こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

NYガールズ・ダイアリー。

2022年04月07日 | 日記

 

 今のところ、わたしが見てるのはシーズン3までです

 

 いえ、もし本屋さんに『NYガールズ・ダイアリー』という本があって、オビのところにでも「これがZ世代のリアリティ!」とか、「ニューヨークで働く女性たち、必携バイブル!」とでも書いてあって――訳者さんの解説として「本書は、実際に二ューヨークの出版社で働くZ世代の女性が書き、たちまちベストセラーになった本です」とか、「ツイッターのツイートがたちまち話題となり、フォロワーが増えに増え、とうとう一冊の本になりました」とか書いてあったとしたら……たぶんわたし、速攻レジまで持っていったと思います

 

 でも、どうやらそうした原作があるわけでもないらしい……のは、シーズン1の最初のほうを見ててわかりました。なんでかっていうと、SATCとかアグリー・ベティとかプラダを着た悪魔とか――明らかに色々なものが混ざってるなという印象だったからです。

 

 あ、ちなみにわたし、『NYガールズ・ダイアリー』っていう作品自体は割と好きなほうですなので、もし感想書くとしたら……結構好意的なことを並べて終わる感じかなって思ってました。ところがですね、シーズン3を途中まで見てて――「もしやこれは……」と気づいたことがあったわけです。

 

 ええとですね、わたしその前にたまたま偶然『AND JUST LIKE THAT...』っていう、SATCの続編を7話くらいまでを見てたんですよ。そしたら……SATCの製作サイドさまのほうではもしや、『NYGD』(原題はThe Bold Typeなんですけど、面倒なのでこの略称で!笑)のパクリに対して非常に怒ってらっしゃるのではないか――ということが、だんだんわかってきたわけです。

 

 その~、SATCのファンの方がもし『NYGD』を見た場合、基本的に「SATCには遥かに及ばないけど、これはこれで悪くないんじゃない?」くらいな印象じゃないかなって思うんですよね。わたしも大体、そんな感覚で見てました。あと、あの「クローゼットに全員集合!」っていうのは、雰囲気的にアグリー・ベティを思いださせるし、ファッション誌で働いてる三人の女性たちがメインキャストなわけですけど、この「ファッション誌で働いてる」っていう設定は、プラダを着た悪魔を全体として髣髴とさせます。

 

『プラダを着た悪魔』、わたしも大好きなんですけど、原作を先に読んでから次に映画を見たっていう感じです。あのお話は、作者のローレン・ワイズバーガーさんがヴォーグで短い間働き、伝説の編集長であるアナ・ウィンターにいかに理不尽にこき使われたか……ということが元になってたりするわけです。それで、主人公のジェーンとサットンとキャットの上司である<スカーレット>っていう架空のファッション誌の編集長は、このアナ・ウィンターを正反対にしたような、厳しいけれども人間としての優しさも合わせ持つ、理想の上司にして家庭のほうもうまくいってる素晴らしい女性なわけです(『コスモポリタン』の元編集長ジョアンナ・コールズさんがモデルらしい)。

 

 まあ、そんなわけで見た方の多くがわたしと同じく「色んなものが混ざってるなあ」と思いつつ、「まあ、べつにそれが悪いとかってわけじゃないんだけど……」くらいな感覚で見ていくんじゃないかなって思うんですけど――シーズン3まで見た時、初めて「アメリカのSATCファンの方はNYGDをどう受け止めて見たのかな」と気になったわけです。これはあくまでわたしの想像ですけど、シーズン1の後半エピソードに、<スカーレット>の企画でSATCの名所を回るツアーみたいのが組まれてたと思います。で、そこ見た時も思ったんですよ。「あ、もしかしてこれ、『SATCのパクリじゃね?』ってことに対する、ちょっとした反応なんじゃないかなあ」みたいに。

 

 でも、わたし自身の感覚としてはSATCとNYGDって、その時点ではあまりに格が違いすぎるという印象だったので、「そんなに目くじら立てる必要もないのでは……」くらいな感じで引き続き2と3を順に見ていったわけです。ところが、3くらいになってくるとだんだん面白くなってきて――4とか5(5でファイナルらしい)って、どんな感じの展開になって終わるのかなって思いました。

