父・宮脇俊三が愛したレールの響きを追って---宮脇灯子
とにかくなんだか最近は「鉄道」が人気で、宮脇俊三氏が生存していた頃とはまたずいぶん様相が違う。一言で言うと、趣味の対象にされた「鉄道」の側でも、観光資源の自分に目覚めたというか、色気づいてきているのである。
氏の生前の時代にも、鉄道マニアとか鉄道ファンとか呼ばれるヒトは存在していて、各地で出没していたけれど、鉄道自身のほうは、泰然と日常のインフラを務めていた。
鉄道というのは、都市物流のひとつの手段であり、機関であって、徹頭徹尾その任務にのみ応えていた。SL列車を走らせたり、縁起のいい駅名の切符を販売するなど部分的な例外はあっても、全体としては日本の鉄道は機能一辺倒であり、黙して語らずのハードビジネスだった。北から南まで同じような外装内装の車両であり、特急列車の発車メロディも全国見渡して数種類程度であり、近くに温泉があろうが名山があろうが駅名はそっけなかった。
この無骨な公共機関が、さまざまな日本の文化・風土・気候・地勢・歴史と接したところに湧き上がる風情に、宮脇俊三の関心の先はあった。だから多くの氏の旅行記は、いわゆる「乗ることそのものを目的としたような列車」の乗車記や「乗ることそのものを目的としたようなヒトとのふれあい」は短編の類を除けばほとんどないと言ってよい。
が、最近は鉄道会社自身、あるいは旅行業者も趣味の対象としての鉄道に目覚め、まさに「乗ることそのものを目的としたような列車」や、「乗ることそのものを目的としたようなツアー」が続々登場した。景勝地で徐行運転する列車。雄大な景色を眺めるために設計された車両。一区間だけ鉄道に乗車するバスツアー。
要はひとつの観光資源のあり方を発見したのである。それが肝心の鉄道の利用率ひいては収益の向上に役立つのであれば、新しいビジネスモデルの発見といってよいが、この動きはこの10年間で特に顕著になった。
で、亡き宮脇俊三氏の長女である灯子氏による父と父の著作をしのびながらの旅行記が本書であるが、こういった「観光資源であることに自ら目覚めた鉄道」の旅行記が多いことに隔世を感じたのであった。ぬれ煎餅の銚子電鉄、流氷を眺めるための列車と展望台の駅を持つ釧網本線、徹底的に乗車中の滞在を楽しむよう工夫された肥薩線、「名物化」された餘部鉄橋。
父・宮脇俊三氏の頃には「無骨」だった鉄道が、娘・宮脇灯子氏の頃にはなんだか「色気」が出て、ますます老若男女の鉄道ファンを引き寄せているのだなあと思った。