苦界浄土 わが水俣病
石牟礼道子
講談社
今年の2月に石牟礼道子が亡くなった。晩年は熊本の施設で過ごしていたという。
水俣病は言語道断といってよい公害であり、悲劇きわまるものであるが、水俣に「たまたま」石牟礼道子が存在したことは、水俣病の患者にとって、あるいは水俣市にとってかなりの影響があったと思う。それは奇蹟といってもよいかもしれない。その影響はもしかしたら「良い」ことばかりではなかったかもしれない。しかし、石牟礼道子が水俣在住だったことは、水俣病の深刻さを社会に知らしめたことにかなりの威力を与えたのではないかと思う。
石牟礼道子は名もなき詩人であった。実務の専門学校を出た一介の主婦であった。ただ、その一種異様ともいえる人をふるわす文才があり、それが水俣病を描くことによって、古今東西例がないといえるような「公害文学」あるいは「公害詩編」を生み出した。本編で水俣病患者がとつとつと現地の方言で話す魂の叫びは、解説で渡辺京二氏が明かしているように、けっして聞き書きではなく、耳も聞こえず口もきけず固まったままの患者のかすかな兆しから読み取った石牟礼道子の代弁である。
その創作性が、水俣病のルポルタージュとしては客観性に欠ける批判になったのも事実だ。
しかし、石牟礼道子以上に水俣病に長年寄り添った記録者は他にいないとも言える。患者の家に出入りし、市民会議にも出入りし、熊本大学病院や熊本県にも出入りし、東京にも行き来し、新潟の第二水俣病関係者のところにも出入りした。
他人をよせつけない圧倒的な経験値に、詩人の感受性と言語感覚が働いた結果がこの「苦界浄土」であった。「事実」はどうだったか、「現実」はどうだったか。というより、「真実」はこうだったのではないか、と思わせざるを得ない。これこそ芸術の真骨頂と言える。
詩人の武器は、世の中のちょっとした違和や兆しに感応するアンテナと、それを言語化するセンスだ。そういう意味で僕は詩人や純文学系小説家の社会批評に興味があって、最近では水無田気流とかウォッチしているのだが、今思い出すとそれは「苦界浄土」の圧倒的な説得力に原体験があるからだなと気づいた。