わたしの持っているこの本の、作者のところには、
作者/シシリー=メアリー=バーカー
1895年、ロンドン生まれ、1973年没。
幼い頃から体が弱く一生独身で過ごす。
熱心なクリスチャンで、草花や子供をこよなく愛した。
挿絵のフェアリーは、姉が経営する幼稚園の子供たちがモデルといわれる。
とあります。
病弱で、学校にも通わなかったかわり、家庭内で教育を受け……もともとシシリー自身に絵を描く才能があったと思うのですけれども、水彩画の心得のあったお父さんが良き師ともなり――ただ、お父さんのウォルターが41歳という若さで亡くなると、バーカー家は経済的困難に見舞われます。
シシリーの姉のドロシーが教員の資格を持っていて、バーカー家の財政を支えたようですが、シシリーもまた自分の描いた詩作品や水彩画を雑誌社に売ることで、家計を助けたと言います。
また、ここまではウィキのまとめ、ここからはウィキのコピペ☆となりますm(_ _)m
>>1917年と1918年に、シシリーは後に彼女を有名にする計画に着手した。彼女が愛してやまなかった、自然と子供たちの姿を美しい形で一つにまとめあげる計画――「花の妖精」の絵を描くことを始めた。シシリーは植物学的な正確さを求めて花々を観察し、また生き生きした子供たちの姿を活写するため、近所の子供をモデルにスケッチを描いた。
こうして、シシリーは『春の花の妖精(Flower Fairies of the Spring)』を作り上げたが、彼女の本を引き受けてくれる出版社が見つかったのは、1923年のことだった。ブラッキー社(Blackie)が、彼女の詩と妖精の挿絵、各々24作を引き受け、シシリーに25ポンドを支払った。「花の妖精」シリーズの第一作だった。
シシリーは内気な性格であったので、外の大人の世界とは隔絶して、家族に守られる生活を続けた。彼女の詩には、純粋さと無垢の要素が維持されたが、このような彼女の生活から来たものとも言えた。
1924年に、姉のドロシーは自身の児童学校を開き、シシリーと母親を連れて、同じクロイドンのなかであったが、引っ越しを行った。学校の庭にシシリーはスタジオを建て、姉の学校の生徒である子供たちをモデルに、更に多数の絵を描いた。
自分的に……>>シシリーは内気な性格であったので、外の大人の世界とは隔絶して、家族に守られる生活を続けた。彼女の詩には、純粋さと無垢の要素が維持されたが、このような彼女の生活から来たものとも言えた。――というところ、これって、彼女の絵を見た人のほとんどすべてがそうと感じることですよね(^^;)
こうした純粋無垢、ピュア120%といった感覚って、どこからやって来るものなんだろう……みたいに。そして、シシリーのこうした生い立ちや性格的なものを知ると、妙に納得してしまうわけですけれども、本当にシシリーの絵って、彼女の目には本当にこんなふうに見えていたんだろうな、みたいに見る人に思わせますよね。
それこそ、妖精が彼女の元にこっそりやって来て、秘密を打ち明けてくれたんじゃないかな……って、むしろそう信じることのほうが自然だと思えるくらいの、とても純度の高い世界
こうした美しく清らかで汚れがなく、自然の中に永遠を垣間見ることの出来た人だけが表現できる世界って、本当に憧れてしまいます
そしてつくづく、ピーター・ラビットを描いたビアトリクス・ポターがイギリス出身だったり、ハリー・ポッターの作者であるJ・K・ローリングさんなどがイギリス出身であることを考えあわせてみても、彼の地にはやっぱりそうした「何か」があるんじゃないかという想像力をかきたてられてしまいますよね♪(^^)
なんにしても、シシリーの新しい本を密林さんで見つけたので、いつか買えるといいなと思っている次第であります(^^;)
それではまた~!!
