宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(5)

2021-09-11 05:20:47 | 祈り
      (前日からの続き)
私なんか先生、私なんか役に立ちますか、
私なんかお役に立ちませんから、どうぞ
他の人を求めて下さい。
私なんかって、そんな引っ込んじゃあ
駄目なんですね。
何故かというと、皆平等に公平にそれを
持ってるんですよ。
あなただけが持ってるんじゃない。
皆持ってるんです。
肉体の力量というか才能というかね、
そういう所だけでみちゃうと、そんなに
輝いてるものがあるなんて言ったって、
肉体の人間の我から観れば、そんなの
私の中にある筈ないと思っちゃうから、
否定してしまうけども。
否定しきれないというのはね、
ほらあなた生きてるじゃないですか。

生きているその根元は何かというと、神様
からの光ですよ。
その光が来て、あなたはその光に養われて
生きてるわけ。
だから、その光の元をあなたが体の中に
持ってるとしか、私は言いようがない訳ね。
皆それ持ってるんです。

だから、その持ってるということを
ありがたく思ってね、そして、その用い方、
用いられ方というものをね。
自分がどうしょうとか、こうしょうとか、
こんなものもらっちゃってとか、私に
もらったってどうしょうもないとかね、
そんなこと思わないで、一旦
もらっちゃったんだから、あるんだから、
謹んで受けて、そうして、それをどう使って
下さるかというのはね、これは、我々は
神様によって生かされてる生命なんだから、
それを一旦神様にお返しして、何も生命を
とるというんじゃないんですよ。
その使い方を神様の方で、どういう風に
生きた方がこの人はいいか、どういう風に
進んで行った方がいいか、ここで結婚
させちゃった方がいいとか、ここで
結婚させないで独身を通してね、芸術家に
なった方がいいとか、この辺でデザイナーに
なった方がいいとか、そういう事というのは
向こうの方で決めるんです。

だからね、いろんなものをもらっちゃって、
私こんなものもらっちゃって分不相応で
なんて、言ってる場合じゃないんです。
場合じゃないっていうことをね、今、
白光真宏会は皆に伝えたくてね、
心あまって言葉足らずと言いますかね。

しかしね、人間の中には、苦に把われるね、
昔ながらの我をつくっちゃう、どうしようも
ない肉体想念といいますか、そういう想念の
世界、我の世界、業をつくりかねない世界も
あるけれども、一方で、あなた方は、肉体を
持ったまんま、自在にいろんな所へ
自分の光を、実際にふりまいている。
そういう力を持っている。
          (つづく)