
橋本八幡宮の案内板(下の写真です)によりますと、今から約500年前の文明14年(1484)に、柴田蔵人左繁信父子によって初めて建立されたもので、当時の社殿の棟札の写しが柴田家に所蔵されているそうです。蔵人左(くらんどのすけ)の先祖は陸奥国(今の宮城県)柴田郡の豪族で一説には越後国(今の新潟県)柴田の人ともいい、故あって一族郎党を引き連れて、橋本にやってきた。その時、郷里の八幡宮の分霊をこの地に向かえ社殿を建てたと伝えられているそうです。境内の北側あたりに、黒田藩主の別荘茶屋があったそうで、三代光之公は橋本の人を母として生まれ、この地で幼時をすごしたとのことです。今もこのあたりを「お茶屋の内」というそうです。