灰色おじさん-【12】-
――こういった経緯により、翌週の八月の第二金曜日、ブレンダンは八人乗りのワゴン車に子供四人を乗せて、サーハン山まで出かけてゆきました。まずは、山の麓付近の川原に車を止めると、ブレンダンとリアムとグレイスは、釣りをするための準備をはじめました。胴長をはき、エサなど、釣りに必要な小物をポケットに入れ、あとはそれぞれ釣りざおを伸ばしてセットします。
「じゃあ、エリザ」と、最後にブレンダンは言いました。「車は日陰に置いておいたから、まあ、外にいるのにも飽きたら、車の中でおやつでも食べてろ。あと、携帯はたぶん圏外になるから繋がらないぞ。だから、くれぐれもふたりとも、ここからあまり離れない場所で、<安全に>遊んでくれ」
ブレンダンはこの『安全に』という言葉に力を入れました。ブレンダンたちは、一度ここから離れたら、軽く二、三時間かそれ以上は戻って来ません。ですから、「そろそろ退屈になってきた」という理由から、ふらふらあちこち歩きまわってるうちに迷子になった……などということになっては困ります。
「わかってるわよ、お兄ちゃん。っていうか、きのうも今朝もパパとママのいる前でしつこくわたしに約束させたじゃない。車のある場所からあんまり遠くへ行かないとか、退屈だからといって、変にあたりを探検しようとするなとか、そういうことだけど」
「わかっていればよろしい」
こうしてブレンダンは、リアムとグレイスだけ連れて川の中へざぶざぶ入っていき――アリスとエリザの目には、三十分もしないうちに三人の姿はカーブした川の向こうへ消え、見えなくなってしまいました。
そして、グレイスはといえば、ようやく気心の知れたブレンダンとリアムの三人きりになれたので、心からほっとしていたかもしれません。今回の釣りに関していえば、グレイスは本当はまったく来る気がありませんでした。というのも、アリスとエリザが一緒に来るというのでは、釣りなんてしてもまったく楽しいとは思えなかったからです。
けれども、ブレンダンからこう言われて説得されたのでした。
「俺も、細かいことはよくわからんが、来年もう一年、グレイスはアリスとエリザと一緒なんだろ?もちろん、一回くらい車に乗ってどっか行ったところで、三人が仲良くなるとは俺も思わない。でも、ここらへんで一度誤解を解いておいたほうがいいと思うんだ。アリスはリアムとグレイスの仲がどういうものなのかを知りたいんだとさ。だから、グレイスもそう思ってリアムとは話したほうがいい」
「何よ、それ。馬っ鹿ばかしいっ!!」
思わずそう、電話の送話口に向かって怒鳴ってしまったグレイスですが、その後、ブレンダンの言うことももっともかもしれないと思い、仕方なく今回の釣りへやって来ることに同意したのです。
行きの車の中では、グレイスはブレンダンの隣の助手席に座っていました。いつもは後部席にリアムとグレイスのふたりで座るのですが、今日はこちらにアリスとエリザとリアムの三人が並んで座っています。
「おまえら釣りもしねえのにさあ、俺たちにくっついて来てどうするんだよ?」
そうリアムも言っていたものですが、エリザべスは「まあべつにいいじゃないのよ」と言ってうまくごまかしていました。ちなみに、エリザべスはリアムと会って直接話すのは、この日が初めてでした。もちろん、アリスからリアムのことは色々聞いていて、すっかり知っているような気になってはいましたが、もともと学年も違いますし、学校では廊下ですれ違ったことがある……といった程度の接点しかなかったからです。
けれどもエリザは、まるで昔からリアムのことを見知っているといった様子で、リアムとアリスの間に陣取って、うまくふたりの橋渡しをしていたものでした。実をいうと、グレイスを自分の助手席に座らせたのはブレンダンでしたが、彼には後ろの二列目や三列目の座席にグレイスのことを座らせるつもりは毛頭なかったからです。
こうして、行きの車の中では、二列目の座席に座る三人と、運転席と助手席のふたりで話しこむといった形になり、グレイスのほうではほっとしたかもしれません。もちろんリアムはグレイスに時折話しかけてきたり、また、エリザも自分の兄に話しかけたりはしましたが、それも必要最低限といった感じで、五人は行きの車中で食事をすませると、最後に一番近場のコンビニで用を足し、目的地までやって来たのでした。
正直、この時点ではアリスにはリアムとグレイスが思ったほど仲が良いとも思えず、心の中でほっとしていたかもしれません。それで、ブレンダンに率いられるような形でリアムとグレイスがいなくなると、エリザべスに「わたし、思いきって今日ここへ来てよかったわ」と話していました。
「ようするにグレイって、リアムにとっては女の子だけど男友達みたいなものなんじゃないかしら。あれならそう心配するような必要もなさそうだわ」
「確かにそうよね」と、暑い日差しに、日焼け止めクリームを手足や首筋などに塗りながらエリザベスは言いました。「それにあの子、日焼け止めクリームも塗らないでこの暑い中を出かけていったのよ。きっとね、今はいいかもしれないけど、五、六年後にはみっともなくシミだらけになるに違いないわ。だからアリス、あんな子最初からアリスの敵なんかじゃなかったのよ」
