本を読む順番というのは、本当に大切ですねえ(^^;)
今まで前文のほうで何度か、萩尾望都先生の「一度きりの大泉の話」と竹宮惠子先生の「扉はひらく いくたびも」について取り上げてきましたm(_ _)m
わたしの本を読んだ順番は、「一度きりの大泉の話」→「扉はひらく いくたびも」→「少年の名はジルベール」の順です
でも、出版された順番はこの逆で、「少年の名はジルベール」→「扉はひらく いくたびも」→「一度きりの大泉の話」の順なんですよね。ですから、もしこの順で本を読んでいた場合……読まれた方の印象もおそらくは違うのではないでしょうか(^^;)
竹宮先生にも萩尾先生にもそれぞれ「信者」と呼ばれるくらい、それぞれファンの方がおられる漫画界の大御所と思います。ですから、よりどちらのファンかで、もしかしたら評価は変わる部分もあるのかもしれません。また、正直なところをいって、「少年の名はジルベール」を読んでから「一度きりの大泉の話」を読むと、「わざわざそんなこと言うことないじゃないか、萩尾望都。なんかやな感じ」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。もちろん、萩尾先生は何も知らないところに持ってきて、竹宮先生の嫉妬の黒い矢を浴びて傷ついた被害者……という意味では、全体として萩尾先生の味方をされる方のほうが多いにしても(わたしが今まで書いてきたのも、大体そうした論調です)。
ただわたし、竹宮先生に対して、「少年の名はジルベール」を読んで、随分印象が変わりました。また、こちらのほうに増山法恵さんの性格などがよりわかるエピソードがたくさんあって、萩尾先生・竹宮先生・増山法恵さん、そして当時の大泉サロンの雰囲気を伝えるものがあり、一読者としてより人間関係の全体像が見えてくるところがあったというか。
まず、確かに竹宮先生は萩尾先生に「距離を置きたい」といった旨の手紙をお渡しになったにしても、「少年の名はジルベール」の書き方に関していえば、「ご自分にとって都合の悪いところは端折ったのだろう」といった、最初にわたしが思い込んでいた印象は持ちませんでした。もちろん、ここの行間にこそ、萩尾先生が「一度きりの大泉の話」の中で書かれたことが挟まるっていうことなんだろうなあ……という場所はあるのですが、「でも、竹宮先生の立場としては、実際のところそうとしか書きようがないのでは?」という意味で、詳しく書かれてなくても仕方ないように思ったというか(ただ、「こうした本を出版するのであれば、先に謝罪するなどして萩尾先生に許可を得るのが常識では?」という、レビューなどで見たあまりに当たり前の意見には深く同意します^^;)
とはいえ、竹宮先生の嫉妬によって萩尾先生を苦しめたであろうことは間違いなく……「少年の名はジルベール」を読んでわたしにますますわかったのは、萩尾先生は本当に真っ白に近いくらい潔白だということでした。
そのですね、「一度きりの大泉の話」を読んだあと、「扉はひらく いくたびも」にあった<大泉サロン>の見取り図を見て――初めてわたし、思った以上にずっと狭いことに気づいたんですよね(^^;)
それで、他にたくさんの漫画家さんの出入りがあったにしても……この環境で2年暮らしたうち残り1年はあんまり口も聞いてなかったっていうことは、「いやいや、少しくらい何か察せられるというか、感じるところがないなんて、あるかなあ」とは、確かにちょっと思わなくもなかったり。。。
でも、萩尾先生は本当に竹宮先生の嫉妬に気づかなかったのだと思います。>>「私の鈍感さに呆れられた方もおられるでしょう」と、「一度きりの大泉の話」で、萩尾先生は書いておられますが、鈍いんじゃなくて、萩尾先生はただ単に人が善すぎただけなんだなあって、本当にそう思いました。
それで、「少年の名はジルベール」を読んで思ったのは、竹宮先生のスランプ期における萩尾先生に対する嫉妬の根深さだったでしょうか。竹宮先生の苦しい胸の内はよくわかるのですが、読めば読むほど、なんと言いますか、「えっ!?ほんとに萩尾先生は全然なんにも悪くないじゃん」ということがわかってくるばかりなのです。
