宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
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広げて待って
いらっしゃいます。
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霊界というところ

2010-12-25 12:55:21 | 祈り
霊界というところを

一口でいうのは

とてもむずかしいけれど

一口でいうと

その人の心境が

そのまま

あらわれてくる世界だ

ということが

いえます


思いやりの深い人は

そういう世界に行くし

怒りっぽい人は

怒りっぽい人で

集まっていたりする

そういうものなんです

だから

心をみがいてゆく

といいますか

心を澄ましてゆくことが

第一なのです


それには

とにかく

祈ること

統一することです

でも

統一といっても

何も

かたちにとらわれることは

ありません


歩きながら

電車にのりながら

お風呂のなかで

世界人類が平和でありますように

とやればいいんです


いつかも申しましたように

本来

人間というものは

身体中で祈っているものですから

どんな人だって

本当は

ずっと祈りづめなんです


それなら

宗教はいらないようなものですが

何度も説いておりますように

私どもは

この地球で生活するうちに

業半分光半分

というような存在になって

しまっているのです

肉体波動

この世の波といったものが

そういう屈折を

生み出したのであります


それで

本心は

かがやきつづけておりましても

この世に生きている

「私」

というものが

どうしても自分をかがやいているとは思えない

ということに

なってきて

神様から離れてくらした思いの時間の方が

長くなってしまった

のであります


そこで

先程から申しておりますように

私どもは

真に自由で

朗らかな

自分自身に帰るために

祈りのなかで

自分自身と対面してゆく必要が

あるのであります


これは

さまざまな聖者方が

道を説かれたときも

そうでありましたが

今日ほど

祈りのなかに

自分自身を見出し対面する

ということが求められている

時代は

ないのであります

それは

なぜかと申しますと

もはや

自分一人が

救われればいい

それで事足りる

というような時代では

ないからであります


私ども一人一人が

世界人類すべてが

本心の光を

自らのなかに自覚し

自分達のいのちが

神から分けられてきた

生命(いのち)であり霊であるということを自覚して

心から

祈ってゆくときに

はじめて

この地球世界は

完全な

浄化が

なされるのであります


私どもがかって

霊であって

この地球に

降りて参りましたときには

一人一人が

地球浄化の使命を

になっていたのでありましたが

今また

世界平和の祈りによって

今度こそ完全な

平和と

愛と

調和が

実現してゆくのであります


そして

私どもが

無心に

祈れば祈るほど

霊界の自分自身も

神界の自分自身も

光のうちに

働くことが

できるのであります


人間というものは

三界をつらぬいて

神に直結している存在であり

本来

自在身でありますが

その自在な働きをつよめ

深めるものは

ただ

ひたすらなる幼な子のような祈りなので

あります


我々は

死んでから

はじめて

あの世に行くのではありません

この世で

日々を送りながら

同時に

あの世にも存在しているもの

なのであります


むこうでの事象が

徐々に

こちらにおりてきて

そして

現実になってゆく

そういう意味で

現世は

あの世の

鏡だということが

いえますが

微妙な霊妙な波動を

光のままにおろして

そして

私どもが

肉体人間のままに

それを受けて

働くために

是非とも必要なのが

祈りなのであります


消えてゆく姿で世界平和の祈り

なのであります


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様守護神様

ありがとうございます

と唱えると同時に

天と地に

光の柱ができるのであります

この世とあの世を

一つに結ぶはしごがかかるのです


そして

この祈りを唱えてゆくときに

守護霊守護神の助けを借りながら

私ども自身が

実は自在に

こちらとむこうを

目にもとまらぬはやさで

行きかっている

というのが

本当のところなのであります


生命(いのち)というものは

尽きることがありません

この世とあの世というのも

実はずっと連なっていて

私どもはいつも

両方の住者なのであり、瞬々刻々の心境に

応じて

その場その場で神に素直になるための修行



おこなっているのであります

自由になるために

2010-12-25 12:46:21 | 祈り
自由になるために

人間は

生きているのであります

それは

どういう自由かと

いうと

この世の

一切の

とらわれ

不安

恐怖

それらから脱して

明るく朗らかな

神の生命(いのち)へと合流し

遂に

一体になるために

生きているのであります


もともと

私どもは

神から分かれてきた存在

分生命(わけいのち)