アリスとエリザベスは、このあと少しくらいは周囲の自然を散策したりもしましたが、結局のところすぐ車中へ戻ってきて、エリザベスのママの作ってくれたお弁当を食べながら、おしゃべりして時を過ごしました。それでも、三時間ばかりしてもブレンダンたちが戻ってこなかったため、再びあたりを散歩したり、街中では見られない花を見つけては摘んでみたり……そんなふうに車とあたりを行ったり来たりしていたのですが、一度「クマ出没注意!!」と書かれた赤い看板を見てゾッとし、さらには大きなヘビが草むらの中を這っていくのを見かけた時には――ふたりとも半分パニックになっていたかもしれません。
こうしたわけで、アリスとエリザべスとは、一度は車の中へ引きこもったのですが、やはり暑さには勝てず、車の中と外とを何度も往復するといったことを繰り返しつつ、ブレンダンとグレイスとリアムが帰ってくるのをひたすら待っていました。
ところが、この日、ふたりが遭遇したのは『クマ出没注意!!』の看板と大きなヘビだけではありませんでした。五人がノースルイスを出たのは、大体午前の十時頃であり、サーハン山へ辿り着いたのが、十一時過ぎ頃のことでした。そしてブレンダンとリアムとグレイスは、その後三時近くになっても戻って来なかったわけですが――三時十三分頃、この地方を震度六の大きな地震が襲いました。その時、アリスとエリザベスは車の中で「あ~、暑いわねえ」とか、「あのバカどもは何してるのかしら」とブツブツ言っていたのですが……突然のあまりの大きな揺れに、すぐ互いに互いを抱きあいました。
この時、ブレンダンとリアムとグレイスもまた、川の上流でこの地震の大きな揺れに遭遇していました。地震が起きる前までの収穫は、ブレンダンが山女七匹、虹鱒二匹、岩魚三匹、リアムが山女三匹、虹鱒一匹、グレイスが山女三匹、岩魚一匹といったところでした。けれどもこの時三人は、思い思いのポイントに釣り針を垂らしながら――突然の揺れに驚きました。リアムなどは、足場の悪いところにいましたので、危うく川に落ちそうになりましたが、尻もちをついた程度で済んで良かったものです。ブレンダンは川の中に足の半ばまで浸かりながら釣りざおを下ろし、グレイスは土手の上に立ったまま川の深みに釣り糸を垂らしていたのですが……グレイスは驚きのあまり四つん這いになり、釣りざおを離したという程度で被害のほうは済んでいたと言えます。
「おい、ふたりとも大丈夫か!?」
ブレンダンはふたりの元まで戻ってくると、リアムとグレイスの無事を確認し、ほっとしました。ブレンダンは先頭に立って進んではいましたが、いつでも後ろのグレイスとリアムのことは気にかけて、彼らが視野の端に見える場所で釣りざおを下ろしていましたが、それでもこうなってみるともっと二人に気をつけていれば良かったと後悔しました。
「あたしは大丈夫よー、ブレンダン!!」
最初にグレイスがそう叫び、次に、リアムが「俺もー!!」と声を上げます。ブレンダンはざぶざぶ川の中を戻ってくると、グレイスの釣りざおを陸のほうへ戻してやり、尻を押さえているリアムには「どこか打ったのか?」と声をかけました。
「うんにゃ。ただ地震が来た時、足場の悪いとこにいたからさ、ちょっとケツが地面に当たったってだけ。こんなの大したことねえよ」
「そっか。なんにしても、もう釣りはやめて川下へくだろう。エリザとアリスのことも心配だから」
こうして三人は、元来た道を引き返すことにしました。ブレンダンはかなり早足に戻りはじめていましたが、何分、リアムとグレイスは子供の足です。彼はふたりの歩調を気にしながら急いだのですが、もうかなり上流まで来ていましたので、戻るだけでも一時間はゆうにかかるに違いありません。それに、もう一度また地震が来るとも限りませんでしたから、ブレンダンはそのことも心配でした。
「さっきの、随分ぐらっと来たわよね。あたし、サウスルイスにいた頃も地震はあることにはあったけど……あんなに大きいのは初めてだわ」
「俺もだよ。家のほうとかどうなってかなあ。どこもなんともなけりゃいいけど……」
実をいうと、三人は屋外の自然の中にいたため、家の中などにいた人とは、地震の大きさの感じ方が違いました。実際、リアムは家に帰ってからびっくりしたものです。食器棚のものは外に飛びだして割れ、リアム自身の部屋も強盗が荒らしたという以上に目茶苦茶になっていたからです。
家と連絡を取ろうにも、サーハン山のこのあたりでは携帯に<圏外>と表示されてしまうため、もう少し街のほうへ近づく必要がありました。この時、ブレンダンの頭にあったのは、父親や母親が無事かどうかということよりも、エリザベスやアリスが無事でいるかどうかということだったかもしれません。ブレンダンもまた、帰宅して家の中が目茶苦茶になっているのを見るまでは……今の地震がどれほどの被害を各家庭にもたらしたのか、具体的に想像できなかったのです。
その後、とにかく黙々と歩き続けて、三人は一時間弱ほどで山の麓近くまで辿り着き、アリスとエリザと合流すると、彼女たちが無事であることを確認しました。
「お兄ちゃん!!」
「よかった、エリザベス。それにアリスも……地震が来た時、一体どうしてたんだ?」
ブレンダンは妹と抱きあい、それから怖かっただろうアリスのことも抱き寄せました。
「あたしたち、車の中にいたのよ。すごい揺れだったけど、ふたりで抱きあってるうちに、そのうち静まって……そのあと、そろそろと外へ出てみたの。怖かったわ」
「あたしも……」と、アリス。「パパやママがどうしてるか、とても心配だわ」
「そうだな。まずは携帯が繋がるあたりまで車を移動させて、それから家のほうまで電話しよう」
