羽花山人日記

徒然なるままに

かもめ食堂(映画)

2024-06-11 20:33:55 | 日記

かもめ食堂(映画)

なんとなくつけたテレビで、『かもめ食堂』という映画を観た。

観ているうちにだんだん引きずられて最後まで観てしまった。奇妙な映画だが面白かった。観終わってからWikipediaで映画のデータを調べた。2007年に公開された萩上直子監督の日本映画である。

ストーリーらしいものはない。

フィンランドの港町でサチエ(小林聡美)という日本人女性が、「かもめ食堂」という日本食を売り物にする食堂を開く。地元の人たちには珍しがられるが、客は全くない。

ある日日本かぶれのトンミ・ヒルトネンという青年が入ってきて、ガッッチャマンの主題歌の歌詞をたずねる。どうしても思い出せないサチエは、町で見かけたミドリ(片桐はいり)という日本人女性に歌詞を教えてもらい、それが縁でかもめ食堂を手伝ってもらうことになる。

ミドリは外国に行きたいと目をつぶって地図を指さしたら、そこがフィンランドだったという。

サチエは日本食にこだわるが、ふと焼いてみたフィンランド定番のシナモンロールのにおいに誘われて客が入るようになる。

そんなある日、日本人の女性がふらりと入って来る。彼女はマサコ(もたいまさこ)といって、両親が亡くなって介護から解放され、エアギターの選手権戦をやるようなおおらかなフィンランドにあこがれてやってきたという。ところがチッキの荷物が行方不明でしばらく滞在しなければならなくなり、その間店を訪れ結局食堂を手伝うことになる。

通りからいつも食堂の中を覗き込んでいる女性があり、意を決したらしく店に入ってきて、強い酒を注文し一気飲みしてつぶれてしまう。自宅まで送り届けられた女性は、3人を相手に「自分は亭主に逃げられてどうしていいかわからない」と訴える。それをフィンランド語を知らないマサコが受け止め、お互いに意を通じ友達になる。

ピクニックに出かけた留守中に、かもめ食堂の前に店を出していたオーナーが忘れ物を取りに入り、泥棒と間違えられるが仲直りして一緒にテーブルを囲む。

腹がすいたみんなは、サチエの提案でおにぎりを作って食べる。この「梅、かか、鮭」のおにぎりが店の定番メニューとなり、人気を呼ぶ。そしてついに「かもめ食堂」は満席の日を迎える。

煙に巻かれたような気がするが、心に残る映画である。

フィンランドという国に、「かもめ食堂」という日本が出現する。縁もゆかりもなかった3人の日本女性が、お互いの個性を発揮し、尊重しあいながら一種の日本人社会を形成する。そこに、箸を使って日本食を食べるフィンランド人の客が入り、一種奇妙な国際色が生まれる。

理屈は考えない方がいいだろう。言葉でいうより感じればいいと思う。3人の女優さんは淡々とそんな映画にふさわしい名演技を披露している。

あんまりおいしそうにおにぎりを食べるのを見て、わが家でも夕食はおにぎりにした。

 

カサブランカ

今年から仲間に入れてもらった公園花壇に植えたユリが開花した。

 

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コカリナピクニック

2024-06-09 20:12:28 | 日記

コカリナピクニック

我孫子駅前のけやきプラザで開かれた、「筑波山麓コカリナピクニック」に参加してきた。

「コカリナピクニック」は茨城と千葉を中心とするコカリナサークルの交流会で、コロナ禍による中断はあったが、今年で19回を数える。

毎年、わたしもそのメンバーとして参加してきた「ラヴピース」がメンバーの体調不良で参加不能となり、今回は「ひびき」の一員として参加した。

演奏は「こぶしの花」、「峠のわが家」の2曲。「こぶしの花」は、コカリナピクニック創始に大きな役割を果たした田中夫妻のマイソングとして黒坂黒太郎氏が作詞、作曲した曲である。

リーダー黒田さんのソプラノコカリナのメロディーを盛り上げる形で無事吹き終えた。

一時参加サークルが減り、心配されたが、今回は昨年を上回る23のサークルが参加した。一般市民の来聴もあって、550席のホールはほぼ満員だった。

コカリナ愛好者は高齢化が進み、世代交代に懸念がもたれていたが、今年は新しく結成されたサークルの参加もあり、若者の姿も見られたので、少しほっとしている。

同好の士の熱のこもった演奏を聴き、のんびりゆったりと楽しい半日だった。

 

