博多住吉通信(旧六本松通信)

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最も危険な旅客機

2024年07月28日 | 歴史
 昨日、本ブログで取り上げさせていただいたイギリスの世界初のジェット旅客機コメットについて調べていましたら、世界で2番目に実用化された旧ソ連のジェット旅客機Tu‐104の驚くべき記事を見つけました。Tu-104(ツポレフ104)は、ツポレフ設計局が開発したターボジェット双発旅客機で、1954年に初飛行を行い、1955年11月6日に、現ウクライナのハルキウ航空機工場で量産を開始したそうです。このようにコメットより5年遅れで開発が進められています。
 全長40.05m、翼巾34.54m、全高11.90m、運航乗務員数7名、座席数 50-100、巡航速度750 km/h、巡航高度11,500 m、航続距離2650 kmといった仕様だったそうです。初代コメットより2倍以上の乗客を運べたようです。
 同機の写真を見ますと、機首がガラス張りになっています。日本本土に空襲を行い、広島と長崎に原子爆弾を投下した米国のB29爆撃機のようです。実際に印象の通りで、Tu-104は中距離爆撃機Tu-16(ツポレフ16)を土台に開発されたのでこういう仕様になったのだそうです。ガラス張り機首(グラスノーズ)には飛行を誘導する航法士が着席するそうです。
 さて、Tu-104について調べていたら「えっ!」と思うような記事を見つけました。『ロシア・ビヨンド』の2019年4月12日付けのボリス・エゴロフ氏の「なぜTu-104はソ連で最も危険な旅客機だったか」という記事です(注1)。同記事によりますとTu-104は「Tu-104は史上最も危険なソ連製旅客機となった。製造された201機の5分の1近い37機が事故で失われた。これらの事故で計1137人が命を落とした」と書かれていました。何とコメットの犠牲者56人の20倍以上です。Tu‐104もコメット同様に様々な初期不良に見舞われていたのでした。しかしソ連当局は、それを秘密にして20年以上の長きに亘って運用したための悲劇だったそうです。
 上の写真はT0-1041/144 プラモデルのパッケージです(注2)。
(注1)『ロシア・ビヨンド』https://jp.rbth.com/science/81880-tu-104-soren-de-mottomo-kiken-na-ryokyakuki
(注2)https://joshinweb.jp/hobby/27165/4544032708573.html

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