらい前まで……まったく同じようにして眠っていた。けれど、彼はもういない。そう思うとマキは、「頑張って生きていこう」という気力が、ただひたすらに奪われていくのを感じるのみだった。
「そうだろうな。実際のところ、レオンはショパン・コンクールで優勝したあの日以来――すべてを自分の自由に出来たはずだ。プロのピアニストとしてデビュー出来たからといって、忙しく演奏旅行になんぞ行かなくても良かったかもしれない。だが、自分でもそうしたかったからという部分も大きかったにせよ、レオンはまあ大体のところ周囲の人間が自分に何を求めているかを考えて行動してたんだろうな。俺は、今から大体何年かして、炎上しないくらいの時が流れたとしたら……天才にはやはり悲劇が似合うだの、そんなことを言いだす論客とやらが必ずいるんだろうなと思ってる。芸術家は長生きしてしまうとむしろ、その衰えを世間に晒す結果となった場合、不治の病などで早世したほうが――その人生も含め、美しく昇華されたように見えていいだとかな。あとは……なんだ。何分あの美貌だから、意地悪な運命の女神がその分を別のところで取り立てようとしたのだろうだのなんだの、そんなところか。そんなことを言う奴らは実際何もわかっちゃいないんだよ。俺もそうかもしれないが、あいつに関わった音楽関係者は誰もがこう思う。自分にこの顔があったとしたら、彼ほどひたむきに奢ることなく、ピアノと向き合うことが果たして出来ただろうかってな。そういう意味でもあいつは本当に特別な奴だった。誰にでも優しくて謙遜で……だのなんだの、レオンのことを悪く言う奴は誰もいない。あいつは確かに二重人格だったかもしれないが、そういう部分だって何も偽の優しさってわけではまるでなかったからな」
『レオンは本当に優しい人でした』……マキは、例の本が出版されてから、ジュリアード音楽院時代の友人、その他オーケストラ関係者などのインタビューのことを不意に思いだしていた。リビングにあるテレビはレオンが壊してしまったが、寝室のほうにはもう一台、それより小さめのテレビがあったのである。
『誰か居心地の悪い思いをしてる人がいないかとか、不快に感じている人がいないかとか、そうしたことにすごく敏感な人だったんです。まあ、世間一般的にはピアニストって繊細なイメージなんでしょうけど……もちろん、繊細なだけではとてもやっていける世界ではありません。でもレオンはいつでも、協奏曲の練習が終わったあとなんか、こっぴどく叱られた学生に声をかけたり、何かそんな感じだったんですよ、ほんと。ああいうところの学生って、才能があるだけに結構ガツガツしてるんですけどね、レオンに微笑みかけられて嫌な思いをする人はひとりもいなかったでしょう。彼のまわりはいつでも、そんな感じでした。誰からも好かれていたし、ただ、女性にあんまり優しくすると、勘違いするかもしれないですものね。そういうことだけ、少し気をつけてるようには見えましたけど……』
『いや、モーツァルトの協奏曲でもショパンの協奏曲でも、なんでもいいですがね、もうレオン・ウォンがやって来る――それだけで、オーケストラはいつも以上の底力を出しました。そういう時、指揮者なんかレオンさまさま状態だったんじゃないですか?女性の楽団員はどっかしら色気がムンムンだし、大抵、いつも以上に髪のセットが決まってて、化粧が濃かった。それで男性の楽団員がムッとするとかイライラするってこともなく……何分あのピアノの才能ですからねえ。女房や娘がファンなんですと言って、並んでサインを貰おうとする始末ですよ』
「わたし、お腹の子がレオンの子だったらと思ってるけど……でも、なんだか少し、怖いような気もするの。レオンのことで今、こんなに苦しくて悲しいのに、無事生んで育てていかれるかしらって……」
「心配しなくていい」
君貴はマキのことをより近く抱き寄せると、彼女の額のあたりにキスした。それは何故か不思議と、レオンが夜眠る前にしてくれたキスの感触によく似ていた。