ブレンダンはそう言い、急いで胴長を脱ぎ、帰り仕度をはじめました。グレイスとリアムもそんな彼のことを見習うように、急いで釣りざおを片付けると、車に乗ります。
ところが、ブレンダンが車で下山する途中、道が土砂で塞がれていて、車では先に進むということが出来ないとわかり……「クソッ!!」と、ブレンダンは思わずハンドルを叩いていました。
「イライラしてもしょうがないな。みんな、車を降りてここからは歩こう。大丈夫だ。日もまだ高いし、歩いて帰っても明るいうちに帰りつける」
ブレンダンは車を降りると、まずは土砂崩れの状況を調べました。土砂崩れの状況はひどいものでしたが、それでも崩れていない端のほうを歩いていけば、向こう側の道へはどうにか辿り着けそうです。
ブレンダンはグレイスやアリス、それに妹のエリザベスの体を抱くと、土砂崩れを起こした不安定な道を歩いて、向こう側まで運びました。ただひとり、リアムだけは自分の足で歩くと言うので彼の言うとおりにしましたが、じっと見張ってその後ろを一緒に歩きました。
「よし、じゃあここからは歩いていくぞ。まあ、三十分か四十分も歩いていけば、街の端のほうには出るからな。そうしたら電話して、タクシーを呼べばいい」
時刻のほうはまだ四時半でしたし、ユトランド共和国はこの時期、九時を過ぎても外は明るいくらいでしたから、ブレンダンは何も心配していませんでした。けれども、歩いて二十分もしないうちに、今度は先ほどの土砂崩れとは比べ物にならないくらい大きな土砂災害と行き当たりました。大きな樹木が何本も道に倒れかかっており、ブレンダンひとりならともかく、子供にはとても乗り越えられない……乗り越えられたにしても、怪我をしないとも限らないといった心配から、ブレンダンは大きな溜息を着きました。
「わたしたち、どうなっちゃうのっ!?きっと、ママがわたしのこと、心配してるわ。ねえ、ブレンダン、携帯はどう?ここからでもまだ繋がらないの!?」
アリスが涙ぐみながらブレンダンに縋りつくようにしてそう聞きました。そこでブレンダンは、携帯をもう一度確認してみましたが、やはり<圏外>という文字が表示されてしまいます。
「ごめんな、アリス。携帯はここでもまだ繋がらないみたいだ。ここは俺ひとりならともかく、君たちに渡るのは無理だ。引き返そう。それで、引き返して車で安全なところまで戻って、救助が来るのを待つんだ」
「何言ってんの、お兄ちゃんっ!?さっきの結構大きい地震だったし、街のほうでも被害が大きかったら、わたしたちのほうにまでなんてとても手が回らないんじゃない?それより……」
と、エリザベスはそこまで言いかけて、喉に言葉が詰まってしまいました。目の前の土砂崩れを起こしている道はとても乗り越えられそうにありませんし、かといって彼女は引き返すというのも嫌だったからです。
「あたしは、ブレンダンの意見に賛成よ。リアムは?」
グレイスが隣のリアムにそう聞くと、彼もまた「俺もだ」と答えていました。
「だって、俺たちの行き先はサーハン山だって、俺の母ちゃんも父ちゃんも知ってるもん。それに、アリスやエリザベスのパパやママだってそうだろ?それに、グレイスのおじさんもさ。そう考えたら、今日中っていうのは無理でも、明日にはきっと誰かが助けに来てくれるよ。変に動いたりしたら、それこそ怪我したりなんだりして、ブレンダン兄ちゃんに迷惑かけちゃいそうだもんな」
「ありがとう、リアム。それに、グレイスも……」
エリザベスは泣きじゃくるアリスの手を握りしめると、一緒に元来た道を引き返すことにしました。どうやら、他に方法はありそうにありませんでしたから。
五人は車を置いたところまで戻ると、ブレンダンは車をバックさせ、切り返しのできるスペースのあるところで方向転換すると、最初に車を止めた川原まで戻りました。
ブレンダンとエリザベスのお母さんが作ってくれたお弁当はまだ残りがありましたし、グレイスはおじさんの持たせてくれたサンドイッチその他のパン、またアリスとリアムもそれぞれコンビニで買ったジュースやお菓子など、食糧のほうは結構残っています。
それに加えて、釣った魚もありましたから、ブレンダンは子供たちに木を拾ってくるように頼み、日の暮れる少し前に火を起こすことにしました。もっとも、串刺しにした山女に虹鱒や岩魚といった魚を食べたのはブレンダンとリアムとグレイスの三人で、アリスとエリザベスは決して食べようとはしませんでしたが。
「馬鹿だなあ、おまえら。せめて山女だけでも食ってみろって。すんごいうまいのにさあ。店で売ってる魚を焼いたのとは、全然違うんだぞお」
リアムはそう言ってムシャムシャ自分の釣った虹鱒を食べていましたが、アリスとエリザベスは「ぞっとする」とでも言うように、しきりと首をぷるぷる振っています。
「まあ、明日には救助の人たちが来るだろうが……でも、深刻に食糧がなくなったら、そこらへんの野の草でも食べるしかないぞ」
ブレンダンもまた、冗談でわざとそんなことを言って笑いました。
「わたしはそんなの、絶対嫌だからね、お兄ちゃん!そこらへんの草なんか食べるくらいなら、餓死してやるわ!!」
「あたしだってそうよ!」
エリザベスとアリスのそんな様子を見て、リアムとブレンダンはますます愉快に笑っていました。けれども、グレイスがずっと黙ったままでいたので、ブレンダンは母のタマラの作ってくれた春巻きをひとつ差し出しました。
「ほら、グレイスも遠慮しないで食べろよ。うちの母さんの作る料理、結構うまいんだ」
「う、うん……」