 

 それで、今のところわたしの中でNYGDって「まあまあ面白いかな」ってくらいな感じで、わざわざブログに記事書いてまで「面白いから、他の人にも絶対見て欲しい!」とまで、強烈にプッシュできる感じではないんですよね。

 

 と、ところが……本家本元のSATCさまがその続編の『AND JUST LIKE THAT...』にて、ある意味「必殺!パクリ返し」をしておられるのではないかという疑惑が出てきて――それで突然こうして記事にしたくなったわけです(どーいう理由よ・笑)。

 

 その~、とりあえずわたしがシーズン3まで見た、「SATCの製作者サイドさまは、このへんにカチン☆ときたのではないか」という点を、ちょっと挙げてみたいと思いますm(_ _)m

 

 まずひとつ目。SATCの主人公のキャリーって、セックスコラムニストっていう職業なわけですよね。ところが、NYGDの主人公のジェーンも、自身セックスについてのコラムを書いたりしながらも、「自分はそれよりも社会派を目指してる」みたいなことを、シーズン1の最初のほうで言ってましたよね?わたしの記憶に間違いがなければ、<ピンストライプ>っていう男性誌で同じようにセックスについてコラムを書いてるライアンに、「セックスコラムニストって言われるのってどんな気分?」って聞いてた気がする。なんと言いますか、「自分はそれよりも上を目指してるのよ」的な??

 

 なんか、こんなふうに書くとジェーンがやな子みたいですが、むしろ逆にジェーンはめっちゃ良い子なのです。なんていうか、キャラ的にはキャリーにシャーロットのおカタさを足して2で割ったような感じかな、なんて(笑)。

 

 それで、実際のところ、SATCは毎回が神回みたいなドラマでしたから、そことは比すべくもないにしても……でも、NYGDって、確かにコメディ要素がSATCほどない分、女性を取り巻く社会的状況について、「こういうことが問題だよね」ということと真面目に向き合ってたりもして、そのあたり、自分的には高く評価したいと思ったりはしてました(あ、SATCはもうドラマ自体が社会現象でしたから、そうした意味でもうわざわざ言及する必要さえないと思う^^;)。

 

 そんで、NYGDのSATCをパクッてるのではないか疑惑その2が、<ピンストライプ>という男性誌で働いていて、その後クビとなり、ジェーンとは一度別れるものの、再びつきあいはじめるライアンという男性。正直シーズン3まで見てる今の段階で、ジェーンとライアンってラブラブな関係であるにも関わらず……あんまり最後ここがくっつくとは思ってないかもしれません(あくまで個人的感想☆)。ただ、このライアンって、キャリーが最終的に結婚したビッグに顔が似てるんですよね(笑)。たとえて言うなら、もしビッグが二十代だったらこんな感じだったんじゃないかな、という。。。

 

 わたしがそのことに気づいたのって、ジェーンがライアンに対して「ポルノ見ながらやってるところ見せて」って言ったシーン見て、です。いえ、『AND JUST LIKE THAT...』の第1話に、すごく似たシーンがあるんですよ。でも、ジェーンたちは二十代だから、「そんなことがあってもいいかもね」で済みますけど、キャリーとビッグって、この時点で五十代と六十代とかですよね?最初見た時、「…………………」みたいに少しだけ思ったものの、ビッグがそのあと△□っちゃうこともあり――それ以上そんなに深く考えませんでした(笑)。

 

 しかも、そんなシーン見て初めてビッグとライアンの類似性に気づくとか(そりゃビッグは大金持ちの実業家だったと思うけど!)……そのあたりもそうですけど、他に、主人公のひとりのキャットがレズビアンで、『AND JUST LIKE THAT...』でも、ミランダがコメディアンの女性と出会ってレズビアンに転向(?)しちゃうじゃないですか。その~、キャットが3で結ばれてる黒人のティアもすごく魅力的で可愛らしい、素敵な女性だけれど、ミランダの相手役のチェ・ディアズさん、正直わたし見てて「すげえっ!!」って思いましたよ。

 