「おまえとレオンの子のことは、俺がこれから一生をかけて必ず守ってやる。そのためにいい夫やらいい父親になる必要があるなら、喜んでそうしてやるし、俺はな、マキ、おまえのためだったらなんでもしてやる。ただそのかわり、俺より先にだけは絶対死ぬな。だって、おまえは俺より十四も年下なんだから……どう考えてもレオンの元へ行くとしたら、俺のほうが先なはずだろ?」
「そんなの、ずるい。わたしだって、君貴さんにレオンに続いて先立たれるなんて、絶対嫌だわ。そりゃもちろん、親として子供の成長を見届けてから……っていう思いはあるわよ。でもわたし、出来るなら君貴さんより先がいいわ。それか、君貴さんのお葬式の終わった翌日に心臓発作で死ぬとか、そういうのならいいんだけど」
この時、君貴は暗闇の中でおかしそうに笑った。実際、マキはレオンとも、よくこんなふうに一日の終わりに色々なことを話したものだった。
「これからガキが生まれてくるってのに、もう葬式の話か。そりゃマキ、流石に気が早すぎねえか?なんにしても俺たちは、こんな目に遭ってもまだ当分は死ねないってことだな。貴史は本人の申告によるとまだ「しゃんさい」だし、レオンに似た美人の女の子も生まれてくる予定がある以上はな」
「君貴さん、そのことなんだけど……」
マキは言いづらそうに言った。第二子の妊娠がわかって以降、君貴は「将来ストーカーのように後ろをつけ回してあらゆるゴミ虫を排除せねばならん」といった話をするのだが――その必要性のあまりない子が生まれてくる可能性というのを、不思議と彼もレオンも想定してないようだったからだ。
「万一、レオンじゃなくてわたしに似た子に育っても、がっかりしないでね。ほら、ボーイッシュな子に育って、わたしはソフトボールやってたけど、男の子に混じってサッカーするような子に育つとか、見た目もどこか男の子っぽいとか……そういう可能性だってあるわけでしょう?」
「なんだ、そんなことか」
君貴はまたマキにキスした。彼らはやはり、何故かキスしてくるタイミングまでよく似ているようだった。
「べつに俺は、それならそれで構わんのさ。むしろそのほうが安心なくらいだろう。それで、レスリングでもやってくれて、男が襲ってきても首をへし折れるくらいなら万々歳だ。試合のたびに応援もしにいくし、そんなのサッカーだろうが野球だろうがラグビーだろうが競技はなんでもいいのさ。一番困るのはあれだな。レオンの繊細で優しいとこだけ似ちまって、かといってあいつみたいに何かのことでズバ抜けた才能によって自己表現できるわけでもないとなったら――ある意味それが普通で平凡だってことなら、俺にもどうしていいかわからんかもな」
「それは大丈夫よ。わたし、普通と平凡の専門家だから、その場合にはわたしのほうでなんとかうまくやるわ」
このあと、もう真夜中どころか、朝に近かったため――ふたりは話すのをやめて眠ることにした。正確には、眠れるよう努力することにした……といったほうが正しかったかもしれない。
この翌日から、テレビでは今度は、レオン・ウォンの後追い自殺についての報道が続いた。君貴などは「これ以上俺を陰鬱にさせないでくれ」と重い溜息を着いていたし、マキも(レオンがこんなこと、望んでいるはずがない)との思いから、胸が塞がれるように苦しくなった。本人の死についてもそうだが、その御両親や家族のことを思うと……彼らの憎しみはおそらく、レオンに対してというよりも、ウォン・ヨウランに向かうのではないだろうか、そんなふうに感じてもいた。
アメリカのニュージャージー州とイリノイ州でひとりずつ、ブリュッセルとパリでふたり、日本や中国などでも自殺未遂者が相次ぎ――レオンの所属していたエージェンシーではこの日の夕刻、やむなく記者会見を開いていた。何より、レオンが自分のファンの死など望むはずがないということ、家族のことを思って自殺といった速まった行いにはやることはやめて欲しいということ……それから、レオンが遺書のようにして残した原稿を近く出版する予定なので、せめてもこの本を読み、レオンの胸深くに秘めた想いを共有して欲しいといったことが、その記者会見の場では語られていた。