たとえばわたし、「少年の名はジルベール」を読む前までは、<大泉サロン>を実際に解散する決断をする時には、すでに増山法恵さんも竹宮先生の嫉妬が原因でそうした結果になってしまったと、知ってるとばかり思ってました。しかも、あんまり口も聞かなくなったのであろう後半の1年間に、萩尾先生、竹宮先生、増山さん、山岸涼子先生の四人でヨーロッパ旅行にまで出かけている……萩尾先生はもちろん、何もご存知ないからこそこのメンバーで旅行へ出かけたのですし(でも、あとからこの旅行を振り返って、>>「旅行中に話をした相手を思い出すと、もっぱら山岸先生でした」といったように書かれています)、竹宮先生はすでに嫉妬によって苦しめられていた相手も一緒だというのに、「風と木の詩」その他の漫画の資料集めのためにこの旅行を計画されたわけですよね(このあたり、萩尾先生と竹宮先生とで記憶違いがありますが、おそらく言いだしたのは萩尾先生で、それが増山さん→竹宮先生と伝わったのではないかと、自分的には想像します)。
<大泉サロン>解散後、竹宮先生と増山さんはOSマンションというところに一緒に住まわれることになり、萩尾先生はそこから歩いて5分くらいのところに引っ越すことにしたと言います。嫉妬の気持ちから萩尾先生と離れたいと思っている竹宮先生としては、ニアに嫉妬するメロのように顔が引きつったのではないかと思われるのですが、結局のところ他の<大泉サロン>に集っていた漫画仲間の先生たちも……それぞれ近くに住まわれることになり、お互いの部屋を行ったり来たりするような関係だったわけですよね。
だから、萩尾先生が竹宮先生と増山さんのいるOSマンションに遊びに来たりするのはとても自然なことだったし、<大泉サロン>時代の他の漫画家先生などもみんなそうされていたのだと思います。
でもそこへ持ってきて突然、萩尾先生だけそこに「来ないで欲しい」と言われたりしたら……その前に想像してもいなければ思い当たるところもまったくない盗作疑惑をかけられたとしたら――それはもう本当に、ショックで倒れこみもしようというものです
それで、ですね。「少年の名はジルベール」は、萩尾先生の「一度きりの大泉の話」がなかったとすれば、読んでいてすごく面白いと思いました。そしてそれは、「一度きりの大泉の話」の中の真実を割り引いたとしても、その部分の価値というのはわたしの中では高いものであったりもします(実際読んでいて、「確かにこれはドラマ化の話が来るわけだ」とも思いました)。
ただわたし、竹宮先生のことはひとりの漫画家さんとして素晴らしい方とは思いつつ(「風と木の詩」に対するわたし個人の評価は厳しいものですが、それが何故なのかも、そのうちもし機会があったら書こうと思います)、結局のところ「少年の名はジルベール」も、「一度きりの大泉の話」ありきで読んでるものですから、あくまで萩尾先生を中心にした感想にどうしてもなってしまうのです。すみませんww(^^;)
前にも書いたとおり、萩尾先生のマネージャーの城章子さんは、竹宮先生・萩尾先生の双方のお宅にアシスタント兼メシスタントとして出入りしていて、このあたりの事情についてもよくわかっている方なのだと思います。それで、「少年の名はジルベール」が萩尾先生宅に竹宮先生のお名前で送られてきた時……盗作疑惑をかけられて以後、竹宮先生の本を一切読んでない萩尾先生は、その本を読むことが出来なかった。そこで、城章子さんがおうちに持って帰って読み、>>「萩尾はもう関わりがないし、これからも関わりません」みたいに一筆書いて、送り返されたわけです。
これはわたしの勝手な、一読者としての想像ですが、自分的には「つまりはそういうことなんだなあ」と、漠然と思いました。どういうことかというと、「少年の名はジルベール」の中には萩尾先生を褒めてあれこそすれ、悪く書いてるところなどひとつもない。ただ、竹宮先生が勝手に一人相撲的に嫉妬していた、そしてそれは自分でそうとわかっていてもどうにもならないものだった……といったようなことが書いてあるだけです。