君といつまでも

郷ひろみが「君といつまでも」をカバーするというテレビ番組の記事を見て、ビデオに収録した。

岩谷時子の作詞に加山雄三が弾厚作のペンネームで曲をつけ、自ら歌って大ヒットさせたこの曲を、彼と同世代のわたしは三連符を多用したリズムが気に入り、カラオケ十八番にしてよく歌ったものである。結婚披露宴に出席して、乞われて(???)歌ったことも何回かある。

1番と2番の間にセリフが入る。このセリフは加山が公演の時アドリブで入れたのが定番になったものらしい。

「幸せだなあ」のこのセリフ、照れずにしかも間奏にうまく乗せてしゃべるのはなかなか難しい。郷も練習で非常に苦労し、本番で緊張したそうである。

ともあれ、テレビの前で郷と一緒にこの歌を久々に歌っていい気分になった。アハハ。

 

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対話

2024-06-07 20:44:29 | 日記

対     話

昨日の朝日新聞9面の「福島季評」に、安東量子さんの『成田闘争にみる雪解けの底流』と題する文が載っていた。

安東さんは作家で福島についての対話の場を企画・運営する「福島ダイアログ」というNPO法人の理事長である。

半年前のこの欄に、成田空港問題の話し合いによる解決について書いたところ、空港反対闘争の当事者の一人から、「成田空港 空港と大地への歴史館」への招待を受けたという。

安東さんは、対立する問題があったとき対話による解決の方が暴力や圧制によるよりもましなことはわかっているのになかなかそうならないのは、関係者が対話をする気にさせることが必要なのだが、それが最も難しいからだという。そして、自身の活動でその気になってもらえなかった時の無力感を痛感している。

安東さんは、あれだけ激しかった成田闘争で、対話に応じる気になった双方の動機は何だったかを知りたくて、招待に応じることにした。

成田では、空港公団側の板橋さんと反対運動側の石毛さんが歴史館を案内してくれた。

板橋さんによれば、公団と国には空港拡張工事を安全に進めたいという動機があり、対話から解決に至った背景には関係者の中に成田問題は本当にこれでよかったのかという悔悟の気持ちが底流としてあったという。

石毛さんは、闘いのやり方を「実力」から「言葉」変えたが和解する気持ちはなかった。しかし、想定外の和解に至ったのは、国が謝罪し、用地取得などに強制手段はとらないと約束したからだという。

安東さんは、守りたいものがある人をないがしろにしたまま、「ポイント・オブ・ノーリターン」を踏み越えることによって対立は激化すると、自身の経験を踏まえていう。

わたしはこの記事を読んで、30年以上前に読んだ宇沢弘文著『「成田」とは何かー戦後日本の悲劇―』(岩波新書1991年)を思い出し、書棚から引っ張り出してぱらぱらとめくってみた。

東京大学名誉教授で世界的に著名な経済学者の宇沢さんは、学識経験者として成田問題をめぐる公開シンポジウムとそれに続く円卓会議に加わって、まとめ役の一翼を担った。この著書には、学識経験者とし招請を受けてから承諾するまでの苦悩と、関係者との対話を通じて問題の本質を掘り下げていく過程が記されている。

第一回のシンポジウムが開かれるところで本は終わっているが、「良心の書」としてわたしは感銘を受けた。安東さんの対話に関して言われたことが裏打ちされている。

わたし自身も労働争議に関係し、対話(団交と称していたが)を通して事態の転換を得たことを経験している。その時感じたことは、相互を対話する相手として認識し、方向性について共通の認識を持っていたことが前提になっていたということである。

世界には対話に至る過程や展望すら望めない事態がいくつもあり、暗澹とした気持ちになる。しかし、やはりそこに希望をつないで行きたい。

 

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広告

2024-06-05 18:50:16 | 日記

広    告

スペイン語の授業で、先生がカードを引かせ、そこに書かれている課題についての質問に答えるというゲームをしている。

先日私が引いた課題は「広告」だった。以下そのカードにあった質問と私の答えを記す。

Q:広告に興味を示すことがありますか。

A:ありますよ。特にスーパーマーケットのチラシは、値引き商品を探して一生懸命見ます。

Q:テレビを観ていて、コマーシャルが出るとチャンネルを変えますか。

A:いいえ、変えません。コマーシャルの時間は、休憩やトイレに行くのに利用します。NHKの番組はコマーシャルがないので、ドラマを観ているような時はトイレに立つのに苦労します。

