宇宙(そら)は家

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臓器移植について

2010-12-11 11:23:38 | 祈り

(問) 脳死についてお伺いします。 よく肝臓とか、

脳死の状態でないと内臓移植が出来ないということ

でしたので、私が以前登録について問い合わせていたら、

白光誌上で、昌美先生が、脳死の状態では完全に霊線が

切れている訳ではないから、神様の御心に反すると

言われておりました。

 他人の場合はそうだなと思うんですが、自分が脳死状態

でしたら、あまり役に立たないんで、自分の内臓が誰かの

役に立つんであればやりたいと思いますがいけないこと

なんでしょうか。



(答) いけないとか、いけなくないという問題じゃ

ないんですね。

 霊線が切れてないということはその通りなので、つまり、

人間というのは、肉体死を迎えてはじめて、霊体になって、

上から自分を見て、守護霊に連れてゆかれるということが

あるんですね。そこに行くまで肉体に留まっている

というのは、留まっているんです。


 但し、脳死といっても色々な形がありまして。 つまり、

皆の役に立ちたいという形で、愛念が凝り固まっている、

祈りに満ちているものであれば、その段階で、霊線という

ものは切れるにしても、切れ方が違うんですね。

 自己満足で切れるんだったら、切れてしまうというより

切ってしまうというものであれば、人間の我が儘に

なってしまう訳で。

 誰かの役に、しかも、自分の愛する者の役に立ちたい

という場合には、これは我が儘にならない訳ですから、

我が儘にならない場合は、守護霊さんの方で許可をする

場合がある訳ですね。


 その場合には、自分達が判断するしないということよりも、

自然に気持ちが動いちゃって、そこで、自分のまわりの肉親、

自分のみならず自分のまわりの、その人を知っている人達も、

お医者さんも看護婦さんも、全部、そういう環境が整った中で、

じゃあそうしましょうということになって、まわりの空気が

動いちゃう訳です。


 そうじゃない場合というのは、どこかに自己満足なり、

その人間の勝手な運命修正であったりということに

なってしまう訳です。その辺が非常に難しいんです。


 だから、以前あなたが想った時に、ちょうど白光誌で

それはいけませんと言ったのは、決してその愛念がいけない

とか言った訳じゃなくて、科学と祈り心、宗教というものが

一致して、一緒のスタートラインに立って、じゃあやりましょう

という、あの段階ではまだそこまで行ってないんです。


 心霊科学とか神界の方の科学は何を原点にしているかと

いうと、人間の想念波動の奥にある生命波動のいのちを、

どういう風に生かすかというところにある訳です。

 生命を生かすというのは、単に肉体の生命を生かすという

ことだけではなくて、結局、生命というのは、生き通しの

生命ですから、死という一つの肉体身の区切りを一つ受けて、

又二つ受けて、十受けて、脱いで行って脱いで行って、

神様に素直になるという、そういう為の生命波動科学

というものを、神界でやっている訳ですね。


 で、それを脳死の状態から、じゃあ誰かの役にこの臓器を

立てようという場合には、肉体的にもその人の生命が

生き生きするし、あるいは、霊的にもその人が一段階も

二段階もレベルアップして、守護霊さんの格もぐんと昇って、

では次の世界でこの人にこのような修行をさせようとか、

生命波動科学のこの分野をこの人にさせようという場合に、

脳死の臓器移植ということが、両方いい形で両方万歳の

形で、きっとなってゆく訳ですが、あの段階ではまだ両方

万歳の所までいかなかったんです。だからストップを

かけたのです。

 今だったら、もう色んな宇宙の霊人もおりますし、

それから、白光(真宏会)の中で平和の祈りを祈って

下さる方、外で白光の中の人ではないけれど、この祈りは

いい祈りだといって、名前も知らないような人達が、今

世界中で沢山祈っていますから、そういう人達の結集した

お祈りの力、真心、愛念というものが善灯(ぜんとう)の

固まりになって、そこで脳死OKというそっちの方へ、

あるいは、臓器移植をして、自分も良くなり相手も良くなる

という、大調和の方向へもうそろそろゆきかけてもいい訳です。


 だから、こうだからいけないということは、神様の世界では

全くない訳で、全く枠がないということは、完全に近い肉体を

持ったまま、完全に近い霊性を人間が持たなくてはいけない

という、非常に難しいところがあって、その霊性ということは

何かというと、本当に素直なやさしい真心、愛情ということ

なんですよね。

 愛情を発揮するということが、一点一画くり返しになりますが、

自分の自己満足や自分の我が儘や、自分だけの家族が

満ち足りていればいいとか、そういう愛情じゃ甘いんですね。


 その辺をもっともっと厳しくして、これが世界人類にまで

拡がってゆくような愛情の元になっていれば、一も二もなく

すんなり環境が整っちゃって、自分が力まなくても、

臓器移植でも何でも出来るようになっちゃう訳です。

 もうそろそろあなたは登録してもいいですよ。やりたいなら

おやりなさい。