つまり、「萩尾先生が読んでも、精神的に何も害はないのではないか?」、そう判断するのが普通かもしれません。でも、城章子さんはわかっておられるのだと思いました。確かに、城章子さんが萩尾先生にそうお伝えしたように、>>「(「少年の名はジルベール」には)萩尾の話がわりと出てきて、けっこう褒めてある」のだとしても――この本を持ってして、「あの時はごめんね」というメッセージにされても……わたしが萩尾先生ならたぶんなんか嫌だろうなと思いました(^^;)
また、良くは書いてあるけれども、当時の<大泉サロン>の雰囲気などを知っている城章子さんにしてみれば……「これは萩尾が読んでも複雑な気持ちになるだけの本で、仕事をするのにもただ邪魔になるだけだろうな」というのでしょうか。萩尾先生のご性格のことなども考えあわせ、そう判断されたのではないかと思いました。
>>人間には多様な面があります。多面体のように。もっと異なる面に出会われた方も、多々おられることは理解しています。
ただ、私と竹宮惠子先生たちとの面と面との出会いでは、このようになってしまいました。それを良いとか悪いとか残念とかああしていればとか考えるのは放棄いたしました。とてもとても一言では言えないからです。
ただ、考えないようにしています。私は今も今後も竹宮先生の作品は手に取れませんし、お近くに寄ることはなく、離れていたいと思います。
(「一度きりの大泉の話」萩尾望都先生著/河出書房新社より)
と萩尾先生が書いておられるように、ずっとそう思って50年も経過したのに、竹宮先生のほうでは萩尾先生と対談してもいいとか……しかもこの場合、明らかに竹宮先生の美化された<大泉サロン>の話のほうへ過去にあったことすべてが統一されてしまう可能性が高い。
萩尾先生とマネージャーの城章子さんが「一度きりの大泉の話」の出版に踏み切ったのは――竹宮先生に過去にあった真実について思い出させるためでもなく、謝罪して欲しいためでもなく、ただ一重に竹宮先生との対談企画や、美化された<大泉サロン>のドラマ化話などを持ち込まれたくないという、そのためだけだったのだと思います。
また、竹宮先生のほうでも、もう十分萩尾先生側の気持ちなどが通じていると思いますし、「一度きりの大泉の話」によって、罰を受けているという言い方はおかしいのですが、結果としてそれに近い形になってしまったのではないでしょうか(^^;)
もちろん、萩尾先生側に、「過去にあったわたしの側の真実はこうでした」と告発することで、竹宮先生のことを苦しめたいとか、過去の罪の償いに罰したいといった気持ちはなかったことでしょう。ただ、結果としてそうなってしまったというか。
以前、「風と木の詩」には萩尾先生の>>「時間と記憶の死体」が埋まっていると書いたのですが、竹宮先生はこの『少年の名はジルベール』の自伝本出版によって、この死体の入った棺のあたりを迂闊にもうろついてしまったわけですよね。そして、「一度きりの大泉の話」の最後のほうにある、今回萩尾先生が刻んだ墓碑銘まで読むことになってしまったのではないかと、そんな気がします。
でも、わたし自身は一冊の読みもの、竹宮惠子先生の漫画家としての半生として読む分には、『少年の名はジルベール』はとても面白く読めましたし、色々書いてはきましたが、もともと「萩尾先生にあんなことしておいて」といった気持ちはあまりないのです。。。
萩尾先生があんまり人が善すぎるので、そうした部分で本を読んでいて「読者のわたしが代わりに怒らなきゃ、誰が怒るのよ」という意味で色々思うところはあるにしても――だからといって、竹宮先生をそのことであれこれ責めるというのは、萩尾先生の本意でないとわかるからです。
また、青春の門の入口のところに立った時には夢や愛や理想に燃えていたにも関わらず、青春の門の出口あたりから出てきた時には大抵の方が傷だらけ――とまではいかなくても、なんらかの傷を負っているのが普通ではないだろうか……という意味において、萩尾先生が思い出したくないであろう過去の傷も含め、わたしにとって萩尾先生や竹宮先生の過ごされた青春の1ページというのは、それでもなお眩しく美しいものだとも感じました
なんにしても、次はまず『ポーの一族』を読むことからはじめたいと思います♪
それではまた~!!