分霊(わけみたま)

でありますから

こうした

永遠の生命の流れのなかに入る

ということは

つまりは

ふるさとに

かえることに

他ならないのでありますけれども

私どもは

本来自由であり

朗らかであった

自分自身

というものを

この世に生活している間に

すっかり

忘れてしまっているのであります


それをとりもどすこと

すなわち

明るく朗らかな

本来のいのちにかえるには

何よりも先ず

祈りによらなければなりません

祈りというものは

この世とあの世をつなぐ

光のエレベーターなのです


すべて

真心からの祈りは

光を放っておりますが

なかんずく

世界人類が平和でありますように

という

祈り言にはじまる

世界平和の祈りは

すべての人の大光明心を

神の分生命分霊としての

霊止(ひと)の光

本源の生命の光を

たちまちに放つのであります


それは

この祈りが

救世の大光明霊団という

釈迦、キリストをはじめとする

聖者方をはじめとして

無数の高級神霊や霊人によって

ささえられており

何よりも

神の大愛の愛の光が

祈り人(のりびと)一人一人を

つつんでゆくのであります


しかも

人々は

それぞれ生活の場にあって

何ら

日常に無理を生じないままに

守護の神霊のみちびきによって

常に神界の光をあび

宇宙神の愛の光をあびて

無理なく

人間本来の

やさしく

明るく

さりげなく

朗らかに

生命を生きる

そして

その

生命のすがた



祈りのなかで

益々澄み清まらせてゆくという

実相にむかい

その実相もきえて

光ばかり

という

極みの愛の世界へと

進化してゆくことに

なるので

あります


そのとき

人は

本当に

自由になり

透明になり

ただ

祈りのなかで

絶えることのない

感謝を

ささげてゆく

ということになるので

あります


私の申しております

これらのことは

夢物語ではなく

みなさん

一人びとりのなかに

ともっている

本心が

世界平和の祈りによって

自在となり

かがやきを増してくるときに

かならずおこる事実なのであります



もうすでに

私どもは

この世とあの世を行きかって

本心の光を増すべく

日々瞬々働いている

働かせていただいている

器なのであります


その事実を

この世にあるときに

身にしみて

感じさせていただくのが

祈りであり

世界人類が平和でありますように

という

祈り言(のりごと)とともに 

統一に入ると同時に

人というものは

神の無量の光に

つつまれるものなのであります


それは

世界平和の祈りが

あらゆるちがいをのりこえて

人類一人びとりのなかに

ねむっている神性と

永遠の

地球を含めた

宇宙の調和

愛と

平和というものを

のぞませずには

おかない

からであります


この祈りを唱えるとき

人は誰も

こころのふるさとに

かえるのであります


そのふるさとは



であります


永遠の愛と

くちることのないそして

つきることのない

生命の流れそのものの



であります


そして

私どもは

一人一人

この肉の身に

この永遠を宿して

生きているので

あります


すなわち

私どもは

すでに

永遠者の愛につながって

はなれることは

ないのであります


たとえ

肉体人間のおもいが

ひととき

神のこうした愛から

遠ざかってゆくことがありましても

愛とゆるしの根元である神は

決して

私ども一人一人を

その

ふところから

離すことはないのであります

見捨てることはないのであります


光はいつも

私どもと

倶にあります

光こそ

私どもの生命の

根であります


そして

そのことを

最もよく

あかしし

あらわしているのが

世界平和の祈りなのであります


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様守護神様

ありがとうございます

というこの祈りを

無心に唱えて参りますときに

神の愛によって

私どもが

光のいのちであり

日々

あらたに祈りと感謝によって

このいのちを

あたえられている

ということが

実感されてゆくのであります


天の私と地の私が

合体し

一体となり

ひとりひとりが

光むすぶいのちとして

生きてゆく

永遠に生きてゆく

明るく

朗らかに生きてゆく

祈りのなかに生きてゆく

世界平和の祈りのなかに

生かされてゆく

そして

大元のいのちの不思議を

さとり

よろこび

畏れてゆく


人間が

私どもが

この世に生き

また

あの世に帰るというのは

実にこういうことなのであります


どうぞ

祈り一念の生活のなかで

光のいのちである

自分自身のすがたをおもい

感謝しつつ

生き抜いて下さいますように

それではどうも

ありがとうございました