グレイスは普段、同じ年齢の子よりもしっかりしたところがありましたが、やはり心細いのかもしれないと、ブレンダンはそう思いました。最初は、アリスが一番こうした事柄に弱く、エリザベスが表面上は気丈に見えてもパニックになるかも知れず、この中で一番非常事態に強いのはグレイスではないかと彼は思っていました。けれども、こんなところで一晩を明かさなくてはならないとなったら、周囲に明かりもありませんし、暗くなってきたせいもあって、心細くなってきたのかもしれません。
けれども実際は少し違いました。もちろん、グレイスにしてもまったく何も心配でないわけではなく、心細くないというわけでもありませんでした。ただ、まだ全然こんなのは<絶望的な状況>というのとは違うと認識していました。ただ、グレイスは気の合わないアリスやエリザベスがいるために、そちらのほうで気疲れするものを感じていたのです。
(これがもし、ブレンダンとリアムと三人で遭難したとかだったら……あたしも今ごろ、大口開けて笑いながら岩魚でもムシャムシャ食べてたんだろうけど。この子たち、無事下山できて新しい学期がはじまったら、あたしのこと、なんて言うんだかわかったもんじゃないもんね)
「ねえ、聞いてよ、ブレンダン」と、リアムのほうではこの緊急事態をまったく楽しんでいるようでさえありました。「アリスの奴さあ、うちの母ちゃんが庭で作ったトマトとかイチゴ食わせようとしたら、こう言ったんだぜ。『あたしはスーパーのトマトやイチゴしか食べないのっ!』って。それ聞いて、うちの母ちゃん爆笑しちゃってさあ。『スーパーのだって、大体似たように栽培したものがパックされてるっていうそれだけじゃないの』って。ほんと、軟弱なんだからな、アリスは」
「だって、だって、スーパーのとそういうのとは、やっぱり違うわよ。農家がちゃんと作ったのは、ちゃんと売り物に出来るくらい綺麗だけど、リアムのママのはなんとなく趣味で作ったっていうそれだけじゃないのっ」
「ハハハ。ま、なんとでも言えよ。でもおまえとエリザベスは、もしこのまま世界の終わりが来たら、真っ先に餓死するな。それだけは間違いねえ。で、そこらの雑草でもなんでも食う気満々の俺とブレンダンとグレイスは生き残る、と」
そう言ってリアムはグレイスのほうを振り返りしましたが、いつものように威勢のいい返事が何も返ってこないので訝りました。よく考えてみると、グレイスは今日一日、普段と比べて口数が少なかったような気がします。
「どうしたんだよ、グレイス。おまえ、なんか今日元気ねえな」
「そりゃあね。だって、結局あんたと釣った魚の数はタイだったじゃない。あたし的には今日もぶっちぎりであんたに勝つ気満々だったんだから!」
グレイスは、アリスからの痛いほどの視線を感じつつ、そう答えました。
「ま、今日は引き分けってことでしゃあねえよ。また今度別の日に来て、もっ回勝負ってことにしようぜ。それよかさあ、グレイス。もう一度これ見てくれよ。なんの幼虫だろうなあ。こんな蝶の幼虫、俺見たことないぜ」
そう言ってリアムがポケットから小さな瓶を取りだすなり、アリスとエリザベスの間からは悲鳴が洩れました。
「やだっ!リアム。そんなもの早くしまってよお」
と、アリスはほとんど泣きだしそうになっており、エリザベスもまた全身がおぞけ立つあまり、その場から立ち上がってぴょんぴょん跳びはじめていました。
「フフフ。これだから女はダメなんだ。その点さすがにグレイスは違うぜ。この蝶の幼虫を発見したのも、グレイスだったしな」
そう言ってリアムはグレイスのすぐ隣まで行くと、彼女の肩を抱きながら一緒に瓶の中の蝶の幼虫を眺めます。そこには、瓶の中で黒の中に青い筋や点々の入った幼虫がのそのそと這っているところでした。一般的な感覚としていえば、はっきり言って不気味です。
「俺が昔見た図鑑の記憶によると……なんかアサギマダラっぽい気がすんだけどな。けど、このあたりでアサギマダラなんか見たことねえしなあと思って」
「そう?なんだっけ……あたし前になんか新聞で、ヴァニフェル町だったかな。あのあたりでアサギマダラが飛んでるのを地元の少年が発見したみたいな記事、見たことあった気がするけど」
「ほんとかよ!?ヴァニフェル町っつったら、ここから馬鹿みたいに遠いってこともねえじゃん。そんなら、可能性あるよな。ふうーむ。これはまず家に連れ帰って、大事に育ててみねば……」
グレイスが瓶の中の気味の悪い蝶の幼虫をまじまじ見ても顔色ひとつ変えないのを見て――アリスもエリザベスも(この女、やっぱりちょっと頭おかしいんだわ)としか思いませんでした。
「あんた、その幼虫、逃がしてやんなさいよ。うまく育てないと蝶に羽化しないでしょうし、そんなことになったら元も子もないし、第一蝶が可哀想じゃないの」
「んー、そうかあ?俺としては、釣りをしてたまたま捕まえた蝶の幼虫がなんとアサギマダラに!ってことで、新聞に載ってみたいんだがなあ」
リアムがグレイスの肩に手を回しているのが気に入らなくて、エリザベスはふたりの会話に水を差すことにしました。もっとも、アリスのほうでは、(やっぱりこの二人の関係、男友達同士のそれに近いようなものなのよ)と思い、ある意味満足していたのですが。
「そんな醜い幼虫、なんか変な気持ちワルイ蛾かなんかになるだけなんじゃないの?オエッ!ほんと、気持ち悪いわ」
「チッチッチッ」と、リアムのほうでは、白々しく指を振っています。「わかってねえなあ、エリザベスのねえちゃんは。蝶ってのは、幼虫の頃に醜くて小汚ねえようなのが羽化した時綺麗な蝶になんの!そういう意味でコイツは将来有望だぜえ。そう思ったらなんて可愛いんでしょ。おお、よちよち」
