(前日からの続き)
神の子というものはね、皆が神の子に
なっちゃえば、迷いがないんですよ。
迷う必要がないんです。
だけども迷いますね。
世の中に生きてる以上はね。
ただ何度も言うようだけれども、肉体を
持ってる我々自身を我々だと思ってしまうと、
迷うんですよ。
だから、迷ったり悩んだり悲しんだり
寂しくなったり、いろんな事がありますよね。
あるけれども、しかし、それが自分だと
思う心をちょっと横に置いて、本当の自分は
どこだろうと訪ね求める。
それが祈るということなんですけれども、
訪ね求めてずっと旅をして行くと、そこに
神様がいらして、そうして、神様に
愛されてる子どもである自分というものが
でてくる。
そして、その喜びで一杯になり祈りで一杯に
なってる時に、自分というものが消えて、
光だけになって、そこにただある。
あるいは、自分というものをなくして、
無になって、一所懸命何かやっている。
そこに神様の生命が深く働いてゆく。
その時、皆神の子なんです。
(つづく)
神の子というものはね、皆が神の子に
なっちゃえば、迷いがないんですよ。
迷う必要がないんです。
だけども迷いますね。
世の中に生きてる以上はね。
ただ何度も言うようだけれども、肉体を
持ってる我々自身を我々だと思ってしまうと、
迷うんですよ。
だから、迷ったり悩んだり悲しんだり
寂しくなったり、いろんな事がありますよね。
あるけれども、しかし、それが自分だと
思う心をちょっと横に置いて、本当の自分は
どこだろうと訪ね求める。
それが祈るということなんですけれども、
訪ね求めてずっと旅をして行くと、そこに
神様がいらして、そうして、神様に
愛されてる子どもである自分というものが
でてくる。
そして、その喜びで一杯になり祈りで一杯に
なってる時に、自分というものが消えて、
光だけになって、そこにただある。
あるいは、自分というものをなくして、
無になって、一所懸命何かやっている。
そこに神様の生命が深く働いてゆく。
その時、皆神の子なんです。
(つづく)