Q:広告を信頼することができますか。それとも広告は商品を売るための戦略に過ぎないと考えますか。

A:広告が商品を売ることを目的にしているのは当然です。しかし、中には売らんがための誇大広告もあると思います。わたしは、サプリメントやいわゆる健康食品については、そこで言われていることを基本的に信頼していません。

Q:広告で見たものを買いますか。

A:わたしの買い物にとって、広告は大事な情報源です。何を買ったか忘れましたが、テレビショッピングで買ったこともあります。通販でものを買うときは広告だけが頼りです。ただし、衣類と履物のような身に着けるものは商品を見て買うことにしています。

Q:たばことアルコール類の広告は禁止すべきだと思いますか。またそれは何故ですか。

A:たばこもアルコール類も、それを欲しい人がいるからにはその広告を禁止すべきではないと考えます。ただし、特にたばこについては、喫煙が健康上有害だということを付記するべきです。

Q:商品を売るためなら何でも許されると考えますか。

A:人を貶めたり傷つけたりする広告は許されるべきではありません。広告は基本的に人の福祉に役立つものであるべきです。

Q:潜在意識に働きかける広告を知っていますか。

A:はい。映画のフィルムの間に、例えばアイスクリームの画像をごく短時間繰り返し挿入すると、映画を観終わったときにアイスクリームが食べたくなるという話を聞いたことがあります。

Q:何か印象に残っている広告がありますか。

A:YKKの「窓」を扱ったテレビのコマーシャルが好きです。窓を挟んだ少年と猫のふれあいを物語風に描いています。少年は学校に行く途中で、窓の向こうに座っている猫に挨拶するのを習慣にしています。ところがある日猫が見られなくなりました。何日かしてふと気がつくと、猫が窓のところに戻っています。3匹の子猫を従えて。

 

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白内障

2024-06-03 16:27:58 | 日記

白 内 障

目医者に行ってきた。

眼科の定期診察を受けるようになったのは、10年以上前に人間ドックのコメントに、眼圧が高いので精密検査を要するとあったのがきっかけだった。以来3か月に一回くらい、点眼薬が切れると検査を受け、処方箋を出してもらっている。

眼圧は落ちついているが、糖尿病の影響で網膜に出血がある。ただし、血糖値やHbA1cの値がだいぶ落ちたせいか、出血は拡大していない。

白内障が進行しているので視力が少し落ちているが、まだ手術には及ばないというのが今日のご託宣であった。

わたしの父は84歳の時に白内障の手術を受けた。当時は今よりも慎重に扱われていて、片目ずつ1週間の入院だった。

結果は良好で、唯一の楽しみだったテレビがよく見られるようになったと喜んでいた。そのころ父の年賀状はわたしが代筆していて、手術が成功した年の年賀状に、「世の中が明るくなった」と書くように頼まれた。94歳までの10年間テレビを楽しむことができて、父も幸せだったろう。

白内障恐れるべからずとその時わたしは確信した。手術が必要になったら躊躇しないことにしている、

 

眼  鏡

眼に関連して、眼鏡のことを書く。前にも書いたかもしれない。

わたしは従来視力がよくて、両目とも1.5を維持していた。しかし、40台に入ってから夕方になると手元が見えにくくなり、目医者に行った。

診察した眼科医はわたしが42歳だと聞き、「老眼というのは45歳からだから、目の栄養不足が原因だろう」といって、瞼の上に赤外線を当て、何やら薬を処方してくれた。

帰宅して薬を見るとATP(アデノシン三リン酸)がその成分だった。生物の教科書でATPは細胞間を移動しないと習った記憶があり、疑問に思いながら3日ほど飲んでみたが一向に改善されない。

薬は止めて眼鏡屋さんに相談した。「早くから老眼になる人もいますよ」と、さっそく老眼鏡を作ってくれた。

その後、手元の資料と学生の顔が同じ眼鏡で見られるようにと、遠近両用の眼鏡を調達した。新聞を広げて動かさずとも手元から上の方まで読むことができるという説明に納得した。