ピアノと薔薇の日々。-【33】-
君貴はこの時、「わたしたち、これをどうやって乗り越えていったらいいのっ……」と、叫びながらマキが泣いていたのを思いだし、再び胸の奥が痛くなった。そして、同じ心の痛みを持つ隣の彼女に、寄り添うようにして眠った。今、彼にはレオンが「僕は今が一番幸せだよ、君貴」と言っていた、その「幸せ」の意味がよくわかる。彼もまた、マキが隣で眠る白いうなじのあたりを見たり、今ちょうど君貴がしているように――彼女の体温を感じながら、「この幸せがずっと続いて欲しい」といった気持ちを覚えていたのだろう。
そしてこの日の夜以降、君貴の中で、あるひとつのことが決まった。マキは君貴が再びやむなく、世界のどこかへ飛行機で旅に出るだろうと思っていたが、彼は暫くの間、東京にいるつもりだという。「わたしになら、気を遣わなくていいのよ」とマキは言ったが、君貴は「そういう問題じゃないんだ」と答えていた。
「確かに、俺はレオンと違っておまえの役には立たないよ。というより、ただ邪魔で目障りな存在ですらある……が、まあ、俺はマキが最低でも元気な赤ん坊でも生まない限りは――いや、生んだら今度はそれはそれで、心配なんだよ。そこまで考えて、初めて気づいた。これが普通の父親の感覚ってやつなんだろうってな。レオンもきっとそこらへんにいて、『今ごろ気づいたのか、このバーカ』とでも言ってることだろう」
そしてこの翌日、君貴の秘書の岡田が、レオンの残した<原稿>といったもののコピーを持ってきた。マキも岡田豊には何度か会ったことがあり、「ボスと言い争ったような際には、是非とも私めにお力添えを」などと恭しく挨拶されたものである。実際には弁護士資格を持つ、相当頭の切れる人物なのだろうが、その割に偉ぶってなくて、腰の低い人物――というのが、マキの岡田に対する人物評である。
また、マキはレオンによく電話をかけてきたマネージャーであるルイス・コーディに対しては、最初に会った瞬間から「やり手の手練れ」といったように感じており、仕事の打ち合わせをして彼が帰ると、レオンにそう話したことがある。すると、「さっすがマキだね」と言って、レオンは腹を抱えて笑っていたものだ。
「そうなんだよ!あいつの見てくれの腰の低さに騙されちゃいけない。あいつのあの、ハの字型の眉毛見た?なんとも見る者の哀れを誘うじゃないか。それがあいつの手なんだよ。それで、あの悲しそうな青い瞳でこう訴えてくるんだね。『お願いしますううっ。ぼぉくのクビが繋がるのを助けると思ってええっ!』なんていう具合にね。とんでもない奴だよ」
レオンとルイス・コーディがそうであったのと同じく、岡田はボスである君貴と英語で話していたため――彼らが一体なんの話をしているのか、マキにはさっぱりちんぷんかんぷんだった。そして、岡田が仕事の打ち合わせを二時間半ばかりもして帰ろうかという頃、入れ違いになるようにして、耀子が貴史を連れてやって来た。
息子を一晩預かってもらったお礼といった意味もこめて、マキは耀子のことを夕食に誘った。だが、君貴は夕食の時間になっても、レオンが残した原稿を読むのに夢中で――リビングのほうに顔を見せようとはしなかった。
「あの子がプロのピアニストにならなかった時……わたし、本当に自分の人生が終わったかと思ったわ。もっとも今じゃ、それで良かったんだろうなって初めて思えるようになってるわけだけど」
耀子の口に合うかどうかわからなかったが、その日マキは明太子スパゲッティやスープ、それにサラダなどをテーブルに並べていた。明太子のほうは、実家からたくさん送ってきたからと、ミナから分けてもらったものだった。
「こんなこと言うの恥かしいんですけど……」
マキは、子供用の席に座る貴史が食事するのを見ながらいった。
「わたし、君貴さんとはナイトクラブで初めて会ったんですよ。そしたら、酔っ払ってたのに、すごく完璧なリストの鐘なんて弾いちゃって……腕前のほうがもうプロ級で、本当にびっくりしたんです」
「建築家っていうのは、なんかよくわからないけど、忙しい生き物なんでしょ?マキさんにも苦労かけるわね……でも、あなたのほうであの子の出先についていくってわけにはいかないものなの?」
マキはドキリとした。もちろん、普通に考えたとしたらそうだろうというのは、よく理解できる。言ってみれば、夫の転勤先についていくようなものだ。
「今はあなたも妊娠してるから……子供が無事生まれるまでは日本にいたいのもわかるし、子育てするのも、こっちでのほうがいいっていうのもわかるのよ。だけどあの子、レオンのことでは相当落ち込んでるんじゃない?わたしも君貴とレオンがどこでどういうふうに知りあったのかとか、何も知らないけど――一緒にいて話してるのを見て、本当に心からの親友同士なんだなって思ったものだから」
