宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

我らのふるさと(1)

2023-03-12 08:50:55 | 祈り
この間はお盆でね(講話当時)。
たくさんの人がふるさとへ向かって、
ひかり(当時)や飛行機などを使って
大移動をしましたよね。
毎年毎年あれをやるんだね。
何故、ふるさとへ向かって人間は
帰るのかなあと思うけれどもね。
なつかしいんですよね。
やっぱり、自分の生まれたところ、育った
ところ、そして、自分を快く迎えてくれる
ところ、飾りがとれるところ、それが
ふるさとでしょうねえ。

私も、新潟と東京と両方ふるさとをもち
ましたけどね。
どっちもいいですね。
私は、私の生きていた時はねえ、母の中に
やっぱりふるさとを見てましたね。
小っちゃい母でしたけどね。
いつもニコニコして、私のすることに絶対の
信頼をおいてくれてね。
あれは有り難かったねえ。
あれがなかったら、私は修行出来なかったんじゃ
ないだろうかしら。
そう思いますよね。
他の人が、五井さんどうかしたんじゃないか
とかね、気がちがったんじゃないかとかね、
いろいろ言っても、まあ心配そうな
顔しましたよ、ですけど、絶対に信じてくれた
ものね。
昌久が変なことする訳はない、絶対大丈夫だと。
だから私はやれたんだなあ。

そういう母親の信頼というものをね今
思い返してみると、これがやっぱり、神様の
愛に通じるなあと思いますねえ。
何やっても神様というのは許して下さる。
例え神様なんていないなんて悪口言ってもね、
やっぱり大きな愛情で抱きとって下さる。
揺ぐことがないんですよね。
母親の愛と同じだねえ。
あるいは、父親もそうですよね。
親の愛でもいっしょですよ。
やっぱり、そういうことが基盤になってますね。
そういうのを我々はふるさとに求めるんじゃ
ないでしょうか。
絶対に裏切られないもの。
よく人が死ぬ時が近くなると、生まれた所へ
帰って死にたいとか言いますでしょう。
死病にかかった人なんかがね、絶対に
ふるさとの土と空気と山と川、そういう所を
見て死にたいと思いますでしょ。
あれはやっぱり、そういうものに抱かれて
安心して死んでゆきたいという想いが、
自然に湧き起こるからですよ。
それが人間の自然な心というものですね。
         (つづく)