宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

神の愛念について(3)

2023-03-01 06:34:50 | 祈り
     (前日からの続き)
いつも申しますように、信仰というのは、
例えば、キリスト教なら礼拝堂へ行き、
あるいはお寺に行って、神様とか仏様に
祈って、その祈る姿だけが信仰じゃない。
芸術家は芸術家で、音楽家は音楽家で、
大工さんは大工さんで、一所懸命に何か
一つのことに打ち込んで、無になって
一つのことを成し遂げる。
その中に神様がいらっしゃる。
その中で神様が働くんです。
自分をなくした時に神様というものが
現われてくる。
愛念というものは現われてくる。
その愛念というものが現出して、そうして、
本当に今度は神様の愛に洗われる。
我々の生命というものは、毎日毎日
毎瞬毎瞬新しくなってゆくんですね。
そういうことが本当は生きるということなんです。

そんなこと言ってもね、五井先生、
やっぱり毎日死んでゆく人がある、重病の
床にふしてる人がある、事故にあって
困ってる人がある、そういう悲しみという
のはどうなるんですかと、皆思う
でしょうねえ。
確かにそれはそうなんですよ。
私だって、愛弟子を何人も失くしたり、
大けがをして入院させたり、ありますよ、
この世の中にいた時にはね。
だけども、心配してるけれども
心配しないんだよ。
高橋君に答えたことがあるけれども、
分かるかね、やっぱり心配してるけれども
心配しないんです。
心配してるというのは、この肉体の人間の
気持ちというものを味わってしまうと、
確かに心配なんです。
オロオロしますよ。
どうなるだろう。
手術が必要ならば早く手術が成功してと
思います。
それは人間の情というものなんです。
自然なんです。
そこでオロオロしたり、弱くなったり、
神様がいるんだろうかと思ったり、そういう
ことは私は否定しませんよ。
私はそういう気持ちを通り抜けて
きてるんだから。
だけども、そこを通り抜けたところで、
神様というものは、もう一つ深いところでね、
人間を抱きとって、そうして、その人の
天命が真っすぐに明るく神様に向かって
貫いて行けるように、守護霊とか守護神が
道を備えてね、そして、あなたたちが
この世に生きていく糧も、肉体を
養ってゆくべきいろいろなものも、
悲しみも辛さもいつの間にか癒して
いくように、道をつけてゆく訳ですね。
そこへの信仰というものが、我々に
とって一番大事になっていく訳です。
          (つづく)