「…………………」
マキにももちろん、君貴のそばにいたい気持ちはある。それに、レオンがいない今、前とは別の意味で、彼女にとっても彼が必要だった。けれど、君貴はレオンが不在の喪失感を抱えつつ――そのことをどうにか仕事による忙しさで紛らそうとするのではないかと思っていた。つまり、彼はいずれは前と同じ日常に戻っていくということだった。けれど、残されたマキのほうでは……ただ、レオンのいない日常を悲しく繰り返していくしかない。何分、お腹に彼の子がいる以上、彼のことばかりを思って何も食べず、やつれていくというわけにもいかないからだ。
「君貴さん、言ってたんですよ」
マキは、話を少し逸らすことにした。
「結局、建築家として自分が世の中に認められるきっかけになったのは、おふくろのピアノのスパルタがあったからだって。ええと、オランダのアムステルダムにある音楽ホール……そこが、君貴さんが今みたいに世に認められる建築家になるための第一歩だったとかって。それで、自分が元はピアニストなんていうものを目指していて、音響にも強い拘りを持ってたから、そういうホールを作ることが出来たんだろうなって。君貴さんは、口でお義母さんに直接そう言うことはなくても……心の中では感謝してると思うんです」
マキも、あまり食欲がなかったが、耀子があまりフォークを使ってないらしいのが妙に気になった。もしかしたら、口に合わなかったか、あるいはもともと明太子が嫌いだったのかもしれない。ただ貴史だけが、別に作ったお弁当を美味しそうにもぐもぐ食べている。
「ふうん、そう。あの子がそんなことをねえ……レオンのことだけど、わたし、彼に物凄く感謝してるのよ。だって、レオンともし銀座でばったり会わなかったとしたら――わたし、今でも君貴に子供がいるなんてこと自体、知らないままだったものね。マキさん、あなたにも会えて良かったと思ってるのよ。君貴のことだから、どうせわたしが気に入らないような女性と同棲なんてしてるに違いないと思ったものだから……こんな言い方したら、遠まわしの嫌味みたいに聞こえるかもしれないけど、本当に常識のある、まともそうなお嬢さんで良かったって思ったの。それだって、レオンが色々マキさんのことを教えてくれたから、一度くらい会ってあんなどうしようもないのの子供を生んでくれてありがとうって、お礼を言う気になったっていうことですものね」
――この時、君貴がバタンとドアを閉め、廊下をずかずか歩いてこちらへやって来る気配がした。彼はきのう以上に両方の目が赤かったが、そのことを隠そうともせず、興奮しきった口調で熱っぽく語りはじめた。
「すごいぞ、マキっ!たぶん、あのレオンが残した原稿が出版されたとしたら……あの中国女の書いたことなんか、おそらく問題でなくなる。といっても、ウォン・ヨウランの書いたことをその中で否定してるってわけじゃないんだ。ただ、ショパン・コンクールで優勝した時のことからはじまって、その後、ルイ・ウォンの残した遺産を受け取った時、何をどんなふうに考えてレオン・ウォン基金なるものを設立したかといったことや――あとはジュリアード音楽院へ入学して以降、ピアノとの向き合い方がどう変わっていったかということとか、あとは仲間に恵まれて学生生活がいかに充実してたかとか……その、マキは少しびっくりするかもしれないが、この原稿を書いてたのは、たぶんここで暮らしてた三年くらいの間のことなんじゃないかと思うんだ。それで、ピアニストを引退するつもりでいるから、自分の書いたことが何か若いピアニストの役に立てばと思い……とか、最後のほうに色々書いてある。確かに、この時期はモーツァルトのピアノソナタの全曲録音に向け、ウィーンに住んでモーツァルトのことばかり考えてたとか、楽曲についてこういう勉強をしたとか色々――大体時系列順に、レオンのクラシック音楽に対する想いや思想の変遷についてためになることがたくさん書いてある。あと、俺のことは友人として、こいつがああ言ってたとかこう言ってたとか、そんなことも出てきて笑っちまうんだが……とにかくこれが出版されれば、レオンの名誉は間違いなく回復する」
ここで、君貴は自分の母親の姿に初めて気づいた――といったように、「来てたのか、おふくろ」と言った。「ああ、そういえば貴史のこと預けてたんだっけ」と、今ごろになって思いだしたらしい。
「あんた、まさかとは思うけど、健忘症なの?ボケるとしたら、絶対わたしかお父さんのほうが先のはずだと思うんだけどね」
