社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
当社の本殿御内陣は文政二年に造営されたものでありますが、先の戦災の折り、辛うじて焼失を免れたものの極度に老朽化が進み、この儘では保存に支障をきたすとして、この度その大修復工事が行われ、昭和六十三年秋に着工、平成元年五月九日に落成し、同月十八日に遷座祭が執行されました。
今では都内の神社中数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物であります。造営以来約百七十年目の大修復工事がなされました。
御内陣宮殿 文政二已卯年四月四谷伝馬町二丁目住人大工 吉見氏
20200214 東京北 見学・像・碑
東京都新宿区霞ヶ丘町 四谷須賀神社
「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART15 熊谷カルチャー
第42回 令和2年2月14日(金)「74」
オリンピック施設と外苑、南青山を楽しむたび
10時30分信濃町駅改札出口 15時表参道
キハチ 青山本店 フランス料理をベースに
信濃町駅-明治記念館- 聖徳記念絵画館-国立競技場-東京体育館-明治神宮外苑-民音音楽博物館-四谷須賀神社-ラ・ボケリア-新宿歴史博物館-荒木町-曙橋--新宿
四谷須賀神社
須賀神社は江戸初期より四谷の地に鎮座する、四谷十八ヵ町の鎮守様です。毎年六月に行われる御祭礼は、古くは四谷の「天王祭り」といわれ、江戸の五大祭りの一つとして有名でありました。社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に、八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事に基づき名付けられた名称です。
第42回 オリンピック施設と外苑、南青山を楽しむたび 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART15 熊谷カルチャー
第74回 オリンピック施設と外苑、南青山を楽しむたび「42」 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART15 熊谷カルチャー
キハチ 青山本店 第74回 オリンピック施設と外苑、南青山を楽しむたび「42」 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART15 熊谷カルチャー