棟梁 技を伝え、人を育てる
語り:小川光夫 聞き書き:塩野米松
文芸春秋
本書は、最後の宮大工と言われた西岡常市に弟子入りして40余年の著者がついに自分の立場を後進に譲ったあとの口述筆記である。宮大工という暗黙知の極め付けみたいな世界をどう継承していくか話だ。修行期間10年の住み込み徒弟制という、当世ホリエモンや、はあちゅうの主張などとは真っ向から反対の世界であろう。
しかしながら、ここにはヒトの機敏に触れる真髄みたいなものがある。数年前から管理職なんてものをやっているからか、含蓄ある言葉の数々にいちいち感銘をうける。
マネジメントというのは、業務管理や業績評価の標準化や平準化みたいなところがあって、例外をなくそうという力学が働きやすいなとずっと感じていた。マネジメントされる側からすればひとつひとつの固有の事情をこそ斟酌してもらいたいと思うものだし、僕も現場にいたときはそう思っていた。
しかし、管理職になってみると、それはもちろん中間管理職だが、平準化のプレッシャーがものすごく上からかかってくる。仕事の内容は案件ごとにみんな違うし、去年と今年では状況も違うのに、同じようなクライテリア、同じような評価項目、同じようなミッションが示達される。そしてそれぞれ違う仕事をしている違う素質の者同士を同じ基準で相対評価していく。やりきれない気がするが、これは中間管理職共通のボヤキであろう。
そんなところに本書は、棟梁たるもの、弟子たちのそれぞれの癖ーどこに芯があるかを見極め、その芯を生かすように采配すれば最強の組み立てになる、と説いてくる。標準化の真反対である。
その人が育つにはどうすればいいか。育てるのではなく、育つ環境を整えてやることだ、と説いてくる。
そして、どうやって仕事を任せるか、という話が出てくる。任せなければ人は成長せず、立場が人をつくり、後進に座を渡さなければ技術は継承されない。少々、未熟なところをあえて任せ、責任を追ってもらうことで人は成長すると出てくる。
さもありなんだ。最近はプレイング・マネージャーという言い方がよくされ、御多分にもれず、自分が勤めている会社もそうなのだが、その名に安住せず、そこもあえて現場に権限移譲することが、組織の持続可能性として大事なのだろう。棟梁は道具は持たないという本書の指摘も感慨深いものがある。