(前日からの続き)
決して私を個人崇拝するのではなくて、
五井先生という人間が到りついた、一つの極点
ですよね。
つまり、神界に自分の本当に朗らかな生命が
働いている、霊界にも働いている、そして、
肉体の奥にも働いている、それが燦然となって
合体して、そうして貫いているものが我々をまた
つき動かしている。
その真理を私は五井先生という中へ入っている。
だから、お釈迦様と言うのと、キリストと
言うのと、私と言うのと、どれ呼んでも一緒
なんですよ。
で、五井先生と呼びたくなきゃ、他のものを
呼んだって、結局、私の所へ連らなって
やって来ます。
だから、唱名ランニングの時にね、世界人類が
平和でありますようにと言ったって、五井先生
五井先生と言ったって、結局一緒なんで、どっち
にも私が生きてるしね。
私が生きてるということは、神様のみ心の中に
私が入ってるし、あなたも入ってるし、あなた方
皆一人一人が入って、実は、その皆の愛の想い、
皆の光の想い、それが連らなり合って、そうして
あの祈りになってるんだ。
だから、往相がどうのとか、還相がどうのとかね、
そういう問題じゃないんです。
往相も還相も一緒なんです。
(つづく)
決して私を個人崇拝するのではなくて、
五井先生という人間が到りついた、一つの極点
ですよね。
つまり、神界に自分の本当に朗らかな生命が
働いている、霊界にも働いている、そして、
肉体の奥にも働いている、それが燦然となって
合体して、そうして貫いているものが我々をまた
つき動かしている。
その真理を私は五井先生という中へ入っている。
だから、お釈迦様と言うのと、キリストと
言うのと、私と言うのと、どれ呼んでも一緒
なんですよ。
で、五井先生と呼びたくなきゃ、他のものを
呼んだって、結局、私の所へ連らなって
やって来ます。
だから、唱名ランニングの時にね、世界人類が
平和でありますようにと言ったって、五井先生
五井先生と言ったって、結局一緒なんで、どっち
にも私が生きてるしね。
私が生きてるということは、神様のみ心の中に
私が入ってるし、あなたも入ってるし、あなた方
皆一人一人が入って、実は、その皆の愛の想い、
皆の光の想い、それが連らなり合って、そうして
あの祈りになってるんだ。
だから、往相がどうのとか、還相がどうのとかね、
そういう問題じゃないんです。
往相も還相も一緒なんです。
(つづく)