最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?---ポール・コリアー
「失敗国家」などとも称される、アフリカの最貧国の、負のスパイラルを読み解く。文明の生態史観のように、「失敗しやすい」条件として4つの項目を挙げている。この4つの項目にあてはまるほど、「失敗しやすい」ということである。
1.内戦
2.天然資源が存在する
3.内陸国
4.劣悪なガバナンス
この4つは互いが互いを呼び合いやすい。また、1の内戦が起こりやすくなる要因として「低成長・低所得」が指摘されているから、要するに状況そのものが原因をつくり、結果を生み出し、その結果がまた原因になっているわけで、もうどこから手をつけていいのかわからないような具合になる。
興味深いのは、2の天然資源の問題。デカプリオ主演の「ブラッド・ダイヤモンド」なんかでも注目されたが、未熟なガバナンスの地に重要な天然資源が生まれると、色々な意味で翻弄され、行政機構としてはかえって破綻する、というのはそうかもしれない。
で、「擬似天然資源」とでも言えるのがいわゆる「金銭的援助」だ。その国の生産力が本来持ち得ないはずの金銭が「援助」されると、その国の経済循環をさらに破綻に追い込む。その仕組みはまるで「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな連鎖関係なのだが、なるほどマネーというのは不思議なものだ。「マネー」の使い手としてのリテラシーが成されていないと、あっという間に奈落の底に引きずりこまれる。
究極の貧困国家がテイクオフするにあっては、中長期的に安定した教育と職業訓練の体制と、それが軌道にのるまでの対処療法としての生活援助というところなんだろうけれど、どこの誰が何のモチベーションでそれをやってあげるのか、と考えると、絶望的な気分になる。
かくいう目的のためには、先進国による軍事介入もありなんだろうけれど、軍事介入する先進国は、いずれにしても自分のところのリターンがなければやらないわけだし、その創出されたリターン(資源やプラントなど)は、結局その国の成長のノウハウとして健全に還元されていない(むしろ利権の争奪の引き金になる)。 当事者国の政府に安定国家行政を図ろうという意図がないというのも救いがたい。
「失敗国家」などとも称される、アフリカの最貧国の、負のスパイラルを読み解く。文明の生態史観のように、「失敗しやすい」条件として4つの項目を挙げている。この4つの項目にあてはまるほど、「失敗しやすい」ということである。
1.内戦
2.天然資源が存在する
3.内陸国
4.劣悪なガバナンス
この4つは互いが互いを呼び合いやすい。また、1の内戦が起こりやすくなる要因として「低成長・低所得」が指摘されているから、要するに状況そのものが原因をつくり、結果を生み出し、その結果がまた原因になっているわけで、もうどこから手をつけていいのかわからないような具合になる。
興味深いのは、2の天然資源の問題。デカプリオ主演の「ブラッド・ダイヤモンド」なんかでも注目されたが、未熟なガバナンスの地に重要な天然資源が生まれると、色々な意味で翻弄され、行政機構としてはかえって破綻する、というのはそうかもしれない。
で、「擬似天然資源」とでも言えるのがいわゆる「金銭的援助」だ。その国の生産力が本来持ち得ないはずの金銭が「援助」されると、その国の経済循環をさらに破綻に追い込む。その仕組みはまるで「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな連鎖関係なのだが、なるほどマネーというのは不思議なものだ。「マネー」の使い手としてのリテラシーが成されていないと、あっという間に奈落の底に引きずりこまれる。
究極の貧困国家がテイクオフするにあっては、中長期的に安定した教育と職業訓練の体制と、それが軌道にのるまでの対処療法としての生活援助というところなんだろうけれど、どこの誰が何のモチベーションでそれをやってあげるのか、と考えると、絶望的な気分になる。
かくいう目的のためには、先進国による軍事介入もありなんだろうけれど、軍事介入する先進国は、いずれにしても自分のところのリターンがなければやらないわけだし、その創出されたリターン(資源やプラントなど)は、結局その国の成長のノウハウとして健全に還元されていない(むしろ利権の争奪の引き金になる)。 当事者国の政府に安定国家行政を図ろうという意図がないというのも救いがたい。