(まったくもう、アリスはこんな奴の一体とこがいいのかしら。スケボーの大会で優勝したことがあるとかって言うから、もっと格好いいクールボーイかとばかり思ってたのに……)
ちなみに、エリザベスは同じクラスのアダムと仲のいいクリフに片想いしていたのですが、彼も大体のところ中身のほうはリアムといい勝負だということを、今の段階で彼女はまったく知りません。
このあと、あたりがすっかり暗くなると、子供たちが車の中で寝つくまで、ブレンダンは火の番をしていました。車の中では、「やだあ、虫がいるうっ!!」だのなんだの、一騒ぎがあってのち、ようやく四人の子供たちは眠りに落ちていました。
(やれやれ。やっと寝たか)
ブレンダンは一時間ほどのちに車の中を覗き込み、溜息を着いていました。リアムは助手席のシートを倒して横になり、他の女の子三人は後部席のシートを倒して横になるということになりました。もちろん、グレイスはこの時も気疲れするものを感じましたが、これもまあ仕方のないことと思い、我慢しました。
ブレンダンは火を消し、懐中電灯の小さな明かりを頼りに運転席まて戻ってくると、そこで横になり、眠ることにしました。昼間長距離を歩いたりなんだりで、すっかり疲れたのでしょう。子供たちはみんなぐっすり寝ていて、ちょっとやそっとでは起きてきそうにありません。
(この様子じゃ、この子たちは次に目を覚ました時には朝って感じだろうな)
そう思いながらブレンダンは暗闇の中で目を閉じたのですが――次に彼が目を覚ました時にも、あたりはまったくもって本物の、とても深い真の闇に包まれていました。ところが、今ブレンダンの目の前には赤い小さなものがふたつ、極間近に迫っています。寝ぼけていたせいもあって、(怪奇現象か!?)とブレンダンは思ったほどでしたが、そうではありませんでした。
それは、一頭の大きなオスのヒグマでした。フロントガラスのすぐ目の前に顔をつけているため、ブレンダンにしても実際のところビビりまくりました。『うおっ!』という声にならない叫びが喉の奥から洩れそうになりますが、かろうじて口許を手で押さえて堪えました。
くるりと後ろを振り返ると、子供たちは幸いまだすーすーと寝息を立てて眠っています。リアムなどは時々「うがっ!!」などと寝言を呟いたり、あるいはギリギリと歯軋りしたりしていました。それでブレンダンは、(自分さえ黙っておけば、この場はなんとかなる)と思い、恐ろしくはあったのですが、死んだ振りにも近い寝た振りをしつつ、時々薄目であたりの様子を窺い続けるということにしました。
クマと至近距離で遭遇してしまったときには、クマと目を合わせて少しずつ後退し、ある程度距離が出来たら今度は目を合わせないで後退する……と、ブレンダンは前にボーイスカウトのキャンプで教えてもらったことがありました。けれども、車の中でどうクマと対処すべきなのかということは、さっぱり理解不能だったといえます。
(死んだ振りは確認のために噛みついてきたりするから逆効果だというがな……この場合は何が正解なのか、俺にもさっぱりわからん)
けれども、車の中にいて、とにかくじっと動かずにいれば――クマも諦めていずれこの場を立ち去るだろうと、ブレンダンとしてはそう思っていたのです。
ところが……大きさからいってオスと思われるクマはなかなかその場から立ち去ろうとしませんでした。それどころか、しつこく車のまわりをうろつき続け、あろうことか、今度はゆさゆさと車を揺さぶってきたのです!
この時、エリザベスは自分の体が揺すられているように錯覚して、目が覚めました。そして(もしかしてまた地震が……)と彼女もまた寝ぼけ眼をこすっていると……。
「キャーーーーッ!!」
このエリザベスの叫び声にみな驚き、隣のアリスもグレイスもすぐにパッと目を覚ましました。もちろんいびきをかいていたリアムもです。
「う、うわっ……!!」
エリザベスの叫び声に興奮したのか、それとも車の中の物体が一時に動いたことに驚いたのか、クマは「ウガァッ!!」と叫びながら車にアタックしてきました。
「きゃっ……!!」
今度はアリスがそう叫びそうになっているのを見て、ブレンダンは後部席に向かって「しーっ!」と人差し指を立てました。そして、小声で続けます。
「みんな、静かにしてくれ。こっちは車の中にいる限り、絶対安全なんだから。とにかく静かにじっとしていれば、クマのほうはいずれ諦めてどこかへ行く。わかったら、もう一度寝た振りをするんだ。クマの様子のほうは俺が見てるから」
リアムはごくりと喉を鳴らし、それでも、野球帽を顔の上に置くと、ゆっくりと体を倒してもう一度寝るということにしました。エリザベスとアリスは、互いに顔を見合わせると、ぎゅっと手を握りあい、もう一度静かに眠りに就くことにし……ただひとりグレイスだけが、じっと窓の暗闇と、クマの姿を見ていました。もっとも、窓の外は本当に本物の真っ暗闇でしたから、クマの姿は闇に同化していたとはいえ、それでもグレイスは必死に目を凝らしてクマの様子を眺めていました。
(とても綺麗だわ……それに、こんな野生のクマの姿なんて、動物園でだって見られないわよね)と、そんなことを思いながら。
もちろん、グレイスだって怖くないわけではないのです。けれど、その恐怖の気持ちと、もう半分はその恐怖よりも好奇心が勝る気持ちと……けれども、一度などは車が倒れるかというくらい揺すぶってきたのに(それでエリザベスは目を覚ましたのです)――今、クマは車の中に複数の気配を感じたそのせいか、それとも他の理由によってか、とにかくその場を去っていきました。
