宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

私の教えは・・・

2010-12-22 10:36:46 | 祈り
私の

教えは

みんなの

生命(いのち)に

神の愛を

喰い込ませる

祈りだよ



空を

見上げて

ごらん

空は

広いよ

空には

神の心が

うつっている

無 題

2010-12-22 10:11:19 | 祈り
こちらから
 
答を用意して
 
話をしてはいけません
 
それでは何も相手が
 
いえなくなってしまう
 
大事なのは
 
無になってその人の
 
話をきくことです
 
こちらが返して欲しい答を用意して
 
しまうと
 
それは枠にはめることになって
 
しまいます
 

今とても祈れません
 
という人に
 
それでも祈りというのは大事です
 
とやったのでは
 
これは何をしているかわからなくなって

しまいます
 
そうですねえ、祈れませんねえ
 
でもあなたのうしろで
 
いつも守護霊さんや
 
守護神さんが
 
みまもっているから
 
心配しなくても
 
祈れないときはかわりに
 
祈って下さいますよ
 
大丈夫大丈夫
 
といって安心させてあげるってことが
 
まず一番しなきゃなんない
 
ことですね
 

安心をあたえないで
 
おどかしたんじゃ
 
どうしようもないですよ
 
祈りもへったくれも
 
あったもんじゃない
 
みんな今までおどかしたでしょう
 
それで駄目だ駄目だといって
 
責めちゃあ祈れ祈れって
 
云ってね
 
だけど
 
それじゃあ救われて
 
ゆかないですよ
 
みんなが釈迦や
 
イエスになれれば
 
ともかくね
 
そんなのなれっこないですからね
 

だから今の自分を
 
すっかり全部認めて
 
そしてそれを一回
 
神様の前にかえして
 
光とエネルギーをもらう
 
いのちをいただきなおすということが
 
何よりも必要なことになって
 
くるんですね
 
ああ又駄目だった
 
ごめんなさい
 
そしてそのごめんなさいに

とらわれすぎないために
 
私は
 
消えてゆく姿って
 
いうことを
 
いうわけです
 

これで過去世の業が消えて
 
本心があらわれるんだな
 
光が入ったんだなとおもう
 
そして
 
徹底して
 
感謝行にかえてしまうんです
 
そうすると
 
感謝っていうのは光ですからね
 
もともと光だった我々の
 
本心の光と
 
よび合って
 
とらわれがへり
 
光ばかりのいのちにしてゆく
 
やがてはみんな光になってゆくけれど
 
世界平和の祈りと消えてゆく姿は
 
そのさきがけのお手伝いをしていると
 
こういうわけです
     

祈る心すなおな心

2010-12-22 10:03:00 | 祈り
祈りというものと

すなおな心というものとは

直結してる

おんなじだといってもいいんです


そんなことありません

私は

腹立てながら

世界平和の祈りを

やっています

とか

祈れない

という人も

いっぱいいるだろうけれど

それは

過去世からのおもいが今出て

やっと

あらわれて

消えようとしてるんだから

あなたのようだけれど

今のあなた自身じゃないし

本体ってものは

すなおに祈るということを

知ってるわけです


だから

平和の祈りのなかに

私がいつもいってるように

投げ込んでしまえば

いいわけですね

それで

祈ろうとする心

祈り心

祈りというものとすなおさ

というものは

これはもう

血肉の間柄っていいますかね

肉親的だというんじゃなく

たとえば

肉体のその皮膚の下に肉があって

血がながれているという風に

かならず

絶対条件として

この二つは二つながらに

ひとつだ

ということが

いえるんです


祈りは自分のいのちを

宣り出して

そして

自分のいのちと対面してゆくってこと

ですから

すなおに祈りを深めてゆくと

本体の奥の奥にある

みなさんの

天命がひらき

あらわれてくるんです

そういう風になっている


祈りというものは

自分のいのちを自由にする

っていうことです


天命だって

そうです

天命は

さながらのいのちを自覚し

とらわれず

あるがままに働くってことですから

だから本当に

あかるいものなんです

あかるいいのちなんですよ

天命は


それは生命(いのち)そのもののすがたが

そうですからね

本当に

朗らかな

もんだから

いのちのすがたの

その光明体を

みるということで

祈って天命をおろされる

しらされるっていうことはね

自分自身が

光であることをしる

おわりのない

生きとおしのいのちの

なかにいるってことをしる

もうすでに

愛され

ゆるされ

守られて



ここに

こうして

いのちがあるってことを

しることなんです


世界平和の祈りってのは

無量の光明であり

愛であり

このなかに

神のこころのすべてが

あるんです

人類を愛し

進化させ

光の本体をしらせてやろう

という

神のみこころがあるわけです

先人たちの霊光も

みんな入ってる

結集している祈りです


この祈りに出会ったってことはね

天命に出会い

自分のいのちの朗らかさをしる

道に出会ったって

ことですよ

五井先生に出会ったというのは

そういうことなんだ

そして

みんな私に出会うんです


世界人類が平和でありますように

という祈り言を唱えることによって

何のこだわりもとらわれもない

あかるい自分自身というものに

出会うんです


その途中でつくため息や

ながしてゆく涙を

私は吸いとってるんです

柏手を打って

印をむすんで

世界人類の平和と

みなさん一人ひとりの

天命を祈りながら

あなた方自身が

光であることを

しらせているんです


それは

何度もいうように

すなおな祈りというものから

生まれ、展開してゆきます


祈りのうちに私たちのいのちのすがたを

しずかにこころに描いて参りましょう


世界人類が平和でありますように