「そうだよ。どうせレオンから聞いてるんだろ?俺はよく、自分に息子がいること自体忘れてる。けどまあ、これからは嫌でも毎日顔を見ることになるだろうから、忘れたくても忘れることはなくなるだろうよ」
貴史は自分のことを言われていると理解してないらしく、「とうたん、おいちいよ。食べる?」と、フォークに刺したミートボールを差し出している。
「まったく可愛い子だな。薄情な父親に対して、食べ物の貢ぎ物か」
そう言って、君貴は貴史の差し出したフォークからミートボールを食べた。それが面白かったのかどうか、今度はブロッコリーを同じようにしている。
「ブロッコリーはおまえが食え。とうたんのキライなものだ、それは」
「え~っ?とうたんもキライなのー?タカくんも、あんまし好きくない。じゃあ、食べなくてもいい?」
「そうだなあ。じゃ、半分ずつにするか」
「うんっ!!」
マキは、君貴の分の明太子スパゲティをフライパンの上で作っているところだったが――この時、胸の中は悲しい気持ちと嬉しい気持ちがないまぜになっていた。きっとレオンのことだから、自分が今までピアニストとしていかに充実した人生を生きたかをその原稿の中で書いたに違いない。でもそれなら……あんなことをする必要などなかったではないか。そう思うと、マキの瞳からは再び涙がこぼれてきた。
「なんだ?おふくろ、こんなにうまいのに、あんまり食べてないな。まさか、高血圧でも気にしてんのか?」
君貴は耀子の食があまり進んでないのを見て、ずるずるスパゲッティをすすりつつ、そう聞いた。明太子のスパゲッティにニラと卵のスープという組み合わせは……彼も経験したことがなかったが、とりあえずどちらも美味しかった。
「あっ、ごめんなさいっ!わたし、友達からもらった明太子をいかに消費するかってことしか考えてなくて……そうですよね。お義母さん若く見えるから、ついそういうこととか思いつかなくて」
「いいのよ。もしわたしがマキさんをさして気に入ってなかったら、あとから美夏にでも電話して『年寄りを殺すつもりかしら』とでも言ったかもしれないけどね。それで、天麩羅がでたりトンカツが出た場合でも、まったく同じことを言うってわけよ。ただ、わたし今、レオンのことを思いだしてたの。彼、食の好みが少し変わってたでしょ?いつだったか、貴史も連れて三人でスパゲッティを食べに行ったことがあるの。そしたら、ビビンバスパゲッティを頼んでたわねえ……なんてことを思いだしてたのよ。その時、『もし耀子さんだったら、ピアノを弾けなくなったらどうする?』なんて聞かれたんだけど……局所性ジストニアだなんてね。発症したのは四年くらい前ってことだったけど、きっとそうしたことでも悩んでたんでしょうね」
「局所性、ジストニア……?」
マキは、何かを確かめるように君貴のほうを見た。病名を聞いたことはあったが、確信まではなく――ギタリストや理容師など、同じ動作を繰り返す人が、心因的にストレスのかかった時に、思ったとおり指が動かなくなる――といった症状の病気であるように記憶していたが、彼女の心には悠然とピアノを弾くレオンの後ろ姿しか思い浮かばない。
「俺も、さっき原稿の最後のほうを読んでいて知った。普段練習中に指が強張るといった症状が出たことはなく、いつでもコンサートの前日とか、緊張感が強く出る瞬間にそうしたことがあったらしい。だが、一度そうカミングアウトしてしまえば、これからもチャリティ・コンサートなんかは続けていくつもりでいるから……ミスが時折あっても見逃して欲しいと――あいつ、俺にもそのことは隠してたんだ。まったく、許せない奴だ。そんな大事なことを、今ごろになって紙の上の文章で知らせてくるだなんて……」
君貴は、スパゲッティを半分ほど食べたところで、再び目頭を押さえていた。マキも、マタニティウェアの上から着たエプロンの裾で、目尻の涙をぬぐっている。
「わたし、そろそろ帰るわね。これから、ふたりで話すことが色々あったり、マキさんもレオンが残したその原稿を読んだりしたいでしょう?あんまり食べてないけど、どちらも美味しかったわ。べつに、遠まわしの嫁いびりじゃないから、気にしないでね」
「いえっ、そんな……いいんです。わたしももっと色々、献立とか考えてたら良かったんですけど……」
「いいのよ。そんなことより、レオンのことは別として、嬉しかったわ。君貴も案外父親としてそこそこまともなようだし……あんた、さっきのこれからは毎日息子の顔を見るとかっていうの、本当なんでしょうね?」
耀子は椅子を引いて立ち上がりつつ、最後に心に残る心配な点についてそう聞いた。彼女は君貴やマキよりも長く生きている……その分、つらい別れをこれまでも経験してきた。レオンのことに関しては、ただふたりで支えあい、乗り越えていくしかないようなことだと思っていた。
