記念館の開館に寄せて
漱石山房と漱石の遺品をそっくりそのまま遺すことは、漱石の直弟子にして女婿となった私の父、松岡譲の悲願であった。この宝を一夏目家の所有とせず、公のものと帰すことに父は奔走した。が、大正時代には父の考えはまだ新し過ぎて受け入れられないまま、太平洋戦争中に山房は空襲で灰燼に帰してしまった。諦めるには余りに惜しいと私は痛感させられていた。
だからと言って新宿区が新しく山房を建てたいという意向を表明した時、私は大賛成したわけではない。この財政逼迫の時代に建てるべきではないとむしろ否定的であった。
しかし完成した記念館は前面ガラス張りで明るく開放的である。そのガラスを通して表を見ると、前の道路を挟んで早稲田南町の住宅が館を守るように建ち並んでいて、道を歩く人々の表情までもがよく見え、まるで館と町が一体となっているような錯覚を覚える。これは“いける”と私は確信した。
案の定、平成29年9月24日のオープン初日から入館者が押しかけ、表に並んで待っていただいたほどであったという。この嬉しい悲鳴を落胆の溜息に変えぬよう、更なる漱石関係の資料の収集と漱石を学びにくる人々をお助けする学芸員の充実に努めなければならないと、私は気持ちを引きしめている。
漱石山房記念館名誉館長 半藤末利子
- 夏目漱石が暮らし、数々の名作を世に送り出した「漱石山房」の書斎、客間、ベランダ式回廊を、記念館内部にできる限り忠実に再現します。
- 「漱石山房」に多くの文学者たちが集ったように、訪れる人々を温かく迎え入れる、オープンな印象を与える空間にするとともに、心地よく、温かみのある空間づくりを目指します。
- 記念館への来館者や隣接する漱石公園を訪れる人々が気軽に利用できるエントランスホールや、ゆったりとした時を過ごしながら図書の閲覧ができるブックカフェを設置します。hpより