(前日からの続き)
私は、お前のいのちはもらうぞって言われた
時、はいよろしゅうございますっていって、
いのちをすっかり返しちゃった。
神様にね。
だから、我だとか何だとか、ややっこしい
ものはすっかりなくなって、スッキリ生きる
ことが出来たんです。
で、今の状態をいいますとね。
そうやって、きよめて下さった私のいのちが、
すっかり、宇宙神のなかに、大我のなかに
回帰して、帰一してね。
神様ととけ合って、それでこうやって
しゃべってるんです。
愛に抱かれたいのちなんですよ。
それが法(のり)のいのちということ、
法の身体、法身ということなんです。
あるがまま、なすがままね、おいお前、一寸
しゃべってこい、そうですかってんで、私は
神様のところから来てこうしてしゃべってる、
ね、自分がしゃべろうなんて思わないんだ。
だってもう、神様のなかに溶けてるんだもの。
宇宙の一部としてしゃべってるんだもの。
誰にお仕えするというでもない。
分かります?
何のわくもないところから、今、私はからっぽに
なってしゃべってるんですよ。
だから、愛というもののありがたさが
わかるんです。
愛というものがなければ人間絶対に生きて
ゆけないということが、今、余計に分かるんです。
老いたヨハネが、晩年に涙をためて、どうか
みんな愛し合ってくれ愛し合ってくれといったと
いうんですけど、それは本当です。
真理の言葉です。
憎しみやおそれからは何も生まれない。
けれども、愛は、すべてを生かすんです。
あらゆるものを生かすんです。
生かさずにはおかないんだ!
何故なら、それが、愛こそが神のこころだから。
我々は、みんなここに立ち返るべきなのです。
その使者として私が来たのです。
昌美がいるのです。
白光真宏会があるのです。
我々はさきがけなのです。
愛するということが、どんなに大事で、どれ程の
大きな力を発揮するものかということを、
宇宙の兄弟たちとともに、この地球に生きる
人類の一人一人に知らせてゆくさきがけ
なのであります。
その為には、自分を、人を愛し、自分を、人を
ゆるしてゆく、そういう生き方に徹しなければ
なりません。
器になるというのは、この神のこころを知り、
神のこころに従うということであります。
本心をたずね、祈りを重ねてゆくということである。
(つづく)
私は、お前のいのちはもらうぞって言われた
時、はいよろしゅうございますっていって、
いのちをすっかり返しちゃった。
神様にね。
だから、我だとか何だとか、ややっこしい
ものはすっかりなくなって、スッキリ生きる
ことが出来たんです。
で、今の状態をいいますとね。
そうやって、きよめて下さった私のいのちが、
すっかり、宇宙神のなかに、大我のなかに
回帰して、帰一してね。
神様ととけ合って、それでこうやって
しゃべってるんです。
愛に抱かれたいのちなんですよ。
それが法(のり)のいのちということ、
法の身体、法身ということなんです。
あるがまま、なすがままね、おいお前、一寸
しゃべってこい、そうですかってんで、私は
神様のところから来てこうしてしゃべってる、
ね、自分がしゃべろうなんて思わないんだ。
だってもう、神様のなかに溶けてるんだもの。
宇宙の一部としてしゃべってるんだもの。
誰にお仕えするというでもない。
分かります?
何のわくもないところから、今、私はからっぽに
なってしゃべってるんですよ。
だから、愛というもののありがたさが
わかるんです。
愛というものがなければ人間絶対に生きて
ゆけないということが、今、余計に分かるんです。
老いたヨハネが、晩年に涙をためて、どうか
みんな愛し合ってくれ愛し合ってくれといったと
いうんですけど、それは本当です。
真理の言葉です。
憎しみやおそれからは何も生まれない。
けれども、愛は、すべてを生かすんです。
あらゆるものを生かすんです。
生かさずにはおかないんだ!
何故なら、それが、愛こそが神のこころだから。
我々は、みんなここに立ち返るべきなのです。
その使者として私が来たのです。
昌美がいるのです。
白光真宏会があるのです。
我々はさきがけなのです。
愛するということが、どんなに大事で、どれ程の
大きな力を発揮するものかということを、
宇宙の兄弟たちとともに、この地球に生きる
人類の一人一人に知らせてゆくさきがけ
なのであります。
その為には、自分を、人を愛し、自分を、人を
ゆるしてゆく、そういう生き方に徹しなければ
なりません。
器になるというのは、この神のこころを知り、
神のこころに従うということであります。
本心をたずね、祈りを重ねてゆくということである。
(つづく)