「ああ、東京に事務所を構えるってな話を、さっき岡田としてたところだ。ニューヨークの本社とロンドンとロスの支社から人を募って、あとは現地で人員を募集するってなところだな。そしたら俺も、ここに帰ってこれる率が前以上に高くなるだろう」
「そう。そう聞いてほんと、安心したわ」
ケリーバッグを片手に持ち、帰ろうとする母親に対し、君貴は最後にふと思いだしてこう言った。
「そういや、おふくろは相変わらず修司さんの口すぼめが気に入らんらしいな。ありゃなあ、絶対ミカと出来の悪い二人の息子からくるストレスのせいだぞ。言いたいことは色々あるが、一度そんなことを口にしたら十倍以上にもなって返ってくるとわかってるから、結局何も言えないんだろう。それが口すぼめという顔の症状として出てくるのさ。あんな気の強い女をもらってくれたってだけで神に感謝すべきところを……梅干しを食べたわけでもあるまいし、イライラするだって?一歩家から外に出れば、世界有数のヴィオラ弾きとして人から頭を下げられるような人だってのに、そんなのはまったくけしからんことだぞ。あの口すぼめは絶対心因性のものだ。まったく、可哀想に……」
不適切とは思ったが、耀子は息子のこの物言いに思わず笑ってしまった。実際のところ、彼女は昔から三人いる子供のうち、長男と話している時が一番気が引き立って楽しいのだった。
「そうね。まあ、そんなこと言ったら美夏にも色々言いたいことはあるみたいだけど……それでも確かに、わたしも一時期はあの人のお陰で肩の荷が下りたと思って喜んでたんですものね。あの子、今も時々わたしに嫌味を言うのよ。自分が子供を生めば母さんに心から感謝できるかと思ったけど、むしろその逆だって。悠貴と貴翔に関しては、こんなろくてないガキに何を教えても無駄だと思って、ピアノを教えるのは早々に諦めたらしいわ。だから、わたしのことも同じように早めに見切りをつけて諦めて欲しかったって。君貴、もしかしてあんたもそんなふうに思ってる?」
「いんや。それとこれとは俺の中ではちょっと別だな。何より、俺には美夏より才能があったからな。それに、クラシック音楽やらピアノやらで身に着けた教養や素養ってのか?そういうのは、今も仕事に役立ってるし、おふくろには感謝してるよ。ただ、俺のほうでろくてなかったために、おふくろは俺に投資した時間やら労力やらを回収できなかったって意味で、申し訳なく思うというそれだけだ」
「ふうん。そう……」
耀子は胸が熱くなるあまり、このあとそそくさと帰ろうとした。君貴はまだスパゲッティを食べていたが、マキと貴史が玄関まで見送りに出てくる。
「ばあば、次はいつくるの~?」
「そうね。タカくんがばあばに会いたくなったら、パパとママと一緒にいつでもうちへいらっしゃい。じいじも楽しみにしてるからね」
じいじのほうは、七十を過ぎた今も指揮者として世界中のあちこちで公演を行なっており――家のほうは留守にしていることが多い。だが、彼もまた実は、あることで耀子と意見が一致していた。「孫はもちろんみんな可愛いけど、貴史はその中でも特別な感じがするね」と……。
「お義母さん、嬉しそうだったわね」
「ああ?一体何がだ?」
マキは君貴のために、食後にお茶を淹れてあげた。確かに、耀子の言うとおり――レオンは中国育ちだったとはいえ、緑茶の味にうるさかったというあたり、確かに味覚のほうはちょっと変わっていたに違いない。
「ううん。なんでもない。それより、レオンの原稿、わたしも読ませてもらっていい?」
「無論だ。おまえさ、大体一章分くらい読んだら、感想とか言わなくていいから、こっちに持ってきてくれ。その間、貴史のことは俺が見てるが、あんまり急いで大事な部分をまずは順に読んでいったもんでな……もう一回最初からゆっくりレオンの書いたことを頭に入れていきたいんだ」
「わかったわ。それで、君貴さん……さっきお義母さんと話してたことなんだけど、東京に事務所を構えるつもりだっていうの、本当?」
再び、食事の続きをはじめた貴史に対し、「おまえは相変わらず食うのが遅いな」などと、君貴は注意するが、貴史のほうは変わらずマイペースなままである。
「ああ。自分のことなら気にしないでだのなんだの、そんな話はあとにしてくれ。もともと、俺が日本での仕事を極力引き受けようとしなかったのは――おふくろのことが頭のどこかにあったからさ。『世界のアトゥーであるために、日本では仕事をしようとしないんだろう』なんて言われたこともあるが、そういうことじゃない。まあ、マキがこれからあれこれ言っても俺の決意は固いから、「ふうん。あっそう」くらいに思っておいてくれ」
