本日7月29日は「アマチュア無線の日」だそうです。-1973年(昭和48年)に日本アマチュア無線連盟が制定。アマチュア無線は1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争勃発と共に禁止されたが、1952年(昭和27年)のこの日、アマチュア無線が解禁され、全国の30局(人)にアマチュア無線局予備免許が交付された。アマチュア無線の普及とPRが目的-(注1)ということだそうです。
ブログ主は、中学2年生の頃-昭和49年(1974年)ですから、今から50年前のお話です-アマチュア無線の電信級に憧れて、一生懸命モールス信号を覚えようとしたことがあります。結局免許は取れませんでしたが・・・なぜモールス信号に憧れたかと言いますと、『SOSタイタニック 忘れえぬ夜 』(A NIGHT TO REMEBER 1958年 イギリス ロイ・ウォード・ベイカー監督)をテレビで見て、その中に沈没しつつあるタイタニック号のジャック・フィリップス無線士が必死で(世界で最初の)SOSを打電する姿を見て印象の残ったことがきっかけだったようです。上の写真はタイタニック号から約100キロ離れた場所を航海していた客船カルパチア号のハロルド・コッタム無線士がタイタニック号のSOSを受信している場面です(注2)。カルパチア号はタイタニック号に急行し706名の遭難者を救助したことで知られています。
ブログ主は、中学2年生の頃-昭和49年(1974年)ですから、今から50年前のお話です-アマチュア無線の電信級に憧れて、一生懸命モールス信号を覚えようとしたことがあります。結局免許は取れませんでしたが・・・なぜモールス信号に憧れたかと言いますと、『SOSタイタニック 忘れえぬ夜 』(A NIGHT TO REMEBER 1958年 イギリス ロイ・ウォード・ベイカー監督)をテレビで見て、その中に沈没しつつあるタイタニック号のジャック・フィリップス無線士が必死で(世界で最初の)SOSを打電する姿を見て印象の残ったことがきっかけだったようです。上の写真はタイタニック号から約100キロ離れた場所を航海していた客船カルパチア号のハロルド・コッタム無線士がタイタニック号のSOSを受信している場面です(注2)。カルパチア号はタイタニック号に急行し706名の遭難者を救助したことで知られています。
(注1)https://zatsuneta.com/archives/107291.html
(注2)https://www.youtube.com/watch?v=qGFxfO3M_aU