「グレイス、眠らないのかい?」
ブレンダンが小声でそう聞くと、グレイスは「もう寝るわ」と、何故か幸せそうな声音でそう答えていました。クマを間近で見れたことも嬉しかったのですが、彼女は(やっぱりブレンダンっていい人だし、大好きだわ)と思い、なんだか幸せな気持ちになっていたのです。
けれどもこのあと、少しばかり大変な事態が起きました。アリスが十五分もしないうちにむっくり体を起こすと、「わたし、トイレに行きたい」と言い出したのです。
「どうしよう。外にはクマがいるのに……でも、ほんとにもう我慢できない」
小声でアリスがブレンダンに後ろからそう囁くのが聞こえましたが、グレイスはあえて聞こえない振りをしていました。
「嫌だろうけど、俺が一緒についていくよ。ほら、外はこの暗闇だからね。なんにも見えないし、クマはもうどこかへ行ったよ。だから、心配しなくていい」
とはいえ、ブレンダンにも確証はありませんでした。もしかしたらクマはそこらへんをまだうろついているかもしれません。けれども、ここでこっそりトイレをするわけにもいきませんし、アリスの恐怖心を薄れさせるために、ブレンダンはあえてこういう言い方をしていたのです。
「アリス、あと何分くらいなら我慢できる?」
「えっと、五分か十分くらいなら、なんとか……」
アリスはもじもじしながらそう言いました。ちなみに、隣のエリザベスはすやすや眠っています。
「じゃあ、俺がちょっと外に出て、もう一度火を起こしてくるから、それまで待てるかい?火があればクマも寄ってこないだろうし、その火が見える範囲の暗闇で用を足したほうがいいだろうからね」
「で、でも……もしそこらへんにクマがいたら、ブレンダンだって危ないのに……」
ここでブレンダンは「はははっ」と小さな声で笑っていました。
「男の肉なんか食ってもうまくないよ。あと、俺にはこれもある」
そう言ってブレンダンは、小型のトランジスターラジオをダッシュボードから取りだしていました。
「クマっていうのは警戒心が強いから、ラジオとか、鈴の音とかね、そういうのが聞こえてくるほうには近づいてこないものなんだ。なんにしても、ちょっと準備してくるから待っててくれ」
「う、うん……」
ブレンダンは懐中電灯を片手に、先ほどまでみんなで火を囲っていたところへ戻ると、残っていた薪にマルチパーパスライターで火を点けました。そしてもちろん、そのそばでは大きな音でラジオをかけておきます。
「あたりを少し探ってみたけど、クマはどっかへ行ったみたいだ。懐中電灯を貸してあげるから、近くの見えない暗がりあたりで用を足しておいで」
アリスはこくりと頷くと、懐中電灯を片手に用を足しにいきました。こんな虫の音がうるさいような暗闇の中で用を足すだなんて、彼女にはもちろん初めての経験でした。けれども、ラジオの音楽も聞こえますし、焚き火の明かりも見えれば、すぐ近くにはブレンダンもいます。
それで勇気をだしてアリスは用を足すと、戻ってきてブレンダンに「ありがとう、ブレンダンお兄さん」とお礼を言いました。そしてそこでアリスは少しの間ブレンダンとなんでもないような話をいくつかしてから、車のほうへ戻ってきたのです。
アリスとブレンダンが車を出ていってから、寝ているエリザベスは別として、すっかり目の覚めてしまったリアムとグレイスは、小声でおしゃべりをはじめました。
「おい、グレイス。起きてるか?」
「そりゃ起きてるわよ。決まってるじゃない。あんなクマと遭遇して、そうやたらめったらすぐ眠れるもんじゃないわ」
「だよなあ」
そう言ってくっくっと喉を鳴らして、リアムは笑っています。エリザベスが寝ているのが、彼女の立てる微かな寝息で、彼にもわかっていましたから。
「すげえな、エリザベス。ついさっきあんなことがあったのにさ、ぐーすか寝てるだなんて、大した肝っ玉だ」
「疲れたんじゃない?アリスもだけど、あたしと違ってふたりともガサツじゃないお嬢さまだもんね。こんな自然に囲まれた中であんなに歩いたりしたこともなさそうな感じだし」
「だよなあ……って言っても俺は何も、グレイスをガサツだと思ってるわけじゃないけどさ。それしても、ブレンダンすげえよな。俺だったらついさっきクマに遭遇したばっかだってのに、外へ出る勇気なんかこれっぽっちも出てこねえや」
「ほんとそうよね。こんなコドモ四人も抱えて、なんか面倒なことになっちゃって……ノースルイスのほうでは被害ってどのくらいだったのかしら。あたしも、おじさんの無事さえ確認できたらすごく安心なんだけど……」
「きっと大丈夫だよ。で、明日には必ず救援の人たちが来るだろうし、レスキュー隊とかああいう人っていうのはさ、こういう土砂災害の時にもどうしたらいいかわかってるだろうし」
「そうね。そのためにも今のうちにしっかり寝ておこうって思うんだけど、なんか目が冴えてきちゃって……」
そう言いながら、グレイスは欠伸をひとつしました。でも、欠伸は出ても頭の芯が冴えていてなんだか寝つけそうにありません。
「あ、アリスの奴が戻ってくるみたいだぞ。俺たちも寝た振りしなきゃ!」
リアムはすぐにシートに横になると、狸寝入りをはじめました。グレイスもまた、目を閉じてアリスが車を開けて入ってきても、何も気づかなかったという振りをし続けました。