 だって、あんな魅力的で面白い人、一体どこから見つけてきたんだろう……っていうくらい(調べたらサラ・ラミレスさんでした。『グレイズ・アナトミー』のカリー役だったのに、一瞬わかんなかった!!笑)。で、チェ・ディアズもハッパやってるし、キャットも市議会議員に立候補してるけど、「大麻合法賛成派!」みたいな感じで、時々大麻をやることもある――っていう、そんな設定。

 

 このあたりの<感じ>に共通点があるっていうことと(ティアとチェ・ディアズって、見た目的にも若干被ってる気がしますし^^;)、SATC時代はそんなんでもなかったのに、『AND JUST LIKE THAT...』では、ポッドキャストにキャリーが出てたりと、SNSっていうことが物凄く意識されてる。そして、キャットは<スカーレット>のそうしたソーシャルメディア部門を任されてるトップという設定なのです

 

 これはあくまでわたしの印象論でしかないんですけど、「NYGDの製作サイドにはSATCに対するリスペクトはあっても悪意はない」という、そんな感じがするにも関わらず、『AND JUST LIKE THAT...』は、はっきり「NYGDって、そもそもわたしたちのパクリじゃな~い?」といった空気感があって、この差はどこから生まれてきてしまったのだろう……みたいに思ったりしました

 

 ええとですね、SATCって、原作者にキャンディス・ブシュネルさんがいらっしゃって、キャンディス・ブシュネルさんの書いた『リップスティック・ジャングル』っていう本があるんですよ。わたし、原作は読んだんですけど、ドラマのほうは見てないので、そこらへんはわからないものの――『リップスティック・ジャングル』も三人の女性が主人公で、ヴィッキーはファッションデザイナー(実際のところ、サットンも今デザイナーを目指してる)で、ウェンディは映画プロデューサー、ニコは『ボンファイアー』という雑誌の編集長からさらに出世し……みたいな設定だったと思います。それで、ニコはヴァーナー・パブリケーションズという出版社で働いてて……ここ、たくさんの雑誌を抱える大きな会社で、雰囲気として<スカーレット>の編集部が入ってるサフォード社と重なるところがあります。それで、ニコは出世のために手回ししてライバルの男性を追い落としたりしてるんですけど、シーズン3で、パトリックっていう<スカーレット>のデジタル部門の編集長になる男性が出てきたりもするんですよね。いえ、キャラ的に一切被るところないとはいえ、「なんとな~く雰囲気として、キャンディス・ブシュネルさんの書かれた小説をちょっとパクッてるかな~」的空気感っていうのが、間違いなくあると思うわけです(サフォード社のトップと、ヴァーナー・パブリケーションズのトップには似通ったところがある気がする^^;)

 

 だから、こうしたことも総合して考えた場合……『NYガールズ・ダイアリー~大胆不敵なわたしたち~』の原題って『The Bold Type』なんですけど、これは日本語訳では「大胆なタイプ」ってことらしいのですが――自分的にこうしたことに気づいた時、こう思ったりしました。「どこまでなら大胆にパクッてもいいか?」とSATCサイドさまが思ったとしても、無理はなかったのかな~なんて……。あと、わたし的なBoldから連想する言葉としてボーダーがあることから……『NYDGは、SATCをパクッてるように思われるが、その行為はボーダーライン上でNGか、それともボーダーライン下でギリギリセーフなのか?』ということだったかもしれません。

 

 つまり、わたし自身は『NYDG』って、今のところかなり好意的な目線で見てる作品です。でも、他の方でこの両方を見た方が下すジャッジとしてはどっちなんだろう――という、そんなことが気になったというか。。。

 

 あ、実は先日4/6で、密林さんではNYGDが配信終了となりました。そこで急いで慌てて見たら、こんな気づきたくないことに気づいてしまい、記事にせずにはいられなくなったという。それとも、これから4と5まで見た場合、「あ、間違いない。これは地雷踏んでる」とか、「SATCの製作者サイドさまが怒るのも無理ない」という描写が他にもあるのかどうか……わたし的に続きそんなに気にならないドラマであるにも関わらず、そんなことが気になって、フールーと再契約して全部見ようかどうか、現在迷い中です(笑)。

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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