「世界のアトゥーね」
マキは少しだけ笑って、君貴に渡された原稿を片手に、部屋へ閉じこもった。彼は前から時々、「俺、マキと結婚するとしたら、尾崎家に婿として入りたいな」と冗談で言っていたのだ。「どうして?」と聞くと、「アトーだのアトゥーだの、外国人どもは誰も、俺の苗字を正しく発音できない。そのくらいだったら、キミタカ・オザキのほうがなんとなく格好いいじゃないか。世界のキミタカ・オザキ。うん、こっちのほうが何かしっくりくるぞ」と。
このあと、マキは一時間もしないうちに、君貴と同じく、目を泣き腫らしながら部屋から出てきた。それから無言で原稿のほうを彼に渡したのだが……君貴は貴史と一緒にプラレールで遊んでいるところだった。この時貴史は、電車のいくつかを指差し、「とうたん、ありがとう」と言っていたが、彼にはなんのことやらさっぱりわからなかったものである。
そして、マキは踵を返して再び部屋へ戻ろうとして――キッチンの洗い物がすっかり片付けられているのに気づいた。
「いいのよ、君貴さん。わたし、あとでやろうと思ってたから……」
「べつに、食器洗浄機に皿なんかを突っ込んだってだけの話だろ?あと、このガキも風呂に入れたりなんだりせねばならんのだろうな。そういうこともあとで教えてくれ。まあ、俺も時々くらいならそんなこともしてやれるだろうから」
「そんなに無理しなくていいのよ。ほら、わたし、レオンのことは特別だったと思ってるの。もともと軽く潔癖気味だとは本人も言ってたけど……家事や育児があんなに好きっていう男の人のほうが珍しいと思うの。だから、どっちかっていうと、わたしの中では君貴さんのほうが普通っていうか……」
貴史がそろそろうつらうつらしはじめてるのを見て――「貴史が眠そうだったら、寝かせてもいいのか?」と君貴は聞いた。彼もまた、レオンの原稿をあらためてじっくり読みたかったのだ。
「そうね。でも、歯を磨いたり、色々あるから……今日はわたしが寝かしつけるわ。君貴さんはレオンの文章を読んでて」
――こうしてふたりは、この日の夜遅くまでかかって、レオンの残した原稿を読んだ。例の事件があってから、テレビでは連日ピアニスト、レオン・ウォンのこれまでの足跡というのだろうか。そうした彼の人生をまとめた映像が幾度となく流れていたため……その映像とも相まって、マキは涙が止まらなかった。
中でも、レオンが十六歳でショパン・コンクールで優勝した時の映像は何度も使われていた。その後、レオンはピアニストとして自信が増していくにつれ――時にナルシスティックと形容してもいいほど自信に溢れ、時に不敵ともいえる横顔をすることもあり、それがある種の人々の勘に触ることがあったによ……ショパン・コンクールの時は本当にこの時にしかない、特別な雰囲気を身に纏っていた。
なんというのだろう、十代の少年に特有の汚れなき純粋さ、とでも言えばいいのだろうか。また、言動のほうも少しばかり幼く、丁寧で礼儀正しくはあるのだが、内気で繊細といった部分を隠しきれない――常にそうした様子で、これは演技でそう出来ることでないというのは、見ている人間誰しもに伝わっていたことだろう。
そして、それゆえこそのレオン・ウォンフィーバーといっていい状態が、世界中で長く続くことになったわけである。実際にはこの時レオンには相当つらい過去があり、記者会見で泣いていたのも『ハゲのブタが死んで良かった』ということに由来するものであったとはいえ――「僕を引き取ってくれたミスター・ウォンが亡くなったと聞いたものですから……」と語る彼の言葉を疑う人は誰もいなかったことだろう。もし仮に疑ったとすれば、ヨウランを含めたウォン家の人々だけだったに違いない。
けれど、>>「ショパン・コンクールで優勝したことから、僕の本当の人生ははじまった」と書いてあるだけでも……その裏にこめられた意味がわかるだけに、たったそれだけでも、マキも君貴も涙腺が緩んでいたといえる。この、プロのピアニストとしての初期の時代を、レオンは「修行時代」と呼び、演奏旅行先として訪れた国や市について、その歴史的なことや実際に町を歩いた時の印象などを、随分細かく書いていたものである。君貴は「この家にいる間に書いたのではないか」と言っていたが、マキはあまりそう思わなかったかもしれない。どちらかというと、当時からすでにレオンは、そうしたことを日記に書き記すか何かしていたに違いない。そして、そうした過去の記録を参照して、あらためて文章にしていったのではないかとマキは思っていた。そのくらい、細部に至るまで描写のほうがしっかりと描き込まれている。
>>続く。