コロナ後の世界
ジャレド・ダイアモンド ポール・クルーグマン リンダ・グラットン他 編:大野和基
文春新書
世界的にビッグネームな知識人によるインタビュー集だが、このやり方を最初に行ったのはたぶんこの本だったと思う。初めてこの手の本をみたときは、その企画力に驚嘆した(新書の価格で読めてしまうという敷居の低さもふくめて)。
たぶん、新書業界でも相当なインパクトがあったのか、その後べつの出版社でもこの手のものが出るようになった。
あらためて考えてみれば、彼らに頼んでいるのは執筆ではなくてインタビューだし、今はSkypeもZOOMもあるから、見た目の豪華さに比べると案外につくりやすいのかもしれない。とにかく各人のネームバリューがすごいから、書店でも映えるし、そこそこ売れるのだろう。ヒット曲を集めたコンピュレーションアルバムみたいなものだ。
とはいえ、このタイミングで「コロナ後の世界」というテーマで、「危機と人類」のジャレド・ダイアモンドや、「ライフシフト」リンダ・グラットンや、「GAFA」のスコット・ギャロウェイや、「21世紀の啓蒙」のスティーブン・ビンカーなど、大型書店の人文コーナーで高く平積みされた本の著者を横断的に捕まえた力技に感服する。
さて。彼らの多くに共通していた見解は以下である。
①コロナ禍になったからといって、もともと彼らが主張してきたことに変化はない
②民主主義は有効である
③トランプ大統領はアホである
①は、コロナになっても彼らが従来から唱えていた学説が崩れそうとかそういうことはなく、彼らが繰り返し主張してきたことはここでも健在ということだ。日本のリスクは少子高齢化と女性活躍の遅れであり、GAFAの富と力はますます集中し、AIは生活インフラの深部にまで入り込み、我々は常に学習していかないと100年の人生を歩めないということである。
持説が変わらないというのは牽強付会ということもあるのかもしれないが、コロナによってむしろ加速されたとみるべきなのだろう。もともとコロナ前に起こっていた変化への胎動は、コロナ前においては抵抗勢力というか旧来からの慣性の力も働いて、新旧のしのぎあいみたいなところがあったのだが、コロナ禍によって古い慣習の限界が露わになり、新しい社会への動きが加速したということである。
つまり、糖尿病がもともと本人の悪いところをさらに悪化させてしまうように、この社会の旧弊となっていたものがその脆弱性を白日のもとにさらしてしまったのがコロナ禍なのである。
②については、ちょっと意外な気がする。知識人の間では民主主義の限界みたいなことがここしばらく言われ続けていたからだ。もっとも民主主義に代わる新しい社会思想が出てくる見込みもすくない。民主主義というのはダロン・アセモグルの「自由の命運」の説を借りればどうしてなかなか狭く細い道で、ちょっと右へ転べば専制、左へ転べばアナーキズムというなかなか困難なバランスを要求する。
しかし、今回のコロナを出したのがけっきょく中国だったということで、やっぱりああいう体制の国ではコロナというものを起こしてしまう公衆衛生環境を野放しにしてしまったり、隠ぺいしようとしてけっきょく災禍を拡大してしまうということだ。都市を完全に封鎖し、国民を監視してウィルスの封じ込めをはかることができたのは中央集権制ならではの力業だが、そもそもその原因をつくってしまうところに非・民主主義体制ならではのゆえんがあるとみるのである。
とはいえ、西洋諸国の首脳陣の判断や国民の動きも模範的だったかというとそうではない。政治的無関心や認知バイアスで、必ずしも全体最適ではない判断や行動をしてしまう。そしてトランプ大統領こそはそういった誤謬の上に乗った大統領であった。
というわけで③である。仮にも知識人たるもの、トランプみたいな野卑な野郎の政策を少しでも評価することなどできぬと言った自縄自縛なところもなきにしもあらずだが、トランプ大統領の個人的資質はともかく、根っこの問題は、そういう大統領が選ばれてしまうアメリカという国の人々と社会装置や社会制度だろう。しかし、止まらないGAFAのビジネスや、進化するAIによるマーケティングの社会、そしてフェイクニュースの横行は、おそらく今のアメリカの状況をさらに加速させるように思う。それは分断とポピュリズムのさらなる格差である。
ところで、本書を読んで僕が思ったことは、ちょっと予定調和すぎるかなというところだ。本書に登場する知識人の多くは「コロナだからといって我々の説はなにも変わらんよ」という態度なわけだが、基本的にはこれまでの持説を繰り返しているわけで、ちょっと柔軟性を欠いたきらいがある。本書は彼らの著作のダイジェスト本としても機能するんじゃないかと思うほどだ。それに全体的に悲観主義だ。
もしかするとこんな大家ではなく、もっと新進気鋭の若手中心で同じような企画をしてみればまたずいぶん違うものになるのではないか。それでこそ「コロナ後の世界」なのかもしれない。