すると翌日から、自殺者の報道がぴたりとやんだ。そしてこの四日後に『汚れたピアニスト~レオン・ウォンの真実~』の著者であるウォン・ヨウランが六十階建てのマンションから飛び降り自殺したという衝撃的な報道がなされた。その後は、世界中のマスコミというマスコミが、彼女の過去について徹底的に調べ尽くすことに熱中しているかのようだった。言ってみれば、一人の人間を一冊の暴露本によって破滅へ追いやった人物をそれに相応しく扱うように――まったく同じ目に遭わせているようなものだった。小学生の頃、いじめにこそあってなかったものの、特殊な金銭感覚によって周囲とはズレがあったらしいこと、初級中学時代にはそれが嵩じてはっきりいじめにあうようになっていたこと、高級中学(高校)時代は比較的平穏だったようだが、その代わり母親からのプレッシャーが強く、勉強にばかり励む三年間だったらしいこと……また、義理の兄のレオンがショパン・コンクールで優勝した時、そのことを彼女がやたら周囲に自慢していたのは有名な話だったらしい。
おそらく、こうした報道を追っていたレオンのファンたちが、もっとも溜飲を下げたのが――ウォン・ヨウランが義兄であるレオン・ウォンの重度のストーカーだったらしいということだったに違いない。例のレオン・ルームがテレビに映しだされたこともそうだったし、何よりウォン・ヨウランが世界中のあちこちのレオンのコンサートに馳せ参じていたということは、同じように彼の追っかけをしているファンの間では有名なことだったのである。
『わたしたちファンの間では、物凄い有名人ですよ!何分、英語や日本語や台湾語などを話せたので……ファンの間で困っている人がいれば積極的に話しかけて助けてあげたり。第一、身に着けてるもの自体がいかにもセレブって感じで、人を惹きつけるところのある人でしたから。それに、すごく優しい方でしたし、わたしたちファンの間ではリーダーみたいな感じの人でもあったんですよ』
『いや、テレビで見てびっくりですよ!あんな暴露本を出版するような人にはまるで思えませんでした。ネットで繋がってるファン仲間で、オフ会を開いたことがあるんですけど……自分はレオン・ウォンのピアノのこういうところが好きだとか、ショパンのエチュードの技術的なところがどうこうとか、うっとりしたように滔々と語ってましたからね。ほら、そういうところではお互いハンドルネームなんかで呼びあって、必ずしも本名を言う必要はないものですから、まさか中国の義理の妹だなんて、誰も気づかないわけですよ!』
『最初はわたしたちも腹が立ちましたけど……こうして亡くなられてみると、可哀想な人だったのかなあっていう感じもしますよね。もちろん、彼女のしたことは絶対許せませんし、レオンさまを返せ!という思いも変わりません。それに、レオンさまがあんなふうなお最後を迎えられることがなければ、他のファンの子たちも自殺するようなことはなかったわけでしょう?わたしたちはこれからも、レオンさまのファンの集いを開催していくつもりでいます。何分、コンサートのDVDであれば、たくさんあるわけですから……みんなで大きな画面で見て、まるで今レオンさまが生きて目の前にいらっしゃるかのように拍手したり、コンサートのあとは前と同じように感想をあれこれおしゃべりしたり……そうして、わたしたちの心の中には今もレオンさまが生きていらっしゃることを、わたしたちはお互いに確認しあって安心してるのかもしれません。だって、そうでしょう?自分ひとりだけで部屋でそんなふうにしてたら、そんなことを思ってるのはわたしだけかもしれないって時々不安にもなります。でも、レオンさまがピアノを弾くお姿を見て、涙を流している人の姿を見るたび……ああ、あの人もわたしと同じ気持ちなんだって、そう思えますもの』
のちに、ウォン・ヨウランの自殺は血の花嫁事件と呼ばれるようになり――その花嫁の中には、ベルギーで亡くなった少女や、パリで自殺の確認された女性、アメリカでそのような遺書を残して亡くなった二十代と三十代の女性ふたりも含まれるようになったという。
>>続く。