かけ始めたころは目が充血し、方眼紙を見ると正方形が菱形に見えた。しかし、いつの間にかそれは正方形に戻っていた。網膜に投影される像は変わらないわけだから、これは脳の方で修正したのだろう。だが、眼鏡をはずしてみても、正方形は正方形に見えるのは何故だろう。

形というのは思い込みだろうか。

使用中の眼鏡のラインナップ。手前左から右へ、遠近両用、パソコン画面用、後列左から読書用、ハズキルーペ。ルーペは遠近両用の上からかけている。列車の中で本を読むのに使っている。

 

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リニア中央新幹線

2024-06-01 19:45:01 | 日記

リニア中央新幹線

わたしはリニア中央新幹線については、ニュースで時々見る程度で勉強したことがないので、ほとんど意見をいうことはできないが、この建設計画を知った当初から、「ちょっと怖いな」と「なんのために」という感じを持ち続けている。

今週、リニア新幹線について二つの記事を読んだ。それに関連して感想を述べてみたい。

5月29日付の朝日新聞11面、「月間安心新聞」という欄に、千葉大学院大学教授神里達博さんの論説が載っていて、リニア中央新幹線の技術的な問題点が指摘されていた。

一つは、超電導状態にするためにコイルを極低温にする必要があり、ヘリウムガスで冷却する。世界的なヘリウム資源の不足への懸念と、ガス漏洩の危険が問題として存在する。また、超電導磁石の超電導が消失して温度が急激に上昇する「クエンチ」という現象があり、液体ヘリウムが急速に気化する危険がある。

二つ目は、約9割がトンネルを通過するリニア新幹線は、地震によって鉄道を横切る活断層にずれが生じると、大惨事になる危険性がある。

JR東海はこれらのリスクについて対処済みとしているが、その詳細が明らかになっていないと神里さんは指摘する。

リニア新幹線が「ちょっと怖い」という感じは、この記事を読んで強められた。もう60年前になるが、ハネムーンで京都に行ったとき、開通したばかりの新幹線を「ちょっと怖いから」とさけて、在来線を利用したのを思い浮かべた。

今週号の「AERA」に、ライターでラジオパーソナリティの武田砂鉄さんの『リニア中央新幹線はそもそも必要なのか』と題するエッセイが載っている。

武田さんは、3兆円の財政投融資で進められている国家的プロジェクトともいうべき「大事」の前には、「小事」が切り捨てられてその完成が優先されることを指摘する。

トンネルを掘った膨大な土をどこに捨てるかも決めず、盛り土による土砂災害への対策は立てられているのか。高いところから低いところに向かう水の流れが断ち切られれば、広範囲にわたって水位が低下する。岐阜県内の地下水位の低下は当初から警告されていたことの現われで、影響はもっと広域に広がるのではないか。これらが武田さんの危惧するところである。

リニア新幹線の経済効果について、東京・名古屋・大阪を短時間で結ぶ巨大都市圏の形成が挙げられているが、では大都市の間に挟まれた地域についてはどうなのか、「メガリージョン」と「地方創生」とは両立不能ではないか、と武田さんは指摘する。

わたしはこの意見を読んで、車に乗っていた時に比べて、歩いている方が周辺から得られる情報量がはるかに多いことを連想していた。

リニア中央新幹線工事遅延の最大原因といわれていた川勝さんが舌禍で静岡県知事を退いたが、地下水位の問題が浮上して、工事の完成は2034年以降にずれ込むことになった。

どうやらわたしは「ちょっと怖い」、「なんのために」の感じを抱きながら、リニアー中央新幹線の完成を見ずにこの世からいなくなることになりそうである。

 

遺  作

今日の「おんがく交差点」(テレビ東京)のゲストは、日本を代表するチェリストの苅田雅治さんだった。ホステスの大谷康子さんとは旧知の中で、話に花が咲き、大谷さんが珍しく多弁だった。

苅田さんがソロ演奏に選んだ曲は、尾崎宗吉作曲の『チェロとピアノの為の「夜の歌」』だった。作曲者の尾崎さんは1945年に戦死されている。この曲は戦地に赴く前の遺作である。

冒頭から曲に引き込まれた。悲しみを通り抜けた透明感とでも表現しようか、聴いているうちに涙が止まらなくなった。

上田市近郊にある画廊の「無言館」が心に浮かんだ。

 

サツキからアジサイへ 季節は移る

 

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