アリスもまた、あんなことがあったのにぐっすり寝ているエリザベスのことが信じられませんでしたが、自らもまた再び体を横たえて眠るための努力をしました。
実をいうとこの日の夜から、アリスにはある変化が生まれました。けれどそれは、この時にすぐ気づいたということではなくて――この翌日から除々に、アリスの中ではリアムのことがそんなに重要度を占めなくなっていったのです。何故そういう変化が起きたのか、最初、アリスにもよくわかりませんでした。けれども、あとになってからアリスにも少しずつわかってきたのは、ようするに次のようなことだったかもしれません。
たぶん、この時、グレイスがリアムとの仲を何気に見せつけるような態度だったとしたら、おそらくアリスも頭に血がのぼるくらい腹を立てたに違いありません。けれども、リアムのグレイスに対する態度というのは男友達に対するそれであり、グレイスのほうでも何か距離を置いた冷めた態度でリアムとは接しているように見えました。
それに加えて、リアムの自分に対する態度ときたら……「魚釣りの面白さがわからないとは、おまえらの人生終わってんな」と言ってみたり、「ちょっくらそこらで小便してくるわ」とわざわざ断ってからふらふら森の中へ入ってみたり――さらに極めつけは、あの蝶だが蛾だかよくわからない幼虫の入った瓶を、「うらぁ!」と自分の目の前にチラつかせて嫌がらせをしてきたことだったかもしれません。
そうしたリアムの態度に比べると、ブレンダンの態度は常に紳士的でした。土砂崩れの起きた場所を渡る時も、アリスのことを抱きかかえてくれましたし、クマが出てきた時にも至極冷静で勇敢に対処していました。その上、トイレへ行きたいと言った時にも、「チッ。面倒なことを言うガキだ」という感じでもなく、とても気を遣ってくれたのです。
「明日、もし救助の人たちがやって来なかったら……」
焚き火を前にして、そうアリスが不安そうにつぶやくと、ブレンダンのほうは至極冷静にこう答えていました。
「そうだなあ。今日も、俺だけ先に山を下りて、助けを呼びに行こうと思わなくもなかったんだ。でもまあ、明日……いや、もう午前三時だから、今日か。今日は必ず誰か助けが来ると思うよ。もし来ないようなら、その時には俺が携帯の電波が届くようなところまで下りていって、親父たちに連絡してからまたこっちに戻ってくることにしようと思ってる」
「そ、そう、なんですか……」
アリスは何故か急にうまくしゃべれなくなったのですが、このあとブレンダンは「学校は楽しいかい?」とか、全然関係のないことを聞いてくれたので、そうしたことに答えているうちに、アリスはすっかり安心して、車のほうへ戻ってきていました。とにかくブレンダンに任せてさえおけば、彼がなんとかしてくれるという深い信頼感を抱きながら。
そうなのです。この日を境に、アリスの心はリアムではなくブレンダンのほうに少しずつ傾いていきました。アリスは、その昔は赤毛の恋人だなんて、考えられもしませんでしたが(ちなみに、リアムは黒い瞳に黒い髪をしています)、その後(わたしみたいなコドモなんて、ブレンダンはさっぱり相手にしないだろうな……)と思いつつも、エリザベスから「今は恋人はいない」ということを聞きだしていました。さらには、ブレンダンが高校卒業後は軍隊へ行くつもりらしいという話を聞いて、ある希望を胸に抱いたのです。
つまり、軍隊というのは基本的に男だらけの世界ですから、ブレンダンが仕官学校を出るくらいまでにもし誰も恋人がいないか、あるいはいても別れたりしていたら――その頃には自分も今よりずっと大人になり、恋愛の対象として見てもらえるかもしれないと、そのような望みを胸に抱いたということです。
この翌日、朝の早くに救援部隊がやって来て、グレイスたちはヘリコプターによって運ばれるということになるのでしたが、このような濃密な体験を共有したにも関わらず、新学期がはじまっても、アリスとエリザベス、そしてグレイスとの間の距離は縮まりませんでした。
実はこの時すでにアリスはグレイスのことを『リアムを巡ってのライバルだ』といったようには認識しなくなっていましたが、それだからといって今さらグレイスと仲良くする気にはなれなかったということなのでしょう。グレイスにしてもそれは同じでしたが、それでも大体24時間ほど、ただずっと強制的に一緒にいるという経験をしたことで――アリスとエリザベスがどんな人間かがわかった気がしていました。
ふたりとは今後も気が合わないままであるにしても、彼女たちふたりに対して、以前感じていたような脅威は、グレイスの中では消滅していたかもしれません。そして、向こうでもこれからは自分とメアリーに何かいちゃもんをつけて間接的にいじめるといったことはほぼ絶対にないだろうともグレイスは確信していたのです。
そして、小学四年生になってからは、表面上、グレイスとメアリー、そしてアリスとエリザベスたちのグループの間は、以前とまったく変わらないようでいて、そうした明らかな精神的差異があったのでした。
そして、この地震があった時の経験から、アリスがブレンダンを見直し(その前まで彼は、アリスにとってただの親友のお兄さんというだけでした)、彼に淡い恋心を抱いたように……グレイスにもその傾向が芽生えていたということは、このふたりはやはり、互いに仲良くはなれない星の下に生まれていたという、そういうことなのかもしれません。
>>続く。
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